『死』について

私事で恐縮なのだけれど、昨日祖母がこの世での生に終わりを迎え、所謂「あの世」に旅立った。幼い頃からとても可愛がってもらった印象が強く、とても寂しい思いだ。そして今祖母が住んでいた長崎へ最後の見送りに向かう新幹線内でこれを書いている。

僕は「死」という事にマイナスイメージがほぼない。自身が実際にあの世を見てくると言う体験をしているせいもあるのだけれど、その体験をする前から「死」に関しての捉え方が世間一般とは多分違う。

基本的に「死」とは終わりではなく通過点でしかない。そしてこの世を離れる事でしか見渡せない本当の自分自身と世界を取り戻す為の通過儀礼の様なものなのだと思っています。

「個」の意識から「全体」の意識への回帰。これが魂の故郷に帰るという事なのだと思うのです。

この世で家族として友人として、或いはパートナーとして共に過ごして来たこの世に残される人達の寂しい思いは理解出来るし、今の僕自身もそんな気持ちではあるけれど決して「悲しい事」とは思わない。不謹慎な言い方かもしれないが「お疲れ様でした。ありがとう」と感じているのです。

先にあの世へ向かった人だって、悲しまれるよりも、みんなに笑顔を残して旅立ちたいと思うのです。だから僕は見送りの席で悲しむ事はありません。幾ばくかの寂しさを感じながらそれでも旅立つ魂へ労いの想いを届ける様にしています。

生きると言う大きな仕事を全うし、旅立ちの儀礼に大切な人達が集まってくれる様な素晴らしい魂に、労いと感謝の想いが湧いて来る事があたり前だと思っているから。


そんな事を想いながら今旅立ちの席に向かっています。




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