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【洋画】ホームタウン・ラブ – あらすじ
「女とパリは留守にしてはだめだ」
政治家 ナポレオン・ボナパルト
19,000字ほど。
【感情のトリガー↓】
第一章:【喜】
第二章:【興】
第三章:【恋】
第四章:【綻・喜】
最終章:【悦】
第一章:帰郷の邂逅
フゥーっと ケーキにささったロウソクの火を吹きけした優美な女性——リリー(二十代)。まるで、“エル・ファニング” のような透明感と 雪のような白い肌。襟ぐりの大きくだいたんに開いたワンピース・ドレスを身にまとい、若手のエリート・サラリーマンふうな彼氏と、誕生日のお祝いをしていたところであった。
「キミの誕生日に」濃いワイン色のジャケットを着ている彼氏が言った。店内は図書館のような静けさがあって、おだやかにリラックスのできるような〈BGM〉がながれている。エレガントなデザインの内装がものがたっている——わりとホワイトカラーよりの高級レストラン。まわりは皆、ブルジョアかぶれのような客たちばかりなのである。そんななか、二人用のテーブル席に対面ですわっているこの男女のカップルは、いまにも、ステム——グラスのほそい持ち手の部分——をもちあげたシャンパンで、乾杯をしようとしていた。
すると——
《プルルルル……!》
リリーのハンド・バッグに入っている携帯がなりだした。
「ごめん。今度は わたしだわ」リリーが携帯をとりだすと、「叔母からよ」彼氏——ブラッドフォード(二十代)をみやって言った。「もしもし?」
持っていたグラスをテーブルにもどしたブラッドフォードは、すこし不満気なようすであったが、リリーはかまわず、叔母の電話からかけていた——親友のクリスティと会話をしはじめた。すると、先ほどまで白くうつくしい前歯をみせていた笑顔が、突つとけわしくなりだした。なんと、島に住んでいる叔母が たおれてしまったというのだ。大事にはいたらなかったけど、もどってきてほしい、と……。
「わかった。今すぐ行くね」リリーは電話を切った。「叔母がケガをしたみたいなの。すぐに行かないと」
「ああ」とブラッドフォード。
「また、やり直なおしできるかしら?」
「もちろんだよ」リリーを見おくりながら、ブラッドフォードが言った。「着いたら 知らせて」
おたがいの頬にお別れのキスをすませたあと、リリーは、叔母と親友の住んでいる——街から遠くはなれた島——故郷へと飛び発ったのだった。
————————。
こうこうと光りかがやいている海面に降りたった水上飛行機が、カナダにある小さな島の 埠頭——船などが横づけできるような波止場——に行きついた。とちゅう、この飛行機を仲間だとおもったのか、白いカモメたちがいっしょに列をなして飛んでいたことに、リリーはとても感激していた。でなかったら、はげしい振動とグラグラ揺れる 乗物酔いのせいで、やっぱり普通の便にしとけばよかったと、後悔していたことであろう。でも、仕方がない——どの便も満席だったのだから。
「どうだい、美しい場所だろ?」ハンサムなパイロットが言ってきた。大きなサングラスをはずしたこの男性は、まるで、“トム・クルーズ”のような面持ちである。「今がベストな季節なんだ」男は、機内に積まれていた——リリーの荷物——キャリー・バッグをはこんであげた。
が、埠頭に降りたったばかりである リリーの気分は、あまり良いとはいえなかったようだ。
「小型機は苦手?」茶系のワイシャツに、アイボリーのブルゾンという素朴な格好をした——先ほどの男がきいてきた。
「ええ……あなたの操縦が原因かも」カジュアルなワイシャツをインナーに、全身をワインレッドのスーツという出立ちの、リリーが答えた。そのさい、サングラスをはずしたハンサムな男性の目をみやったが、すぐに彼女は目をそらしていた。
「オレのフライングが原因?」陽光の反射でさらに光沢感をかもしだす、ブラウン・ヘアーなリリーの瞳をみつめながら、男性がにこりと言った。
「そう呼ぶのね」とリリー。「あなたのフライングが——」
「怖かった?」と、さえぎった男性。
「……いえ、酔ったのよ」
「ああ、すまない……」優美で気品のうかがえるリリーから目をそらしだすと、遠くの景色をみつめながら男が言った。「今回が初飛行だったんだ……」
その瞬間、リリーのとりつくろっていた笑顔が失われ、またたくまに、それは不信な顔へと変貌した。「……ほんとうなの?」
「冗談だよ」と、笑顔の男性。
「ぜんぜん、笑えないわよ」まゆをひそめたリリー。
「笑えるなんて言ったっけ?」余裕のある顔をくずさない男性。
初対面でからかわれたリリーは、はこぶのを手伝うよ、という男性の申し出をやんなりとことわり、タクシーに乗った。そして、叔母の住んでいる家——経営もかねている民宿の家——へと向かうのであった。
道中、リリーの頭のなかでは、彼れの名前えが気になっていた。あのとき、自己紹介しておけばよかったなと後悔しつつ、どうせ、もう会わないでしょう、と自分に言いきかせると、すぐに忘れることをえらんだのだった。
島の天気は変わりやすく、三時間ほどかけて辿りついたときには、どんよりとした空からの にわか雨となっていた。が、横ながのひろい民宿には、おおきめの廂——ちいさな屋根——がそなわっているため、その下にある玄関ポーチは、ちゃんと雨から守られていたのだった。
リリーを乗せていたタクシーが走り去っていった。そして、二年ぶりの故郷へもどっときたリリーは、あいかわらず立派にたたずまっている民宿の姿をみて、つい笑顔がこぼれだしていた。
家を水平にするための石垣が、右側のほうの地面にもうけられており、そのため、正面の玄関にむかうには、まず、六段の階段をのぼっていくひつようがある。すると、きれいに整えられている芝生のまんなかには、玄関へつづく石畳みの床があり、そこから一〇メートルほど進むと、ようやく正面玄関のまえというわけだ。
すぐにリリーの存在に気づきいて出迎えてくれたのは、古くからの親友でもあり、この民宿の仲居でもある——クリスティ(二十代)だった。彼女はリリーよりも小柄な女性で、なが〜いブロンドヘアーに子どもっぽい風貌といったかんじである。ひさしぶりの再会にハイテンションな歓迎を受けたリリーは、ようやく中へと入ることができ、ラウンジのソファで休んでいた叔母とも、再会を果たすのだった。
いっしょにソファでくつろぎながら、幼いときに亡くした両親の写真を懐古しつつ、まるで、ジブリに登場するような容貌をした叔母——マギー(七十代)から、この民宿は売りにだすことが決まったの、と告げられてしまったリリー。家族との思い出があるこの民宿を手放したくない彼女は、費用を援助すると申しでたのだが、それでも補えないほど、メンテナンス費や経営困難という課題は、そう簡単に解決できるものではなかった。
ジブリがおの叔母は言った。「変化の時がきたのよ」と。
諸行無常という現実にながれている容赦のないかぜに、リリーの笑顔は消沈してしまっていた。
すると——
テクテク…とロビーの階段から降りてきて、リリーと叔母のいるラウンジに——首輪とリードがつながれている——フランスパン色の毛なみが可愛い“ノーフォーク・テリア”がやってきた。
「こんにちは」リリーがワンちゃんのあたまを撫でながら言った。「どこから来たのかな?」首輪についているメッセージ・カードに気づいた彼女。「“マーカス”? 連絡先かしら?」
「そうだよ」と、ロビーから男性がやってきた。
「また、あなたね」スツール・クッションに座りながら、リリーが言った。
「……また、キミか」リリーを指差しながら、男性がおりてきた。そう、彼れは、あのハンサムなパイロット。エラのきいたその骨相は、ストリートファイターのキャラクターである、ガイルにも似ているようだった。「それは……俺れがあずかっている犬だ」
「あなたの犬がマーカス?」叔母がふたりの様子をニコニコと窺っていることもしらずに、リリーはたずねた。
「そう」と、ハンサムな男性。「あ、いや、俺れが“マーカス”だよ」と、いいなおす。「犬には、まだ名前えがないんだ」
「どうして?」ワンちゃんの首元を撫でているリリー。
「それは……保護した犬だから」とマーカス。「いま、里親を募集してるとこなんだよ」手に持っていたA4サイズのビラをみせた。「オレは、保護活動もしてるんだ」
「なるほどね」と、にこやかにリリー。
「名前えは、新しい飼い主につけさせたいんだ」とマーカス。
「みつかった?」今度はリリーの親友であり、民宿の仲居でもあるクリスティがバタバタとやってきた。「全員、集合ね」
「みんな、知り合いなの?」叔母とクリスティをみやりながら、リリーがきいた。
「ええ」とクリスティ。「ここのガーデン・スイートの住人よ」
「近くに住んでるの?」マーカスを見あげながら、リリーがきいた。
「ああ、住んでる」とクリスティのとなりにいるマーカス。
「ふたりは知り合いなの?」ソファで落ちついてるジブリ顔の叔母がきいてきた。
「ええ、彼は——」
「彼女をはこんだ」リリーが言いきるまえに、マーカス。
「そう、はこんでくれたの」と叔母をみやったリリー。
「お礼を言い忘れてたわ。ありがとう、マーカス」
「どういたしまして。ああ……」
「“リリー”よ」クリスティが彼におしえてあげた。
「わたしは、リリーよ」ニコッとお上品に。
「犬をかわいがってくれて、ありがとう」すこしの間をおき、マーカスが言った。「お礼をしなくちゃ」
「いえ、必要ないわ」“あら、や〜ね〜”という手のしぐさをしたリリー。
「あ、そうだ、このアップルマフィンを持って帰ってね」クリスティが、四人のまえにあるコーヒー・テーブルに置かれたお皿から、マフィンを彼れに渡してあげた。
「いいの?」マフィンを一つ つかみあげると、「それじゃあ」と言って、マーカスとワンちゃんは、民宿を後にしたのだった。
そのとき、叔母とクリスティは、意味深なアイコンタクトをおくりあい、のちに、リリーへと視線をながしだす。
「なによ?」ふたりの視線に、けげんな顔でリリーが言った。
ふたりは、なにも言わなかった。でもきっと、なにかを感じとっていたのだろう。それは、S極とN極がひっつくときに生じおびている、磁気誘導のようなエネルギーだったのかもしれない。
当然、本人たちは意識していないと思うが……。
————————
第二章:交渉の成立
《トントントントン……》
塩のかおりと森のかおりがブレンドする気持ちのいい朝、まるで “エル・ファニング” のような透明感をそなえる優美な女性——リリー(二十代)は、外からトンカチのようなもので打ちつける音をミミにした。それはちょうど、ベッドのちかくにあるナイト・テーブルで着想——建築デザイナーの会社に求められている独自性——をひねりながらも、すぐには思いつかず、ゆうべ、雑貨店の店員さんからタダで頂いた、めずらしいコンパスを眺めていたときである。
既にめかしこんでいたリリーはベッドから立ちあがると、三歩ほど先にある部屋の窓からのぞいてみた。すると、民宿の向かいにある果樹園の入り口——木枠で作られているていどの簡単なゲート——で、マーカス(三十代)が作業しているところを目撃するのだった。
《トントントントン……》
「ねえ」まだ、釘打ちをしているマーカスのところに、リリーがやってきた。じゅうぶんにトリートメントされている明るいブラウンのヘアーに、キャラメル・カラーの相性の良いガウン・コートを羽織りながら。
まるで “トム・クルーズ” のような面持ちをした男性——マーカスが、チラッと彼女をみやった。「やあ」作業をとめると、からだも彼女のほうへ向けだした。「都会のおじょうさん」
「わたしも “ハーバー島” 出身よ」両手をガウンのポケットにおさめているリリーが、頭を二〇度ほど かたむけながら言った。
「でも、街ちにもどるんだろう?」腰ほどの高さしかない木造フェンスに片手を据えながら、一メートルさきにいる彼女に、マーカスが言った。
「それは重要じゃないわ」とリリー。
「なにか用かな?」とマーカス。
リリーはゲートに使用されている木材が気になっていたようだ。ポケットから白くほそい手をおもてにだすと、その木材を指してこう言った。「“レッド・シダー”じゃないとダメよ」
「……」マーカスは、その意味がわからなった。「なんて?」
「柵には“レッド・シダー” をつかうの」とリリー。「あなたが使っているのパイン材よ」
「……だから?」いぶかしげなマーカス。
「ああ……つかう木材をまちがえてるってこと」ひかえめにリリー。
叔母からの依頼で直してあげていたのに、いきなしチャチャいれられたもんだから、あまりいい気がしないマーカス。「だれも気づかないんじゃないかな」
「レッド・シダーは耐久性に優れているのよ」ひかないリリー。
「そうなの?」
「ええ、そうよ」
「うん……で、そのシダーを持ってるの?」とマーカス。
「“レッド・シダー” ね。見てのとおり、もってないわよ」リリーは、コートをひらいてみせた。
「それは残念。こわれていた柵は、なおしといたよ」トンカチをかたづけ始めたマーカス。
「あ……見た目がわるくなるわね」ボソッと聞こえるようにつぶやいたリリー。そして、民宿にもどっていこうとした。
「キミは街ちにもどるから、見なくて済むだろ」同じく、リリーに聞こえるようにマーカス。
すると、足をとめて逆向きにかえたリリーは、マーカスのもとへと歩いていく。「残念ね。じつは長くいることにしたの」
「そうなの?」すこし明るくなったようなマーカス。
「ええ、宿の価値をもっと高めてちょうだい。あたらしい買い手がみつかるまで、ここに残るから」リリーは、ゲートをみやった。「わたしにとって、ここの民宿は たいせつな場所なの」
リリーがまだ居ることがわかると、突つと協力的になりだしたマーカス。「なにか手伝うかい?」
「ああ……そうね……協力しあわない?」とリリー。
「どうやって?」いぶかしげにマーカス。
「わたしはネットに詳しいわ」
「そうだね……??」
「……わたしが “子犬の里親さがし” のウェブサイトをつくる代わりに、あなたは宿の修復をおてつだいする」
「……フ……頼むのが下手だね」
「借りをのこしたくないの」なんとなく上機嫌にみえるリリー。頭をかしげながら上目遣いをしていたところをみると、彼女なりのセクシーさをアピールしていたのかもしれない。
「たしかに里親がはやく見つかるのはありがたい」
リリーが握手をもとめようと右手をさしだした。「交渉成立よね?」
「ああ、交渉成立だ」握手を交わしたマーカス。
こうして二人のあいだには、相互補助の関係がなりたったのである。
マーカスは、力のいる宿の修理をてつだい、
リリーは、子犬の里親さがしを助けてあげる。
ふたりが一緒にいられる——
“理由”ができたのだった——。
————————
第三章:相互の補助
叔母のマギー(七十代)と親友のクリスティ(二十代)が営んでいる民宿にもどったリリーは、さっそく腕によりをかけて取りかかりはじめた。この民宿を引きわたすまでに行われる建物の検査——内覧会で、よい結果をだしてもらえれば、より高額な値段で買いとってもらえるからだ。
そして、翌日のあさ——。
宿の修理をてつだうことにしたマーカスは、リリーの入れてくれたコーヒーを共にすすりながら、もんだいのある壁を彼女のとなりでながめていた。が、優美でお嬢様のような見ためからでは想像もつかないほど、リリーの作ったコーヒーは不味かったらしい。それは、眉間にシワのよったマーカスの顔をみれば、明らかだった。
「それで……ひどいでしょう」壁をまえにマーカスと立ち並んでいるリリーが言った。
「……そんなことないよ、素朴な味でいいんじゃないかな……」コーヒーをみつめながら、マーカスがこたえた。
「壁のことよ」マーカスの方をみやったリリー。
「あ、あ……」マーカスは、すぐ目のまえにあるカベに視線をもどした。「なんとかなると思うよ」
とは言うものの、カベの石膏ボードが時計サイズほどに丸くはがれかけており、中にある木造具材——横胴縁——がかんぜんに露出されている。これは昨夜、かざられていた絵画をはずしたときに、リリーが気づいたものだった。
「修理するから安心して」マーカスが言った。
すると、「そんなにマズかった?」と不意にリリーがきいてきた。
一瞬、どっちの意味かわからなかったマーカスは、となりのリリーをみやってたしかめた。
——あ、コーヒーのことだ。
「いやいや、おいしいよ」気をつかったマーカス。そして、もう一度、ベロに残ってしまうほどのゲキ苦なコーヒーをすすってみせた。にこりとリリーにみつめられている、すぐヨコで。「……んん……」
やっぱり、といったかんじで、笑いだしたリリー。「メーカーの操作をまちがえたみたい」
その後ふたりは、さっそく表の庭にでて、壁板づくりの作業にとりかかるのだった。
仲良くふたりで、それも楽しそうに——。
「よし! これで完了だ」マーカスが言った。リリーが民宿のダイニングでみつけた大きな壁穴は、いがいにも、その日のうちに修復できたもようである。「つぎは塗装のまえに、カベのサイズを測っておこう」
すると、ペンキの材料などがゴチャゴチャと置かれているダイニング・テーブルで、あたらしいデザインのアイデアを模索していたリリーが——二メートルくらい先でカベのまえに立っている——マーカスにメジャーを投げわたしてあげた。
それを右手でキャッチしたマーカス。
「ナイスキャッチ」笑顔のリリー。
「サンキュー」とマーカス。すると、さりげなく「そうだ……」と、つぶやいた。
「なに?」デザインを描きながら、リリーがきいた。
「きのうのディナーは、どうだった?」メジャーで壁のサイズを測りながら、マーカスがたずねた。それは昨夜、ペンキなどの材料を宿にとどけようと行ったさいに、たまたま、リリーの彼氏——エリートサラリーマンふうの二十代の男性——と鉢合わせしていたからである。リリーの誕生日をやりなおすために、わざわざ街ちからやってきてたんだと。
「まあまあだったわ」気力のない感じで、リリーがこたえた。「でも、料理はおいしかった」
マーカスはリリーに背をむけながら作業をつづけている。でも、両の耳はちゃんとそばたてていた。
「だけど……彼れと別れたの」手をとめずにリリーが言った。
すると、マーカスがふりかえる。リリーも手をとめ、彼れと目を合わしている。
「大丈夫かい?」マーカスが言った。
「……ええ、きっと、時が解決してくれるわ」とリリー。
「そうか」キズをえぐらないよう、それ以上、聞こうとはせずに、マーカスは作業にもどりだす。
すると、リリーのほうから言ってきた。「彼れはステキなひとなんだけど……仕事にんげんなの」とマーカスをみやって。
「ああ……」リリーのほうを振りかえるも、マーカスはすぐに目をそらしだす。「わかるよ」
「そう?」とリリー。
暗い話題をかえようと、マーカスが言った。「そろそろ……」カベを指した。
「あ、色を決めないとね」ゴチャゴチャとしたダイニング・テーブルのなかから、カラー・カードを手渡したリリー。「これを壁にかざしてくれる?」
「了解」受けとったそのカードを、マーカスは壁にちかづけた。
リリーはいま、カベに腕をのばしているマーカスの、すぐ隣りにいるじょうたい。おたがいの肩と肩が、かすめている状態で立っている。
「 O K 。やっぱり、ソフトダウンね」カベとカードを睨みあいながら、リリーが言った。
「……? ソフトダウン?」リリーをみやりながら、マーカスがきいた。その瞬間、彼れの心拍数は跳ねあがる。
バクバクバクバク……
べつに そう頼んだわけでも願ったりしたわけでもないのに、この跳ねあがりようはコントロールがきかないのだ。
そんな状態もしらずにリリーは言った。「羽毛のようなイメージよ」ニコッと微笑みかけるように。それはまるで、ボッティチェッリの描いた女神——ヴィーナスが、現実の世界に顕現したかのような清淑としたおももちであった。
そんな彼女をもっと見ていたいと思いつつも、照れがまさってつい目をそらしてしまったマーカスが、ささやくように訊いてみた。「グレーとは違うのかい?」
「グレーじゃなく、ソ フ ト ダ ウ ン 」リリーも甘くささやいた。
「じゃあ、ソフトダウンだ」とマーカス。
「ちょっと、そのまま持もってて」リリーは、自分の持っていたカラー見本をかざしだした。その顔はいたって真剣そのもの。マーカスの左うでと接触していることなんて、眼中にもないといった諸相である。
「イメージと合ってる?」
「ええ、だいたいわ」
まだ、マーカスの伸ばした左うでと、リリーの伸ばした左うでが接触中……さすがに意識しだしたマーカス。視線をリリーの腕にみやってしまう。そして、すぐとなりのヴィーナスへと。
「これで決まりね」カラー見本をみながら、リリーが言った。
マーカスもカラー見本をみやる。
すると、こんどはリリーの番。トム・クルーズ似のハンサムな男——マーカスのよこ顔を、しっかりとみやっているのだ。が、目が合ったとたん、たがいに逸らしてしまうという、なんともプラトニックなお二人さん。
見えてきただろうか?
彼らの発する——
磁気誘導のようなエネルギーを——。
よくじつ、マーカスの勤めている——保護された犬のめんどうと、飼い主をさがしてあげるのが主の——平家タイプのオフィスをたずねたリリーは、会社のパソコンをつかって、ホームページを立ちあげてやったのだった。終わったころには、もう夕暮れだ。
《ポチッ》
「これで、投稿かんりょうよ」ロビーで作業していたリリーが言った。ワンちゃんの里親募集の記事をのせたのだ。
となりにいたマーカスが言った。「あとは、返事をまとう」
ふたりは期待している——
ポジティブな反応があることを——。
ふたりは期待している——
ポジティブな発展があることを——。
————————
第四章:何を成すか
⑴ 女神の隠芸
「サプラア〜イズ!」朝からテンション上げあげでリリーが言った。昨夜、年に一度おこなわれるランタン祭り——手づくりのランタンに願いをこめて湖上にながす催し——で、リリーの作品がナンバー・ワンに選ばれたということと、それを近くで見とどけてくれていたマーカスから、“いまも家と呼べるばしょを探してるんだ” という言葉をヒントに、インスピレーションを得ていたからである。湖上に浮いたランタンの魅せる灯りといい、クリスマスの夜のようにイルミネーションが煌々とする桟橋のうえで、せっかく二人きりになれたというのに、すぐさま帰宅したリリーは、建築デザインを紹介しているホームページのタイトルを、
『“家” 。そ れ は 心 が 帰 る 場 所 』
と、ようやく自分がめざしている理念を感得できたのだった。
賓客にお出しする料理の材料を仕入れてきたリリーの親友——クリスティは、作業台の上におかれていた食器などが無くっていることに気づきだす。
「あれ? ここにあった食器はどうしたの?」食材のはいった買い物袋をかかげながら、もどってきたクリスティ。
「しまったのよ」ふきんでシンクのよごれを拭きながら、リリーが言った。
「どこに?」とクリスティ。
「食器棚が満杯になっていたから、あたらしい棚をおいてみたの」両手をひろげてみせながら、リリーが言った。
民宿ということもあって、ダブル・シンクが北がわに設けられており、南がわにもシングル・シンクがひとつある。その西がわにはガス・テーブルとビルト・イン・オーブンを配置し、東がわにはウォール・キャビネットやレンジに、冷蔵庫といったかんじの厨房である。いままでは、その中心にある作業台のうえに、入りきらない食器などを置いていたらしいのだ。それだと作業しづらいだろうと思ったリリーは、シンクと一体化しているワークトップにも、棚をあらたに導入してくれたようである。
「これで作業しやすくなったでしょ? 配置はあとで自由にまかせるわ」目をまるくしているクリスティに、リリーが言った。「どうかな?」余計なことをしたのではないかと不安になったリリーは、クリスティにかけより、目線のたかさを彼女よりも低くした。
「言葉もみつからないわ」童顔になが〜いブロンドヘアーで大人っけをだしており、愛くるしい風貌のクリスティが言った。「ほんとに助かるぅ」と感嘆に。
そして、客人におもてなしする調理場に リリーもくわわり、順風にさぎょうはすすんでいくのであった。
「今日のよていは?」パイ生地をオーブンに入れようとしているクリスティがきいてきた。
「確認するね」ステンレス製の作業台で、i Pad をみているリリーがこたえた。「あ、家具を借りに、マーカスとでかけるわ」
「ふふ」リリーのいる作業台で、コーヒーをすすりながら聞いていたクリスティ。「なんか、生き生きしてるわね」
「そう? 宿と この島のおかげかな」と快活そうなリリー。「ようやく、アイデアがひらめいたの」
すると、クリスティが言った。「そういえば高校のダンスで、あなたに秋をテーマにした格好をさせられたわ」
「たしか、かぼちゃの格好よね」i Pad を置いたリリー。
当時をおもいだし、クリスティが突つと笑いだした。「あの格好で、よく優勝できたわよね」
なんだか戯れじみた笑みをうかべるリリー。キャスターつきのスツール椅子をすべらした彼女は、北がわのワークトップに置かれているオーディオ機器にちかづくと、ボリュームを大きく音楽をかけだした。
その音楽は、まさしくダンスのときに流れていた——曲だったのである。ノリのいいクリスティは、ニコッとしながら白いエプロンをそうそうとはずしだし、カラダをくねくねと踊りはじめた。それにつれられてか、リリーも立ちあがり、クリスティに近づきながら同じようにおどりだす。だんだん、ふたりの距離がちぢまっていき、クリスティを前にリリーと重なった。その瞬間、クリスティが右へ、リリーが左へと体をかたむけだしたのだ! 曲にのりだした二人はもう止められない! あの、お淑やかそうなリリーが、踊っている! それも激しく! えっ!? そんなキャラだったっけ? と、思うくらいに だ。
と、そこに、リリーを迎えにきたマーカスがやってくる。民宿の廊下から、音楽のきこえてくる厨房へと……。
——なんだか、楽しそうだな。
——ふたりの笑い声が聞こえてくるぞ。
黒のワイシャツに、アイボリーのブルゾンを羽織ったマーカスが、ドアの壁ごしから耳をそばたてている。なぜか、ウンウン…と彼れの頭もリズムにのってしまう。そして、《カチャ》とドアを開けだした。なんと、目のまえで布切れが宙にまっているではないか。それを、ステンレスのトングで、キャッチしているリリー。もう、笑わずにはいらない。
——おいおい、なにやってるんだ。お二人さん。
「は!?」最初にきづいたのはクリスティだった。
「っ!?」つぎにリリー。
あんなにはしゃいでいたのが嘘みたいに、ピタリと止んだ。リリーは、なるたけ平常をよそおいながら、大音量のオーディオをとめた。「……はい、マーカス」
「やあ、リリー。クリスティ」厨房の入口にもたれながらマーカス。
「はい、マーカス」赤面のクリスティ。
「いつからそこにいたの?」すこし息があがっているリリーが言った。
「ん……だいぶ前からかな」冗談でマーカス。
「こんな早くにどうしたの?」とクリスティ。
「彼女をむかえに来たんだよ」リリーを指して言った。
「そうだった」クリスティをみやったリリー。「約束してたんだ」視線をマーカスにもどす。「荷物をとってくるから、すこし待ってて。あ……ロビーで集合」
「りょうかい」ニコッとマーカス。
そして、リリーは厨房をあとにした。
彼女はどことなく高潔さを大事にしていそうな側面がみうけられる。たしなみを忘れないリリーにとって、あんなはしたない姿をマーカスにみられてしまったというのは、さぞ決まりがわるいことだったであろう。やだ、どうしよう、どんな顔してもどればいいの? なんて、心の悲鳴がきこえてきそうではないか。
が、予想に反して、リリーはめげなかった。あのあと、マーカスといっしょに、昂然とした面持ちで雑貨店にむかったのだから——。
⑵ コルク開栓
「ほんとうに見違えるよ」ロビーのカウンターにやってきたマーカスが言った。「これで、内覧会の準備はととのった」
ジブリ顔の叔母に、仲居のクリスティ、リリー、マーカス。この四人が団結となってはじめだした民宿の改装は、ようやっと終えた。雑貨店のむかしからのよしみである店主から、アンティークにつかえそうな小物を借してもらったり、たたみ二畳ほどぶんのラグをラウンジにあたらしく敷き、カベの塗装はもちろん、額のはいった版画の手入れに、果樹園のフェンスをより耐久性のある木材に変えたりなど、もろもろの作業が。
「ありがとう」カウンターに立ちながら、リストのよこに全てチェック・マークをつけたリリー。「あなたのおかげよ」
「いやいや、こちらこそ手伝えて光栄だ」とリリーのとなりでマーカス。「あ! 顔になにか……」リリーのひだり頬についていたホコリをとってあげた。そのさい、リリーは嫌な顔 ひとつせずに安心してその身をゆだね、そして、ほほえんでいた。そんな彼女と目があってしまい、しばしの沈黙がながれていく——
——ここでキスをすべきなのか?
——いやいや、彼女はいずれ帰ってしまう……
と、そこに——
《——プルルルルルルッ……!——》
沈黙を先にやぶったのは、電話の音だった。
「わたしが出るわ」そう言うと、リリーが受話器をとった。「はい、もしもし」
『ああ、リリー』電話をかけてきたのは、マーカスを雇っている責任者のアンガス(五十代)という男性。わりと高身長で、ほっそりとした体型にくわえ、クチひげにアゴひげ、もみあげからエラのところまでワイルドに生やしているのだが、清潔感があって優しそうなふうていをしていることも、リリーは知っている。いちど、マーカスの事務所をたずねたときにも会っているし、ランタン祭りのベスト作品をきめる審査員でもあったのだから。『すぐに、マーカスときてくれないか? きっと、おどろくと思うよ』
隣りでいぶかしげな顔をしているマーカスに一瞥をやると、リリーがこたえた。「ええ、すぐに向かうわ」
ふたりはすぐに、アンガスのいる事務所へと足をはこんだ。
「リリーがつくったウェブサイトをみてくれ」ロビーのカウンターに置かれたパソコンを指して、アンガスが言った。「すごい反響だぞ」
「おお、よかったわ」パソコンのまえに立っているリリーが言った。
「二十三件もメールがきてるよ」リリーの横にいるマーカス。
三人は、とどいたメールを一件ずつ確認していった。すると、そこには、民宿に入ってすぐおりたラウンジに、テクテク…と愛嬌たっぷりでやってきたノーフォーク・テリアを、家族として迎えいれたいという里親候補もはいっていた。十代前半の娘とその弟をもつ、幸せそうな四人家族で、ひろ〜い農場もかまえている。厩の庭にある木造フェンスのなかで、手綱のつながれたポニーたちもその写真におさまっていたのだ。この文句のつけようもない素晴らしい環境に、三人の意見は全会一致。
テリアの里親がきまったのだ。
「オンラインでの募集も、わるくないね」すがすがしく、マーカスが言った。はじめは、ビラをつくって配りに行くというアナログてきな方法にこだわり、リリーの言うブログとやらに関心はもっていなかったのだが、こうも結果がでてしまうと、考えをあらためざるをえないと感じたのだ。
「どうする?」リリーが笑顔できいてきた。「返信する?」
「もちろんだよ。キミの言うとおり、完璧な家族だ」とマーカス。そして、リリーをみやった。「ありがとう」
そこに、席をはずしていたアンガスがもどってきた。カラン…カラン…と音をならして、三つのグラスとシャンパン・ボトルを手にもちながら。「すばらしい出来事を祝おうじゃないか」カウンターのうえに、グラスをならべていく。「特別なときに飲もうと、とっておいたんだ」
すると——
《——ッッポンッ!!——》
という破裂音を鳴りひびかせて、いきおいよくコルクがふっとぶと同じくらいに、嬉嬉としたリリーの笑い声もまざりあう。
そして、三人はたしなんだのだ。
喜びを分かち合うときにはもってこいの——
絆に染みわたる シャンパンを——。
「ステキな家族そうでよかったわ」みどりが生いしげっている幅のせまい砂利道を、マーカスと歩きながらリリーが言った。あのワンちゃん——フランスパンのような毛なみのかわいいノーフォーク・テリア——を、農場の家族にひきわたしてきたのだ。その帰りがてら、ふたりはいま、紅葉のうつくしい楓もみられる景色をながめながら散歩をしている。
「そうだね」昨夜、いっしょに行かないか、とリリーを誘っていたマーカス。「人の人生にかかわる仕事ができて、オレは本当に幸せだとおもう」
「わたしにとって、デザインの仕事がそれよ」キャラメルのガウン・コートがよく似合うリリー。「だれかに喜んでもらえるって、最高よね……わたしは幼いときに両親を亡くして、叔母のマギーが育ててくれたの。マギーがわたしにとって二人目の母親よ」
リリーはマーカスといっしょに湖岸まで歩きつづけた。島をはなれたいきさつや、もどってきてからの身にかんじた変化などを語りながら。そして、できれば宿を手放したくないということも。
「オレの家族は代々ここに住んでる」木々などがうっそうとする湖岸におちつき、マーカスが言った。「もっと、いっしょに過ごしたかった。でも、まえの彼女は島から離れたがっててね」
右どなりにいるリリーは、だまって聞いていた。
「でも、むかしの話しだ」とマーカス。「祖母が亡くなったときにもどって、そして、あの宿と出会ったんだ。オレにとっても特別なばしょだよ」
「そうね」静かにうなづいたリリー。
「島にもどって気づいたんだ」リリーの目をみながらマーカス。「どれだけお金を持っているかではない」いっしゅんの間をおいて言った。「何をしたいかだよ」
心にしみこんでいくようなリリー。彼女は黙ってうなずいた。
「オレには、飛行機と犬たちに囲まれていればじゅうぶん」
遠くをみつめながら、フフ…っと笑いだいしたリリー。
すると、マーカスがボソッと小さくつぶやいた。
「……これまでは……」
リリーの視線がマーカスにうつりだす。が、だまって視線をもどし、思いを口にすることはなかった。
「……今、なにを考えてる?」マーカスがきいた。
「なにも……ここは完璧よね……」
————————
最終章:心が帰る家
昼間の内覧会——建物があんぜんかどうかを確かめる検査と、この家を買おうかまよっている客たちへの見学会——を終えたリリーは、民宿のへやで手紙みをしたためていた。それは、マーカスへの謝罪をつづったもの。昼間、どこかで耳にいれたらしいマーカスの “あたらしい買い手は、土地開発でおおきな高層建築に変えるつもりだから、中止にしたほうがいい。きっと、ちがう方法があるかもしれない” という警告を、ここまできて今さら後には引けないという状況と、そもそも、引き伸ばせるだけの維持費がないため、“わたしを信じて” と、無下にことわってしまったのだった。が、やはり、マーカスの言っていたことは正しかった。あたらしい買い手は、せっかく素晴らしい民宿に改装したてあげたというのに、まったく別なものに変えようとしていることを、内覧会のときに発表していた。それを聞いて、がっかりしたマーカスは、発表のとちゅうで民宿をぬけだしてしまい、それ以降、話しあいもできていない……。
——あんなに補修をがんばって手伝ってくれていたのに、もうしわけないわ。この宿をすごく気にいってくれてたのに……。
すると——
《——ヴゥ”ッ…ヴゥ”ゥ〜!……——》
と、いま書いている手紙みのすぐ上にある携帯がなりだした!
「もしもし?」リリーが電話にでた。
『リリー、元気? ビアトリス・ホーソンよ』掛けてきたのは、リリーが大手の会社でじぶんの腕をためそうと、島にもどるまえに面接をしていた責任者——“ホイットニー・ヒュートン” ふうの四十代女性で、『プラダを着た悪魔』のミランダほど自己中ナルシストではないものの、仕事にたいしてはシビアな姿勢をつらぬくタイプといった面持ちである。そして、リリーを採用するさいに、“あなた独自の魅力・感性・味のあるデザインを見せてちょうだい” と課題をだしていた人でもあったのだ。
「連絡をいただけて、光栄です」緊張ぎみにリリー。
『あなたのブログを見させてもらったわ。“心が帰る場所” 。すごい成長ぶりね。心から祝福するわ』
「ありがとうございます」ひかえめな笑顔で。
『これこそが私しの求めていたものよ。改装した宿には、あなただけしか持っていない唯一の指紋がかんじられた。で、今週、面接にこれるかしら?』
じぶんの実力が認められて嬉しいはずなのだが、すぐに “YES” とふたつ返事でかえすことができなかったリリー。彼女はしばし、茫然とする。
『リリー、そこにいるの?』と、ビアトリス。
「……はい、います」
『返事をきかせてちょうだい?』
「……」深慮遠謀をめぐらせたリリーは言った。「行けません」
『じゃあ、来週はどう?』
「私しは、あなたの会社がとても好きです。デザイナーになることが夢でしたので。でも、この島にもどってきて気づいたんです。わたしの夢やインスピレーションは——“ココ”にあると」
すると、リリーの気持ちを汲みとったビアトリスは、彼女のえらんだ道をすなおに応援したのだった。じぶんのエゴを押しつけたところで、よけいにリリーの気持ちがはなれていくことも、じゅうぶんに承知していたからである。
翌朝——。
「ベストは尽くした」民宿のロビーにある受付カウンターで、クリスティがざんねんそうに言った。
「この宿を売るしか選択肢はなかったんだもの」クリスティのとなりに立っているマギー——リリーの叔母。「のこりの時間を大切にしましょう」
そこに、リリーがやってきた。「あ……お知らせがあるの」ふたりをみやった。「会社から面接の連絡をもらったわ」
「すごいじゃない!」おどろいた叔母。
リリーは、さゆうに頭をふった。「受けなかったわ」
すると、叔母もクリスティもけげんな表情になりだした。
「あなたの夢だったでしょ?」とクリスティ。
「ええ。この宿を残すためにかんがえがあるの」とリリー。
「どうするの?」ニコニコと、いぶかしげにクリスティ。
「銀行で融資のそうだんをする」リリーが言った。「そして、基礎の修復やほかの改修もやるつもりよ」叔母の両手をささえた。「マギーが望むなら助けになりたいの」
「もちろんよぉ。でも……デザイナーの夢はどうするの?」と叔母。
「新しいアイデアがあるわ」と笑顔のリリー。「宿の部屋をすこしずつ改装していく」
リリーの決断に、クリスティも叔母もたいへんよろこんでいた。思い入れのあるこの民宿をつづけられるだけでなく、大事な家族——リリーがこの島にのこって、また、ともに暮らすことができるのだから。
リリーは昨夜したためていた手紙みをとどけに、果樹園の林のなかにあるロッジ——マーカスが借りている家——にむかいだした。湿度のたかく、うっそうとした森の香りがただよう道を歩いていくと、そこには緑りの屋根に煙突をつきだした——シックなウッド・ハウスがたたずまっている。この家に、マーカスは住んでいるのだ。
マーカス。
あなたが正しかった。
ちゃんと、話しを聞くべきだった。
許してくれることを願うわ。
——リリー。
リリーは、この手紙みを木枠のガラス・ドアの隙間にはさんだあと、マーカスに気づかれないように、そおーっと戻っていくのであった。
「ちょっとっ!」民宿のまえまで駆け走ってくるマーカス。「おい! ちょっと待って!」
呼び止めるマーカスの声もむなしく、ブゥゥーン…とタクシーは走りさっていった。その後部をながめているマーカスの顔はとてもわびしく、憮然としたようすで立ちつくしている。
——最後の挨拶もできなかった……
すると、マーカスの後ろから——
「マーカス?」
マーカスは振りかえった。その聞きおぼえのある、声のしたほうへ。やすらぎと、いやしを与えてくれるような——心をあたたかく包んでくれるような——声のしたほうへ。もう、キミには会えないと思っていた。自分によけいな望みをいだかせて心をうばっていった——愛するリリーのいるほうへ。
「リリー」抜け殻のようにになっていたマーカスのかおに、笑みがもどりだす。そして、彼女のところに近づいていく。「どうして、ここに?」
「あなたが正しかった」リリーが言った。「あなたの話しを聞くべきだった。人生はこうあるべきって考えに、縛られていて……幸せではなかった。……ごめんなさい」
「あやまらないでくれ。そう……キミは正しい。オレはお節介だった。宿がなくなるのは耐えられなかったし……キミの顔もみれなくなる」
その瞬間、リリーの心は喜悦の感情におかされていた。
「オレ、宿を買うことにしたよ」マーカスはつづけた。「ずっと住めるような家を、いままで探してきた。だけど……それは目の前にあったって気づいたんだ。キミの名前で申しこみたい」
リリーは目をむきだした。
「キミが望むなら、だけど」リリーをみやって言った。
「マーカス……冗談よね」
「これまでの人生で、いちばん真剣な決断だよ」
「……どうしよう……」とつぜんの告白で呆気になっているリリーは、玄関の外から自分たちを窺っているクリスティと叔母をみやりだす。すると、ふたりは笑顔で “YESよ” と口元が言っていたのだ。おもわず、リリーも言った。「もちろん、受けるわ!」リリーはさらにつけくわえた。「あ、もし、お金を返せるならね」
「フ……交渉がうまいな」笑いながらマーカス。
「交渉成立?」笑顔でリリーは右手をさしだした。
「ああ、交渉成立だ」その右手をにぎったマーカス。「じつは、ほかにも話しがあるんだ」リリーの目をみて言った。「前からしたかったことがある」
すると、マーカスは雪のように白く美しい肌をした——リリーのアゴを軽くもちあげると、目をつむっている彼女のくちびるに重ねだしたのだ。自分のくちびるを。そんな二人を、クリスティと叔母も遠くからみまもっており、まるで、自分ごとのように喜びながら拍手をおくっている。
リリーとマーカスは照れながらも、二人のところに戻っていった。仲良く、手をしっかりとつながきながら。
住みなれた故郷にある民宿へ——
大好きな家族がまつ民宿へ——
ともに助け合うことのできる、
最高のパートナーと。
決して離しはしないと、
心が帰れるばしょに——。
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——おわり。
「最初のひと目で恋を感じないなら、
恋というものはないだろう」
劇作家 クリストファー・マーロウ
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