【連載小説】『平凡な少女のありふれた死に方』第9話
次の日、僕と和希は二人で住野さんが入院している病院へ向かった。
本人に連絡するわけにもいかず、病院の場所がわからなかったが、彼女のクラス担任に聞くと案外すんなりと教えてもらうことができた。自殺未遂であろう生徒相手に、学校の人間を簡単に引き合わせてしまうのはどうかと思うけれど、今はコンプライアンス意識の低さがありがたかった。
「わざわざ来てくれてありがとうね。詩織もきっと喜ぶと思うわ」
突然の来訪だったので面会ができないのではないかという懸念もあったが、住野さんの母は追い返すどころかすごく歓迎しながら病室へと案内してくれた。どうやら僕たちのことを知っていてくれていて、憔悴し切っていた彼女は娘の先輩が見舞いに来たことに少し安堵した様子だった。
「詩織、起きてる? 部活の先輩方が来てくれたわよ」
住野さんのいる病室は三階の一番端にある小さな個室だった。青緑色の扉に手をかけると、妙に軽い手ごたえで滑るように横に開く。そのままそっと病室の中に入ると、彼女は部屋の隅に置かれたベッドの上で、上半身を起こして窓の外をボーっと眺めていた。
「これ、お土産。すぐそこのスーパーで買ったやつだけど」
来る途中で用意したりんごを机の上に置く。彼女はこちらに気付いてゆっくりと顔を向けると、柔らかい陽光を背に優しく微笑んだ。
「すみません。ありがとうございます」
彼女は特に変わった様子もなく、いつも通り元気な姿に見えた。しかし、彼女の上に被さっている真っ白い掛け布団と、胸元が少し開いた薄ピンクの検査着、そして部屋中に充満する消毒液の臭いが僕たちを現実に引き戻す。
「じゃあ、私はちょっと出てくるわね」
自分がいては邪魔だろうと気を遣ったのか、住野さんの母は僕たちを置いてそっと病室を出ていってしまった。扉の閉まる音がすると、何となく話すきっかけがつかめないまま、気まずい沈黙が流れる。
病室の中は異様なまでに殺風景だった。昨日来たばかりというのもあるのかもしれないが、それにしても物が少ない。清潔感を重視した病室の白さも相まって、まるで白飛びしたように色素の薄い空間が出来上がっている。
枕元の棚には水のペットボトルが一本、ベッドの向かい側にある机の上は僕たちが持ってきたりんごが置いてあるだけだった。窓際にはお見舞いの花が置かれていて、その鮮やかさが逆に空虚な病室を際立たせている
暇をつぶせそうな本や漫画もなく、備え付けのテレビはベッドから見えない方を向いていて付けた形跡がない。スマホがあるからいらないのかもしれないが、それにしても何もなさすぎる気がした。
「身体の方は大丈夫なの?」
一向に喋り出さない僕を見かねて、和希が先に口を開いた。
「はい。検査で二、三日は入院しなきゃいけないみたいなんですけど、異常がなければすぐに退院できるそうです」
まるで少し体調を崩してしまったみたいな言い方だった。何も知らない人が聞いたら、まさか彼女が自ら命を絶とうとしただなんて信じられないだろう。
「そっか。それはよかったよ」
和希も何を話せばいいのかを図りかねているようで、それ以上何も聞こうとしなかった。再び会話が止まり、病院特有の不気味な静けさが充満し、空気がピンと冷たく張りつめる。
そして、その均衡を破ったのは、住野さん自身だった。
「私があの人を殺しました」
彼女ははっきりとそう言った。表情は先ほどまでと変わっていないのに、声だけは輪郭を太くしたように力強く感じられた。
「昔からあの人のことが嫌いだったんです」
彼女は僕たちに言葉を挟ませないように、絶妙な間で言葉を続ける。
「世界はすべて自分の思い通りで、自分のために回っているみたいな顔をして、私たちみたいな凡人が必死に生きている姿を高みの見物しているような、そんな傲慢で尊大な態度がたまらなく不快でした。その癖に刹那的なふりをして、自分の命をおもちゃにして遊んでいる。あの人を見ていると、自分が生きているのが惨めで馬鹿らしくなる」
普段の大人しい様子はなく、覚悟を決めた者の強さを感じた。言葉を重ねていく度に、彼女の声は低くくぐもった怒りに満ちたものに変わっていく。そしてそれと呼応するようにして、先ほどまで明るく病室を照らしていた太陽が陰り、電気のついていない部屋の中が急に薄暗くなった。
「あの日、みんなで集まる前に、あの人に呼び出されていたんです。それで、ずっと求めていた最高の死を実現するために、シナリオを組んでいることを知りました。でもそんなのは許せなかった。最期くらいはみっともなく死んで、やはり間違ってたんだって思いたかった、だから、殺しました」
独白を終えると、彼女は白い封筒を取り出した。僕や和希が受け取ったものと同じ、白坂先輩がよく使っていた、見慣れた封筒。彼女はそれを一息で破り捨てた。
「これでもうこのシナリオは終わりです」
吐き捨てるようにそう言うと、彼女はもう話すことはないといった様子で僕たちを病室から追い出した。