【連載小説】『平凡な少女のありふれた死に方』第3話
べったりと血のついたナイフを抱えるようにして、白坂先輩は蹲って眠っていた。そんな生々しい死体を目の前にして、僕らは呆然と立ち尽くしてしまっていた。
そんな中で最初に動いたのは、彼女と同じ三年生の友利先輩だった。彼が急いで職員室へ向かい教員を連れてくると、僕らは部室から閉め出されて、そのまま別の教室で待機する形となった。
部室棟にいた他の生徒たちも追い立てられるようにして、次々と同じ教室にやってきた。どうやらきちんと事情を説明されていないようで、みんな何事かと不安そうな様子で根拠のない憶測を語らっている。中には「誰かが死んだのではないか」というものもあって、そんな話が聞こえると、瞼にこびりついたあの光景がフラッシュバックして身体が強張った。
しばらくすると警察がやってきて、学校がバタバタと慌ただしくなる。依然として教員たちからは何も説明されなかったが、その場にいる誰もがただならぬことが起きていることを理解していた。当然僕たちの口から事情を教えるわけにもいかず、野次馬気分の生徒たちに囲まれる居心地の悪さを感じながら、四人とも一言もしゃべらないままその場にじっと座っていた。
そのまま一時間ほど待たされただろうか。突然勢いよく教室の扉が開かれ、強面で有名な体育教師の平島先生が入ってくると、ざわついていた室内が一気に静まり返った。明らかに先生もピリついていて、その緊張が伝わるように張りつめた空気が漂う。
何人かの生徒が呼び出され、別室へと連れていかれていった。そしてその後も五分くらいの間隔で先生がやってきて、順番に生徒が連れ出されていく。
さらに三十分ほど経過して、最後に教室に残されたのは、案の定僕たち文演部の四人だった。そしていよいよ呼び出しを受けると、一人ずつバラバラに違う教室へと案内された。
僕は促されるまま教室に入る。そこにはまるで面接官のように待つスーツの男性が二人並んで座っていた。雰囲気から察するに、おそらく警察の人たちだろう。
「気分は悪くないですか?」
「え? あぁ、はい……」
いきなり発せられた質問に、理解が一瞬遅れた。すぐに白坂先輩の死体を見てしまった僕への配慮だと気付いたが、そんな風に気の抜けた返事を返してしまう。
今の僕は先輩が死んだというのに、妙に冷静だった。それはきっといつかはこの瞬間が来るとわかっていたからで、もしかしたらどこかそれを期待していたからかもしれない。不謹慎だとは思いつつも、まるで悲しみが湧いてこないことがその証明でもあった。
「これから少しお話を聞かせてもらいますが、あくまで形式的な質問なので、気負わず答えてもらって大丈夫です」
左に座っていた若い方の警官が自然な笑みを浮かべる。口調も丁寧で柔らかく、こちらを怖がらせないよう、努めて優しく振舞っているような印象を受けた。
――こうして普通に会話をしているけれど、僕のことを疑っているんだろうか。
聞かれた質問に一つずつ答えながら、僕はそんなことを考えていた。被害者の近しい人物で、しかも第一発見者なわけだから、文演部員は真っ先に疑われる対象だろう。そう意識してみると、微笑みを携えるその瞳の奥に鋭いものが垣間見える気がした。
「それでは質問は以上です。ご協力ありがとうございました。何か困ったことや気になったことがあれば、先生方を通じてご連絡ください」
取り調べ自体は僕の一日の行動や白坂先輩との関係性に関する簡単な質問のみで、十五分ほどであっけなく終了した。小説やドラマのイメージだと、もっと僕を疑ってかかるようなことを言われたり、白坂先輩のことを根掘り葉掘り聞かれるのかと思ったので、少し拍子抜けしてしまう。
あるいはもう結末の目星はある程度ついていて、僕たちへの取り調べは本当に形式的な物だったのかもしれない。きっと彼らにとっては、この事件はずいぶん単純なものに見えるはずだ。
「先輩はいつも死ぬ機会を見計らっていました」
彼女の動向について聞かれた際、僕はそう答えた。それは僕の勝手な見解ではなく、彼女自身がいつも語っていたことで、きっと他の三人も同じようなことを語ったはずだ。
希死念慮を抱いていた少女が一人で命を落としていた。そこに対して積極的に事件性を見出そうとするほど、日本の警察も暇ではないだろう。
取り調べを終えて教室を出ると、ちょうど向かいの教室から和希も同じタイミングで出てきた。
「お疲れさま」
「うん」
どんな顔をして何を話せばいいのかわからず、お互い目を逸らしながら気まずい空気が流れる。いつもは飄々として明るい男なはずが、まるで萎れた花のように背筋を丸めて唇をぎゅっと結んでいた。
そんなうなだれる様子を見て、僕は自分がどんな風に見えているのか少し不安になる。喪に服すことのできていない僕は、傍から見たらすごく薄情な人間だと思われるかもしれない。
しかし、決してそんなつもりはなかった。ただ先輩の死を悲しんでしまうことは、ある種彼女の希望を奪ってしまうことになるような気がしたのだ。彼女はきっと求め続けていた死をようやく見つけることができたのだと思う。ならば、彼女の死を悼み悲しんで否定してしまうことはできなかった。
「帰ろうか」
和希は目を伏せたまま、誰に言うでもなくそう呟いて歩き出した。僕は何も言わずその後ろについていく。
「……そうだ、これ返すよ。この間うちに来たときに忘れていったでしょ」
会話がないまま校門まで向かう道のりが息苦しく感じて、空気を軽くしようと、鞄の中から忘れ物のバケットハットを取り出す。明らかに今出すべきものではなかったが、だからこそあえて関係のない話で多少は気を紛らわすことができるかもしれないと思った。
「ああ、ありがとう」
しかし、和希はそっけなくそれを受け取ると、再び黙り込んでしまった。それ以上関係のない雑談を投げかけることもできず、かと言って白坂先輩の話をするわけにもいかない。仕方なく僕も口を閉じて、必死に神妙な面持ちをしているふりをする。
生徒たちはみんな帰されてしまったのか、校舎には人の気配がほとんどなかった。電気の消えた薄暗い廊下を進んでいると、まるで世界の終わりに来てしまったような感覚に襲われる。目の前を歩く和希がリノリウムの床を叩く足音を唯一の頼りにしながら、虚ろな意識を辛うじて保って歩みを進める。
「僕はさ、あの人のシナリオが嫌いだったんだ」
ちょうど部室棟の扉をくぐって外に出たところで、和希が唐突に口を開いた。
「自傷行為みたいに自分を殺すシナリオばかりで、それがよくできていればいるほど気持ちが悪かったよ」
僕は何も言わずただ聞いていた。きっと彼もこちらに応えて欲しいわけではなく、自分の胸につっかえたものを吐露しているだけのように感じた。
「結局あの人が何をしたかったのか、僕には全然わからなかったな」
彼はどこか自分を責めているようでもあった。たぶん、彼は優しすぎるのだと思った。
そこからは何もしゃべらずに、校門を出たところで別れて互いの帰路に着いた。