【クリミナル・マインド シーズン8】哀しいタキシード
あるBGMが流れてくる。そのサウンドを聞くだけで心が晴れるような、そんなBGM。それは、ワーグナーの結婚行進曲『婚礼の合唱』であった。演台の上に、華やかなタキシードを着て、彼れは一人ポツンと立っている。誰れひとり参列していない教会に、訳もわからず一人ポツンと——それは、IQ187という驚異の知能指数をはかるドクター・スペンス・リードだった。
——!?
——ここは……教会?
——なぜかタキシードを着てる。
気配を感じとったリードは後ろを振りかえった。すると、先程までは誰れもいなかったはずの教会に、メンバーの姿があった。青いワンピースのドレスを着たジェイジェイ、スーツ姿のロッシ、ホッチナー、モーガン、そして、ブラウンのフォーマルなワンピースを着たアレックス。女性陣は左腕にリフト・ブーケを身につけ、男性陣は左胸ポケットに白いバラのブートニアを身につけ、リードの立っている演台の前列に座っている。
——これは、どういうこと?
——なんで、みんながいるの?
——みんな笑顔でこっちを見てる。
頭の回転が突風なみに早いリードでも、今のこの異様な状況を理解するのに困難を要した。そして、また後ろの気配を感じとる。リードが振り返ると、金髪の強いウェーブのかかった彼女が立っていた。いつも陽気で飾り気のないチャーミングな女性——ペネロープ・ガルシア。赤いリボンを頭上に少し位置をずらして付けているガルシアが言ってくる。
「指輪はあります?」まるで牧師。
「!?」リードはズボンのポケットをまさぐり、硬いリングの感触を確かめる。左ポケットに入っていたのは、結婚指輪。
「彼女の指にはめて」茫然と立っているリードにガルシアが指示をだす。
「彼女って?」いぶかしげな顔でリードは言った。すると、ガルシアは右側を見遣り、彼女の存在に気づかせようとする。リードもガルシアの視線をたどっていく。そこには花嫁が立っていた。白い天使のようなウェディング・ドレスを着て、ブーケを両手で持っている細身の美しそうな女性。しかし、ウェディング・ベールで顔を隠すように覆っているので、その相手が誰れなのかはわからない。わからないはずなのに「ああ」と、リードは状況を素直に受け入れた。そして、辺りを一回みまわし、誰れだかわからない花嫁の白く透きとおる左手を持ち、持っている結婚指輪をはめていく。
「ここに二人を天才と、認めます」その後、ガルシアはこう告げる「じゃあ、やっちゃって!」。
「え!? なにを?」突然、用意されたこの舞台。そして、誰れだかわからない人との結婚式。リードにはわからなかった。次になにをするのかが。
「キスだよ。ばーか」まるで——できの悪い後輩に教える——先輩のようにガルシアは言った。
リードは花嫁のほうへ近づき、顔を覆っているウェディング・ベールを後ろにやった。悪魔よけのために守られていたヴェールが、ついに開かれたのだ。これで、ようやくその顔が見られる。世界に一つしか存在しない、この美しき天使の素顔——。
が、それは期待していたようなものと全然ちがった——認識に必要なパーツがどれもそろっていなかったのだ。眉毛、ひとみ、鼻、口がない。いわゆる、のっぺらぼうのようなお顔。
リードはただただ見つめていた。ひと声も発せられない、その不気味なのっぺらぼうの花嫁を——。
これはなにかの前触れなのか?
そんな不思議な夢だった——。
薄暗いリビングのソファでリードがゆっくり目覚めた。お腹の上に乗ってる分厚い本をどかし、焦げ茶いろのソファからゆっくりと起き上がる。前屈みに座り込み、目覚めをスッキリさせるために、両手でまぶたのマッサージを行った。手をどかし、血流をよくした眼で、もう一度、あの本を見遣る。
『ジョン・スミスの物語』
まだ、一度も会えていない愛しい女性——メイヴがメッセージつきでプレゼントしてくれた大切な本。
あの時は、ストーカーが店に来てると勘違いをしてしまい、メイヴを思って自宅へ帰してしまったけど、今回はちゃんと会って、彼女に伝えてやりたい。
「愛してる」と。
リードは周りに人で繁雑していない公衆電話のある場所へ行き、コレクトコールに電話をかけた。早朝の日差しが紅葉をより赤く照らしている時に。
受話器をいったん戻し、オペレーターからの電話を待った——。
《プルルルルルル……!》
「もしもし?」
『コレクトコールです。発信者は——』と、オペレーターの声が流れ、『アダム・ワース』と、変声機で変えた野太い声が聞こえたあと、『——お受けになりますか?』と、またオペレーターの女性の声にもどる。
「……はい」とりあえず、リードは受信を承諾した。
「二ドルをお入れください」
慌ててリードは財布を取り出し、ばら撒いた書類を放ったらかして小銭を取り出す。そして、二ドルを入れた。
『ご利用ありがとうございます。——プ——』オペレーターの案内が終わり、発信者とつながりはじめた。
「もしもし?」リードは尋ねた。すると、また、あの変声機を使った野太い声で言ってきた。
『ツーク……ツワンク』
「…………もう一回、言ってください」
『ツーク……ツワンク』発信者は電話を切った。
リードの顔に血の気がなくなり、まるで魂が抜けたかのように憮然と立ち尽くす。自分の耳を疑いたくなるような、絶対に起きてはいけない最悪な事態が現実となってしまったのだ。
なんど引っ越してもしつこくつきまとう恐ろしいストーカー。
そう、メイヴは見つかった——そして、襲われた……。
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「深く愛されれば人は強くなり、深く愛せば人は勇敢になる」
中国の哲学者 老子
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ということで、第一話はシリアスなストーリーでしたね。
思わず顔が綻ぶような——ハンピーにな気分になれるような——部分はありません。