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ついつい推理してしまった‥日航123便墜落の原因‥ネタバレすみません‥続き

✴︎ 航空事故調査委員会(当時)が昭和62年6月に公表した日本航空株式会社123便の御巣鷹山墜落事故(昭和60年8月12日発生)調査報告書
= 墜落原因は、ボーイング社の修理ミスのため圧力隔壁が破損して、そこから機内の空気が噴出して垂直尾翼にぶつかり垂直尾翼(と油圧装置?)を破壊し、操縦不能にしたことだと。

← いろんな人が垂直尾翼の破損脱落は、圧力隔壁の破損のためではないと主張している。
機内から空気が噴出すれば、機内に急減圧が起こる筈だが、ボイスレコーダー(コックピット音声記録装置)の記録や機内の写真、生存者の証言からそういった様子が見られなかったため。
垂直尾翼の破損原因を知るために、相模湾に沈んでいる垂直尾翼を引き上げろと多くの人が言っているが、国土交通省が拒否している。
他に、自衛隊機や自衛隊のミサイル、または米軍機が垂直尾翼を故意にまたは誤って破壊したという意見もあり。

私の推理) 垂直尾翼の破損脱落は圧力隔壁の破損のためではなく、機体に他の何らかの異状があったのでないか。

✴︎日航123便は、横田基地に着陸しようとしていたが、直前に取りやめた。

ボイスレコーダーでは、離陸して12分後(18:24)に異常音がして、機長が緊急事態を発信して、東京管制に羽田に戻りたいと要求した。
しかし垂直尾翼の大部分がなくなり油圧装置を使って操縦できず、速度や向き、高さを安定させられなくて、400-575km/時、6400-7600mの間をふらふらと動いており、羽田へ戻る方向に向くことが出来ず、西に進んだ。

離陸して19分後(18:31)ぐらいから北に向かった。
離陸26分後(18:38)ぐらいからはエンジン操作によって操縦できるようになり、飛行状態がやや安定。
離陸30分後頃(18:42)より大月南部を中心に右に旋回しながら降下し、それから横田基地の方向である東に向かっていたが、離陸35分後頃(18:47)に横田基地の西約19kmで西に旋回して北西に進路をとった。

← 公開されたボイスレコーダー記録では、18:46から18:55まで数回にわたって横田基地から着陸okとの呼びかけが聞かれるが、それ以前のコックピットとの交信記録がない。都合の悪いやり取りがあったので、削除されたのではという意見あり。
つまり政府の意を受けた自衛隊が、日航機に横田基地への着陸を断念させた、または阻止した様子が分かってしまうからと。

私の推理) 政府は日航機が横田基地に無事着陸したら都合が悪いので、邪魔したのだと思う。

✴︎ 横田基地から離れたあと、北西の三国山方面には3千メートル級の山々があるため、日航機は必死に高度を上げ、そのためエンジンを全開にし、その過程で操縦不可能になり、離陸44分後(18:56)に墜落。
墜落地点が判明しない、夜間に救援するのは危険・不可能といった理由で、救援活動は翌日になって行われた。発見された生存者は、乗客・乗員520人のうち、たった4人だった。
あとで生存者から、墜落直後にはもっと大勢の生存者がいたとの証言が得られた。

米軍の輸送機が飛行中に、墜落して間もない日航機を目撃して通報し、それによって米軍の救難ヘリが現地に来ていた。その救援ヘリは、自衛隊の救援ヘリがもう来るから引き返せと命令を受けて、やむなく救援活動をせずに去った。このことを輸送機の乗っていた軍人が10年後の1995年に公表した。
地元の人や消防団も墜落場所を通報していたのに、自衛隊や県警などが違う場所を捜索していた。

← 横田基地の件と同じく、自衛隊や群馬県警が中曽根政権の意を受けて、救援をわざと遅らせたのでないかとの説あり。

私の推理、まとめ) 別に自衛隊や米軍が、日航機の垂直尾翼を壊した訳ではなかったけれど、自衛隊の上層部とか中曽根政権とかが、軍隊が何かやったんじゃないかと疑った(疑ってる)のでは?
だから生存者を出さないようにして証言を封じるために、横田基地に着陸させず、救援も故意に遅らせたのでは?
だからボイスレコーダーも都合の悪い部分は公開しないし、相模湾に沈んでる垂直尾翼の引き上げも拒んでいるのでは?

あーこわ‼️

参考)
森永卓郎のインターネット記事
『日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』青山透子 河出文庫
『524人の命乞い 日航123便 乗客乗員怪死の謎』小田周二 文芸社
『隠された証言 日航123便墜落事故』藤田日出男 新潮文庫

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