『桑の実』を読んで
シャボン玉をたくさんつくれるおもちゃを買って、たくさんのシャボン玉を飛ばした。
空に向かってヒョコヒョコ逃げたり、こちらに飛びついてきたり、そこに儚さは微塵もなく、みんなたのしそうに弾けている。まるでイタズラをする小動物のように頑なで可愛くて溌剌としていて、わくわくする風景だった。夜眠るころに思い返して「あれは美しかったなぁ」と気がついた。
美しいといえば、『桑の実』(鈴木三重吉)を読んだ。
舞台は大正初期。西洋画家の男性と息子が暮らす家へ、〈おくみ〉という若い女性が家事の世話へ行く話だ。この本を読んだのは、画家・津田青楓の展覧会でワークショップをする為だった。津田が装幀を手掛けた小説を参加者みんなで読み、そのシーンに〈あっかもしれない刺繍〉をそれぞれ自由に想像してみる……という拙著『刺繍小説』に関連したワークショップを3月に企画していた。
私が『桑の実』に〈あったかもしれない刺繍〉を想像するとしたら、四章の〈おくみ〉が初めて西洋画家の家を訪れるシーンがいい。
〈おくみ〉が持つサンドイッチを包むハンカチに、水色一色の蔓延るような唐草模様を刺繍したい。清らかなハンカチをサッと開くとなかからフワフワのサンドイッチが登場する……さぞかし美味しそうに見えるだろうなぁ!
物語の結末、〈おくみ〉の仕事は潔い終わりを迎える。それは私が浅はかに期待した結末ではなかったけれど、〈おくみ〉らしい決断と意思が詰まっていた。その決断のすべてに「いいよ!おくみちゃん!美しい!」と歌舞伎の大向こうよろしく叫びたくなる。こんなに美しい結末の小説ってあるのか〜と、しばらくそわそわ過ごした。
美しいは、たぶん、未来への賞賛だ。いい未来が拓けそう。そんな瞬間がきっと日々のどこかにある。私の未来もシャボン玉を境に、ちょっと美しくなったかもしれない。
ちなみに『桑の実』の作者・鈴木三重吉と『桑の実』初版の装幀を手掛けた画家の津田青楓は、たびたび手紙を交換した仲だそう。『桑の実』に登場するどうしようもないけど気品ある西洋画家は津田がモデルではないかと言われている。
こういう同時代の繋がりって、とてもおもしい。作家は個人だけど、創作は時代なんだと感じる。