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親父と俺(16):左遷(?)の時こそ生き生きと(笑)
親父の喜多小学校赴任時代のことを書いているが、その次は南久米小学校という山の上にある小さな小学校に移った。
親父は、都市部の中心校と、郊外、山間部の小さな集落にある学校への転勤を繰り返した。
小さな学校に転勤になると、だいたいおふくろさんは「飛ばされた」と嘆いていた。
飛ばされたとは、要するに左遷の事である(笑)。
親父は、これまでのエピソードで十分わかる通り、若い時から信念をもって、職員室全員を相手に回しても、考えを曲げない人だった。
誰に対しても言いたいことをいう、一言居士。
だから、当然のことなれど、深い理解者がいる一方で、敵も増えるということになる。
まあ、今の誰かさんと同じようなもんですよ(笑)。いや、それよりド迫力あったんだろうねえ。親父に本当の痛いことをいわれた先生は、言い返せないで黙ってるのだろうけど、陰では嫌ってたんだろうねえ。
ということで、おふくろさん曰くの「飛ばされた」ということになる。
ところが、当の親父本人は、小さな集落の小学校に行っても、嬉々としている。
「わしは、地域に乞われて、いったんよ」
「上久保先生にぜひ来てほしいといわれて、移動したんじゃ」
といって、一生懸命楽しそうにやっていた。
まあ、誰かの調子のいいことを言われて、いい気分になったという単純な性格なのだろう。このへんも、誰かに似ている(笑)。
実際、親父に合っているところもあった。
大きな小学校だと、先生も職員もたくさんいて、役職が細分化されている。例えば、喜多小の時、親父は教務主任をやっていた。だが、若いのにまかされていたので、言いたいことをいい、やりたいことをやろうとすれば「生意気だ」となる。
ましてや、「子どもに任せる運動会」をやるとなると、他の先生の役職への「越権行為」ななってしまうこと続発、次々と角が立ちまくるわけで。
親父の側からすれば、子どものためにやらなきゃいけないことをやっているだけなのだが、組織の論理からははみ出し者となる。
大槻校長先生のような理解者はいても、かばいきれなくなるわけで、おめでたく「左遷」となる(笑)。
だが、小さな小学校となると、今度は先生も職員も足りないわけで。先生一人で何役も一度にこなさないといけなくなる。
親父は、本来ぜんぶ一人で仕切ってやりたいほうなので、嬉々として楽しそうに仕事をする。学校のみならず、地域全体にかかわっていく。結果、地域からも子どもたちからも、同僚の先生や職員からも大人気となる。
親父は、いろんな地域に、後々まで残る「足跡」をつけているのだが、その話はまた後日。
いずれにせよ、地域で大活躍の結果、中心校へ復帰することになる。そしてまた。。。(笑)。
おふくろさんによれば、左遷などいろいろ嫌なことがあった時、親父は3日ぐらい黙っていたという。ひたすら黙って、なにもいわない。そして、4日目くらいから、また嬉々として仕事をする。
人の悪口を言うのを聞いたことがない。
このへんだけは、誰かさんとは全く違う。私は、そんな人格者ではない。めちゃくちゃ、ぼろくそに言ってますわ。ははははは。