感情と弱さの話。
書きたいことが出てこなくなりました。
いや、あるんです。
ネタは探せばあるんです。
話したいことも一応多少はあるんです。
でも。
内から滲み出るような執筆欲求というか、
書き始めたら止まらなくなるような走る筆を今は持ち合わせていません。
過去の記事は、書きたいなと思ったことが浮かんだ時にパソコンを開いてカタカタと打ち込んで書いていました。そしてそれが毎日だった。
今、noteは意識的に開いています。あ、今日書いてないやって開いて、数件の記事を読んでまた閉じる。
毎日書いていた頃とは大きく異なることがあります。
家から出るようになりました。
大学に行って「学生」という本業を再スタートさせました。
それによって自分の気持ちと向き合ったり、内面を見つめてあげたり、私自身を大切にしてあげる心を忘れつつあるんです。
その時間が無くなったことで何だか記事を書きたい気持ちも薄れていっているんです。
その因果関係とは、、。
恐らく、「感情」を言葉にして記事にしていたのに、その感情に寄り添ってあげられなくなって何も書けなくなった。そういう理由だと思います。
あれ?
ということは、忙しいと私は私自身を大切にしてあげられないのだろうか?心をどこかに置き忘れているのだろうか。
そう考えたら、少し寂しいなって思いました。
私は忙しくしているのが好きでした。
毎日予定を詰め込んで、色んな予定をハシゴして、朝家を出て夜家に帰るのが充実した毎日だと思っていて、いつもそうしていた。確かにそれも楽しかった。
ですがそれは裏返すと、もしかしたら自分の気持ちに向き合う時間を持つことを無意識に恐れていたのかもしれません。
「寂しい」「悲しい」
そんな少し淡い色をしたような感情を受け止めてあげることが怖くて忙しくしていたのかも。
受け止められないから。弱い自分を認めたくなかったから。どちらにせよ私は独りで、その状況は変わらなかったから。
今は違います。
私の弱さを認めてくれる人が身近にいます。恋人、友達、家族。甘えることを段々と身につけていきました。
忙しい日々に、私という存在を愛してあげる時間を設けてあげたい。きっと私にはその時間が必要。私だけじゃなく、人間誰しもそういう時間って必要だと思うんです。
今まで私は、「強いね」「しっかりしているね」「真面目だね」「頑張ってるね」ってよく言われてきました。もちろんとても嬉しかった。今でも嬉しい。
でも弱いところだってあるんです。
最近、見て見ぬふりをしてきた私の弱いところがホロホロと溢れるように零れ出してきました。
それを認めてから、私は少し変わった気がします。
自分を自分で包み込んであげられるようになった。包み込んでくれる人も周りにいる。
私は本当に幸せ者なんだなってつくづく思います。
この幸せを自覚して、いつまでもその幸せを大切にしてあげられる自分でいられますように。
見出し画像はシンガーソングライター、コレサワさんの「憂鬱も愛して」というMV内のものです。大好きな歌です。
(権利とか大丈夫でしょうか、、、。)