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「餅と自由」第6章: 白い殺し屋 ― 餅の駆逐 (2056年)


◎ 餅規制の背景

2056年、日本政府は餅の製造・販売・消費を全面禁止 する法案を可決した。これは、それまでの健康リスクを理由とする各種規制の延長線上にあった。

タバコ、酒、ジャンクフード、餅。
これらはすべて 「健康を害する食品・嗜好品」 として、段階的に社会から排除されていった。

餅が標的となった直接的な要因は、「年間3,500人以上が餅による窒息事故で死亡している」 という統計であった。政府はこのデータを強調し、メディアを通じて「餅は危険な食品である」という認識を社会に浸透させていった。

この動きは、「食品の安全性向上」と「国民の健康維持」を目的とした規制政策 の一環として進められたが、同時に強い反発も招いた。特に、HLO(人間らしさ解放機構) にとって、この規制は組織の理念を広める契機となった。

◎ メディア戦略と世論の誘導

餅の規制に向けた政府の動きは、計画的なメディア戦略 によって支えられていた。
• リスクの誇張
テレビやSNSでは、餅を喉に詰まらせ苦しむ高齢者の再現映像が繰り返し流された。これにより、「餅=危険」という印象が広く浸透した。
• 政策の正当化
餅規制は「高齢者保護」の名目で進められたが、同時に健康至上主義の拡大 という側面もあった。

この結果、「餅の禁止は社会の進歩である」 という意識が一定層に広がった。

◎ 代替食品の導入

餅の禁止に伴い、政府および食品企業は「安全な代替食品」の開発と流通を推進した。

政府推奨の代替食品
政府とNLC(ニューライフ・コーポレーション)は、以下の製品を発表した。
• もちスムージー
餅の栄養素を液状化し、窒息のリスクをゼロにしたもの。
• 高タンパクもち風ゼリー
噛まずに飲み込める食品で、「伝統の味を再現」と宣伝された。

しかし、これらの代替食品は 「食文化の代用品としては不十分である」 と多くの市民から批判された。

◎ 餅の地下市場と違法餅の流通

餅の禁止後、餅の違法製造・流通(違法餅市場) が急速に拡大した。

地下市場の形成
• 密造餅
餅職人の一部は、伝統技術を守るために違法餅を製造し、非合法ルートで流通させた。
• 密輸業者の台頭
海外で生産された餅が、日本国内へ密かに持ち込まれるようになり、違法餅の供給源となった。

餅1個1万円。
希少性が高まり、違法餅の価格は急騰した。特に正月が近づくと、闇市場では1万円以上の高値で取引されるケースも相次いだ。

政府の取り締まり
政府は監視技術を強化し、「違法餅密造の取り締まり」 を強化。
• AI監視ドローンの導入
餅の製造・流通を防ぐため、特定の食品の匂いを検知するドローンが配備され、違法餅の摘発が進められた。
• 摘発の増加
違法餅の取引に関与した者への厳罰化が進められた。

しかし、こうした取り締まりにも関わらず、違法餅を求める需要は根強く残り続けた。

◎ HLOの影響力の拡大

餅禁止法をきっかけに、HLOは初めて大規模な社会運動を展開 し、その存在感を急速に高めた。
• 「文化を守れ。自由を守れ。人間らしさを守れ。」
HLOのスローガンは、この出来事を通じて社会に広く浸透した。
• 「リスクを教育で防げる」という提案の普及
「完全な安全のために自由を奪うべきではない」という考えが、規制に疑問を持つ層に支持された。
• 地下市場との関係強化
HLOは、違法餅の密造を行う職人たちを支援し、安全なルートで違法餅を流通させる役割を担った。

違法餅は単なる闇取引の商品ではなく、「自由の象徴」 として扱われるようになった。

◎ 結論: 餅禁止法がもたらしたもの

餅禁止法は、表面的には「健康リスクの低減」という成果をもたらした が、その影響は単なる食品規制にとどまらなかった。
• 文化的喪失
• 自由の制限
• 規制に対する社会的な疑念の拡大
• 違法餅市場の拡大

違法餅の流通は、単なる食品取引ではなく、「規制への反発の象徴」 へと変わっていった。人々は違法餅を求め、違法餅を食べることで「かつての自由」を味わおうとした。

そして、この違法餅を巡る攻防は、やがて政府とHLOの対立が激化する土壌 を形成することとなる。

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