法律事務所で働くという想像もしていなかった経験
ハードコア参与観察、と私が呼んでいた「日常的にパフォーマーとしてステージに立つ活動」を終える目途が立った頃、2年ほど前から受け取っていたメールマガジンでその求人募集を見つけた。
アートやエンタテイメントを主として扱う、語弊があるかもしれないが、業界では知らぬ人のいない有名な法律事務所でのパートタイムスタッフだった。
デジタルアーカイブ学会で知人より代表の先生をご紹介いただいたご縁でメルマガを送っていただいていた。
ちょうど、参与観察の結果、法的な視点も不可欠である労働問題に着手しようと、今後の研究計画を練っていた最中のニュースである。
勤務開始時期は「卒業」の直後だ。
きっと環境の変化をも支えてくれる、刺激的なタイミングだと思った。
しかも事務所はほとんど地元、子どもの頃から学校帰りに秘密基地を作ったり、かくれんぼをして遊んだりしたまさに「庭」だ。
「地の利だけはあるぞ」と、ダメでもともとと書類を送ったところ、大変高い倍率で事務所始まって以来初のパートタイムスタッフ数人の中に選んでいただいた。
あまりの応募数に予定より返信が遅くなってしまったことを何度もお詫びしてくださったが(返事がないのですっかり不合格と思い込んでいた)、それほど丁寧な審査をしてくださったことも有難く感じた。
筆者の場合、合格の決め手はまさに「ハードコア参与観察」だった。何が売りになるかわからない。
履歴書に書けるような職歴はほとんどないので、素直にこれまでの学歴と芸歴、そしてアルバイトで得たスキルについて端から端まで列挙した。
そして最後に「土地勘だけは自信があります」と付け加えた。個人的な売りはこれだった。
「卒業」の翌週から早速勤務がスタートした。初日には先生が歓迎のランチにお誘いくださり、まだブロマイドにサインする仕事が残っている話などをした。
緊張もしたが、すべての先生方、秘書の方々、同僚のスタッフ、皆とても優しく、焦ることなく、一つ一つの経験を通じて様々な仕事を覚えていくことができた。
服装はオフィスカジュアルで、スーツを着て仕事をしてこなかった筆者でも慌てて勤務用の服を揃えるという必要はなかった。
ちなみに採用から勤務までの間にうっかり髪を金髪にしてしまったので、初日から今日までずっとウィッグで勤務している。
主な仕事は秘書の方々のサポートとなる事務作業とお客様の対応、今まで携わってきたエンタメ業界の言葉で言えば「制作補佐」とか「アシスタントディレクター」といったところだろうか。
不器用な性分が災いして、いまだにお茶出しには誰よりも時間がかかっているが、秘書の皆さんや同僚のサポートで事なきを得ている。(人生で初めて淹れたコーヒーを味見までしてくださった!)
10倍以上の倍率で採用していただいたにもかかわらず、「事務の経験もあります!」「接客の経験もあります!」「なんでも屋さんです!」(アルバイトや手伝いの経験はそれなりに多種多様だと思う)と面接で豪語したにもかかわらず、電話を取るのは遅いわ、ルーティーン作業を忘れるわ、そのくせ歳だけ取ったからか偉そうに口答えするわで、がっかり採用だったんじゃないかと心配している。
頼りないことこの上なく、常に反省ばかりだが、先生方にご注意を受けたことなどは(幸い、今のところ)一度もない。
そして何よりこの歳になって新しく学ぶことの多さに感謝は尽きない。
これまで見てきたエンタメの世界を法律の側から見るというのはとても新鮮で、演者やスタッフ、観客の目では気付かないようなことが多々あることがわかった。
詳細は守秘義務もあり書くことが難しいが、知財について、また普段もはやマジックワード化していた「著作権」について、より身近になったということは間違いない。
入職してすぐ、事務所サイトの中でもアクセス数の高い「コラム」ページを扱わせていただいたこともあって、所属する先生方のそれぞれのご専門から、いろんな切り口で知財について知ることができた。
(これは仕事でなくてもできることだが、「仕事」でないとここまで熟読する時間を取れなかったというのは大きいだろうと思う)
話題となる対象も国内から海外の事例まで幅広く、いい意味で自分の個人的な関心に引き付けてから新たな学びに踏み出すことができた。
また、現在、研究対象として扱っている「アイドル」をはじめとする芸能の、特にインディーズ的な世界には慣例的になんとなくよしとされている事柄が数多くあって、法的にはまだ答えが出ていなさそうなことも多数あるのだと気付かされた。
(法律上問題がある、というわけではないというのはおことわりしておく)
勤務中は、もちろんだが、先生方と個人的なお話をする機会がないので、直接何かを聞いたり、教えていただいたりというわけではないが、研究上必要な視点や知識に日常的に触れる大変貴重な機会が与えられている。
答えは出なくとも、すぐ近くに第一線で活躍する専門家の方々がいるという安心感のようなものがある。
さらにパートタイムスタッフの場合、残業をすると怒られてしまうほど、勤務時間はきっちりしている。
それに甘えて、筆者は始業時間に来て、終業時間の30秒後には事務所を出ているというほどだ。(それもどうかと思う、とは思っている。でもそう思うのはどうかと思う、とも思う)
弁護士の先生方、フルタイムの秘書の皆さんのお仕事は、おそらく想像を絶する忙しさ、だが、勤務時間中だけでもそのお手伝いができていればと思う。
ちなみに全体会議にはパートタイムスタッフも参加させていただくが、必要最低限の確認と話し合いのみで大変生産的に行われる。この世のすべての会議が同じであれと願う。
つまり、研究の時間を確保することも十分に可能なのである。
大学院での授業、調査などを含む研究作業を有難いことに優先させていただいており、おかげさまで無理のないスケジュールで論文や発表の準備を行うことができている。
こんな私もいちスタッフとして対等に輪に加えていただける事務所である、というのがとにかく有難い。
それこそ自分が今まで経験したエンタメの現場だと、雑用は主要な仕事であるし、休憩は取らないのが普通だった。
そんな「常識」はここへ来て覆された。
何より、この場に関わるすべての人がアートやエンタメに関心を持っているので、興味のある分野が近いという楽しみもある。
同期のスタッフ全員それぞれと共通の関心や趣味があったこともうれしい出会いであった。
季節行事の時には、先生や秘書の皆さんとそうした話題でざっくばらんに盛り上がる。
仕事としてのみならず「好き」の方向が同じであることで私の日々の業務は支えられている。
此度の募集でその仲間がまた増えるというのは事務所にとって大きなパワーになるだろう。
その末席を汚す立場ではあるが、新しい出会いに期待しつつ、自分が力不足とならぬようステップアップしていきたい。