「ほどけばまたやり直しができる」。間々田紐の組紐体験でかいまみれた人生哲学 #間々田
「 日光街道太陽のもとのてらこや2021 」は、歩くという体の動きによって心も開かれた状態でまち・みちから学びをインプットしていこう、ということで、”まちあるき”の組み立てに力を入れました。
その一つとして、数年来「やってみたい」という声があがっていながらなかなか実現できていなかった「間々田紐」の組紐体験を、学生メンバーの強い希望もあって、やってみることに。
なんで興味あるの?と学生たちに聴いてみると、朝ドラで組紐が取り上げられたことがあるのだとか(NHK『あさが来た』)。
間々田紐の歴史は大正時代からはじまり、民藝運動の柳宗悦さんらによって名付けられたと言います ⇓
http://www8.plala.or.jp/mmdh/
組紐体験は、一人1000円。学生メンバーが張り切って予約してくれたので、わたしもワクワクしながらお店へ向かいました。
「高級で、一般市場には出回ってなくて、わたしたち庶民が出会うことはないもの」という印象が強かったので、間々田紐の生産をしている作業場(お座敷)に上げていただけるとは思わず、少々戸惑いながら、畳のスペースへ座りました。
お座敷には既に組紐用のセットが用意されており、好きな色の組み合わせを選んで、職人さんのレクチャーを聴きます。
説明している内容を言葉では理解できるものの、いざ自分の手を動かそうとすると、脳みそと手が別々になったかのような、ぎこちない動作。
職人の皆さんは「無心でできるようになります」とおっしゃる手仕事、わたしたちは一番シンプルな模様をつくる行程でやりましたが、少しでも雑念が入ると手が別の動きをしてしまい、少しでも考えながらやろうとすると手の流れが止まってしまい、さながら心の修業をしているかのようなひとときになりました。
印象的だったのは、「組紐は、ほどけばまたやり直しができますから」という言葉。一本一本が組み合わさって成り立つ複雑な模様であっても、誤った箇所までほどいて、またそこから組み直せば、望ましい模様になる。
組織づくりでも、制度を組み立てたり、場の枠組みを考えたり、という動きがありますが、もし方向性がちょっとずれてしまったら、ずれた箇所を探して立ち戻ったり、ほどいてもう一度プロセスをたどってみたりして、”ありたい状態”に向けてまた組み立て直してみる、という落ち着いた向き合い方ができるようになるといいなあ、などと考えていました。
職人さんの説明を受けただけで要領をおさえたのか、スルスルと作業を進め、いちはやく作業を終えた多田さんに対して、ふと隣をみると、秋本君は、まだ作業途中。
日頃はパソコンをさくさく動かして徒歩行軍の行程を組み立てている秋本君も、手仕事となると、どうやら頭と手が別々の動きをしてしまう模様。
肩に力を入れながら作業している様子をニヤニヤと見守りながら、わたしは、できあがったブレスレッドの仕上がりに大満足で眺めていました。
作業場内には、たくさんの糸が並んでいます。
組紐用の糸は、草木染のものは、益子の職人さんが染めていて、それ以外のものは全て間々田紐さんの中で染め作業を行なっているのだとか。
作業をしやすいように、糸は色ごとに巻かれているわけですが、それらが無造作に重ねられている光景はとても美しく、それ自体が作品かのような錯覚を覚えながら、思わず写真におさめました。