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100円ショップ・ダイソー「創業者・矢野さんの働き方」から学ぶ

ダイソーを売上4548億円企業に育てた「創業者・矢野さんの働き方」を調べてみました。夜逃げ1回、転職9回の負け組から勝ち組への復活劇には、大いに元気づけられます。矢野さんの働き方の特徴は、「仕事に貴賤を設けず、体を動かす仕事に就いて、目の前の課題に全力で取り組む」です。自分の仕事人生について悩んでいる方にとって、「自分らしい仕事を見つけ、自分らしい働き方」をする参考になります。

Ⅰ矢野さんの仕事・働き方のステップ

矢野さんの「仕事・働き方」に関するステップです。「どのように仕事に取組み、どのように働いたか?」が学べます。「自分らしい仕事選び、働き方」の参考にしてください。なお、ステップの項目を番号順に並べていくとスゴロクの作成が可能になります。

1《誕生、中高校・浪人生の時代》

(1)1943年 中国・北京で誕生
父が、医師として病院勤めをしていた北京で生まれる。実家は大地主で裕福な家系で、祖父は地元の名士、母は銀行家の娘だった。

(2)1946年 戦後の農地改革
大地主の一町歩を超える土地を小作農に売り渡し、実家は5反百姓になる。

(3)貧しい人を無料で治療する開業医
1961年の「国民健康保険」開始まで、父は貧しい患者さんから治療費を取らなかった。
 
(4)金銭的に苦労する生活
家庭は貧乏で、父から授業料をもらうのも大変だった。
 
(5)高校時代 ボクシングに熱中
高校3年生になると、東京オリンピックの強化選手に選ばれる。
 
(6)学校の成績が急降下
ボクシングにのめり込んだ結果、学校の成績はビリに近くなる。
 
(7)プロの実力を知り、方針転換
プロの門を叩くが、自分に適正がないとわかりボクシングをあきらめる。
 
(8)浪人時代 大学を目指し浪人
父から大学にいけといわれるが、成績が悪く入学試験を受けず浪人する。

(9)予備校も連日のサボリ
予備校に入学も授業についていけず、月1・2回2時間、顔をだすぐらいになる。自分について、未来を描く力もなく、意志の弱い男だと落ち込む。
 
(10)中央大学理工学部2部に合格
大学受験はことごとく不合格、夜学の2部ならうかるかもしれないと受験して合格する。

2《大学生時代》
アルバイトに夢中、学生結婚

(11)体を動かすアルバイトが好き
バナナ販売会社のアルバイトとして市場で働き、売れ残りのバナナを売るため八百屋の店先で販売する。体を動かすことが好きだったので上半身裸で動き回り、「練馬のお兄ちゃん」の愛称で呼ばれる人気者になる。
 
(12)アルバイト代は日給2,000円
アルバイト先のバナナ販売会社からは、よく働くということで当時の日給500円の2倍1000円をもらう。売れ残ったバナナ販売をした八百屋でも、お店を手伝ってくれたとしてさらに日給1000円をもらう。
 
(13)女子大生と学生結婚
食事をごちそうになるため親戚夫婦宅を訪ねているうちに、そこに下宿していた女子大生と親しくなり、結婚式の費用が掛からないよう大学卒業の半年前に学生結婚する。

3《23歳から・・・・27歳頃》 
  妻の実家の魚問屋は大赤字、夜逃げ

 (14)妻の実家の魚問屋に就職
就職先として、クズ屋、土木会社、妻の実家の3つを検討する。クズ屋は儲かるような気がして、クズ屋で一国一城の主になることを考えたりする。しかし、妻の実家は尾道市で有名な魚問屋で、養殖業も経営していた。商売がうまくいっておらず、協力してくれといわれ妻の実家の魚問屋に就職する。
 
(15)妻の実家は潰れかけの魚問屋
妻の実家の経営状態は最悪で、養殖業は赤字たった。
 
(16)自分の実家から借金
魚問屋経営のため、両親や兄弟から借金をする。
 
(17)妻に相談して養殖業を放棄

義父から、これまでの借金700万円に加え、新たに1000万円の借金依頼がきたので、妻と相談して尾道から逃げ出すことにする。
 
(18) 尾道から東京に向け夜逃げ
1979年の年末、東京に向け1t半のトラックに家財道具を積んで夜逃げする。東京・中目黒にある友人のアパートに居候・求職活動を始める。

4《27歳から・・・・28歳頃》 
       いろいろな仕事を経験、転職9回 

(19)百科事典の訪問販売会社に就職
一般家庭に飛び込み営業するが1セットも売れない。セールスマン30人中27位の営業成績なので半年で退社する。
 
(20)チリ紙交換会社に応募
チリ紙交換は、古新聞や古雑誌を回収しチリ紙と交換する。チリ紙交換会社の専務は、社会の吹き溜まりのようなこの世界で、大学出がやれるわけがないと相手にしてくれない。必死にお願いし、3日間の同行営業が許される。
 
(21)チリ紙交換は好きな仕事
営業体験4日目、1人でトラックに乗り営業、チリ紙交換の仕事が好きになる。大体のトラックは、団地を回る。玄関先のやり取りで仕事が楽であった。矢野は、ほかのトラックが行きたがらない街中で仕事をする。5、6階建てのビルに目をつける。エレベータがなく、古紙を背負っての階段の上り下りが大変なので、同業者はさけていた。どのビルも古紙がたまっており、団地よりも何十倍も集まった。
 
(22)営業成績1位、月給は30万円
働くことが好きで、体を動かすことが苦にならないので、みんなが休んでいる日曜日も働いた。その結果、営業成績もトップになり、大卒初任給1万数千円の時代に、なんと月給約30万円以上を稼ぎだす。
 
(23)広島の金持ち夫婦と養子縁組
父の勧めでお金持ち夫婦と養子縁組することになり、チリ紙交換をやめ広島に戻る。養子縁組の条件は、お金持ち夫婦の面倒を見るという話だったが、実際は夫婦の高齢な両親の世話をすることだった。その後、養子縁組夫婦の面倒も見たら財産がもらえるということだった。
 
(24)金持ちとの養子縁組を解消
養父が自分の子供を好きでないようなので、半年で豪邸を飛び出し広島の西条に移り次の仕事を探す。
 
(25)ボーリング場のアルバイト、移動販売
ボーリング場に勤めながら移動販売の仕事をする。移動販売が儲からないので、ボーリング場を退社すると道路標識の設置や日雇いの肉体労働をする。

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