倫敦デイズ
ロンドン留学記と思いきや、恋に落ちると言うベタな物語
レスター・スクエア
ロンドンの中心部、通称セントラルのピカデリー・サーカス駅前を通り過ぎ、俺は何気なく一駅先のレスター・スクエア駅に向かって中央通りを歩いていた。
傾き始めた日光に照らされた石造りの建物が、光と影の所作によってより一層美しく輝く。週末、ロンドンの空気を胸一杯に吸いながら、一人気ままに散策をしていた。買い物やエンターテインメントを楽しむ人々で、街は溢れかえっており、活気に満ち溢れている。人は沢山いるのだが、整然としたアリの行列の様に、街は程良い混雑具合で、歩くペースを乱される事も無い。日本の首都とは違い、スローペースな街だ。
エロスの像の前で写真を撮る観光客がいた。かつて、卒業旅行の時に訪れた際、
「写真を撮って送ってやるから、送料を含めたお金を寄こせ」と言う、カメラにフィルムも入れず、撮ったふりをして代金を要求する詐欺師がいて、友人がまんまと騙されていた事を思い出し笑う。
現在は、デジタルカメラが主流なので、その様な輩は像近辺にはもういなくなっていた。ただ、そういったハプニングも旅の醍醐味なので、彼らの姿を見かける事が出来なくなってしまって、正直言って寂しい。
レスター・スクエアに向かう途中、フットボールの試合のチケット販売店に立ち寄り、ゴール裏の席の値段を聞いてみたが、正規販売窓口の三倍もしたので、びっくりしてしまい(とてもじゃないけど、そんな額では買えないよ)また、中央通りに戻り歩き出した。レスター・スクエア駅は十字路の角にあり、その近辺は、地下鉄を降りて地下からエスカレーターで上がって来る人と、中央通りを歩く人で酷く混雑していた。
その時、左手前方のレスター・スクエア駅出口に、見覚えのある人影を見付けた。アヤだった。アヤも直ぐに俺に気付き、
「びっくりした、偶然だね」と言った。人の集まる中心地だから、偶然出会う確率も高いとは言え、お互いこの日の予定を知っていた訳でもなく、この広いロンドンの人混みの中で出会してしまった。俺は、この出来事に強い運命を感じずにはいられなかった。
出国前
締め切りまであと一週間、俺は悩んでいた。社員の英語力を底上げする為、会社と受講者で半額ずつ負担して行う、海外語学研修に応募するかどうか。俺が務めている会社は地方都市にある「重要港湾」という、国や県が決めた港湾で仕事を行う船舶代理店で、外国籍の船が日本の岸壁を使用する際の様々な手続きを、一手に引き受ける仕事をしている。
地方都市の港とは言え、岸壁の使用割合は外国船が圧倒的に多く、全体の八十パーセントを超えていた。当然、先方との遣り取りは主に英語となる。俺は大学を卒業後、社会人になってやっと英語力の必要性を痛感し、社会人一年目から英語を自主的に勉強していた。TOEICと言う英語テストで、750点の得点を持っていたが、最終的な目標を860点以上と設定していた為、今回社内で公募している研修には、是非とも応募したかった。
締め切りの五日前、カナダでの語学留学経験があり、婚約者でもある尚美に電話で相談した。
「前に話した語学研修なんだけど、応募した方が良いかな?」
「六年間ずっと独学で勉強してきたのだから、本場で勉強すると良い刺激になると思うよ」
「やっぱりそうだよね。少なくともヒアリングとスピーキング力は伸びると思うんだよね」
「実は、答えが出ているんじゃないの?私だったら、本場ブリティッシュ・イングリッシュを学びたいな」
「イギリスねー。行くならオーストラリアにしようと思っていたのだけど」
「オージー・イングリッシュは、変な癖が付くんじゃない?」
「そうかもね。グッド・デイがグッ・ダイになったりするって言うから、訛るかもね」
「留学の話をしている時は、声が弾んでいるよ。行きなよ」
「うん。もう少し考えてみる」電話を切った後もまだ迷ってはいたが、彼女に言われた『ブリティッシュ・イングリッシュ』という言葉が心に突き刺さった。
(そうだな、英語発祥の地に行ってそこで実際に生活をしてみて、生活様式や文化など様々な事を吸収する事は、絶対に自分にとってプラスになるだろうな。よし)俺は翌日、研修に応募する事にした。
応募してから一週間後に面接が行われた。面接会場である会議室に少し早く着いた俺は、この研修の担当者である人事部の知り合いに、競争倍率を聞いてみた。
「実はね。山田君しか応募者がいなかったの」
「じゃあ、確定ですか?」
「面接でよっぽど心象を悪くしない限りね」担当者の彼女が言った発言の意味するところは、ほぼ間違いなく俺で確定していると言う事だ。自然体で面接に臨めば良いだけだった。
翌日、社内のイントラネットの掲示板に、『海外語学研修受講者決定 営業一課 山田広之』と自分の名前が掲載された。(よし)と心の中で右拳を上げ、直ぐに直属の上司である課長に、今後二か月ほど不在となり迷惑をかける旨伝えた。会社が公募した研修という事もあり、上司は、
「頑張って来いよ」と暖かく祝福してくれた。同僚達も不在の間、俺の分仕事が増えるにも関わらず、
「お土産を楽しみにしている」と言って、文句も言わずに喜んでくれた。
俺が提出した研修の応募用紙には、『研修国:イギリス、研修する語学学校:ウインブルドン・イングリッシュ・オブ・スクール、研修期間:九月二十八日から十一月二十二日迄」と記載した。これはあくまでも、研修が決定するまでの仮の予定だったので、平日仕事が終わった後や土日祝日に、自力で研修内容を確定させなくてはならなかった。
多くの留学生は、留学代理店を通じて様々な手続きを代行してもらうが、俺は、自分の英語力を活かしたかったので、留学代理店にお願いする気は始めからなかった。語学学校への入学手続き、ホームステイ先の決定、航空券の手配等、一通りの手続きを終える頃には、出国まで二十日を切っていた。特に、イギリス入国審査時に重要な、と言うよりもこれがないと留学を目的とした入国が出来ない、語学学校からの入学証明書が出国直前まで送られてこなかった為かなり焦った。
出国前日の九月二十七日になった。二十代の半ばになってはいたが、二か月という初の長期語学留学にワクワクしていた。友人達とグループで行った卒業旅行や、夏休みを利用して行く一週間程度の一人旅とは違う「何か」が待っている。そう思うと、高鳴る胸を簡単には沈める事が出来なかった。
地元から上野まで出て、京成スカイライナーに乗って成田まで移動し、成田駅前のホテルにチェックインした。明日搭乗する飛行機の出発時刻が朝の九時である為、成田空港の近くで前泊しないと、飛行機に間に合わないからだ。この頃は、羽田空港からロンドンのヒースロー空港への直行便が就航していなかった為、東日本から直行便で向かう旅行者は、成田空港から出発せざるを得なかった。地元から特急に乗り新潟に出て、新潟空港からソウル便に乗りイン・チョン空港で乗り継いで、ロンドンに向かうという手段もあったが、時間がかかりすぎる為、心身の疲労を考えると、直行便しか空路の選択肢はなかった。
翌日、九月二十八日出国当日は、朝六時に起きホテルでバイキング形式の朝食を食べた。ロンドンには大学卒業前に卒業旅行で、四日程滞在した事がある。その経験上、ロンドンでの食事は美味しくないと分かっていたので、今後二か月間は摂る事の出来なくなる、日本人の作る美味しい食事を楽しんだ。ビジネスホテルのバイキングでさえ、ロンドンのそれと比べてもクオリティーが高い。俺の中で、最後の晩餐に等しい食事を終えると、身支度をしてホテルを出た。
京成成田駅から空港行の普通列車に乗ると、数分で空港駅に着く。なるべく良い席を確保したいので、スーツケースに引きずられながら、早歩きでブリティッシュ・エアウェイズのチェックインカウンターに向かい、チェックインを行う。この際、機内の席を必ず窓側にしてほしいとお願いする。一日の半分もの時間を、狭く無機質で窮屈な席に身を委ねながら過ごさざるを得ないのだ。永遠に途切れ無い青空や、生まれては形を変え消えていく雲を眺めていなくては凌ぎ切れない。飛空機の窓はかなり小さいが、少しでも窮屈な空間からの逃げ場が欲しい。無事にチェックインが終わると近くのカフェに入り、読書をしながら時間を潰した。
一時間半程かけて、村上春樹の羊をめぐる冒険を読み終えカフェを出たところで、
「午前九時発、ロンドン行きJAL・ブリティッシュ・エアウェイズ共同運航便にご搭乗のお客様は、搭乗口にお越し下さい。」
と場内アナウンスが流れたので、ゆっくりと搭乗口に向かった。おそらく、一キロメートルはあると思われる搭乗口までの通路を歩いた。(この距離をパイロットやスチュワーデスは毎回歩くのか。長時間のフライト後には辛いだろうな)途中動く歩道も利用して先を進むと、五分程で搭乗口に着いた。
まだ、機内清掃中の為入れない様なので、十分程飛行機が見える席に座って、ジャンボジェットを見ながら待った。既に席は決まっているので急ぐ必要はない。しかし、多くの日本人が列を作り並んで待って居た。
何故、日本人は急ぐ必要がない事にエネルギーを使うのだろう。新幹線の指定席も並ぶ必要はないのにプラットホームで並び待つ。待合室でゆっくり時間を過ごすか、若しくは、発車の間際まで売店で駅弁でも買って、ゆっくり乗車すれば良いのだ。
(明治維新以降、暫く日英同盟を結んでいた為、その時にイギリスの『キュー(並ぶ)』という文化まで輸入し、人々に浸透させたのか)と嘲笑した。
搭乗を待っていた蛇の様な長い列が消え、搭乗口へ向かう人が疎らになってから、ゆっくりと席を立ち飛行機に乗る。席は72のA席、窓側のエコノミークラスだ。俺は身長が高いので、エコノミークラスのシートはとても窮屈なのだが、ビジネスクラスを利用出来る程お金に余裕はない。隣の通路側に座っていた同年代と思われる女性に挨拶をしてから座った。
一昨年の夏休みに、スイス旅行に行って以来の飛行機の旅だ。この機体は座席の裏側後部にスクリーンが付いていて、映画やミュージックビデオ、ゲームなど各種エンターテイメントを楽しむ事が出来た。
俺はロード・オブ・ザ・リング等、未だ見ていない映画を見ながら、空での一時を過ごす事にした。離陸から水平飛行までフライト自体に何の問題も無く、暫くリラックスして席に座っていたが、一回目の食事が提供された際に、ドリンクを倒し自分にぶちまけてしまった。(おいおい、先行き不安だな)と思いながら、慌ててティッシュで拭いていると、隣の席の女性が、
「大丈夫ですか?これも使って下さい」とポケットティッシュを一袋渡してくれた。
「ありがとうございます。すみません」
と言い、綺麗に拭いた後再度お礼を言った。その後、お互い何気なく話すようになった。
彼女の名前は太田薫さん。一年間ロンドンで陶芸の勉強をしていたそうだが、半年前に一旦日本に帰国して、付き合っていた彼氏と婚約したと言う。俺も似たような状況なので、仕事や居住地、婚約者等の話をした。ひとしきり話し終えると、俺は映画を見始め、彼女も江國香織の小説を読み始めた。
映画は三部作ある内、一作も鑑賞していないロード・オブ・ザ・リングの第一話を選び、字幕なしの英語版に設定した。少しでも語学力の向上に繋がればと思いそうしたのだが、話の内容は大まかに理解出来ても細かい部分までは理解する事が出来なかった。その為、映画を見始めて三十分程で眠ってしまった。
眠りから覚め時計を見ると、残りのフライト時間は五時間を切っていた。二度目の食事を食べながら薫さんと会話する。彼女は、俺のロンドン来訪が初めてだと思ったらしく、
「飛行機を降りたら、途中まで一緒に行きましょう」と親切に言ってくれた。食事が終わると懲りもせず、字幕なしの英語版ロード・オブ・ザ・リング第二話を先程よりも真剣に鑑賞した。またもや理解の出来ない会話が多々あったが、今度は眠る事なく最後までしっかりと鑑賞した。
暫くすると、着陸態勢に入るとのアナウンスが流れた。着陸の衝撃に備えシートベルトを着けた。しかし、パイロットの操作が素晴らしく、小さな衝撃もなく文字通り滑る様に滑走路に降りた。俺は、旅行で最初に利用した交通手段で、不快な思いをしなければその旅行は楽しく過ごせ、嫌な思いをすると旅行中は良い事がないというジンクスがある。一昨年乗ったスイスエアーのパイロットも、操縦が非常に上手で、着陸した事を乗客に気付かせないほど素晴らしい着陸をした。その後滞在したスイスでの日々はとても素晴らしく、思い出に残る旅行となった。
今回のロンドンヒースロー空港でも、飛行機操縦の一番の難関である着陸が極めてスムーズに行われた。俺の留学生活も同様に、スムーズに経過して行くだろうと安堵した。事実、楽しくも切なく、一生忘れる事の出来ない留学生活が待ち構えていた。
飛行機で約十二時間半移動したが、時差によりロンドンに着いたのは九月二十八日の午後三時だった。ヒースロー空港に到着し、飛行機を降りていく人の流れに付いて行くと、入国審査があった。イギリスは、違法な長期滞在外国人労働者に目を光らせており、その為、長期滞在者に対する入国審査が非常に厳しく、単なる観光であれば、「観光目的で来たので、二週間で出国します」と言えば審査を通過出来るが、留学の場合は、滞在期間が観光と比べ段違いに長いので、必ず目を付けられる。
まず、「語学留学で二か月滞在します」と正直に申告し、審査官に語学学校が発行した『留学証明』を渡す。その後じっくりと証明書の一言一句を確認した後、「どこの学校で、いつからいつまで留学しますか?」と聞いてくる。俺は、これらの学校名と留学期間をきちんと覚えていたので、滞りなく流暢に説明した。説明を聞きながらも何度か訝しそうな表情を見せたが、最後には「オーケー」と言って、パスポートに入国許可のハンコを押した。その間も、先に入国審査を終えていた薫さんは、出口付近で待って居てくれた。再度合流すると一緒に荷物を受け取り、空港内の銀行でトラベラーズ・チェックを換金した。
ヒースロー空港の出入国カウンターから、同じ構内にある地下鉄駅までは遠い。日本で言うと、東京駅で各路線を降りてから、京葉線のホームに行くのをイメージすると、分かりやすいと思う。空港内の地下鉄駅まで、五分程かけ動く歩道を極力利用して移動する。その道中会話し続け、そのまま地下鉄のピカデリー・ラインに乗った。薫さんは、切符の券売機前で地下鉄、ロンドンの愛称で言うと『チューブ』の切符の買い方を、丁寧に教えてくれた。
「私も一緒にアールズ・コート駅で降りるけど、広之さんとは同じディストリクト・ラインでも、別方面行きの車両に乗り替えるの。大丈夫?」彼女は心配そうに言った。
「大丈夫ですよ。目的地のウインブルドン駅が終点なので、間違えませんよ」と自信を持って伝えた。薫さんは、もし何か困った事があったらと、フリーメールのアドレスを教えてくれた。(本当に優しい人だな。この人の旦那さんになる人は、幸せだろうな)お互いアールズ・コート駅で別れ、それぞれ違うプラットホームに移動し、到着した車両に直ぐに乗った。
ウインブルドン駅までは約十分で着いた。途中、地下鉄が止まると共に車内の電気が消え、停車した。(停電かな)と思ったが、五分位経つ頃には、何事もなかったかの様に、車両からガクッと言う音がし、ゆっくりと動き出した。その後、ロンドン滞在中に何度も経験して分かる様になるが、いきなり何の前触れもなく停車する事はロンドンの地下鉄ではよくある。慣れると気にもしなくなるから、慣れとは恐ろしい。
アールズ・コート駅からウインブルドン駅までの間は、地下鉄と言っても地上を走っている時間が長く、地下鉄に乗っているという感覚がなかった。これも、日本では珍しい事だなと思っていると、車両は滑らかにウインブルドン駅に滑り込んでいた。駅に着くと、無事駅に着いたので「これからバスで向かいます」とホームステイ先に伝えるため、公衆電話から電話を掛けた。何度掛けても通話中だったため諦め、連絡せずにバスに乗って、直接ステイ先まで行ってしまおうと、バス停に向かった。
ウインブルドンと言えば、テニス大会で有名だが、大会の行われるテニスコートに近い駅は、二つ手前の駅、サウス・フィールド駅である。そのせいか思っていた程、駅前の繁華街はテニスを前面に出してはいなかった。どこの国にもある郊外の普通の街、という面持ちをしていた。
マークス・アンド・スペンサーという日本で言うイオンの様な、衣服や家具、寝具等も取り扱う大規模系列店のスーパー、メトロという食料品を扱う同じく系列店のスーパー、老舗のパブ、銀行が三行、マクドナルド、洋服屋のユニクロとH&M、映画館等、駅前には一通りの商業施設が揃っていた。そのマークス・アンド・スペンサーの入口付近に、ステイ先の傍まで行くバスの停留所があった。複数系統のバスが停車するバス停だったので、目的のバスが到着するまで暫く並んで待ち、やっと来たバスに乗りこんだ。
ここで想定外の事が起きた。ヒースロー空港駅からピカデリー・ラインでアールズ・コート駅に移動している時に、
「何か不安な事ある」と薫さんが聞いてくれた。(薫さんは、本当に優しいよな)
「唯一心配なのは、ウインブルドン駅からステイ先までバスで向かうのだけど、降りる停留所の正確な位置が分からない事ですね。乗り過ごしたり、手前で降りたりしないか。それだけが心配です」と相談した。すると薫さんが、
「大丈夫。運転手さんにバス停の名所を告げて、『ここに停車したら、声を掛けてください』とお願いすれば、降ろしてくれるから」とアドバイスしてくれた。だが、薫さんのアドバイスは早々に砕け散った。運転手に目的地のバス停名を告げ、「着いたら教えて欲しい」とお願いしたのだが、肝心の運転手はバス停を把握しておらず、「分からない」と言われてしまった。食い下がって何度お願いしても、「俺は運転しているだけだから、分からない」の一点張りだった。
もう諦めて、自分の勘を信じて適当に降りようと思ったら、俺の後ろに並んでいた綺麗な地元の女性が、
「私もそのバス停で降りるので、私と一緒に降りましょう」と言ってくれた。
「ありがとう。助かります」と言って彼女の傍に立ち、混んだバスの中で彼女から逸れない様にした。目的のバス停に着くと、彼女が先に降りながら手招きをしてくれた。俺も続いて降りお礼を言うと彼女は、
「ここへは、何の目的で来たの?」と聞いてきたので、
「語学学校で英語の勉強をしに来ました」と答えた。
「頑張ってね。私はこっちだから。さようなら」と言うと、彼女は小路を左に曲がって歩いて行った。俺はその後二分程歩き、ステイ先に着いた。
ホームステイする家は、一戸建てではなく集合住宅で、日本でいうとマンションに近い物件だった。集合住宅なので、玄関のドアが一階に、家の数だけ所狭しと並んでおり、どのドアがステイ先のドアで正解なのか迷った。事前に日本で調べた、この辺りの地図を頭の中で思い描き、(ええい、ここの筈だ)と勘を頼りにチャイムを鳴らすと、誰かがドアのガラス窓から、俺の容姿と荷物を確認しゆっくりとドアが開いた。良かった、正解の様だ。
この頃は、グーグル・マップもなければ、当然ストリート・ビューもない。ましてや、ウインブルドンの駅から二キロメートルも離れた住宅街の地図が、旅行冊子に載っている筈もない。スマホで事前に実際の風景を見ながら、目的地に向かうと言う事が出来なかった時代だ。ネットで拾った地図を印刷して持参するか、脳裏に焼き付けるかしか、現地に辿り着く方法はなかった。因みに俺は、ロンドン交通局のホームページから、ステイ先最寄りのバス停周辺の地図と、ステイ先近辺と思わしき地図を印刷して持参していた。
ドアから出てきた女性が、笑顔で握手を求めてきたので、ホッとすると握手をしながら、
「こんにちは。私の名前は広之です」と伝える。
「遠くからよく来てくれました。空港から一人で来たの?」と聞かれたので、
「空港から地下鉄を乗り継いで、ウインブルドン駅からはバスに乗ってきました」と答えると、
「本当に?すごいわ。留学生の殆どは空港から送迎してもらうのよ。自力で来るなんて凄いわ」と褒めてくれ、自分の英語力を認められた様な気になり嬉しくなった。
「駅から電話したのですが、繋がらなかったので直接来ました」と伝えると、
「息子のアレンがネットに接続していたから、暫く繋がらなかったと思うわ。ごめんなさいね」と言われた。(ロンドンは、未だにインターネット接続がISDN回線なのか。日本ではADSLが一般的で、高額になるが光回線を利用している人もチラホラいるのに)
「どうりで。十五分位ずっとかけていましたが、話中でしたよ」と、繋がらなかった事への不満は伏せ、話を合わせると、
「とにかく、無事着いて良かったわ。これからこの家に住むので、自分の家だと思って過ごしてちょうだい」と、ホストマザーのリンが歓迎してくれた。その後、リンの家族構成について説明してもらい、俺は留学の通例となっている、母国日本のお土産をプレゼントした。
留学が決まってからは公私共に非常に忙しく、時間がなかった為、プレゼントの購入を尚美にお願いしていた。彼女から中身は風呂敷だと聞いていた為、
「プレゼントは日本で荷物を包む際に使う、日本特有の柄の入った伝統的な大きな布です」と伝え、リンが期待して包みを開くと、前言を即撤回しなくてはいけないほど小さなハンカチが入っていた。(え、ハンカチなの)冷や汗をかいた。
「ありがとう」とリンは言ってはいたが、内心「これはハンカチーフじゃないの」と思っただろう。その後、留学中使用する二階にある俺の部屋を案内してもらい、家の間取りを説明してもらった。
一階が玄関とダイニングキッチン。そして小さい裏庭があった。二階はリビングとリン達夫婦の寝室、三階が息子のアレンの部屋と、結婚して家を出た娘の使用していた、留学生用の部屋となっており、左右に連なる家も同じ造りだと言っていた。
「アパート(日本とイギリスではアパートと、マンションの意味が入れ替わる)ですか?」と聞くと、
「アパートではないわ。ロンドンの家はこういう造りの家が多いのよ」と言っていた。
最後にホストファミリーと留学生の間の約束事を書いた紙を見ながら、口頭でも説明してもらった。
・夕食が不要の際は、必ず連絡する事
・出されたご飯は必ず食べる事
等だ。俺は、一度だけこの約束を破り大目玉を食らう事になる。説明が終わると丁度夕方の五時になっていた。その後一時間程荷ほどきをし、部屋を自分の使い勝手の良い様整理した後、六時にリンの作った夕食を食べ、シャワーを浴びるとフライトの疲れからかぐっすりと眠っていた。
ロンドン滞在第一週
九月二十九日月曜日朝、目覚まし時計を設定していたので七時に起きた。起きると大工をしているリンの旦那さんはもうすでに現場へ出掛けていた。長男のアレンもタクシー運転手の資格取得を目指していた為、既に家を出ていた。日本のそれとは違い、ロンドンのタクシー、通称『ブラックキャブ』の運転手になる為には、兎にも角にもロンドン中の道を覚え、試験に合格しなくてはならない。その為、彼は道を覚える為に朝早くから原付バイクで出掛けていた。しかし、彼は俺が滞在して程なく、つまり驚くべき速さでその目標を諦めてしまう様な、『生粋のニート』であった。
「おはよう」と挨拶をしてダイニングの席に座り、リンが朝食を作るまでじっと待ち、料理がテーブルに並ぶと直ぐに食べ始めた。パンとハムエッグを食べリンと会話した。
「貴方は英語力があって意思疎通が出来るから、私も助かるわ」と言われ嬉しかった。中には殆ど英語が話せない学生も来るそうで、意思疎通に困る事が多々あると言っていた。ひとしきり会話をすると、学校へ行く支度をした。
留学する語学学校、ウインブルドン・イングリッシュ・オブ・スクールまで徒歩で二十五分。九時に新入生を対象とした説明会があるので、八時二十分には家を出た。初めて歩くウインブルドンの街並み。治安が良さそうな通りもあれば、悪そうな通りもある。細い街路ではないのだが、通勤時間を過ぎ歩く人は殆どいない。路肩に駐車している車は、全て防犯用のハンドルロックを付けている。
ウインブルドンは治安が良いと聞いていたが、いざ歩いてみると、思っていた景色とは違い少しがっかりした。しかし、入学初日という緊張感と、これから始まる学校生活に期待を膨らませ、秋のロンドンの空気を胸一杯に吸いながら歩いた。駅前を通り過ぎ数分経ち、背中に汗をかき始めた頃、学校に到着した。
学校は大通り沿いにあり、一見個人宅の様な佇まいをしているので、学生が続々と中に入って行かなければ語学学校とは分からない。(ここで間違いないよね)と恐る恐る学校の中へ入る。入って奥に進むと学校の職員が居た。
「今日入学する、新入生ですか?」と聞かれたので、
「はい、今日から入学する山田広之です」と答えると、奥にある広いラウンジに案内された。ラウンジで心細く待っていると、新入生のみ九時に来校する様で、在校生は八時半から授業を受けており、ラウンジには十数名の新入生しかいなかった。
暫く待っていると名前を呼ばれ、直ぐにヒアリング担当の教師に招かれ席に座った。彼女の名はキャシー。何故英語を学びたいのか、学んだら何に活かすのか、仕事は何をしているのか等々質問に答え、彼女が俺の英語力を総合的に判断し入学テスト等なしで、このヒアリングだけで入るクラスが決まった。
俺はインター・ミディエイトBという上から二番目のクラスに入る事になった。(え、いきなり上から二つ目で、大丈夫なのかなぁ俺)と思った。その後、新入生を対象としたオリエンテーションが行われ、校内でのルールや昼食の摂り方等が説明された。オリエンテーションが終わると、早速、授業の途中からクラスに加わる。教師は新入生に自己紹介をさせると、(後は皆でよろしくやってね)といった感じで、新入生をクラスに馴染ませる様な事は一切しなかった。同じクラスには、中国系三人、日本人一人、韓国系三人、後は欧米の学生がいた。偶然、隣の席に座っていた女性が高校生と思わしき中国人だった。彼女への自己紹介で、
「三国志が好きだ」と言ったら、
「どの武将が好きか?」と聞かれ、
「関羽」と答えたら難しい顔をされた。彼女は三国志で説明すると、劉備が建国した蜀の首都成都出身で、気の合う学生になりそうだった。
初めは、折角留学するのであれば、欧米の友達を沢山作り、百パーセント英語に囲まれた生活をしたいと思っていた。実際、新入生歓迎パーティーが初日の夕方開かれ、在校生の韓国人男性とスイス人女性と仲良くなり、その二人が所属する多国籍のグループに加わる事も出来そうだった。しかし、留学中に合法の麻薬を嗜む学生も居ると聞いていた為、あまりにも俺に対し馴れ馴れしく接する態度に警戒感を抱いてしまい、歓迎会会場から三階にある自習室に逃げ込んだ。
学校は、一階に学生証等の事務手続きを行ってくれる事務員室と教員室、校長室と特大と大中小のラウンジ、教室が五つとインターネットに接続しているパソコンが五台、広い中庭と公衆電話があった。二階は全て教室で、三階は広い屋根裏部屋の様な空間に、自習室と自習用機材が設置されていた。
ひとしきり自習室を見て回り、教材や機材がどこにあるのかを確認した。自習室に置いてあるヒアリング機材は、二十一世紀の今日になっても、カセットテープという古い媒体及びその再生機材のままだった。(ここ、G7イギリスの首都ロンドンでしょ?何、この古すぎる機材。仮に自習室にあるカセットテープを借りても、ステイ先に再生する機器がないじゃん)CDやMD、DVDが世に溢れかえっている時代である。さすがにこの旧態依然とした教材と機器類に唖然とした。マジかよと思いながらも、この学校は今日見ただけでも沢山の学生を抱えている。財政面で厳しい筈がない。
ただ単に、機器を更新する気がないのだろうと、諦め半分で現状を受け入れ、教材のカセットテープに録音されたアナログな音声を、約十年ぶりにヘッドホンで聞いていると、アジア系の三人組が自習室にやって来た。漂わせている雰囲気から(日本人なのかな)と思ったので、思い切って話し掛けた。
「日本人ですか?」
「そうだよ、君は日本人?」
「そうです、今日入学しました。一緒にご飯食べる人が居なくて。良かったら仲間に入れてもらえませんか?」ハッキリと仲間にして欲しいと言った。先程の事もあり、やはり日本人と仲良くした方が良いと思った。質問に答えてくれた人が、残り二人にどうするか聞いた上で、
「他にも韓国人の仲間が二人いるけど良い?」
「良いですよ。よろしくお願いします」と言い、自己紹介をした。
「私の名前は山田広之、二十八歳で山形県から来ました」と名乗ると、一番背が高く三十代半ばに見える男性が、
「俺は松山恵一、三十八歳で東京から来たよ」と言い、次に、
「私は清水彩美、二十五歳で名古屋から来ました」頬が赤く、背の高い女性だと思った。着ていたベージュのトレンチコートが印象的だった。
「俺は斎藤博、二十一歳。同じく名古屋から来ていて、彩美さんと最寄り駅が同じなんですよ。偶然なんですけど」本当に凄い偶然だなと驚いた。同じ時期に同じ外国の同じ学校に通い、それでいて日本では、最寄り駅が同じで近隣に住む者同士が、日本ではなくイギリスで初めて出会うなんて。
「俺達は先週入学したんだ。他にさっき言ったソン・レイとワン・ジェイという韓国人もいるからね」と恵一さんは教えてくれた。
「では、明日のお昼からご一緒させて下さい」
「よろしくね」彩美が言った。友達になる為に必要な最低限の会話を終えると、俺はカセットテープの音声に再び集中し、恵一さん達は自習室から出て行った。当初の予定とは全く違う形になってしまったが、この留学中は日本人と韓国人からなるグループで活動する事になった。
語学学校での授業は難しく、入学したての頃はついて行くのに必死だった。授業は当然英語で行われ、回答や発言も当然英語でしなくてはならなかった。当たり前だ、その為に来たのだ。一日に一回程、「イン・オーダー・トウ・〇〇」と指示されるのだが、その指示の意味が分からない。他の生徒の回答を何度か聞く内に、『順番に並べなさい』という意味だと分かった。この様に、先生からの指示を理解するのに時間を要した。
最初の一週間は、全て英語で会話しなくてはならないという、スパルタな生活に慣れず授業が終わるとかなり疲れ切っていた。そんな生活の中でも、休憩時間や昼休みに友達と日本語で様々な会話が出来る事が嬉しく、良い息抜きになっていた。
入学二日目、九月三十日の昼休みに恵一さんと彩美、博の三人で、留学した経緯や日本での暮らしぶりについて話をした。恵一さんは、東京にあるアメリカンスクールの事務を辞めて、一年間この学校で語学研修をするとの事。自由に暮らしたいので、近い内にホームステイを止めて、アパート(ロンドンで言うと『フラット』)に移り住むと言っていた。彩美は、愛知県の有名な某一流企業に勤めていたが同じく辞め、イギリスに八か月前から来ていて、最初は南部の都市ブライトンで語学学校に通い、二週間前にこの学校に来たと言う。博は、愛知県にある私立大学の二年生で、語学留学を修了すると、必須科目の単位が取れるという安直な理由で来たとの事。
それぞれの状況を聞き終えると、名前で呼ぶのは堅苦しいので、俺のあだ名を決めようという事になった。皆は入学して一週間経つので、既にあだ名が決まっていた。恵一さんは年長者なので敬意を込めてケイさん。博は、そのまんまでヒロ。彩美も同じくアヤ。俺のあだ名を何にするかでみんなが悩んだ。
「ヒロはもう使っているしな~」とケイさんが言うと、
「広之さんは、何か候補ある?」とアヤが聞いてきたので、イギリスに来たからには、当然、イギリス紳士並みのブラックジョークで答えるべきだろうと、
「ヒロポンが良いかな」と言った。『ヒロポン』とは昭和期に使われていた覚せい剤の俗語である。
「良いんじゃない?」とケイさんが言うと二人共、
「それにしよう。それにしよう」と頷いた。俺は覚せい剤の俗称である事を説明したが、それでも方針は変わらなかった。(ジョークだったのに・・・)そこへ、噂の韓国人二人がやって来た。
「ハジメマシテ」片言の日本語で話しかけてきた。眼鏡をかけ自信に満ちた顔をした学生と、正反対に弱弱しく華奢で、髪を真ん中分けにしている学生がいた。ケイさんが、
「こっち(眼鏡)がソン・レイで、こっち(真ん中分け)がワン・ジェイだよ」と紹介してくれた。俺が自己紹介をしてから、俺のあだ名が決まった事をアヤが伝えると、
「おー、ヒロポンさん」とニヤニヤしながらソン・レイに言われた。(お前、この言葉の意味分かってないだろ)と心の中で突っ込んだ。
韓国人の友達は別として、この様に自由に意思疎通が出来る友人はやはり心強く、当初の予定通り百パーセント外国人からなるグループに加入していたら、後々息が詰まっていたと思う。(日本人を含む友達を作っていなかったら、色々な面で煮詰まっていたかもしれないな)とイギリスでの暮らしに馴染んでいくにつれ、そう思う様になっていった。
学校が終わりステイ先に帰ると、毎朝駅前で無料配布されているメトロという新聞を読み、BBCのテレビニュースを見てから、夕食までの間に宿題をするのが日課となっていた。(とにかく、読解力とリスニング力を付けないと)そう思っていた。その二つがないと授業についていけないからだ。
勉強が終わるとイギリス料理の夕食だった。リンが作る料理の殆どが冷凍食品を温めただけの物で、しかも脂っこいものが多い。一度、フライドポテトとフライドチキンの一皿が出てきた時は、絶句し皿を投げつけようかと思った。(冷凍食品を二品油で揚げただけじゃねーか。日本ではありえない、いくら何でも酷い)とその時は思ったが、後日ヒロの話を聞くと、ホストマザーから五百円相当額をもらい、「マクドナルドで何か食べてきて」と言われたそうだ。完全にホストとしての責務を放棄している。上には上がいるものだ。
この学校を始め殆どの語学学校では、留学生がホストファミリーを決めることが出来ず、通常は語学学校が適当に決めたホストファミリーを、学生にあてがう。当然当たり外れはあって、掃除をしていなくて汚い、どこもかしこもタバコ臭い、まともな食事を作ってもらえない、廊下や階段を普通に歩くだけでも「ミシミシ煩い」と言われる(これは俺のホストの事だ)等、ホストも千差万別。
当然、学生は留学期間中ずっと住む事になる訳だから、問題のあるホストに当たってしまった場合は、学校に粘り強くクレームを入れ続けると、別のホストを斡旋してくれた。 学校から聞いた話だと、ホストに対しある程度の基準を設けて、審査をしているとの事だった。俺のホストもその審査を気にしていて、俺に悪評を立てないように注意してきた事もあった。審査については、日本のそれと比べてかなり緩かったのではないだろうか。ホストファミリービジネスはおいしい。ただ部屋を貸し、朝晩ホストマザーが適当に食事を作るだけで、結構な報酬を得る事が出来る。この事から、質の優劣を問わず沢山のホストが語学学校周辺には存在していた。
翌日、昨日から気になっていた同じクラスにいる日本人女性に思い切って話し掛けてみた。名前は愛実(メグミ)と言い、大阪府出身だという。まずはロンドンの語学学校で英語力をつけてから、同じロンドンにあるデザイン専門学校に通う予定だという。年齢は二十三歳で、大学を卒業したばかりとの事だったが、非常にしっかりしているなと思った。 暫く話していると愛実から、
「同時期に入学した日本人の友達もいるから、紹介するね」と、京都府出身の里実(サトミ)を紹介してもらった。彼女は二十四歳、京都市でパティシエをしていて、個人経営店の店長を任されているという。イギリスのスイーツ研究の為に来たと言い、週末はロンドン市内にある有名店のスイーツを食べ歩く予定だと言っている。日本の留学代理店を通じて、イギリスのスイーツに精通したホストをあてがうよう要望し、見事要望通りとなった為、学校から帰るとホストマザーと一緒にお菓子作りもしているとの事。
二人共、語学研修のみならず、その先も見据えた留学をしている事を知り驚いた。自分が彼女達の年齢の頃、将来のビジョンなんてものを思い描いた事はなかった。社会に出てからの平日は、ただ目の前に積み上げられた訳の分からない塊を、不器用に処分していくだけで精一杯で、週末は仕事の憂さを晴らすかの如く、兎にも角にも遊んだ。土に埋まっている有りふれた何の変哲も無い石も、ダイヤになるかどうかは別として、泥を洗い丁寧にじっくり磨けば、必ず光り輝くものに変わるという事にすら気付かなかった。
休み時間に愛実と里美と会話をしていると、ケイさん達が来たので、二人を紹介するとケイさん達も各々、彼女達に自己紹介をした。その日の昼食はメグミ達二人も含め、皆で食べようという事になった。この日は非常に天気が良く、昼休みは学校の中庭に出て昼食を食べる事にした。愛実のあだ名はメグミ、里美はサトミ、そのまんまの名で呼ぶ事になり、皆でどこに住んでいるのか、いつまで留学しているのか等、情報交換を行った。これで日本人六人、韓国人二人のからなるグループが出来上がった。
この学校での国籍別の学生割合は、日本人と韓国人で六割を占め異常に高く、中国人が一割、欧米諸国が三割という具合で、想像よりも欧米の学生が非常に少なかった。その為か、学内でアジア人と欧米人による混成グループは殆どなく、必ずアジアか欧米かのグループに分かれていた。当初は欧米の友達が欲しかったので、日本人もいるグループに入った事が、良かったのかどうか迷ったが、入学二日目にして、日本人同士困った時に言語が通じれば助け合えると、考え方が変わりつつあったが、ジレンマの様なものが未だ心には残っていた。
入学三日目からは、メグミが同じクラスに居るという安心感から、授業中に緊張する事がなくなった。当然、日本語での会話は厳禁なので、英語によるコミュニケーションしか出来ないが、やはり独りで百パーセントアウェーで居るのと、外国人枠に日本人が二人いるのとでは、安心感が格段に違う。ヨーロッパのフットボールクラブチームや、アメリカの野球メジャーリーグでも、日本人が複数居ると、同じ様な安心感があるのではないかと思った。長らく独りシアトルで戦い、実績を収めてきたイチローは、途轍もなく凄いのだなと、授業中にも関わらず独り感嘆した。
入学して初めての週末、十月四日土曜日。グループの皆でロンドン中心部、通称セントラルへ出掛けた。ウインブルドン駅からアールズ・コート駅に出て、ピカデリー・ラインに乗り換え、サウス・ケンジントン駅で降りた。俺は、卒業旅行の時にロンドンの観光スポットを大方見て回っていたので、この留学中は行った事のない場所に行く事に決めていた。セントラルに来たのは六年半振りだが、新しい観光スポットやエンターテイメントが沢山誕生していたので、びっくりした。
まず初めに、卒業旅行時に十分な時間が取れずチラリとしか見学出来なかった、自然史博物館と科学博物館を見学する事にした。俺は、ケイさん、ワン・ジェイと一緒に見て回る事にしたが、他の五人はアヤとメグミとサトミの女性チーム、ヒロとソン・レイの二チームに別れ、別の施設を見学したい、ショッピングをしたいと言うので、最寄り駅であるサウス・ケンジントン駅に二時間後に待ち合わせる事にした。
先に我々は自然史博物館に向かった。博物館の入口に入っていきなり聳え立つ、恐竜の化石に圧倒されたが、それ以上に、受精から出産までの十か月を一か月毎にホルマリン漬けにし、胎児の成長が月単位で見て分かる様にした展示があり、軽く吐き気を催してしまった。(何で生体の赤ちゃんで展示するの。模型で十分でしょ)と思った。ケイさんにその事を伝えると、
「こういうのは、リアルじゃないと駄目なんだよ」と、予想もしない恐ろしい答えが返って来た。自然史博物館を見終わると、隣の科学博物館に移動した。ここは見学が無料で出来た為、それなりの展示物しかなくさらっと流す様に見学すると、丁度良い具合に時間もさらっと過ぎていた。
待ち合わせ場所に着くと、女性チームが既に待って居た。ヒロとソン・レイという、未だ学生で明らかに時間厳守の大切さ、と言うよりも寧ろそれがマナーであるという事を未だ知らないであろう二人は未だ来ず、十五分程待って居るとゆっくりと歩いて来た。ヒロは遅刻した事を謝っているが、ソン・レイは、
「会話する時間が持てて良かったでしょ」と笑っていた。(このやろう)全員揃ったので、駅からピカデリー・サーカスに向かって移動し昼食を食べようと、中華料理や韓国料理を数件覗いてみるも、何故か営業しておらず仕方なくいつでも営業しているパブで、ランチプレートを食べた。
昼食を食べながら、それぞれが行った先の感想を情報交換し、店を出て直ぐの所にあった『レ・ミゼラブル』を上映している、パレス・シアターで記念撮影をした後、川を渡って近代美術を展示しているテート・モダンに行った。建物が新しく、建築様式も最先端の美術館であると共に、展示内容が若者向けで面白く、二時間ほど見て回っていたら、アッという間に時間は過ぎ、時計を見ると四時過ぎになっていた。
美術館の一階入口付近で全員集合し外に出た。土曜日の夕方なので、美術館のある川沿いの広い歩道には、沢山の観光客や親子連れが居た。川の向かいにセント・ポール大聖堂という有名な観光名所がある。二千年、『ミレニアム」』記念として、テート・モダン側から川向かいのセント・ポール大聖堂側にかけて、ミレニアム・ブリッジという歩行者専用の橋が架けられた。その橋を渡る途中、ミレニアム・ブリッジとテムズ川と川に浮かぶ軍艦HMSベルファスト号が背景に写るよう、俺とケイさん、ワン・ジェイのスリーショットを撮ってもらった。この時、川沿いの歩道やミレニアム・ブリッジに、再度夜訪れるとは思ってもいなかった。
逢瀬一
十一月中旬の夜、夕食を食べ終えると俺は暗くなった夜道を駅へと急いだ。今夜はアヤと二人きりで、ロンドンの夜景を見に行く約束をしている。俺達はウインブルドン駅で待ち合わせることにしていた。学校の知り合いに見つかると不味いので、改札を通って直ぐに伸びる横長の通路で待ち合わせ、アヤが来るまで通路を背にして駅の窓から電車の往来をボーッと眺めていた。
待つこと五分。眺めていたガラス窓にアヤの姿が映った。いつも着ているベージュのトレンチコートだ。間違いない。
「行こう」振り向きざまにそう言うと、
「うん」とアヤも頷いた。ウインブルドン駅から、夜景スポットへのアクセスが一番容易な、ロンドン・ブリッジ駅まで直通の電車に乗った。お互い無言のまま、遠くに仄かに光る灯りを車窓越しに見つめていた。
ロンドン滞在第二週
学校に通い始めて一週間が過ぎ、少しずつ語学研修に慣れてきた頃、帰宅途中に何となく、
「皆でパブに行かない?」と提案した。すると皆が、
「良いね。行こう行こう」と急に活気づいた。
「じゃあ、近くにある手頃な店に行こうか」とケイさんが言う。皆でそのパブに向かって歩き出した。何となく、皆の歩く速度が上がった気がした。
俺は、前にロンドンを訪れた際、パブを一度だけ利用した事があった。その日は偶々九八年フランス・ワールドカップ予選の日で、しかも、地元イングランド対イタリア戦をパブで観戦する地元の客が沢山いた。その為、ゆっくりと会話しながらビールを飲む事が出来なかった。(今度はゆっくりと雰囲気を楽しみながら寛ぐ事が出来るかな)楽しみにしながら向かっていた。
ウインブルドンには、駅前に老舗で雰囲気の良いパブがある。しかし、一杯あたりの単価が高く人気がある為、常に混みあうという事もあり、ケイさんの勧める駅から徒歩二分の場所にある、ウェザースプーンという大衆的な店に向かった。このパブは他のパブより単価が安く、アヤ曰く、「このパブはチェーン店だよ。店の名前は違うけど同じ雰囲気で同じメニュー、メニュー表のデザインも一緒の店が、ブライトンにもあったから」との事だった。更に、
「多分、この前セントラルで入ったパブも、雰囲気やメニューも同じだったから、経営が同じで店名が違うだけだと思うよ」と言っていた。店内に入ると空間が広くとられており、椅子とテーブルのある席も沢山ある。我々が想像する、立ち飲みがメインのパブ、と言う訳ではなかった。ブライトンでのパブ経験が豊富なアヤから、パブでの注文の仕方について簡単な説明を受け、早速カウンターに行きギネス・エクストラクールを一パイント(568ミリリットル)頼んだ。
皆が注文し終わり、ジョッキを持って席へ戻って来ると乾杯をした。英語で会話をしながら、このグループでの決まり事を一つ決めた。
「母国語を話したら、罰金五十ペンス(一ポンドの半額)支払う事。この罰金は貯め、何か皆の為に使う事」この時は皆意気込んでいたが、このルールは次第になおざりになって行く運命となる。一時間程、ビールを飲みながら楽しい時間を過ごすと、散会しそれぞれの帰路に就いた。俺はお酒に強く、ビールのジョッキ数杯程度では酔わないので、帰宅後の勉強には全く支障がない筈だ。陽気な足取りで夕日の差すウインブルドンの住宅街を歩いて帰った。
一週間経ち留学生活の問題点も分かって来た。この生活で一番問題になるのは昼食だった。ホストは昼食を作ってくれず学校には学食というものがない。朝、駅周辺のスーパーで適当に買って来るか、学校に売りに来るサンドイッチ屋から買うか、購買で売っているカップラーメンを食べるか。昼食の選択肢はこの三つしかなかった。
ロンドンは物価が高いので、お腹を完全に満たそうとすると昼食だけで八百円以上の出費が必要だ。毎日昼食にお金を掛けてはいられないので、俺はやむを得なく、サンドイッチ屋の二切れ五百円のサンドイッチを食べて昼を凌ぐ事にしたが、日によってはそれでは全然足りないので、購買で売っている二百円のカップラーメンも買って食べていた。結局、週の約半分は昼食に七百円も支払っていた事になる。メグミやサトミ、アヤは手早く作れるサンドイッチを作って持って来ていたが、俺には朝早く起きて作る気力がなかった。
日々の授業は淡々と続いた。一つ下のクラスでは授業の一環として、ミュージカルの『レ・ミゼラブル』を見に行ったらしいが、俺の所属しているクラスでは、その様な息抜きとなる授業はなく、テキストに沿ったつまらない授業が行われていた。つまらない授業のおかげか、入校して一週間が過ぎる頃には、徐々に講師の言っている事の意味が分かる様になり、段々と授業に付いて行ける様になった。それを裏付けるかの様に、自ら積極的に発言する場面が滞在日数に比例して多くなった。
この「一週間」があらゆる事柄の分岐点の様で、俺はイギリスに来てから、硬水である水道水を飲む事からくる下痢に悩まされた。ケイさんに相談すると、
「魔法のように、一週間で治まるから大丈夫」と言われ、一週間過ぎると嘘のように下痢は治まり、それ以降は、水道水を飲んでもお腹を下す事はなくなった。その後の語学学校での勉強は、順調に推移していき、学校が終わるといつものパブで、一杯ひっかけてから帰宅するという生活を送るのである。
十月十一日土曜日、ソン・レイの提案で隣駅のレインズ・パーク駅付近の公園で、ピクニックをする事となっていた。当日は快晴だったが風があり肌寒く(本当にピクニックなんて出来るのか)と思っていたが、駅前に集合し彼に可否を聞くと、
「こんな良い天気なんだから、何の問題もないでしょ」と、当然だと言わんばかりに答えた。
仕方なく芝生のある公園に移動し、皆で輪になって昼食を食べ始めるが、ロンドンの十月中旬の気候を侮ってはいけない。日差しは小春日和の陽光ではあっても、風はすっかり秋の冷たい風だ。とにかく寒い。昼食をさっさと食べ終えたソン・レイは、
「ボール持ってきたから、体を動かして温まろうよ。ヘイ、ヒロポンさん」と、持参してきたサッカーボールを、俺に向かって蹴る。
「男性は良いけど、女性はどうするんだよ」と、トラップしながら文句を言うと、
「一緒にやればいいじゃん」と返してきた。会話を聞いていた女性達は「私達はいいから」とジェスチャーで俺に訴える。
ソン・レイの無茶振りに男性二人が応え、サッカーゴールの前で二対二の試合をするが、飽きる前に女性達が冷え切ってしまいそうだったので、
「いつものパブに移動して温まらないか?」と提案した。彼は、フットボールをしたいという欲求が、ある程度満たされた為、
「オーケー」と言いボールを片づけると、皆でウェザースプーンに向けて移動した。(オーケーの他に言う事ない?)そう思ったのは、俺だけではない筈だ。
パブに着き皆がいつものビールではなく、暖かいレモンティー等の飲み物を注文し、着席すると程なくしてソン・レイ先生による、日帝による朝鮮侵略の歴史講義が始まった。(今後も、我々日本人と仲良くして行こうと思うなら、こんな話は普通しないでしょ)と日本人の皆が呆れていた。
このソン・レイという韓国人は、良く言えば個性的で悪く言えば灰汁が強い。年上の韓国人に会うと「シニア」と言い頭を下げ尊敬の眼差しを向けるが、年下に会うと「ジュニア」と言い、明らかに見下す態度をとる。この上下関係の厳しさは、韓国人特有のものなのかと最初は思っていたが、実はそうではなく、ソン・レイ特有のものだった。同じ韓国人でも、ワン・ジェイは年上だろうが年下だろうが分け隔てなく付き合う。おそらく、韓国が行っている兵役での二人の扱われ方の違いも、差異をもたらした要因の一つであると思う。
テコンドーの有段者であったソン・レイは、新兵として徴用されたのだが、テコンドーの腕を評価され、同じ新兵を厳しく扱く側の教官に抜擢された。一兵卒として徴用されたワン・ジェイと違い、破格の待遇を受けており、それは兵役時代を思い出し語る二人の言葉に如実に表れていた。ワン・ジェイによる兵役の思い出は、
「マイナス四十度の吹雪の中訓練させられたり、冬の海に潜らされたり、もう二度とやりたくないよ。絶対に」であったが、これに対しソン・レイは、
「テコンドーの先生だったから、兵士を厳しく扱けて楽しかった。意地悪もしたしね。もう一回やってもいいよ」だった。
この兵役で、新兵にも関わらず教官をやったソン・レイは、兵隊特有の歪んだ上下関係を見に着けてしまったのだろう。この様な背景もあるが、この日とった彼の行動と言動から、ソン・レイは空気が読めず癖の強い韓国人だと、日本人及びワン・ジェイの皆が学んだ。
十月十二日日曜日、特に予定がなかったので自分の服飾品の購入と、かなり気が早いが会社の上司や同僚へのお土産を買いに、ロンドンのセントラルに行く事にした。ステイ先の最寄り駅は、実はウインブルドン駅ではなく、ノーザン・ラインの終着駅モーデンだ。リンから、
「モーデン駅周辺の公園で殺人事件が起きたから、周辺を歩く時は注意するように」と忠告されていたが、家を出た時間が朝の九時過ぎであり、明るく問題ないだろうと、今日はその駅を利用する事にした。
昨日は気付かなかったが、十月中旬のロンドンは街路樹や公園の木々が黄色に染まり、日差しを浴びて黄金の光を放っていた。木々には野生のリスが住み、枝を器用に伝いながら木の実を囓っている。日本では野生のリスを見る機会が滅多に無いので、暫くその薄茶色の躯体を眺めてから写真に収めた。十分程歩くとモーデン駅に着いた。ウインブルドン駅と比べると利用客が少なく、駅構内の所々には、治安の悪さを窺わせる乱雑さと非日常が混じり合った、独特の不穏な空気が流れていた。
地下鉄に乗り、途中ピカデリー・ラインに乗り換え、先ずはロンドンを本拠地にしているイングランドプレミアリーグの、アーセナルスタジアムへ向かう事にした。チーム名と地下鉄駅名が同じアーセナル駅で降りると、その日は試合のない日曜日のせいか、スタジアム周辺は人通りが殆どなかった為、閑静な住宅街を訪れた様な印象を持った。スタジアム自体、数年後に近隣地へ移設する予定なので、ここで観戦出来れば良い思い出になるだろうと思った。スタジアム周辺を一周し、スタジアムに併設されているチケット窓口で、チケットの販売状況を聞いた。
「直近の公式戦のチケットは完売しました。次の試合のチケットは、今週の木曜日にこの窓口で販売する予定です。行列が出来るから早めに来てください」と言われた。他にも、控えの選手が出るマイナーなカップ戦のチケット等も勧められたが、トップチームの試合を見ないと意味がないので断った。駅までの帰り道を歩きながら、木曜日に授業をサボって早朝から並ぶか、きちんと授業を受けてから来るかで迷った。俺は「イチオウ」会社の研修で来ているのだ。
次は、自分へのご褒美の買い物に繰り出し、ロンドンの有名な靴屋へと向かう。地下鉄を途中でジュビリー・ラインに乗り換え、ボンド・ストリート駅を降り目的の靴屋へ歩いて行く。店は大層混んでいるものと思い込んでいたが、開店したばかりの様で俺の他に客が数名しかおらず入店を躊躇ったが、臆せず堂々と店に入り、気に入ったデザインの靴を探した。幾つか良いデザインのものがあったので、数種の革靴を試し履きし、一番フィットして歩行時に革が足に食い込む事がなく、甲の上に横線が入りにくい革靴を厳選して購入した。購入後、(やっぱりフィットし過ぎるかな)とも思ったが気にしない事にした。この靴はフィットし過ぎて、日本に帰国してからは残念ながら殆ど履かなくなった。
その次にポール・スミスへ行こう。ロンドンに来たからには、イギリスでしか買うことの出来ない、メンズのアクセサリーを買おうと思っていた。靴屋から二百メートル程歩くと直ぐ店に着いた。洋服の品揃えは流石本場だけあって、日本のそれとは段違いだったが、嵩張る洋服を買う事は出来ないので、アクセサリーの陳列されているショーケースを眺めた。一目で気に入るカフスボタンがあった。店員に声を掛けケースから出してもらい、じっくりと様々な角度から眺める。気に入ったので購入を決め、自分へのご褒美である買い物が済んだ頃には、既に昼食の時間になっていた。
今日ステイ先を出る時から、予め食べようと決めていたマクドナルドへ入った。ロンドンに来たからには、イギリス限定のバーガーを食べてみたかったのだ。予想通り日本に比べ、バリューセットの価格が高かった。当然「世界のマクドナルド」なので、イギリス限定のバーガーも日本のそれと味に遜色がなく、マクドナルドはどこで食べてもマクドナルドなのだなと納得した。それこそが、マクドナルドである所以なのだから。店を出るとテムズ川に向かって歩き、川沿いにあるベンチで一休みした。
ベンチからの眺めは、川向いのロンドン・アイという巨大な観覧車が澄んだ快晴の青空に映え、青空はテムズ川の汚濁色によりその蒼さを一層際立たせ、数分間眺めている俺を魅了するに十分な色彩を放っていた。実は成り行き任せではなく、ステイ先を出る前から折角一人で散策するなら、秋の一日をゆっくり楽しみたいと思い、今後も遊びに来るであろうセントラルの中心部ではなく、セントラルの外れにあり、今後は見に来る事もないであろうロンドンの風景を満喫してみたいと思っていた。そのせいで、昼食後向かう予定のデパート迄の距離が遠くなったが、散策距離が増えて却って良いと思ってみる。何事も良い方に考える事が肝要だ。
暫く、ベンチに横になり歩く人を眺める事にした。ロンドンの女性はふくよかな体系の人が多い。そしてほぼ全員が決まって、キツくもなければ嫌味もない、ラベンダーの様な良い匂いのする香水をつけおり、通り過ぎる時に漂う芳香に意味もなく男心が擽られる。おそらく今流行りの香水なのだろう、漏れなく全員から同じ匂いが放たれていた。日本とは違って、香水で個性を出す事はしない様だ。
男性は皆背が高く、太っている人をあまり見かけない。イギリス紳士と言うだけあり、ベンチで寝転がっている俺に、「どこから来たの?」や「日本人ですか?」と気さくに話し掛けてくる。アジア系というだけで、話し掛けられないイギリスの某隣国よりもずっと友好的だなと思った。(嘗ての日英同盟の影響が、今でも色濃く残っているのか。そんな訳ないよな)と一人嘲笑した。
小一時間程休み、デパートに向かって歩き始める。テムズ川沿いから小路に入って行くと大通りに出た。この通りを進むとハロッズという有名なデパートがあるので、まずは高級店であるハロッズをウインドーショッピングし、その後、セントラルの近くにあるセルフリッジズや、リバティーといったデパートで、手頃な紅茶等のお土産を買うつもりでいた。朝食時にリンに、
「今日はハロッズに行くつもりだ」と話したら、
「ハロッズなんて行った事もないし、買う物もない。無縁の場所だわ」と言われ、
「マークス・アンド・スペンサーで十分だから、そこに行けば?」と、近所のスーパーで買い物をしたらどうかと提案された。
「マークス・アンド・スペンサーも寄るよ。ありがとう」と返事したが行く気はない。もうちょっと寒くなったら、そこで安いニットを買うつもりではいた。このホストが所謂労働者階級だから、ハロッズに入った事すらないという事実にびっくりした。イギリスの階級社会は根深いものがある。
そんなハロッズに到着。置いている物だけでなく、雰囲気もお高い感じが漂う。バックパックを背負っている俺が来るべき所ではないのは重々承知しているが、一度店内を物色してみたかったのだ。紅茶やお土産になりそうなものも置いてあったが実に高い。これらを買ったら軽く予算をオーバーしそうなので、五分ほど滞在して直ぐに撤収した。わざわざ遠回りしてまで訪れたハロッズだったが、直ぐに次のデパートに向けて移動せざるを得なかった。リンの言っていた事が分かる気がした。日本では、ハロッズのビニール袋や鞄を持っている事が、一種のステータスの様であるが、俺と同じでイギリスの一般庶民は見栄に固執していない。上流階級の人間は違うのかもしれないが。
セルフリッジズとリバティーというデパートは、セントラル中心部にあるので、大通りを東へ向けて歩き始めた。通り過ぎていくロンドンの街並みを、ゆっくりと歩きながら眺めていた。ドイツのフランクフルト・レイマール広場に代表される様な色とりどりの家や、窓辺を彩る花々がある訳ではないが、無機質な様でも凛とした佇まいの建造物を見ながら歩くのは楽しく、自分が今、外国で独り歩きをしているのだなという事を強く実感することが出来た。
約二十分歩いてセルフリッジズに到着した。店内は地元のロンドン民と観光客とで混んでいて、その混み具合は、ハロッズとは比較にならなかった。早速、お土産用の紅茶を探す。手頃なお茶の小箱パックを見付けたので数個購入した。もちろん先程のデパートに比べてリーズナブル。しかし、あまりにも混んでいたので早々に撤収し、最後の目的地リバティーに向かった。
二つのデパートは意外と近く直ぐに着いた。立地がロンドンのど真ん中という事もあり、店内は先程の店よりも混んでいた。ロンドンのお土産といっても、あれこれ迷う程選択肢はない。またも格安の紅茶パックを見付け購入した。先程のセルフリッジズで購入したお茶は上司用、ここリバティーで購入したお茶は同僚及び友人用と区別した。
会社の研修で来ている以上、会社関係者へのお土産は当然必須だ。他にも、家族や友人へのお土産も購入するとなると、今日一日では足りそうもない。他のお土産は後日、どこで何を購入するか考える事とし、セントラルをピカデリー・サーカスに向けて歩いた。暫く歩くとエロスの像の前を過ぎ、そのままレスター・スクエア駅へ向けて人混みの中を歩く。日も傾きかけて夕日が市街地を包み込み、消えゆく前の暖かい空気が、ほんわかと街角に漂っていた。
レスター・スクエア駅に着いた時、アヤに偶然出会った。お互いびっくりしたが、直ぐにお互い何をしていたかを話した。とりあえずパブへ行こうという話になり、駅近くのビルの二階にあるパブに入った。俺は白ワインを、アヤは紅茶を注文し休憩しながら、今後週末に何をして過ごそうかと話を切り出した。
「折角ロンドンに来たのだから、皆で観光をしたり、夜のエンターテイメントを楽しみたいんだけど、どうかな?」
「うん、私も皆でどこに出掛けるかを予め決めておいた方が良いと思っていたの。どこに行くか、何をするかをちゃんと決めた方が良いね」
「じゃあさ、俺が観光地とエンターテイメントをリストアップして、それぞれの日程を案として表にまとめるから、その表に皆から出欠を書いてもらうっていうのはどうかな?」
「それなら分かり易くて良いんじゃない」
「じゃあ、ケイさんと相談して表を作って、皆に出欠を書いてもらう様にするね」
「うん、楽しみ」と俺とアヤで、今後何をするかを予め決める事により、計画的に滞在期間を過ごすという方針を決めた。
レスター・スクエアで偶然出逢って、一時間程二人きりで過ごした事によって、俺とアヤはかなり親密になった。考え方や価値観が同じ事も大きな要因だったが、それよりも何よりも、俺はこの広いロンドンで、お互いの予定を知らなかったにも関わらず、偶然に出逢った事に運命的な何かを感じずにはいられなかった。パブを出ると、日が沈みかけ暗くなり始めていた。お互いこの後の予定は無かったので、一緒にウインブルドンまで帰った。アヤのステイ先は、ウインブルドン駅の二つ手前にあるサウス・フィールド駅が最寄りなので、アヤはそこで下車すると席に座っている俺に手を振った。
アヤ、魅力的で優しい大きな目と、情熱的な厚い唇が特徴の可愛い女性。顔立ちも整っていてイギリスに来て若干太ったらしいが、それでも十分美人である。身長は百七十センチメートル近くある。学生時代はバスケットボールをやっており、男子からモテたであろう事は容易に想像出来た。これまでの二週間は、純粋に友人として見ていたが、偶然出逢ったという今日の出来事のせいで、アヤを特別視する様になってしまった。アヤもそうなのかは分からないが。(皆には絶対悟らせない様にしよう)と固く誓った。が、直ぐに馬脚を露してしまう。
帰宅後、日本から持参して来た「地球の歩き方ロンドン」を読み、今後週末に行う活動として、次の四点を候補として上げた。
・ミュージカル オペラ座の怪人
・フットボール フルハムホームゲーム観戦
・リーズ・キャッスル 観光
・ウインザー・キャッスル 観光
これに日程と参加者氏名を表にまとめた叩き台を作成し、明日ケイさんに見せる事にした。
翌日、ケイさんと俺は叩き台を元に話し合った。学校では英語しか使ってはいけないので、特に韓国人の友達との間で、これまでも意思疎通が上手く行かない事があり、
「表にすると分かりやすくて良いよね」とケイさんも言ってくれた。
「あと、ロンドンのジャズクラブ(音楽鑑賞)も行こうよ」と言われたので表に追加した。予約やチケットの手配は英語力の向上に繋がる為俺がやり、必要に応じて皆から手伝ってもらう事にした。休み時間になり集まった友達に早速作った表の説明をし、参加したい活動に〇と×で出欠を記入してもらった。アヤとサトミが、
「ライオンキングも行きたいから、入れていい?」と聞いてきたので、
「いいよ、まだ案でしかないから。他にも見たい物とかあったら教えてね」と答え、表の空欄にライオンキングと記入し付け加えた。
ケイさんと俺、アヤとサトミは即決で全部に〇。ヒロはライオンキング以外〇。ソン・レイはオペラ座の怪人だけ、ワン・ジェイはウインザー・キャッスルだけ〇を記入するが、他は暫く考えさせて欲しいとの事だった。チケットの手配があるので、二・三日中に返事をしてくれと伝えると、
「分かったよ。ありがとう」と答えた。これで滞在中の週末の予定はほぼ決まった。
ロンドン滞在第三週
十月十五日水曜日。授業中にメグミが先生に呼ばれ席を立った。二十分程して戻って来たが、メグミは何かソワソワしている。休み時間になり何があったのかを聞くと、
「うちのお姉ちゃんの旦那さんが、亡くなったらしい」と言う。
「え、本当に?」
「うん、それで明日にでも、緊急帰国しないといけなくなったの」
「それは何と言っていいか分からないけど。日本でひと通り落ち着いたら、また戻ってくるんでしょ?」
「次来る時は、直接専門学校に通うと思う」
「そうか、分かった。今夜予定ある?」
「今夜は荷造りするけど、少しだけなら大丈夫だよ」
「送別会するから、いつものウェザースプーンで」
「ありがとう。じゃあ、学校終わってから六時まででお願いします」
折角仲良くなったクラスメイトでもあるメグミが、身内の不幸により帰国せざるを得なくなったのはショックが大きかった。だが、何よりもメグミの方が大きなショックを受けているのだから、最後は極力楽しく見送ろうと、授業終了後皆を誘いパブに行き、メグミの送別会を行った。
送別会では、俺がメグミの癖を真似した。皆が似ていると笑い、メグミも悪乗りで自分のモノマネを始めた。終始笑いが絶えなかったが、彼女がもうこの学校に戻って来ない事を皆が知っていたので、寂しさを笑う事で必死に隠していたのだと思う。
十月十六日木曜日はアーセナルのチケット発売日だ。俺は社会人として、授業を受きちんと受けてからスタジアムのチケット窓口に行く事にした。昼休みになりラウンジに集まっていた皆に、
「誰か一緒に行かない?」と誘うと、アヤが乗り気で、
「行く行く」と言った。
この日は偶々午前中で授業が終わったので、学校から駅に移動し、昼食を食べずに最短時間でアーセナルスタジアムを目指した。急ぎ足で駅からチケット窓口に行くと、残念ながら朝に売り切れたとの事だった。俺は肩をがっくり落とし、
「やっぱりサボって朝来れば良かった」と言うと、
「会社のお金で来ているんだから、駄目でしょ」とアヤに窘められた。
「でも、見たいじゃん。本場のフットボールを」
「再来週末行く予定の、日本代表稲本の所属しているフルハムのチケットは絶対取れるよ。私、稲本は知っているけど、フルハムなんてチーム知らないからさ、あまり観客居ないんじゃない?」
「うん、そっちは是が非でも取らないとね」
「ねえ、お腹空いたからご飯食べに行こうよ」時計を見ると一時半だった。地下鉄でセントラルまで出て、パブでランチメニューを食べた。俺はアーセナルのチケットを取れなかった悔しさから堂々と昼間からビールを飲んだ。
お腹を満たすと、二人でハー・マジェスティーズ・シアターのチケット売り場に向かった。回答を保留していたワン・ジェイから、オペラ座の怪人は見に行かないと返事をもらったので、早速チケットを買いに来た。席は、一階最前列の席と二階後部席が空いていた。舞台の見え具合と値段を比較して、割安な二階席のチケットを購入した。せっかくセントラルに来たのだからと、ウインドーショッピングをしたいと言うアヤに付き合った。俺は、この類のものが苦手なのだが、アヤと一緒にウインドーショッピングをするのは何故か楽しかった。あちらこちらと見て歩いている内に夕刻となり、そろそろ帰ろうかという雰囲気になった時、駅に向かって歩きながらアヤが聞いてきた。
「ポートベロー・マーケットって知っている?」
「たしか、地球の歩き方に書いてあったような。ロンドンの主なマーケットの一つでしょ?」
「そう、ロンドンでは有名なマーケットなんだけど、今週の日曜日一緒に行かない?」
「いいよ。行ってみたい」
「じゃあ、午前に出掛けて、マーケット周辺で昼食を食べるって感じでも良い?」
「オーケー。前日はリーズ・キャッスルだし楽しい週末になりそう」
「そう言ってもらえると嬉しい。ありがとう」
週末の約束をすると、ピカデリー・サーカス駅に着いた。
ロンドンは、エスカレーターに乗った際に空ける列が日本とは逆で、こちらでは左列を空ける。しかも、ピカデリー・サーカス駅は地下深くにプラットホームがあるせいで、長いエスカレーターに二回も乗る必要があり、立つ列を間違えると大変な事になる。尚且つ、セントラルの中心駅なので、エスカレーターの両脇には、ミュージカルや売り出し中のアーティストのポスターが等間隔に貼られており、左側に立ってぼんやりとクイーンのミュージカル『ウィー・ウィル・ロック・ユー』のポスターを眺めていたら、
「ソーリー・プリーズ」と急いでいる女性に鞄をぶつけられ、慌てて右側へ移った。元々右側に居たアヤに、
「なにやってんのよ」と笑われる。ピカデリー・ラインに乗りアールズ・コート駅で乗り換え、先日と同じ様にサウス・フィールド駅でアヤが下車すると、手を振って別れた。
翌日学校で皆と話した。昨日アーセナルのチケットが入手出来なかったので、フルハムのチケットは早めに手配した方が良いと提案した。皆が賛同してくれたので、学校からチケット窓口に電話する事にした。電話での会話は相手の顔が見えず、表情で伝える事が出来ないので、意思疎通が難しいと聞いている。俺は気合を入れて電話した。
「もしもし、次のフルハムのホームゲームのチケットはまだありますか?」
「まだありますよ。メイン、バック、ゴール裏どの席が良いですか?」
「バックスタンドの席があれば、そこにしたいのですが」
「空いていますよ。何名ですか?」
「五名です。そちらに行けば買えますか?」
「はい買えますよ。場所は分かりますか?」
「調べたので分かります。今、ウインブルドンに居ますのでこれから向かいます。一時間あれば着くと思いますが、窓口は空いていますか?」
「夕方五時まで空いていますので、お越しください。」
「分かりました。よろしくお願いします」
と言い電話を切った。電話で上手に遣り取りが出来た事と、チケットが現時点では、確実に入手出来る事が判明し暫く興奮していた。日本語であれば大した内容ではない会話だが、口頭の英語だけで意思疎通が出来た事は、留学した上での大きな収穫だった。早速、購入しに行く同士を募ると、ケイさんとアヤが一緒に窓口まで行くと言ってくれた。
学校から徒歩数分の所にあるバス停から、北へ向かうバスに乗った。当時フルハムは、ウインブルドン駅から地下鉄で四駅先にある、本拠地のクレイヴン・コテージスタジアムを改修しており、北に離れたクイーンズ・パーク・レンジャーズと言うチームのスタジアムを間借りしていた。その関係なのか、チケット窓口もスタジアムに併設されているのではなく、フルハムの街角に設置されていた。先程電話で、
「ウインブルドンに居るのならば、地下鉄よりもバスで来た方が便利ですよ」と勧められた事もあり、バスでの移動を選んだのだ。
それにしても忖度抜きで、地球の歩き方という本は素晴らしく、その当時の正確な情報として、間借りの関係上、一時的にスタジアムには併設していない、個別に設置したチケット窓口の電話番号と住所が掲載されていたのである。これまで海外旅行で、この本に掲載されている情報に騙される事が多々あった為、「地球の騙し方」と揶揄していたが、今回の件を踏まえ出版社に、心の中で謝っておこうと思った。そもそも本の構成上、現地を旅した投稿者の情報に依存している部分が少なからずあり、投稿者の主観を排除できず、客観的な情報が出しにくいという縛りがあった。当時はインターネットが普及し始めた頃で、今の様にネットで何でも情報を拾える時代ではなく、紙媒体に記載された情報に、かなりの部分を頼っていた。
古いタイプの二階建てバス、通称ダブルデッカーに運良く乗れたので二階の最前席に座り、普段は見られない街の景色を眺めながらも、この間にチケットが売り切れないかと心配で心配で仕方がなかった。バスに四十五分程乗り、降りて五分歩くと直ぐにチームオフィスを見付けた。こぢんまりとしていた為、最初は素通りしてしまったのだが、何となく「怪しいな」という俺の中にある嗅覚が働き、とりあえず俺だけが入って見る事にした。中に入ると、やはりチケット窓口が奥にあった。窓口は申し訳程度にある感じで、規模も小さく、昨日のアーセナルのような強豪人気チームとの差にびっくりした。
外で待って居る二人を呼んで窓口に行くと、俺達が日本人の為か、直ぐに先程電話してきた者だと理解してくれた。早速バックスタンドの座席表を見せてくれ、空いている席を教えてくれた。自慢ではないが、ヨーロッパフットボール四大リーグ(ここでは敢えて、俺の主観のみでフランスリーグを外す。パリ・サンジェルマンのスター軍団化により、フランスリーグ『リーグアン』も含め、五大リーグと称する風潮があるが俺は認めていない。フランスリーグは他のリーグに比べまだまだ劣っていると思っている。チャンピオンズリーグを制覇するチームが多数出てくれば別だ)のうち、イングランドプレミアリーグ以外での観戦経験のある俺が主導権を握った。
「バックスタンドなら、なるべく中央辺りが良いと思う」と述べ、空いている席の中からなるべく中央辺りの席を選び、五人分の代金を支払いやっとチケットを手にした。(よし、これで俺は四大リーグ制覇だ)と心の中で握った左拳を上に突き上げたが、ケイさんとアヤはさほど喜んではおらず、アヤは、
「稲本が見られるかな?」と、女子ならではのミーハーな発言をしていたので、吉本新喜劇の如く思いっ切り転けそうになった。
帰りはウインブルドン行きの復路のバスに乗り、先程乗車したバス停の向かいで降りた。チケットを入手したお祝いで俺が、
「パブに行こうよ」と誘うとアヤが、
「ヒロポン嬉しそう」とからかい気味に言い、
「そうだね。入手出来たから行こうか」とケイさんが上手に締めてくれた。
いつものウェザースプーンでギネスを飲む。俺にとっては、アーセナルには負けたがフルハムに勝った勝利の一杯だったので、その味は格別だった。いつも以上に、キンキンに冷えている(エクストラクールな)気がした。嬉しい事があると、料理や酒の味も変わるものだなと思いながら二杯三杯とおかわりし、気付くと夕方になっていたので、ウェザースプーンを出ると解散した。
十月十八日土曜日、今日はリーズ・キャッスルに観光に行く日だ。リーズ・キャッスルは、「世界で最も愛らしい城」というキャッチフレーズで有名で、当初は要塞として建てられたのだが、後に宮殿として建て替えられ、大きな池と城の佇まいが何とも美しいとの事により、俺が観光先として選んだ経緯がある。
いつも通りウインブルドン駅で待ち合わせた。参加者は日本人のみで気が楽だった。集合してウインブルドン駅から地下鉄でヴィクトリア駅に出ると、リーズ・キャッスルの最寄り駅アシュ・フォード駅までは電車で向かった。ローカル路線の様で電車の本数は一時間に二本、乗客は少なくボックス席二席を占領し、約一時間の電車での旅を楽しく話しながら過ごした。
アヤとサトミが、途中でお菓子を皆に配り始めた。(会社のOLが昼休みの休憩室で、毎日の恒例行事としてやっている『お菓子シェアシング』だな)と思いながらも、今は学生友達として接しているが、二人とも日本では社会人を経験しているのだから、(これも二人にとっては当たり前の行動なのか)と思った。その様な事が余裕で出来る程、電車は空いており、近隣の席は全てガラガラだった。
駅に到着すると、駅前に停車しているこれまた二時間に一本しかない、リーズ・キャッスル行のバスに急いで乗る。白いラフなシャツの上に茶色いオーバーオールを着た、いかにも地元で農家をやりながらバスも運転していますといった出立の運転手が、訛りの強い英語で何か説明している。全く理解できないでいると、
「もう一度聞きたい人は手を挙げてくれ」と言ったので手を挙げ、イギリス生活八か月の実績を誇るアヤに、しっかり聞いてもらう事にした。アヤ曰く、
「『リーズ・キャッスルからの帰りのバスは三時発で、その後は二時間後になるから、気を付けて下さい』だって」との事。皆で時間には気を付けようと声を掛けた。
バスに揺られて十五分で城に到着。入口を抜けると、城と池を左手に見ながら散歩道が続き、アヒルや鴨が池で水浴びをしている。道中には綺麗な庭もあった。非常にゆったりとした空気が流れ静寂していた。ウインブルドンの通学路や学校、週末に繰り出すセントラル等、留学してからというもの、忙しない場所で過ごす事が多かったからか、田舎で育った俺は、リーズ・キャッスルの空間が非常に心地良く感じられた。観光客がさほど多くないという事も要因としてはあっただろう。散歩道を十分近くかけて歩くと、城の正門に到着した。場内に入り道順に従い進むと、角に人目に付き難い空間があった。丁度お昼の時間だったので、各自持参して来たものをそこで食べる事にした。
男三人は、そこら辺のスーパーで買ってきたサンドイッチを食べていたが、流石サトミは京女。弁当を作って持って来ていた。アヤを見ると男性陣と同じく、スーパーで買った物を食べていたので、
「君は作らないの?」とからかうと、
「うるさいなぁ」と不機嫌になったので、これ以上弄る事はやめておいた。
お腹が満たされ、少し休んでから城の見学に戻る。小さい城の割には、内部は豪華だなという感想以外、残念ながら特筆すべきものはなかった。そもそも城マニアではないので、外観は別として内部に全く興味が無いのだから仕方がない。城から出て歩くと、裏手に生垣で造られた迷路があり、皆で挑戦する事にした。チームを二つに分け負けた方が勝った方に、売店で売っているソフトクリームを奢るという罰ゲームを決めた。俺とケイさんの年長者チーム対アヤとサトミ、ヒロの若年者チームに別れた。俺はケイさんに、
「方向感覚には自信があるので、うちらが絶対勝ちますよ」と自信たっぷりに言い放った。ヨーイ・ドンで一斉にスタートする。迷路を攻略するときは、大概、分岐点に目印となる物を見付けておくのだが、生垣の迷路というのは植物なので、余程奇妙な枝振りをしていない限り、曲がり角に目印となる物がなく、思った以上にてこずった。ふと気付くと、
「おーい、ケイさん、ヒロポン」と呼ぶ声が聞こえる。声の方を向くと、迷路のどこからも見渡せる高台に、アヤ達が到着していた。
「そこ、ゴール?」と大声で聞くと、
「そう。ソフトクリーム、ごちね」とアヤが応えた。
「ヒロポン、迷路は得意だったんじゃないの?」とケイさんが笑う。俺は何も言う事が出来なかった。
ゴール地点の高台からアヤ達に誘導してもらうと、あっという間に合流した。この勝負を言い出したのは俺だからと、俺が三人分のソフトクリーム代金を支払った。
「少しあげるよ。ヒロポン」と、ニヤニヤしているアヤからお恵みの一舐めを頂いた。
「旨いね。これ」結局、俺とケイさんもそれぞれ自腹でソフトクリームを買い、皆で日向に座り日差しで温まりながら冷たいソフトクリームを食べた。
なんだかんだ言って、ここでは主たる城ではなく、従たる迷路での遊びの方が面白く、その事実に少し笑ってしまった。時計を見ると帰りのバスの発車時間まで三十分を切っていたので、ソフトクリームを食べ終わり、腰を上げて入口へと戻る。秋の暖かい日差しを受けた城と池は映えていた。バス停に戻ると車両は既に到着しており、定刻になると発車した。
バスを降りてアシュ・フォード駅のプラットホームに入ってから、電車が来るまで三十分近く待たされた。所謂単線の田舎駅なので、ホームにベンチもなれば、休憩室なんて気の利いた施設もない。ただただ、電車が来るのを立って待って居た。その結果、帰りの電車に乗ると直ぐに皆何も言わず寝た。ヴィクトリア駅に着く頃には、夕方の四時半を過ぎていた為、十分に疲れた俺とヒロはそのまま帰宅する事にした。他の三人はまだ余力があるらしく、セントラルに行くと言っていた。(体力モンスターかよ)と思いながら、同じく疲弊しきったヒロと、帰路を殆ど喋らずに帰った。当然ながらウインブルドン駅からステイ先まで、滅多に乗らないバスを利用した事は言うまでもない。
十月十九日日曜日、今日はアヤとポートベロー・マーケットに行く約束をしていた日だ。昨日リーズ・キャッスルで二人きりになった時に、ヒソヒソと待ち合わせ場所と時間を決め、ウインブルドン駅に十時集合の約束にした。アヤはウインブルドンより二駅手前にステイしているので、その駅から地下鉄に乗れば良いので、
「こっちまで戻って来させていいの?」と聞いたが、
「運動になるから良いよ。気にしないで」と言うので、アヤの言葉に素直に甘える事にした。駅の改札前で暫く広告を眺めていると、アヤが現れた。
「二人で居るのを学校の生徒に見られると、何かと面倒くさくて嫌だね」と言うと、
「そうだね。怪しまれるよね」とアヤは笑い、俺達は急いで地下鉄に乗った。
マーケットのある、ノッティング・ヒル・ゲート駅までは地下鉄で三十分程。ポートベロー―・マーケットは、骨とう品や成果、食料や古着、日用品と大通りの区画毎に店頭に並んでいる商品が異なる。駅を降りると、この有名なマーケットには観光客を含め沢山の人が訪れていて、ちょっとでも目を離すと、アヤと逸れそうだった。
ゆっくりと出店を見て回り、良い雑貨がないかと目を光らせた。駅前から中央通りの四、五区画までマーケットは続いていたので、途中出店で紅茶をテイクアウトして、ベンチに座って飲みながら休憩した。アヤに、
「欲しい物はあった?」と聞くと、
「これ、良いかもなーって思うけど、手が出ない物が多い」と笑って答えた。
「俺もそんな感じ」と笑った。
先日のレスター・スクエアでの出逢いから、俺が特別視をする様になったアヤだが、彼女に接する態度が変わった訳ではなく、純粋な友達から一緒に居て楽しい素敵な女性へと、俺の中で認識が変わっただけだった。だけという表現は不適切だが、まだ恋愛感情が芽生えた訳ではなく、「隣に居ると自然体でいられて楽だから、一緒に居る事が多い」という表現が相応しかった。この時点では。
ティーブレイクの後も、残りの店を見て回った。このマーケットに対する感想は、二人とも休憩時と同じで、購入するには何か決め手に欠ける品々が多かった。気付くと正午になり、美味しそうなパンを売っている店でパンを買い、公園のベンチで昼食休憩をとった。公園のベンチには必ず鳩がいる。奴らは人間の溢した食料を常に狙っている、質の悪いスナイパーと言っても過言ではない。こんな事を言ったら、日本野鳥の会から苦情が来るかもしれないが。
以前、マクドナルドのバリューセットを、地元の店からテイクアウトし、近くの公園で食べようとした時、既に公園に鳩が十匹程度いて、ベンチに座ると同時にその鳩達が、俺のハンバーガーの食べ溢しを狙って寄って来た。同じ様な状況を、これまでの人生で何度も経験している俺は、鳩に向かってベンチの周りに落ちていた石を投げた。すると鳩達は一旦遠くまで逃げたので、ゆっくりと食事を再開したのだが、ものの五分と経たない内に、今度は三十匹近い援軍を引き連れ、先程の鳩達が舞い戻って来た。俺はじわりじわりとその軍団に包囲されたので、石を投げて突破口を作り、マクドナルドの袋を握りしめながら逃げたという、暗い過去がある。
この苦い経験からどんなに嫌いでも、近寄る鳩に対しては何もせず無視する事にしていた。案の定、俺とアヤが食べたパンの食べカスを啄みに来たが、その暗い過去をアヤに話した上で、お互い鳩達を無視する事にした。アヤから、
「でも、なんで石なんか投げたのよ。放っておけばいいのに」と笑われた。
昼食を食べ終わってゆっくり休んでいるとアヤから、
「行きたい所があるから、付き合ってくれる?」と言われた。
「いいよ」と付いて行く事にした。マーケットから道を左に折れて、少し歩いた所に本屋があった。その本屋の前に着くと、
「『ノッティング・ヒルの恋人たち』って映画知ってる?」
「聞いた事がある」
「この本屋さんね。その映画の舞台になったの」
「思い出した、ヒュー・グラントが主演していた映画だよね」
「そう私、ヒュー・グラント大好きなの」とアヤが興奮気味に話した。そうか、アヤがポートベロー・マーケットに来たかった本当の理由は、この本屋さんだったのだなと理解した。
「一度来てみたかったんだよね」と言うと、もう用は足りたと言わんばかりに、
「行こうか」とアヤが切り出した。
駅への帰り道はマーケットを通るのではなく、マーケットと並行して走る裏通りを通った。途中、ポール・スミスの店があったので寄ろうかどうか迷った。
「軍資金が足りないから、止めておく」と言い、通り過ぎようとしたら、
「見たかったら、お金貸すよ」とアヤが言ってくれた。本当は直ぐにでも借りて、買い物をしたかったのだが、まだ滞在期間が一か月半もある中で、いつお金が必要になるか分からないと考え、
「この前、別の店舗で買ったから今日は良いよ。ありがとう」と伝えると、
「なんだ。言ってくれれば一緒に行ったのに」とアヤが言った。一瞬アヤも俺を特別視しているのかなと思ったが、優しい女性だから、そう言って話を合わせてくれたのだろうと、その発言について深く考えはしなかった。
駅までの帰り道、同じ学校の日本人学生に偶然出くわした。こちらが「まずい、噂になるかも」という表情を露骨にしたからか、向こうの女性も「見てはいけないものを見てしまった」という顔をした。学校内で挨拶を交わす事もない関係だったので、俺とアヤはそのまま何事もなかったかの様に再び歩き始めた。アヤが純粋に俺の学校友達でしかないのであれば、「まずい」と思う事もなかったのだろう。俺は、「アヤを特別な存在として意識している」と言う事に再度気付かされた。一緒にいて心地が良い為。一緒に居ると時間があっという間に過ぎる。アヤになら気を遣わずに何でも話せる。
これだけの材料が揃っているのに、意識するなと言う方が無理というものだ。(ひょっとしたら、俺と一緒に映画の舞台となった本屋を訪れたかったのかもしれないな)「俺と一緒」という事が、アヤにとって重要だったのかなと思った。
駅に着くと夕方までの時間を持て余したので、ウインブルドン駅に戻り駅前の老舗パブ、プリンセス・オブ・ウェールズに入った。お互いビールを注文し席に座ると、アヤが提案して来た。
「今度、ブライトンの友達に会いに一泊二日で遊びに行くんだ」
「そうなんだ」
「友達に会うのは、多分夕方になるから、それまでヒロポン達も一緒に行って、ブライトンで過ごさない?」
「見る所あるの?」
「うーん。普通の街だけど良い所だよ。海もあるしね」
「うちらの計画だと、十月二十五日なら予定が入っていないから、その日に行く事にしようか」
「さすがヒロポン、決めるのが早い」
「え、だって楽しそうじゃん」
「ブライトン・エクスプレスという特急があって、結構速いから、セントラルからだいたい一時間半で着くよ」
「便利だね。よし、さっそく明日みんなに話してみよう」
「ありがとう。とりあえず乾杯しよう」
「何に」と意地悪に聞いてみた。
「楽しかった今日に」とアヤは、眩しい笑顔を見せた。
ロンドン滞在第四週
十月二十日月曜日、学校で皆に会うと早速昨日のアヤからの提案を話した。参加者を募ると、韓国人は別の予定があるからと参加せず、結局ヒロを除く日本人四人となった。正直言って日本人だけで行動する方が、母国語と本音を話せるので、精神的に楽な事に気付き始めていた。だから、ソン・レイやワン・ジェイが参加せず内心ホッとした。
韓国人が嫌いという訳ではないのだが、ソン・レイによる、日本の朝鮮侵略非難演説や自意識過剰な態度及び行動等、習慣や文化が隣国であっても違い過ぎて、彼らの前では無難な発言や行動しか出来ないのは確かだ。
高校生の頃は、何故人類はお互い助け合い理解し合えず、戦争等起こすのだろうと思ったものだが、今は大人になったのでハッキリ言える。相互理解など不可能、そんなものは絵空事だ。同じ学校で、同じ学生という立場で過ごしている隣国人でさえ、心底信頼し合う事が出来ないのだ。やはり、同じ環境や文化で育った日本人にしか、腹を割って話す事は出来ない。(悲しいけど、これが現実なのよね)
その日の夕方、学校が終わりいつものようにパブでビールを飲んでいると、ケイさんが切り出した。
「実は、今のステイ先を引き払って、十一月二日の日曜日に引っ越しをする予定なんだ」
「フラットが見つかったの?」とアヤが聞くと、
「うん、ヒロポンのステイ先から五分位の所に、良い物件があってさ」
「その日、引っ越し手伝うよ」とサトミが続いた。
サトミは典型的な京女。背は高くないが容姿端麗で服のセンスも良くお洒落。それでいて優しい。あまりにも可愛いので同じクラスの韓国人から、付き合って欲しいと告白された程である。留学中に外国人から告白される事など殆どない。サトミの提案を聞くとケイさんが、
「実はちょうど今、引越しの手伝いをお願いしようと思っていたんだよね」と苦笑いした。
「何でもやるので、言ってください」とヒロが言い、俺も何か言わないと不味いかなと思ったので、
「引っ越しが終わったら、新居で盛大に引っ越し祝いをしましょう」と、いつもの飲酒が絡む提案をし、これに一同が大いに賛同した。ノリで言ったのだが。
「直ぐ近くに、セインズ・バリーって言う大型スーパーがあるから」とケイさんが補足した。
意図せず、次々と予定が埋まって行くのは楽しかった。先日、一人で買い物をした時は楽しくもあったが寂しくもあり、今後、予定のない週末をどう過ごそうかと思案していたところだった。図らずも、殆どの週末を友達と楽しく過ごす事が出来そうだ。楽しい事は沢山あった方が良いに決まっているでしょうよ。
十月二十一日火曜日の夕方になった。これから、フルハムの試合を見に行く。アヤとサトミは当然の様に、
「稲本を見られるかな?」とワクワクしているが、俺にとっては稲本なんてどうでもよく、むしろ相手チーム、ニューカッスルにいる元イングランド代表シアラーのプレイを見たかった。
授業が終わると校内のラウンジに集合した。今日も、いつもの日本人だけだったので気が楽だった。七時四十五分にキック・オフなので、時間的な余裕はあったが、なにぶんスタジアムの下見をしていない事もあり、早々に出発する事にした。ウインブルドン駅から例のごとく地下鉄に乗り、セントラル・ラインに乗り換えてホワイト・シティ駅で降りた。
これまでのフットボール観戦の経験上、最寄り駅からは人の流れについて行けば、勝手にスタジアムに着く。駅周辺には夕食を食べられる店がなかった為、スタジアム周辺で適当に摂る事とし、直でスタジアムへ向かった。歩いて十五分程でスタジアムと思わしき建物が見えたが、スタジアムの手前百メートルの所に列が出来ている。ここがスタジアムの入口かと列の先を覗いてみると、フイッシュ・アンド・チップスの店で、フットボールの観戦客が次々と購入してテイクアウトして行く。
「食べ物を買う事が出来る場所、ここしかないかもね」とケイさんが言い、皆で周囲を見回し大きく頷くと、列の最後尾に並んだ。
店は、フットボールの観戦客で大変繁盛しており、購入するまでに二十分以上待った。購入すると、他の地元サポーター同様に、酢と塩コショウ、ケチャップを多めに付けてから容器の蓋をして店を出た。店の至近距離にあるスタジアム入口のゲートでチケットを見せ中に入ると、階段を上って直ぐ通路と売店があり、スタンドへは数か所に設置された階段を更に上がると出る事が出来た。
フルハムが間借りしているこのスタジアムは、古いスタジアムの様で、剥き出しの鉄骨とコンクリートからなる簡易な造りだった。席を確認した後、売店に行って皆でビールを買い、席に持ち込み乾杯をしようとしたら係員から、
「スタンドに持ち込むのは禁止です。通路で飲んでください」と言われ、渋々、売店前の通路でラッパ飲みをした。アヤとサトミはラッパ飲みに抵抗があった為殆ど残して、「もう飲まない」と言ったので、俺の胃が全てきれいに回収した。
イギリスサポーターは残念な事に「フーリガン」で有名だ。飲酒すると余計に暴れる可能性があり、それを少しでも抑制する為の措置として、スタンドでの飲酒を禁止しているのだなと思った。日本ではまず考えられない。
遠い昔大学生時代のアルバイトで、Jリーグの試合当日、スタジアム内でのビールの売り子をしていた経験があるが、酔って絡んでくる客等はまずいなかった。殆どのお客さんが、「暑いのに大変だね」と労ってくれた。ただ、過去に酔った観客が缶をフィールドに投げ込み、それに当たって選手が負傷した為、缶のまま観客に売る事は禁止されていた。
客の目の前で、缶から紙コップに移し替えて渡す事が、各スタジアムでの販売店に義務付けられていた。その程度の規制であれば、ここロンドンに比べれば他愛のないものだ。脇道に逸れるがこのJリーグでのバイトが、当時の学生の感覚からすると、非常に面白かったので触れておく。
この、スタジアムでのバイトはJリーグが開幕した一九九三年に、当時横浜マリノスと横浜フリューゲルスのホームスタジアムであった、三ツ沢競技場での、メインスタンドとバックスタンドの通路に二か所ある売店スタッフと、スタジアムの観客席を歩いて売るビール販売スタッフ、ヤードという名のスタジアムの外通路で、ビールの販売本数を管理するスタッフで構成されていた。
当初俺は低賃金で面白くもない、別のバイトをしていた為、この「おいしい」と噂のバイトとは全くの無縁であったが、友人達の多くがここでのバイトをしており、その友人達の度重なる推薦のおかげで、社員から俺にも「やってみないか」と声が掛かり、友達からは一年遅れで従事する事が出来た。先ずはバックスタンドにある売店で、冷凍保存している商品を揚げたり蒸したりして、販売する業務に携わった。
売店で商品が売れるのは、試合前とハーフタイムのみ。それ以外の時間は客が来ず暇だったので、他のバイト仲間と話をしたり、ビールの売り子をやっている先輩に「おつまみ」を持って行ったりして時間を潰していた。(ビールを売っているのに、「おつまみ」って何だよ)と思っていたが、その後実体験する事となる。
Jリーグのチケットが入手困難という時代でもあり、バイトで雇われている女子大生は当時でいう、白百合や清泉といった3S1Fの女性が沢山居た。売店の女性スタッフは非常に華やかで、売店が忙しくない時は色々な会話を交わし遂には飲みに行く約束等もした。この事もバイトに対するモチベーションを上げる為に、一役も二役もかってくれた。売店での業務を三か月ほど続けると社員から、
「歩合制になるけど、ビールの売り子をやってみないか?」と誘われたので即決した。
売り子はどんなに売れなくても、バイト代の最低日額である八千円を保証されているが、八万円以上売り上げると、その後は売上額に比例して日額が上がる。このメリットの方が大きかった。例えば、十三万円売り上げるとバイト代の日額が一万三千円になる。交通費が支給されないバイトだったので、日額から交通費の千円を差し引いた額が、実質的な手取り額となる。
当たり前の話だが、売れないと自分のバイト代が少なくなるリスクも当然あった。しかし、何故か一試合につき十万円以上売り上げる自信があった。根拠のない自信だったが、社員の期待に応えるのではなく、自分の為に毎試合十三万円以上売り上げた。ビールの販売価格は350缶一本五百円で、一度に持って歩ける本数が二十本。それをヤードで十回補充すれば十万の売り上げになる。特に試合前が飛ぶように売れるので、そこで売り上げを確保しておく必要があった。
バイトの拘束時間は、家を出てから帰るまでの八時間。しかし、実労時間は四時から八時までの四時間しかないので、日給で一万円もらえれば交通費を差し引いても時給に換算すると二千三百円位となり、売り子はこのバイトの中でも、結果さえ出せば非常に「おいしい」業務であった。しかも、おいしい特典は他にもあった。売り子は声を張り上げないと買ってもらえない。その為、必然的にテンションを上げる必要がある。何をするか。当然目の前にあるアルコールを、人目につかない得点ボードの裏に隠れて、胃の中に一気に流し込むのだ。一時間もすれば汗であっと言う間にアルコールが切れるので、また同じ様に二本・三本とその日の体調や売れ行きに併せて消費する。
ここで飲んだビールは破損缶として扱われた。つまり、注意していたにも関わらずビールを床に落としてしまい、中身が出て売れなくなった商品(欠品)だと、ヤードのバイト仲間に報告する。
「二本欠品ね」というと意を介して、
「あいよ」と言い欠品処理をしてくれる。ここではバイトの皆がグルなのだ。
売り子の業務が忙しいのは、売店と同じで試合前とハーフタイムまで。後半に売り歩いても、ハーフタイムの盛況が嘘のように全く売れなくなる。ハッキリ言ってやるだけ無駄だ。その時間帯になると、俺と友達はメインスタンドの上方の席に陣取り、身に着けているビール販売用トレーや、スタッフ用として着用している、大きくポカリスエットと書かれた蒼く目立つエプロンを脱いで、売れ残りのビールを飲みながら、フットボール観戦をするのが毎試合の恒例となっていた。
そこで横浜マリノスの「マリノスクイーン」と横浜フリューゲルスの「フリューゲルスレディ」という華々しい女性スタッフや、近辺に居る女性サポーターを飲みに誘おうと口説いていると、売店の友達が気を利かせ、
「おつまみ持ってきたよ」と、売店で売れ残ったウインナーやたこ焼き等を毎回持って来てくれた。(これが、あの先輩の言っていた「おつまみ」ね)と納得した。
その何でもありの先輩が、数か月後に遂にやってしまった。ビール販売をしている筈の観客席ではなく、売店前の通路で商品のウインナーをつまみにビールを飲んでいるところを、社長に見つかってしまったのだ。当然の事ながら社長は激怒し、その事件以降は売店からのおつまみの供給は途絶えた。しかし、テンションを上げるために飲んだビールの欠品処理は、まだまだ可能であった。
社会人になった今にして思えば、なんとアコギな事を若い頃にしていたのだろうと思う反面、会社の危機管理体制が甘すぎたのだと思う。そのようなバイトをしていた学生はろくな社会人になっていないかと言えば決してそうではなく、バイト友達の多くは有名な一流企業で不正も横領もせずバリバリ働いている。つまりは、要領の問題でしかなかったと言う事だ。
フルハムの試合が始まるまで席で暫く待って居ると、バックスタンドにフルハムのサポーター達が集まって来た。中には、「ジャパニーズ」と俺達を指さして、珍しい物でも見るかの様な声を出すサポーターもいた。イタリアでインテルミラノ対アタランタの試合を観戦した時も同じだった。「ジャポネーゼ」とスタジアム警備員に何度も言われた。白色人種であるサポーターの中に、黄色人種の日本人観光客がいるとそれだけで浮くのだろう。俺はそう穿って解釈していたがアヤとサトミは、
「稲本がチームに居るからだよ」と笑っていた。(本当に無邪気だな。でも、その無邪気さが大切なのか知れないな)と思った。
キック・オフの時間になり試合が始まった。稲本は先発ではなく、俺が見たい敵チームニューキャッスルのアラン・シアラーは先発だった。試合はニューキャッスルのペースで展開し、いつ点が入ってもおかしくなかったが、前半は両チーム無得点で折り返した。 試合中で驚いたのは、ゴール裏に陣取っているニューキャッスルの武闘派サポーターの応援。大合唱の応援歌や「シー・ア・ラー」という大声援が止む事がない。どこからそのエネルギーが出るのか不思議だったが終始にわたり素晴らしい応援が続いた。
一方ホームのフルハムは、近くに座っていた小学校低学年くらいの可愛い少年が「ゴー・フラム」と選手達に気合を入れるが、声が可愛すぎて選手まで届かない。ゴール裏のフルハムサポーター達は、穏健で激しい応援をしない。バックスタンドに座っている近隣のサポーターも、チャンスやピンチに歓声や悲鳴を上げるが、一丸となって応援歌を歌う事もない。フルハムというチームは、土地柄なのか荒さのない紳士過ぎるチームなのだなと思った。
後半の二十分になると、アヤとサトミが待望していた稲本がウォーミングアップを始めた。「稲本出るね。写真撮らなきゃ」と二人は彼を一生懸命写真に収め、それが終わると稲本はアップを終え、後半二十五分にグラウンドに駆けだす。大きな歓声に包まれるのを見ると、同じ日本人として嫌な気はしない。むしろ喜ばしい。
二〇〇二日韓ワールドカップで活躍したものの、同じロンドンにある強豪アーセナルでは活躍できず、格下のフルハムに移籍した以上、相応の結果を残さないと次期は厳しいだろうなと思っていたが、彼のパフォーマンスは評価に値するものが殆どなく、先発ではない理由も良く分かった。それでも女子二人は「稲本頑張れ、稲本頑張れ」と応援し続けており、それを見ているだけで微笑ましく思った。二人の応援も虚しく試合は〇対一で敗れた。試合終了と共にフルハムのサポーターが続々とスタジアムから出ていく中、グラウンドを背景に記念撮影をした。スタジアム内の売店でグッズでも買おうと覗いてみたが既に閉店しており、時間も遅かったので急いで帰路に就いた。
十月二十四日金曜日。今日は皆でオペラ座の怪人を見に行く日だ。授業が終わったら、学校で集合してから直ぐにセントラルに出掛ける予定にしていたので、休み時間を利用して学校近くの公衆電話から、婚約者の尚美に電話する事にした。尚美には、俺のアパートに投函される郵便物の仕分けをお願いしていたので、何か重要なものが届いているかどうか確認すべく定期的に連絡していた。こちらに来てからこれまで二回程電話を掛けたが、特に日本の俺の周囲で変わった事は起きていない様だった。
いつもの様に時差の約十時間を踏まえ、プリペイド式のテレフォンカードで携帯に電話を掛けた。四・五回呼び出し音が鳴ると尚美が出た。
「尚美、二週間ぶり。なかなか電話できなくてごめん。何かあった変わった事はある?」
「何もないよ。こっちの事は気にしなくて良いから、そっちでの生活を楽しみなよ」(今回もそっけないなぁ)電話でしか遣り取り出来ないにも関わらず、電話先の尚美からは、俺と話せて嬉しいといった感情が伝わってこなかった。
「こっちロンドンは朝の十時だけど、日本は今何時?」
「まだ夜の八時前だよ」
「ごめんね、急に。テレビでも見ていた?」
「ボケーっとしていた。それよりビッグニュースがあるの」
「何々、どうしたん?」
「秘密にしようかなと思ったけど」
「気になるから早く教えてよ」
「実は、十一月五日から九日まで私もロンドンに行く事になりました」
「えっ、本当に?何で?」
「実はね。デパートの抽選会で、特等の五泊六日ロンドン旅行が当たったのよ」
「マジで、凄いじゃん。俺が居る時期に来るなんて、びっくりするわ」
「びっくりして私、ちびるかと思ったよ」
「ちびるなよ。せっかくこっちに来るなら、会えないかな?今のところ、十一月七日金曜日の夕方は空いているから、どう?」
「私はまだ何も予定が決まっていないから、そっちに合わせるよ。ただ、泊まるホテルが指定されていて大英博物館の傍みたいなの。ホテルの近くでどこか良い所ない?」
「大英博物館から割と近いとなると、ピカデリー・サーカスの大通り沿いにある、日本センターで待ち合わせにしない?有名な場所だから絶対に分かると思うよ」
「分かった、諸々調べておくね。また連絡くれるでしょ?」
「ごめんね、色々と調べさせて。一週間後か二週間後にまた電話をかけるよ。」
「詳細はその時で。お風呂に入るから切るね」
「そっか、ごめんね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」と尚美が言うと電話を切った。
まさか、尚美がロンドンに来るとは思わなかった。これまで数々の抽選や宝くじで、引きの強さを存分に見せつけていたので、くじ運が相当強い事は知っていたが、遂に、特等ロンドン旅行を当てるとは。こっちに尚美が来たら、友達に彼女を紹介した方が良いなと思った。
彼女は俺の婚約者にも関わらず、彼女に気を遣う事が時々あった。今回の電話もそうだ。婚約者に対して、こんなに気を遣っていて良いものかと思う事もあったが、気にしない様にしていた。
授業が終わり校内のラウンジに皆集合した。最近、ワン・ジェイと一緒に出掛ける事も、校内で見かける事も少なくなっており、この日もワン・ジェイは不参加だった。ソン・レイがその事を気にしたのか、それとも、グループ内の韓国人が自分一人になり面白くないのか、理由は分からないがこの頃新たな友達として、ソン・ギョという韓国人男性を紹介して来た。
彼は優しく紳士で体格の良い好青年だった。基本的に我々のグループと活動を共にする事はなかったが、時々、韓国人一人では行きたくないというソン・レイ先生の意向に彼が従い、金曜日や週末に我々と一緒に行動する事もあった。そのソン・ギョは今宵参加しなかったのだが、学校から出る前に、「楽しんできてください」と声を掛けてくれた。「ありがとう」と礼を言うと、早速駅に向かいながらどこで夕食を食べるか相談した。ソン・レイが嫌じゃなければ、久しぶりの日本食はどうだろうという話になり、ソン・レイに確認したところ珍しく素直に賛同したので、イギリス滞在歴イコールセントラル訪問歴も長いアヤが、
「ピカデリー・サーカス駅の裏通りに、確か日本料理のお店があったと思う」と言うので、他の店を知らない俺達は、
「そこにしよう」とアヤの提案に従う事にした。
地下鉄を乗り換えピカデリー・サーカス駅に着くと、既に日が落ちていた。真っ暗になる前に着いた方が良いと、駅を出て直ぐ店に向かうと「金太郎」という、「いかにも」な店名の日本レストランに入った。各々食べたいものを注文し、ソン・レイはアヤに勧められた生姜焼き定食を注文した。オペラ座の怪人が上演される、ハー・マジェスティーズ・シアターの入館時に、飲酒チェックがあるかもしれないと思い誰も飲酒はしなかった。劇場にバーがある事は事前に知っていたので、そこで飲めばいいだけだ。
久しぶりに日本食を食べ、満足した日本人チームと生姜焼き定食を食べ、その美味しさに感動したソン・レイ。二国民が満足した日本の夕食を食べ終わると劇場に向かった。ミュージカルを見る事なんぞ初めてだったので、早め早めの十五分前行動ならぬ三十分前行動をしていた。
ハー・マジェスティーズ・シアターは、一七〇五年に設立され、君主の性別が変わる度に劇場の名称(ヒズかハー)を変えてきた由緒ある劇場だ。その威厳は、外観からも十分に伝わってきた。劇場のホールに入ると、座席によって中へと入る出入口が異なっていた。俺達は二階席だった為、一番右端の入口を案内され他の観客と一緒に二階へ上がった。席に着く途中左手にバーがあったので、俺達の座席からバーに行ける事をきちんと確認した。(エンターテイメントとお酒はつきもの。基本でしょ)二階の席は、三階席のでっぱりが舞台に向かって斜めに下がっており、そのせいで舞台全体を見渡す事が出来なかった。(僅かなお金をケチって失敗したな)と思った。
席に座り三十分程して開演した。オペラ座の怪人のテーマ曲「ファントム・オブ・ジ・オペラ」を男女二人が交互に歌うシーンが素晴らしく、引き込まれていった。正直に言うと、これまでミュージカルというものを小馬鹿にしていた。何で歌って踊るのかと。どっちかにしなさいと。しかし、オペラ座の怪人を見てミュージカルに対する見解が百八十度変わった。(ミュージカルって最高ですね)
前半が終わると、二十分の休憩があり「バーに飲みに行かない?」と誘ったら、ヒロだけが付いて来た。席に座っているソン・レイの頭を撫でると、ソン・レイが不機嫌な顔をして、俺達がバーに消えるまでずっと見ていた。
「ヒロポンさん、韓国人の頭は触らない方が良いですよ」
「なんで?」
「日本では何とも思われないけど、韓国ではちょっとした嫌がらせに当たるみたいですよ。俺も友達にやったら、キレられてしまいました」
「そうなんだ。それでソン・レイは俺をずっと見ていたのか。今後は気を付けるよ。ヒロ、教えてくれてありがとう」と異文化交流の難しさを実感していると、直ぐにバーカウンターに着いた。俺は赤ワインを注文しヒロは、
「タップ・ウォーター・プリーズ」と言った。
(マジかよ。よくこのハー・マジェスティーズ・シアターのバーで、「無料の水道水を下さい」と言えるなぁ)と呆れているとバーテンダーが、
「ノー・タップ・ウォーター」と皮肉を込めて返してきた。明らかなブラックジョークだ。食い下がる事を知らないヒロが、
「プリーズ」と言うと、
「オーケー。イッツ・ア・ジョーク」と苦笑しながら、水道水をコップに汲みヒロに渡した。
この遣り取りはある意味凄いなと思いながら、バーのテラスに出てロンドン中心部の夜の空気を味わいながら、ワインを口に運ぶ。隣で無邪気な少年が水道水で喉の渇きを癒す。このまま夜の街の空気を体一杯に染み込ませたかったが、後半が始まるので約十分程度で席に戻った。今度はソン・レイの頭を触る事はしなかった。
後半は、最後にかけての盛り上がりが素晴らしく、幕が閉じると拍手と共に、生まれて初めてスタンディングオベーションをしていた。観劇で感動する事により、イギリス紳士にでもなった様な気分を味わえた。終演後も余韻が三十分以上続き(俺はもう、あんなに馬鹿にしていたミュージカルの虜になってしまったな)と思った。余韻が体から抜けきらない中、夜のピカデリー・サーカス周辺で記念撮影をした。俺だけではなく、皆も劇を見終えたばかりで興奮している様だった。
(この写真を帰国後現像すると、俺の顔は陶酔しきった顔になっているだろうな。一緒に撮影したアヤとソン・レイにも焼き増しして、渡す事になるだろうから恥ずかしいな。まあいいか。その時俺はもう日本に居る訳だしね)
皆でひとしきり記念撮影を済ますと帰路に就いた。ピカデリー・サーカス駅から、プラットホームまでの長いエスカレーターに乗る頃には、観劇の興奮も駅構内の冷気と共に覚め、俺は「ウィー・ウィル・ロック・ユー」のミュージカルのポスターにまた釘付けになった。(おそらくクイーンのボーカル、フレディー・マーキュリーの生涯をテーマにしたミュージカルなのだろうな。ロンドンにいる間に、もっと色々なミュージカルを見に行きたいな)日本では全く考えられなかった、価値観の変化が生じていた。
十月二十五日土曜日、今日はヒロを除いた日本チーム人で、アヤが八か月滞在していたブライトンに行く。ウインブルドン駅からヴィクトリア駅に出て、そこから特急のブライトン・エクスプレスに乗った。アヤによると、所要時間は一時間程度だと言う。車内は綺麗で最新鋭の車両の様だった。車窓は大きく、南部イギリスの風光明媚な景色を、確実に視野に捉えられる様になっていた。ブライトンの見どころをアヤに聞くと、
「リゾート地ならではの美しい海、狭い小路に所狭しと並ぶ可愛いお店」との事だった。他愛もない会話をし、気付くと特急はブライトン駅に滑り込んでいた。
ブライトン駅から、海までの道中に例の可愛いお店があるとの事で、それらの小さな店をウインドーショッピングしながら歩いた。海までは徒歩十五分程で着き、海の左手沖合を見ると観覧車が見えた。
「あの観覧車は何?」とアヤに聞いてみると、
「あそこは遊園地だよ」との事。
「皆で行かない?」と提案したが、
「近く見えても意外と遠いんだよ。あと、アトラクションも子供向けのものが多く、大人は楽しめないと思うよ」とハッキリ断言された。仕方なく、そのまま秋の日差しを浴びながら、穏やかな海でのんびりとした時間を過ごした。
暫く浜辺で休んでいると、次第に強く冷たい海風が吹いてきたので、海から移動しながら昼食を食べる店をアヤに選んでもらう事にした。先日、アヤが俺に提案した際に言った通り、確かに何もないかもしれないが、フットボールにミュージカルと、特に最近、近代のエンターテイメントに触れる事が多かった為、ロンドンに来てからはゆっくりと時間の流れる場所で過ごす週末に飢えていた。先日のリーズ・キャッスル同様、俺にとってブライトンという街を訪問した事は、良い気分転換になり、アヤにブライトン訪問を提案してもらえて良かったなと思った。
「お昼なんだけど、イギリス料理じゃない方が良いでしょ?」とアヤが聞いてきたので、
「うん。美味しければ何でもいいよ」と何でも良いと言っておきながらも、きちんとハードルは上げておいた。
「中華なら安くて美味しいお店あるんだけど、行ってみる?」
「よし、任せた。行ってみよう」ケイさんが皆を代表して答えた。
中華料理店に入ると人気店の様で混んでいたが、運よく円卓の席が一つ空いており、待たずに四人で座る事が出来た。先程のケイさんの「任せた」には、何を食べるのかも任せるという意味合いがあったので席に着くと、
「アヤ、オーダーも任せた」と、アヤに振ってから彼女の反応を見る。
「はいはい。そうくると思ったよ」と俺達の意を解し、ホイコーローと小籠包、チンジャオロースと人数分のライス、ポットの中国茶を注文した。
混んではいたが二十分程で料理が来たので、皆で取り分けて美味しく食べた。この店は店員、特にウエイターとウエイトレスの接客態度が良く、気持ち良く食事を摂る事が出来た。しかし、卒業旅行の時にロンドンのソーホーにある中華料理店に食べに行った際は、最悪の思い出しか残らなかった。その店は、安く美味しいと評判だったので入店したのだが、オーダーを取りに来る時も配膳する時も、必ず中国人ウエイターが舌打ちをするのだ。それでいて配膳した料理のタレや調味料、スープ等をテーブルに溢しても、素知らぬ顔をして対応しない。ケチャップを持って来て欲しいと頼むと再度舌打ちをし、頼んでから十分以上経ちやっと持って来る様な有様だった。
この時、もうイギリスでは二度と中華料理店には行かないと誓っていたが、その誓いもすっかり忘れここブライトンの店に入ってやっと、イギリスの中華料理店で働くウエイター達に対する認識が変わった。何事もそうだが、一度の経験だけで判断してはいけない。数回繰り返し経験して初めて、正確な判断が出来るのだと思う。ただあのソーホーにある店は、立地が良く努力をしなくても勝手に客が来てくれるので、絶対に胡坐をかいている。よって今後も改善される事は無いだろう。
何故、皆で中華料理を食べている時に、この様な事を真面目に考えているのだろうと馬鹿馬鹿しくなってくると、丁度良いタイミングでポットのお茶が来た。蒸らし方にコツがあるらしく、アヤが説明しながら実演してくれた。そのおかげで初めて飲むこのお茶が大変美味しく、追加でもう一ポットオーダーし、全て飲み終える頃には中華料理の脂っぽさをお茶が見事に消してくれていた。
昼食を食べ終わるとブライトンの街を散策した。少し歩くと大きなスーパーがあり、この日友人宅で一泊すると言うアヤは歯磨き等の日用品を買う為、暫くサトミと一緒に買い物を始めた。俺とケイさんは特に買う物もないので、店の外に出た。
「ブライトンって、意外と何もないんですね」と俺が言うと、
「でも、こういう感じも良いんじゃない?」とケイさんが好意的な発言をする。
「確かにこののんびりとした雰囲気は良いですよね。でもこの街に、よくアヤは八か月もいたなって思いますけどね」
「うん。俺も長期滞在しろと言われたら、ちょっと厳しいかな」アヤがいない所で、ブライトンに対する素直な感想を話し終えると、二人が戻って来てサトミが言った。
「次は靴見たいんだけど良い?アヤが良い店教えてくれるって」靴に造詣の深い俺は、大いに賛同して行こう行こうと囃し立てた。スーパーから五分程歩くとアヤがオススメする靴屋があった。店内は非常に混んでいてゆっくり選ぶ事が出来なかったが、偶々目の前に陳列してあった靴にビビッと来た。値段は決して安くはないが、作りのしっかりとした良い革靴だった。先日、ロンドンで靴を買っていなければ間違いなく購入していたであろう。俺を見て直ぐに状況を察知したアヤがにやけながら、
「お金貸そうか?」と言って来たが、靴を二足も日本に持って帰るにはスーツケースが小さく余裕がないと断った。
ロンドンで買った靴は、靴紐の無いスリップオンタイプで履き心地が良く、見た目もシンプルなのでどんな服にも合わせ易いだろうと思い購入した。しかし、ブライトンで靴屋に来る事など想定していなかった中で、偶々、デザインが格好良く高級感も兼ね備えた革靴に巡り合ってしまい、ショックからガクッと肩を落とした。(ロンドンの靴屋はいつでも行けるのだから、時季を見れば良かった。我過てり)
この世の中は縁が全てだと思っている。欲しいと思った時に目の前に現れた物が縁のある物で、お金がない時や興味がない時に現れる物とは、残念ながら縁はない。人間関係も同じで、縁があればその相手との関係は、自然と上手く回って行く。なければ、どう頑張っても「そこら辺の人」以上の関係にはなれない。だとすれば、婚約者が居るにも関わらず、自然とアヤを特別視し好意を抱いている事、これ即ち縁ではないのだろうか。まあ良い、縁さえあればなる様になるだろうと、ここでもアヤとの関係について深く考えない事にした。
時計を見ると三時四十五分、ブライトン・エクスプレスは四時に発車する。急いで駅へ向かったが、アヤ曰く、今居る場所から駅までは徒歩で十五分程かかるとの事で、しかも上り坂が続くらしい。力を絞り出して駅に向かってダッシュする。ロンドンに来てからは、学校までの通学路を往復五十分かけて歩くだけで、その他は運動らしい運動を一切していない為、思いの他ダッシュがきつく俺とサトミは疲れて二回ほど休んだ。その度にアヤが、
「間に合わないよ。ダッシュダッシュ」と笑いながら急かす。セレブなケイさんは語学学校入校と同時に、学校の傍にあるスポーツジムに毎日通っているので、これぐらいのダッシュは何てことはなく、
「ヒロポン、サトミ、ダッシュダッシュ」と前方から余裕の表情で檄を飛ばしてくる。
発車まで残り二分になりようやく駅舎が見えた。足が縺れそうになりながらも駅に辿り着き、発車一分前に改札を通り抜け、改札で見送るアヤに手を振り急いで乗車した。
ロンドン滞在第五週
十月二十九日水曜日、学校帰りにいつものウェザースプーンに行った。入口に警備服を着た体格の良い黒人が立っていたが特に気にせず店内に入り、俺とケイさん、アヤでテーブルを確保して暫く他のメンバーが来るのを待って居た。しかし、サトミやヒロ達がいつまで待っても来ない。するとアヤの携帯に、
「パスポートを見せて年齢を証明しないと、入れてくれないの。どうしよう」と、サトミが公衆電話から電話してきた。二つの入口に警備員が一人ずついて、未成年者と思われる入店者に年齢確認を行っているとの事だった。(さっきの黒人は警備員だったのか。俺達三人は成人に見えたから、何も言ってこなかった訳ね)
我々が入口に行き、サトミたちの目の前で彼女等の年齢を、警備員に証明した。
「彼らは学校の友達で、二十歳以上で間違いない」と証言しても、学校が発行した生年月日が記載された学生証を見せても、
「パスポートを見せてもらわないと、中には入れない」の一点張りだった。我々にとって非常に大切なパスポートの様な貴重品は常日頃から持ち歩かない。
日本人というよりもアジア系黄色人種は、欧米のアングロサクソン系白色人種に比べ、実年齢より非常に若くみられる。日頃からこのパブに出入りしていた俺等の事を、未成年ではないかと思った誰かが店に忠告し、店の取った対応として、この様な年齢確認の為の警備員を入口に配置したのだろう。そうでもなければ配置する必要性がない。パスポートという決定的な証明書がなく、諦めた俺達は駅前の老舗パブ、プリンセス・オブ・ウェールズに店を変える事にした。この日以降、毎日の様に入り浸っていたウェザースプーンへは、入口に警備員が居ない日にしか入店しなくなった。
十一月一日土曜日、今日は珍しく予定の無い週末だった。ゆっくり起きて朝食を食べ九時半にはステイ先を出た。友達になって直ぐにケイさんとアヤから教えてもらった、ウインブルドンの隣駅レインズ・パーク駅前にあるネットカフェに行きその足でセントラルへ出て、数軒あるチケット屋でアーセナルの試合のチケットを値引き交渉し、値引き額によっては即購入するつもりでいた。ネットカフェに着くと、カフェにある公衆電話から尚美に電話をした。今回は三・四回の呼び出し音で出た。
「もしもし、尚美。こっちは朝の十時だけど、そっちは夜の八時ぐらいかな?」
「そう八時だよ。今丁度、読書をしていた」
「いつも夜にごめんね。それで、来週七日の金曜日なんだけど、友達と一緒にピカデリー・サーカス周辺でご飯食べない?皆にも尚美を紹介したいから、どうかな?」
「私は全然構わないけど、友達が嫌がるんじゃないの?」
「まだ話をしていないけど、皆良い人だから大丈夫だよ。本当に尚美さえ嫌じゃなきゃ」
「私は大丈夫。それでね、日本センター調べてみたよ。本当にピカデリー・サーカス駅の傍なんだね。あそこなら私でも行けると思う。それで何時に行けばいい?」
「尚美さえ良ければ、五時半に集合しない?もうこっちは、その時間でも真っ暗になるからさ」
「わかったよ。広之はその日以外だと授業があって、私の観光に付き合えないんだよね?」
「ごめんね。今さ、アドバンスドっていう上位の難しいクラスに昇級したばかりで、授業について行くのがやっとだし、毎日夕方の四時半まで授業が入ってるんだ」
「わかった。会社のお金半分もらって勉強しに行っているんだから、しっかり勉強してね。私の事は気にしないで良いから」
「本当にごめんね。じゃあ当日よろしく。気を付けてこっちに来てね」と言い電話を切ったが、最後に言われた言葉が胸に刺さった。会社から半分出資されている事をすっかり忘れ、平日の授業後にロンドンのエンターテイメントに勤しみ、ほぼ毎日授業終わりにイギリスの乾燥した空気で乾いた喉をギネスで潤していた。
短い国際電話を終えると、インターネットカフェから、会社に研修の進捗状況を報告した。休日の夜中なので上司が開封する筈もないが、真面目に研修を行っている成果として、上級のクラスに昇級出来た事を前面に出しつつ、学校での授業等について大まかなに触れた。
昇級した事を大々的に報告したのは、パブに通っていてもエンターテイメントを愉しんでいても、きちんと毎日勉強をし、テストで好成績を収めないと昇級できず、クラスの全員が上がれる訳ではない事を自分に言い聞かせる意図もあった。異国の地で頑張る社員の姿を連想しやすい様、細心の注意を払い記載した。
次に、友人宛にロンドンで仲良くなった友達の事や、週末に出掛けた場所、今後の予定等を知らせた。会社に送った内容とは真逆過ぎて、打っている最中に失笑してしまった。友達に一斉送信すると、中にはメールを偶々開いている友達もいて直ぐに返事が来た。暫く遣り取りし、気付くとインターネットカフェでの利用制限時間である一時間になろうとしていたので、友人にまた連絡すると返信し、インターネットカフェを後にした。
時刻は丁度十二時過ぎ。お腹がすいたのでインターネットカフェの斜向かいにあるパブで昼食を食べる事にした。土曜日の正午のせいか、それともロンドンの郊外であるウインブルドンの外れにある住宅街のせいか、パブには殆ど客が入っていなかった。最寄り駅のレインズ・パーク駅は、うっそうとした樹木に囲まれ陰鬱とした雰囲気を漂わせている為、駅周辺はもの寂しい感じがする。その事を考慮してなのか、パブの内装は黄色を基調としたポップな壁紙が貼られ、店内が明るくなる様工夫されており、明るい店内の明るい窓際の席に腰を下ろすと、快晴の秋の日差しが燦々と席に降り注いだ。十月下旬の暑過ぎず照り過ぎない、心地の良い太陽光をたっぷり浴びながらビールを飲み昼食をゆっくりと食べた。
昼食を食べ終わると一時を過ぎていた。セントラルに繰り出すにはまだまだ時間があり、出たとしても必ず時間を持て余す。仕方なく一旦ステイ先に戻り自主的に英語の勉強に取り組んだ。幸いホストファミリーは誰も居なかったので、いつもであれば「うるさい」と怒られる音量でテレビを見てヒアリング能力を鍛え、駅前でもらった無料の新聞のスポーツ欄だけ読んだ。
そうこうしていると、三時になりファミリーが帰って来たので、尚美との待ち合わせ場所の下見を兼ね、ピカデリー・サーカスの日本センターに向けて出かけた。ステイ先から徒歩二分程の所に、ウインブルドン駅行のバス停がある。疲れていない時は利用せず駅まで歩くのだが、午前中にインターネットカフェに行き、午後は勉強に集中して取り組んでいた為歩く気力がなく、久しぶりに昼間にバスを利用する事とした。
ロンドンのバスは、時間通りに来る事が殆どなく、バス停で待って居る時間があれば、駅まで歩けたなと後悔する事が多々ある。その様なバス事情もあり、さほど昼間にバスを利用しないのだが、今日はどんなに待たされても構わないので駅まで歩きたくなかった。どうせセントラルまでの道中歩かざるを得ないのだ。
いつもの様にいい加減な時間にバスが来て、それに怒りもせず乗る。道路が混んでいなかったのでウインブルドン駅まで五分で着いた。いつもの様に駅から地下鉄に乗りアールズ・コート駅で乗り換え、ピカデリー・サーカス駅で降りる。駅から徒歩二分で日本センターに着いた。ここに下見に来たのは、尚美との待ち合わせ場所に指定した以上は、どんな場所で、どうやって尚美が時間を潰せそうかを確かめておきたかったからだ。
日本センターは、地球の歩き方という冊子をそのまま建物にしたような施設で、日本人向けの観光情報やエンターテイメント情報を発信しており、観光地やエンターテイメントによっては、予約やチケットの手配も受け付けていた。俺は、せっかく英語圏に来たのであれば、自分の英語力を高める為にも自力で何でもやりたいと思っていたので、ここは俺には全く必要のない場所だと分かった。(今後も待ち合わせ場所として使うだけだろうな)と思いながら内部を見て廻った。
ひと通り施設を見終わると外へ出た。日本センターと同じ通り沿いにチケット屋があったので入ってみる。「こんにちは」と英語で話し掛けると、驚いた事に受付の女性はなんと日本人だった。
「日本語で話しても大丈夫ですか?」と尋ねると、
「いいですよ」と言ってくれたので、日本語で遣り取りをした。やはり、アーセナルのチケットは人気らしく、先日アヤと行ったスタジアム併設のチケット窓口以外、つまり私設のチケット屋ではどこで買っても結構な金額になると言う。因みに一番安く「危険な」ゴール裏の席でも一万二千円すると言われた。この値段は、通常販売価格の約四倍で、しかもアーセナルの対戦相手アウェーチームのゴール裏だ。危険な匂いがプンプンしたので購入しなかったが受付の女性からは、
「まだ売り切れそうにないから、気が変わったら来てね」と言われ、(俺等サッカー好きの日本人が、カモ扱いされているな)と思いながら店を出た。店を出ると何気なくアヤの携帯に電話した。
「もしもし、アヤ。俺だけど、今大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」
「さっきまで、セントラルにあるフットボールのチケット屋に居たんだけどさ」
「うん、それで」
「アーセナルの試合を、ゴール裏で一万二千円払って見たい?」
「この前、フットボール見たから、そこまで出して見なくて良いかな」(アーセナルとフルハムの格の違いが分かっていないな)と思いながらも、
「そうだよね。高いよね」
「うん、ちょっとね。ひょっとして一人でセントラルに居るの?」
「そうだよ。午前中レインズ・パークのインターネットネットカフェに行って、その後ステイ先で勉強して、今セントラルに来ているという訳の分からない行動をしている」
「言ってくれれば、一緒にセントラルに行ったのに」
「ごめん。アヤは予定が入っているかなと思って。ありがとう」
「お昼はどうしたの?」
「レインズ・パークのパブで食べた」
「どうだった?」
「なかなか小洒落ていて良かったよ。」
「そうなんだ。とりあえずチケットは買わなくても良いんじゃない?」
「うん、そうするよ。ありがとう、じゃあまたね」と言い電話を切った。
特段フットボールに興味のある女性以外は、アーセナルだとかチェルシーだとか、ロンドンに本拠地のある強豪チームを見たいという願望がないのだろう。普通はフルハムという稲本がいるチームの試合を見れば、それで十分なのだ。
俺は以前ロンドンを訪れた際、ワールドカップ最終予選の期日と滞在日が偶々重なったので、フットボールの聖地ウェンブリー・スタジアムで、イングランド代表対イタリア代表の試合を見に行こうとした。しかし、その日泊まった宿屋に「チケットはとっくに完売したよ」とガセネタを掴まされ、仕方なくスポーツパブで試合を観戦した。しかし、その後バルセロナで知り合ったフットボール好きの旅行者から聞いた話では、実は当日チケットが余っていて、その旅行者は実際に当日チケット窓口で購入して、メインスタンドでその試合を見たという。
その後、チケットの入手に関しては自ら動く事とし、他人の噂話等を一切信じない事にした。必ずスタジアムのチケット窓口に赴き、そこで入手できない場合はダフ屋から買って観戦した。ドイツのブンデスリーガ―のフライブルグ対カイザー・スラウテルンの試合は、実際にダフ屋から買って観戦した。俺はそこまでしてまでフットボールの試合を見たいのである。大好きなフットボールの試合を見る為ならいくらでも情熱を注ぐ。
セントラルからの帰路、非常に迷っていた。アヤに相談して結論が出た筈なのに、買うべきか否かで。金額よりも、アウェーチームのゴール裏というのが気になった。ゴール裏は日本のJリーグでもそうだが、熱狂的なサポーターが陣取る場所。つまり、不要なトラブルに巻き込まれやすい席だ。(君子危うきに近寄らずか)地下鉄がウインブルドン駅に到着する頃、やっと意思を固める事が出来た。
ロンドンの十一月の宵は日本のそれと違い、暗闇が持つ一種の暖かさが一切なく、少しでも気を抜くと、喉元を抉られる様な危険な香りが漂う。闇はあらゆる物を隠し去る、文字通り「闇」だった。その為、日本の夜道とは違い油断が出来ない。治安の良いと言われているウインブルドンでも、夜の一人歩きには注意しないといけない。男性である俺でも暗い時は、駅からステイ先までバスを利用する様になった。それでも、バス停からステイ先までは歩かざるを得なかった為、その間は緊張しながら歩いた。
十一月二日日曜日、今日はケイさんの引っ越しを手伝う日だ。午前十時、駅前にケイさんと俺とアヤ、ヒロの四人が集合し、バスでケイさんのステイ先に向かう。ケイさんのステイ先は、所謂デラックス・ステイというグレードで、滞在費が我々の約1・5倍だが、高級住宅街でもあるウインブルドンの閑静な豪邸にステイする事が出来る。
ケイさんのステイ先もご多分に漏れず、非常に豪華なお宅だった。部屋のある二階にも風呂と便所があり、ステイしていた間二階はケイさんが占用していたという。我々が日頃受けている、あらゆる縛りが無いにも関わらず、何故こんなに素晴らしいステイ先を引き払うのか理解が出来なかったが、ケイさん曰く「せっかくロンドンに来たのだから一人で自由に暮らしたい」との事だった。俺にしてみればステイ先の近くに、ケイさんの住むフラットがある事で飲みの拠点が近くに出来るし、帰り道もケイさんと途中まで一緒なので、バスに乗らずとも安全が確保されるというメリットがあった。
ケイさんのステイ先で何をすれば良いか迷っていたら、ケイさんから「段ボールを一人一箱持って欲しい」と依頼された。段ボール箱を各々持ち、バスに乗り継ぎ巨大スーパー、セインズ・バリーの前で降りた。そこから、俺のステイ先に向かって徒歩三分でケイさんの新居であるフラットに着く。部屋の中を早速見せてもらう事にした。
ケイさんが住むのは二階建ての二階部分で、一階も同じ間取りで、若いイギリス人女性が住んでいると言う。肝心の間取りは1LDKで風呂と便所が一緒にあり、リビングダイニングは広く十五畳ほどあった。寝室は六畳といったところか。
「ケイさん、もう一往復するでしょ」と聞くと、
「これで終わりだよ」と言われ、
「もう、いいの?」と呆気に取られていると、
「引っ越し祝いしようよ」とアヤが切りだした。
「さっきバスを降りたところにある、セインズ・バリーに何でも売っているから」とケイさんが言う。早速、巨大スーパーに行き食料とお酒を仕込む。ワインは沢山種類があり何にしようか迷ったが、ケース(六本)で買うとお得だった為ケース買いした。
ケイさんのフラットに買い出しから戻って来ると、早速安売りされていたカーリングという缶ビールで乾杯をし、スーパーで買ったお惣菜をつまみに飲み始めた。しかし、ビールと言うアルコール度数の低い飲料は皆が直ぐに飲み干してしまったので、(もっと多めに買えば良かったな、安かったし)と後悔した。俺は、前々から婚約者の尚美との会食について、いつ皆に切り出そうかと考えていたので、酔いが回る前に皆に話した。
「話す機会がなかったけど、実は俺さ、婚約者がいるんだよね」
「へーそうなんだ。いつ結婚するの?」とアヤが聞いてきた。
「まだ、いつって決まってはいないんだけど。それでさ、偶々来週ロンドンに来るって言うんだよ。デパートの抽選会で特等のロンドン旅行を当てたらしいんだ」
「へー、凄いね。くじ運相当強いんだね」とケイさん。
「それで、七日の夕方に彼女と会うんだけど、皆もどうかなと思って。皆に彼女を紹介したいんだ」
「ヒロポンさんの彼女に、俺たちが会ってもいいんですか?」
「彼女とセントラルで夕ご飯を食べる事にしているから、皆も一緒にどうかなと思って」
「私は良いよ。後でサトミにも聞いてみる」とアヤ。
「ありがとう。ケイさんとヒロはどう?」
「特に予定もないし、良いよ」とケイさん。
「ヒロポンさんの婚約者見てみたいです」とヒロ。
「じゃあサトミにも声を掛けて、日本人だけで夕食を食べに行こう。ピカデリーの日本センターで待ち合わせしているから、当日向こうの要望を聞いて店を決めよう」
「了解。七日の夕方ね。空けておくよ」皆が快諾してくれて安心した。
「でさあ、ヒロポンの婚約者ってどんな人?」と、皆が聞いてきたので、大まかな情報を無償で提供した。十分に説明し、皆の脳みそがアルコールで麻痺してきた頃やっと皆の野次馬根性が消えた。これで今日も張り切って飲める態勢になった。
この部屋には四人しか居ないのに、ワインを六本買ったという事は飲める俺とケイさん、アヤが消費しなくてはならないという事だ。ヒロはビールで潰れる為無理をさせる事は出来ない。まだ時刻は二時半。購入して来た赤ワインを空け当然の様に飲み始める。今日は日本人だけ、しかもケイさんのフラットなので邪魔者は誰もいない。ゆっくりと気楽に飲める。その雰囲気がさせたのか、スイーツの関係でセントラルに出掛ける予定があり、初めから参加出来なかったサトミが到着した四時頃には、CDでミスター・チルドレンの「抱きしめたい」を聴きながら、俺とアヤが並んで座り大合唱をする程に出来上がっていた。
優しいサトミはサトミで場の空気を察し、とっくに出来上がっている我々に追いつこうと、ワインをいつもより速いペースで飲み、直ぐに追いつく事に短時間で成功させる。サトミは酔っぱらうと、マーケットで買って来たブーツを自慢げに見せた。
「安くてこの品質だよ。凄くない」と言い終わるかどうかというタイミングで、酔っぱらったヒロが赤ワインがなみなみと注がれたグラスを倒し、サトミご自慢の新品のブーツに満遍なくワインをぶっかけた。
「もう、何をしているのよ」とサトミが怒る。当たり前だ。
「すみません」とヒロが謝りながら、ワインを拭き取る為のタオルを探し始めるとケイさんが、
「引っ越しの荷物の中にあると思う。探すから二人とも手伝って」とサトミとヒロを連れ、荷物の置いてある寝室へ向かった。
酔っぱらっているからか、このフラットの自由な雰囲気がそうさせたのか分からないが、三人が部屋から出ると、
「俺、アヤの事好きだよ」という言葉がごく自然に出た。
「私も」とアヤが言ったか言わないかの内に、二人は唇を重ねていた。アヤの厚い唇は柔らかく、その唇に俺の全てが包み込まれているかの様に心地良い。アヤの舌は暖かく絡める度に適度な快感が体中を走った。唇を離し見つめ合うと再度キスをした。右手でアヤの左手を探り、見付けると舌だけではなく手と手も絡めた。そのままアヤを抱き締めようと思ったが、三人が戻って来る気配がしたので唇と手を離し、座っている位置も心も元の距離に戻した。
三人が戻って来ると、特に異変に気付いた様子を見せなかったので安心した。しかし、学生時代の経験上ケイさんとサトミは何か感じ取っていたのではないかと思う。大学生時代に友達と俺、女の子の三人で友人宅にて遊んでいた際、友達がコンビニに行った隙を狙って、俺が女の子とキスをしたり愛撫したりイチャついた事がある。その時、コンビニから帰って来た友達は何食わぬ顔をしていたが、後日「お前、あの時イチャついていただろう」と、ズバリ指摘された経験がある。この事からも俺は分かっていた。この時少なくともケイさんとサトミは、部屋に漂う甘ったるい空気と、その空気を作り出した人物が誰なのかを知っていた。優しい二人は素知らぬふりをしてくれたのだ。ヒロは鈍感なので本当に気付いていなかったと思う。
夕方四時半、皆がステイ先に「今夜の夕食はいりません」という、ホームステイの重大約束事である連絡をし始めた。俺も不要な時はする約束になっていたが、酔っぱらい過ぎて気が大きくなっていた為連絡をしなかった(大丈夫でしょうよ)
二時半から開始して二時間でワインを一本半以上飲み、皆が電話をかけ終わる頃俺は便所に駆け込んだ。十分程籠って嘔吐していると、アヤが施錠されていない便所に入って来て背中を摩ってくれた。吐き気がひと段落すると便所で再度キスをし、
「吐いたばかりなのに、平気?」とアヤに聞いた。
「気にしないから大丈夫だよ」と言ってくれた。再度嘔吐の第二波がやって来るまでの間、アヤとキスをしているとアヤも施錠をせずに入って来たらしく、心配して見に来たケイさんに目撃された。ケイさんは、
「お前らはまったく」と呆れて、
「鍵かけなよ」と笑いながら去って行った。やばいケイさんにはこれで、お互いに好きという感情があり酔っぱらった勢いでキスをしている訳ではないという事が確実にバレた。
それにしても、吐いた直後にキスをしても嫌がられなかった事が嬉しくもあり、良い意味で衝撃だった。婚約者の尚美なら絶対にしてはくれない。「うがいして歯を磨いてからにしてよ」と嫌悪感丸出しで言う。
やっと便所から解放されると、今度はソファーに横になった。その後の事はあまり覚えていないが、アヤがソファーの前に来たのでアヤの手を握りながら、
「アヤ・・・アヤ・・・」と呟いていたらしい。もうここら辺で誰が見ても俺とアヤの関係は、十分過ぎる程怪しいだろう。暫く、全員の酔い具合を見極めていたケイさんは、サトミが自力で帰宅出来なそうだった為、彼女をケイさん宅に宿泊させる事にし、俺達三人は一人で帰れるでしょうと八時頃に散会させた。俺達は各々帰路に就くことにした。
俺は吐き気と頭痛でクラクラしながらステイ先に向かって歩いていたが、後ろで見ていたアヤとヒロから、
「ヒロポン大丈夫?すごい千鳥足だけど」と聞かれるが、「大丈夫」と返す余裕すらなく手を挙げて返答し、あっち行ったりこっち行ったりしながら帰った。帰宅しても吐き気が凄く、便所兼浴室で激しく嘔吐していると生粋のニート、マークが心配して声を掛けてきた。
「飲み過ぎたの?」
「違う。具合が悪いだけだよ」と見え透いた嘘をついた。
「大事にしてね」
「ありがとう」と伝えると、着替えて直ぐにベッドに滑り込んだ。その後夜中に嘔吐する事はなく、朝まで眠る事が出来た。
翌朝、ダイニングでリンに会うと開口一番怒られた。
「昨夜、夕食いらないなら、何故電話してこなかったの?」
「ごめんなさい。すっかり忘れていました」
「ホームステイの約束書にもきちんと書いてある事だから、守ってちょうだい」
「もうしません。大変申し訳ありませんでした」
「食事は捨てれば良いだけだけど、全てにコストが掛かっているんだからね」
「はい、わかっています。申し訳ございません」リンは言いたい事を全て俺にぶちまけると、やっと機嫌を取り戻し、
「朝食はどうする?」と聞いてきた。
「食べられないし体調が悪いので、今日は学校を休むよ」と伝えると、直ぐに自室に戻り昼までぐっすり寝た。昼過ぎに起きると、
「朝食に用意したものを温めるから食べなさい」と言われありがたく昼食を頂いた。食事を摂ってもまだ体調が優れなかったので、リンにお礼を言い午後からも同じ様に寝た。
イギリスに来たからと言って、二日酔いの症状が変わる訳ではない。俺はお酒を沢山飲めるのだが、セーブが出来ず止めてくれる人や物事がないと、往々にして飲み過ぎてしまい酷い二日酔いになる。年に四回は酷い二日酔いになるので、自分の中で「季節行事」と呼んでいた。
その季節行事は、飲酒後夜中に帰宅しお風呂に入って寝た後に催される。まず、夜中の一時頃から強い吐き気をもよおし、便所で嘔吐しては寝るという行動を三十分毎に繰り返す。しかも、四回ほど吐くと胃の中が空になり吐き出す物がなくなるが、吐き気はまだまだあるので、仕方なく指を喉奥に突っ込み無理矢理吐き、胃液も胆液も全て出し尽くす。
胃液等も出し尽くしたら、今度は吐く為に水道水を胃に入れて指をまた突っ込んで吐く。この作業が全て終わるのはだいたい朝の六時頃になる。つまり季節行事中は満足に眠れないのだ。六時頃に嘔吐が収まると、今度は夜間とることの出来なかった分の睡眠を日中寝て補う。この惰眠から覚めるのはだいたい夕方四時頃だ。この間、食事を一切取る事が出来ない。滅茶苦茶にされた胃が受け付けないのだ。四時頃に起きてボケーっと過ごし夕方六時頃になってやっと、お粥をお茶碗一杯食べる事が出来るまでに回復する。その頃になると、それまでは吐気が酷くとてもじゃないが見る事が出来なかった、テレビやスマホを見る事が可能になる。
この文面からも容易に想像出来ると思うが、ハッキリ言って季節行事を執り行うのはきつい。ほぼ拷問に近い行事なのだが、こうなると分かっていても年に四回は飲み過ぎ、同じ事を繰り返す俺は、真の馬鹿か、将又、真の勇者だろう。(どう考えても前者だろう)日本のみならず、異国でもやってしまった。俺は本当に懲りない。生前祖父が俺に散々忠告していたように、そのうち胃を壊すかもしれない。
ロンドン滞在第六週
翌日学校に行くと、予想通り皆から非難を受けた。
「会社のお金で来ているのに、二日酔いで授業休むなんて最低」と一同から大ブーイングを浴びせられた。
「具合が悪かったけど、私は気合で来たのに」とサトミ。いくら弁解しても、二日酔いで授業を休んだという事実は覆らない。
「申し訳ありません。二度と飲みすぎません」と言うとケイさんが、
「それだけ楽しかったって事だからいいじゃない。楽しく飲めたんだから」と場を丸く収めてくれた。俺は二十八歳、ケイさんは十歳年上の三十八歳、やはり懐が深い。
ケイさんは、日本にある外国人向けの日本語学校に勤務していたが一念発起し、一年間語学留学して英語力をつけた上で日本で別の職種に転職しようと考えていた。独身だった為貯蓄があったのか、飛行機は往復直行便のビジネスクラスを利用していて、出発日はマンションまで車が迎えに来たと言う。また、先ほど述べたがステイ先もデラックス・ステイという、通常よりも高い豪邸でのホームステイをし、学校の傍にあるジムにも通い、更には、昨日から家賃十万円1LDKのフラットで独り暮らしを始めた、セレブ留学生だった。今計算してみると、イギリスまでの渡航費や学費等諸々含め、おおよそ五百万円程度の留学資金を持っていないとこの様な生活は出来ない。
十一月四日火曜日、今夜は俺とケイさん、アヤ、ヒロの四人で606クラブという、ジャズやラテン系音楽、R&Bを演奏する、地下にある小さなジャズクラブに行く予定にしていた。その為授業終了後早々に帰宅し夕食を食べ、七時にウインブルドン駅で待ち合わせた。クラブは、ウインブルドン駅から六駅先のフルハム・ブロードウェイ駅から徒歩十分の所にあり、早く着き過ぎた為かまだ地下に降りる入口が空いておらず、人通りの殆どない暗く寂しい夜道で今か今かと開場を待った。
八時になると檻状の入口が開いたので中に入る。地下にあるライブハウスの為暗いが、客席に灯された蠟燭が温かい色彩を放ち、このクラブ独特の雰囲気を作り上げていた。食事はしてきたので飲み物だけ注文すると、今日の演奏はジャズではなく、ボサノバだと言うアナウンスが流れた。
開場時には我々しかいなかった席も次々と埋まって行き、演奏が始まる頃になると既に客席の九割が埋まっていた。ボサノバをこれまで聞いた事は無かったが、演奏していた曲目が良かったせいか、ジャズと遜色がなく感じられた。周りを見るとアヤを始めとする我々日本人も、音楽を楽しみに来ているイギリス人も一様に、音楽と空間の放つ雰囲気にすっかり飲み込まれていた。
途中休憩があり、その間にスーツを着たイギリス男性と真っ赤なドレスを着た女性が来場し、演奏者の前に着席した。(地元ロンドンの大人は、こういう場所でデートするのか。お洒落だな)と感心したが、深夜まで楽しむと思われた二人はたったの十五分程でクラブを出て行ったので、呆気に取られてしまった。(曲がお好みではなかったのかもな)
俺達は、閉店までその空間に浸りたかったが翌日も授業があり、かつ、明日の夜にはボン・ファイヤー・フェスティバルという花火大会がウインブルドン・パークで開催され、それを見に行く予定があったので地下鉄の終電に間に合うようクラブを後にした。帰路は天気予報が外れて大雨に打たれながら、ずぶ濡れになって帰宅した。
十一月五日水曜日、今夜は皆でボン・ファイヤー・フェスティバルを見に行く。
ボン・ファイヤーとは、ガイ・フォークスという人物により結成されたグループが、イングランド国王と政府の要人を暗殺する為、国会議事堂爆破という恐ろしい陰謀を企てたが、実行の直前に密告され、陰謀が明るみになってしまい処刑された。この事件を未然に防いだ政府が、十一月五日を「神に、命を救う事が出来た事を感謝する日」として祝日にした為、花火を上げて各地で祝うようになったとの事だ。俺達学生の間では、難しい事抜きで「ロンドンで花火が見られる日」という認識で一致していた。
ステイ先で夕食を食べた後駅に集合して、地下鉄で一駅移動しウインブルドン・パーク駅で降りると、花火の見物客が大勢公園に向かって歩いていた。公園に着くと入口がまだ開場されておらず、混雑を避ける為列が出来ていたので最後尾に並んだ。少しずつ列は進み、公園内にも少しずつ人が入っている様子だったが、花火は八時に上がる予定なので、間に合うかどうか心配になった。
その不安は見事に的中し、列に並んでいる間に花火が上がり始める。すると、これまで係員の誘導に従いゆっくりと公園に入場していた観客が一斉に走り出した。俺達も負けじとダッシュで公園に入り、花火が良く見える場所に陣取った。予想とは違い、イギリスの花火は日本のそれと同じではなかった。色彩豊かではなく、かつ、本数も少ない花火はあっけなく終わってしまった。しかし、イギリス人はそれのような花火でも十分満足していたようだった。
このウインブルドン・パークでのボン・ファイヤー・フェスティバルの主催者はやり手だった。花火が終わった後のエンターテイメントもアルコールも、きちんと用意してあった。簡易なジェットコースターやコーヒーカップといった遊園地でお馴染みの遊具、輪投げやくじ等の簡易な出店やアトラクションがあり、小銭で十分楽しむ事が出来た。(主催者君、素晴らしいじゃないか)実際、いい大人の俺とアヤ、ヒロはミニジェットコースターに乗り歓声を上げはしゃいだ。降りると直ぐに出店で売っていたビールを買い、皆でその場で立ち飲みをした。
十一月の夜の冷え込みの中でも、イベント時に飲むビールは格別だった。皆が飲み終えると各々出店で楽しみ、俺は飲み足りなかったのでもう一本ビールを購入し、一気に飲み干した。そろそろ公園を閉めるという放送が聞こえてきた為、公園から出て駅に向かう途中にあるパブに入る。フェスティバルのせいかパブは人でごった返しており、注文する為の行列が二階まで続いていた。
この状況だと狭い通路での立ち飲みになりそうだったので、店を出ようかと相談したが、この混み具合から推測すると、ウインブルドン・パークには他にパブが無いのだろうという結論に至り、仕方なく二階の最後尾並んだ。
並んだ場所の直ぐ後ろが便所だったので、並んでいる間に便所に入ると、右手の壁に何かの自動販売機が置いてあった。何だろうと良く眼を凝らしてみると、コンドームの自販機だった。(『この店で出逢って意気投合して体の関係を持ちたくなったら、ここでやりなさい』って事かよ)しかも男子便所にあると言う事は、「男子便所の個室で行為をしなさい」と指定されている訳だ。狭い便所の個室で出来る事など限られている(場所も行為も、体位も限定されるのかよ)可笑しくて笑った。
確かに、ロンドンに来て一か月ほど経つが、セントラルを始めとする街中のみならず、郊外のウインブルドンにも、先日訪れた南部の都市ブライトンにも、日本で言うところの「ラブホテル」らしき建物を見かける事がなかった。車で郊外の主要道にでも行けば、日本と同じ様に道沿いにラブホテルの一軒でも建っているのかもしれない。地価やプライバシーという観点から好条件だからだ。
だが、日本人と同じ様に繁華街で知り合い一夜限りの関係を持つ男女もイギリスには居るだろう。お洒落なバーで出逢った男女も、わざわざ猥雑としたパブに来て、男子便所の個室で限られた行為を行うのだろうか。何だかイギリスの男女が可哀そうになって来た。
そんなくだらない事に脳をフル回転させてから便所を出ると、列が二階から一階にまで進んでいた。一階で並んでいる間、直ぐ傍に居た黒人男性の発言が面白く、俺達に友好的だったので彼との会話を楽しんだ。彼の名前はジョニー。ここウインブルドン・パークに住んでいて、このパブの常連だという。パブでビールを給仕するポッチャリした若い店員を捕まえ、
「ファッキン〇〇〇〇!」
「ファッキン〇〇〇!」と、
「お前、仕事がトロイいんだよ。早くしろよ、皆並んで待っているだろうが」と文句を言う。言っている事は正論だ、間違ってはいない。君の仕事が遅いから、我々はこんなにも長い間待って居るのだ。
発言の前に必ず「ファッキン」という、ロンドンに来て初めて聞き、かつ、決して褒める事の出来ない言葉を使っている事が面白く、発言内容が支離滅裂だった。おそらく彼はクスリをやりながら、アルコールを体内に注入していると思われ、彼の発言内容を理解出来る人にとっては、先程の花火大会顔負けの一大エンターテイメントが、住宅街の小さなパブで繰り広げられていた。
ケイさんとアヤは目を合わせ笑っているし、俺は腹を抱えて笑っている。笑い過ぎて腹筋が痛い。そうこうしている内に席が空き、テーブルに座って飲み始めても、律儀なジョニーは時々俺達のテーブルに顔を出し「ファッキン〇〇〇〇!」とポッチャリ店員を小馬鹿にし続けた。テーブル席に座ってゆっくりとビールを飲み、一息付くとヒロが話し出した、
「あと二週間経ったら、ヒロポンさん帰国するじゃないですか」
「うん、全くもって帰りたくないけどね」
「その前の週末に、どこかに出掛けようと思うんですけど、皆さんどうですか?」
「いいね」と全員が賛同した。
「じゃあさ、旅行代理店への就職を志望しているヒロが計画を立ててよ」と俺がヒロに振る。
「良いですか?日帰りと泊まりと、どっちにしますか?」
「せっかくだから、泊まりがけにしようよ」とアヤ。
「どこか良い候補地ありますかね?」(おいおい、それも含めて計画しないと駄目だろ)と思いながらも、彼はまだ大学生なのできちんと案を提案してあげた。
「バースなんかどう?久しぶりに温泉に入りたいわ」
「いいね。適度な距離だし」とアヤ。
「私もヒロと一緒に計画するよ。面白そうだし」とサトミ。
「確かセントラルからコーチ(高速バス)で三・四時間じゃなかったかな?実は俺も行ってみようかなと思っていて少し調べたんだ」とケイさん。
「まあ、俺は適当に言ってみただけだから、ヒロとサトミで話し合って考えて」と、ヒロにしっかりとお鉢を戻す。(旅行代理店に就職したいのなら、これぐらいのミッションはこなせないとね)
「わかりました。サトミさんと調べて近い内に決めますね」これで俺が帰国する前の週末は、どこかへ一泊二日の旅行に行く事に決まった。
俺達の相談が一段落したのを見計らい、またジョニーが顔を出して来て今度は別の店員を弄り始めた。最高のエンターテイメントに皆で腹を抱えて笑い、ビールをジョッキで二杯飲み干し、ジョニーのワンマンショーを十分堪能した俺達は店を出た。帰り際にジョニーに、
「さようなら、楽しかったよ」と言うと、ジョニーはジョニーで陽気に、
「また飲もうぜ」と返してきた。(残念。もうこの店には二度と来ないのだよ)
十一月七日金曜日、今日は皆と尚美とで会食する日だ。韓国人、特にソン・レイを連れて行くと何を言い出すかわからないので、わざと日本人しか集まらない、ケイさんの引っ越し日に提案したのだ。偶々留学先の学校で知り合った日本人達は、この頃になるとすっかり気心の知れた信頼出来る友人になっていた。だから、婚約者の尚美に会わせても全く問題ないだろうと思っていた。
いつものルートでピカデリー・サーカスに出ると、時刻は五時半ちょっと前で丁度良い時間に着いた。歩いて日本センターに行くと、センター前の歩道で尚美が待って居た。
「広之。こっち」と尚美が呼んだので、
「久しぶり。元気だった?」と手を振る。
「元気、元気。やっぱりロンドンって楽しいね。滞在日数が少ないから、遠出はしていないけど」
「どこに行ったの?」
「テムズ川の向うは、ロンドン・アイとテート・モダン。こちら側は、大英博物館とナショナル・ギャラリー、タワー・ブリッジとロンドン・タワーって感じかな。インテリアショップを見て回る時間の方が長かったかも」
「ごはんは何を食べていた?」
「カフェで昼食を食べて、夜はホテル近くにあったインド料理店と、フイッシュ・アンド・チップス店で食べていたよ」
「無難だね。インド料理は元イギリスの植民地だった関係で美味しいからね。今日の夜なんだけど、久しぶりに日本食はどう?」
「うーん、明後日帰国したら日本食の生活に戻るからなー」
「じゃあ、タイ料理は?」
「あ、いいよ。地元に美味しいタイ料理店がないじゃん。意外といいかも、そうしようか」何を食べるか決めると、傍で並んで待って居た友達を紹介した。
「彼が頼れる年長者のケイさん、その横が愛知県から来ているアヤ、その隣が京都府から来ているサトミ、そして最後が、偶々日本でアヤと自宅の最寄り駅が同じで愛知県から来たヒロ」
「広之の彼女の尚美です。今夜はよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします」と皆が応えると、
「尚美と相談して、タイ料理を食べに行く事になったけど良い?アヤ、ここら辺で良い店知っている?」
「セントラルだと、確かレスター・スクエアの裏通りに評判の良い店があった様な気がする」流石、即答だ。イギリス滞在歴十か月と、セントラル来訪の女王という肩書は、伊達ではない。アヤに先導してもらいお店まで歩いた。皆が尚美に色々な質問を浴びせているが、彼女は臆する事なく、テキパキと答えている。
尚美とは会社で知り合った。契約社員の事務員として採用され、同じ課で働いていた。彼女は地元の専門学校を卒業して、近隣市にある旅行代理店に就職したのだが、直ぐに通勤が嫌になり辞め、地元にある博物館の案内員を契約満了まで勤め上げた。その後、登録した派遣会社からうちの会社を斡旋されると、偶々同じ課に配属され、毎日相向かいの席に座って仕事をしていた。
某女性誌によると、恋愛に発展し易い距離は半径約三メートル以内。その距離で毎日顔を合わせている内にお互い親近感が湧き、どちらから誘うでもなく自然と頻繁に飲みに行く様になり、気付いたらと付き合っていた。典型的な社内恋愛に発展し易いパターンを俺も実践していた。交際して半年程で、彼女は俺との交際が他の社員にバレない内に、派遣会社に希望を出して、勤務先を他の会社に変えた。「社員にバレてしまうと、途端に居心地が悪くなる」と前々から言っていたので、退社は想定内の事だった。
その後、別の会社に三年程勤務した後に、インテリアコーディネーターになると言う夢を実現させる為、インテリアショップに勤務した。この事は全くの想定外だったし、婚約者の俺に対して一切の相談がなかった。その理由は、「週末を一緒に過ごせなくなるからって、俺には絶対に反対されると思ったから」との事だった。
その頃には既に結婚の話が出ており、お互いの両親への挨拶を済ませていた。着々と結婚への準備を進めているにも関わらず、婚約者が転職について一切言及しない事は不自然であり、不満でもあった。当然、ショップでの勤務となると土日祝日は休めない。休みがバラバラになり、一緒にゆっくり過ごす事が出来なくなった。金曜日の残業後に、彼女から会社まで迎えに来てもらって、二人で遅い夕ご飯を外食で食べ、日曜日には俺が夕食を作り、仕事帰りの彼女が俺のアパートに寄り一緒に夕ご飯を食べる等して、何とか一緒に過ごす時間を捻出していた。
婚約こそはしたものの彼女からは、
「私が仕事に慣れてからじゃないと」
「広之の留学があるから」
「車を買う資金をきちんと貯めないと」などなど、結婚を先延ばしにしようとする発言が相次いだ。本当に俺は彼女と結婚出来るのだろうかと疑問に思いながらも、気分転換をも兼ね、このロンドンに留学に来ていた。
暫し尚美の事を考えている間に店に着いた。皆が気を利かせて俺と尚美をテーブルの上座に座らせてくれ、俺達二人を囲む様にケイさん達が座った。店まで約五分の道中で皆は尚美と沢山会話を交わし打ち解けていた。
鶏ひき肉のバジル炒めパッ・ガパオ・ガイとタイ風焼きそばパッタイ、タイ風辛口カレーのゲーン・キヤオ・ワーンを注文すると、一人前の量が多いとの事なので、皆で取り分けて食べる事とした。注文が終わると結婚に関する取り調べが始まった。先ずはヒロがミーハーな質問をしてきた。
「プロポーズの言葉は何ですか?」
「おい、それ聞くのかよ。えー、『俺と結婚してください』だよ。ストレートに」
「男っぽいですね。ヒロポンさん」ここ一か月足らずだが、ヒロはお世辞が上手くなった。
「結婚式はいつするんですか?」サトミが続く。
「まだ決まっていないけど、来年か再来年かな?」と尚美を見ながら言うと、
「そんな感じだね」と実感のこもらない、さらっとした口調で答えた。
「私達も呼んでくださいね」とサトミ。
「もちろん。いいよね」と尚美を見ると、
「もちろん」と答えた。尋問は続く、
「ヒロポンのどんなところに惹かれましたか?」アヤもアヤで嫌な所を突く。
「真面目で真っ直ぐなのに、変に面白いところかな」
「変にって何だよ」と言いながらも俺は照れる。
「ヒロポン、ここでは寒いギャグも言いますよ」とアヤが余計な事を付け加える。ケイさんが、
「結婚したら、尚美さんは仕事を辞めるのですか?」と聞くと即答で、
「やめません。凄く楽しい職場だから」と応えた。
尚美の返答と同時に、美味しそうな料理がやってきてやっと尋問は終了した。皆が手際よく各料理を皿に盛り個々に渡していく。料理が行き渡るとビールで乾杯した。ケイさんが、
「ヒロポンと尚美さんの結婚に」と乾杯の発声をしたが、何故か正直に喜べず違和感があった。(ひょっとしたら、顔に出たかもしれないかな)と思い、即座にぎこちない笑顔を作った。
アヤが勧めてくれたタイ料理店の料理は大変美味しく、皆で夢中になって食べた。食事中も俺と尚美の事について色々と聞かれたが、三杯飲んだビールと三杯のグラスワインのおかげで、会話内容は殆ど記憶にない。所謂他愛のない話でしかなかったと言う事だ。皆がお腹一杯になると、お茶を飲み一息ついてから店を出た。外に出るとケイさんが、
「パブに行かない?」と誘ってくれたが、尚美の明日の出国が朝早い為断り、皆とはピカデリー・サーカスで別れ、俺は尚美をホテルまで送って行った。
大英博物館までは約二キロメートル。ホテルは少しだけピカデリー・サーカス寄りとの事だったので、セントラルは街灯がしっかりと点いている事もあり、歩いて送って行く事にした。二人で歩いていると尚美が、
「良い友達に囲まれて良かったね」と話し始めた。
「うん。本当は外国人の友達だけを作ろうと思っていたんだけど、もしそうしていたら、四六時中英語だけの生活になって、息が詰まっていたかもしれない」
「あの京都のサトミさん。凄く可愛いね。好きになったんじゃないの?」
「ならないって。サトミは可愛いからさ、学校で同じクラスの韓国人に告白されたんだよ」
「へー。でも、広之ならアヤさんを選ぶと思う。お似合いだから」と彼女が呟いたが、聞き取れなかったので聞き返すと、
「何でもない。独り言」と言い、その後長年連れ添った夫婦の様な空気のまま無言でホテルまで歩いた。ホテルに着くと尚美が、
「わざわざ送ってくれてありがとう」とお礼を言った。
「明日は何時発の飛行機?」
「えーっと、十時発だから八時までに空港に行かないとだよ」
「じゃあ俺も八時に行くから、空港のロビーで見送るよ」
「いいよ、無理しなくて。朝早いし」
「いや、折角こっちに来られたのに、ほんのちょっとしか一緒に居られなかったから」
「ありがとう。じゃあ、ブリティッシュ・エアウェイズのチェックインカウンターの前に、八時頃に来てもらっても良い?」
「分かったよ。じゃあ、また明日ね」
「おやすみ」
「おやすみ」と言うと、レスター・スクエアまで徒歩で戻り、地下鉄に乗って帰路に就いた。
ステイ先に着くとリンに、明日の朝食を六時半に食べたいので対応が可能かと聞くと、問題ないとの事だったのでお願いした。この日の夜は、これまでのロンドンでの留学生活から日本での生活に不意に戻された気がし、良く寝付けなかった。
翌朝、朝食を食べ七時にステイ先を出ると、バスと地下鉄二本を乗り継いでヒースロー空港駅に着いた。時刻は七時五十分。同じピカデリー・ラインに尚美が乗っていれば、駅から空港内部へと続く長い通路で出くわしても良い筈だが、前後左右目を凝らして見ても姿を見付けられない。一本先の地下鉄に乗ったのかなと思いながら、チェックインカウンターに八時過ぎに着いた。
十時発の飛行機であれば、二時間前の八時からチェックインを開始する筈だ。チェックインを待って居る十人程度の行列に尚美がいないか確認するが居ない。ここで様子がおかしい事に気付いた。通常であればチェックイン開始と共に五十人以上は列に並び待つのだが、今出来ている行列には十数人しかいない。変だなと思いカウンターの上に表示されている便の出発時刻を見ると、午前九時となっている。(えっ、昨日確かに十時発だから八時に来てくれって言ったよな)と思い、カウンターに居るグランド・スタッフに、尚美らしき人物を見なかったかどうか質問しようと列の最後尾に並んだ。最後の搭乗者らしき人がチェックインを終えると、俺の目の前に長細く蒼いカウンターが現れた。
「身長が165センチメートル、長さが肩位の黒い髪で、色の白い日本人女性を見ませんでしたか?」と聞くと、
「それは、ナオミヨシハラ様の事ですね。実は彼女から手紙を預かっています。貴方が渡すべきお相手かどうかを確認させて頂きたいので、失礼ですがお名前と生年月日を教えて下さい」と言われた。(手紙・・・)と思ったが、
「名前は山田広之、生年月日は一九七五年三月一日です」と正直に伝えた。
「ちょっと待っていて下さい。手紙をお持ちします」と言いスタッフが奥から一通の手紙を持って来た。
「七時過ぎにチェックインされ、九時発の便に乗られるナオミ様から、ヒロユキ様が来たら渡して欲しいと頼まれました。それで、彼女から貴方様のお名前と生年月日をお教え頂き、渡す前に確認するよう頼まれました」
「彼女は何か言っていましたか?」
「いえ、私共には何も。ただ、貴方様が来られたら渡して欲しいとだけ、おっしゃられていました」
「分かりました。業務外の事でご迷惑をおかけいたしました。ありがとうございました」と言うと、その場で直ぐに手紙を開けた。見覚えのある尚美の字が目に飛び込んで来た。
(広之。嘘をついてしまい、また、この様な形をとってしまいごめんなさい。
私は偶然ロンドンに来る事が出来たのだけれど、ここロンドンで異国の雰囲気や文化、生活様式に触れる内に、自分の中で固まりつつあった気持ちをきちんと貴方に伝えなくてはいけないと思う様になりました。
貴方も薄々感じていたとは思いますが、私は貴方との結婚に前向きではありません。以前、お話しした事がありますが、私の母親が結婚という事柄自体に否定的で、幼い頃から「結婚なんてするものではない」と言われ続けて育った事も要因ではありますが、一番の大きな要因は貴方の実家が離島にあると言う事です。
私は、今住んでいる「ある程度便利である程度田舎」である事が心地良い、地方都市にずっと住んでいたいのです。でも、貴方のお嫁さんになると、いつかは貴方と一緒に離島で永住しなくてはならない日が来ます。そう考えると、貴方の実家のある島は私にとって、大変申し訳ないですが「鬼が島」にしか見えないのです。
多分貴方は、結婚する気のない私との交際をこれ以上続ける気は無いでしょう。ですのでここロンドン、異国の地を離れるのをきっかけとして、お別れするのもありなのかなと思いました。
最後に、これは伝えるべきかどうか迷いましたが、貴方はアヤさんの事が好きですよね。アヤさんも貴方の事が好きですね。昨日一緒に居ただけで直ぐに分かりました。貴方にはアヤさんの様な方が相応しいと思います。結婚する気のない私とは違って。
長い間本当にありがとうございました。一緒に居た時間はとても楽しく、最高の思い出になりました。広之が今後素晴らしい人生を送れます様、祈念しております。
二〇〇三年十一月八日 吉原尚美)
なんだよこれ。婚約しておいて今更結婚する気はないって明言するのかよ、しかも手紙で。当然俺は混乱した。チェックインカウンター傍の簡易な椅子ではなく、カフェにでも入って飲み物を飲みながら、きちんと気持ちを落ち着かせ、冷静になる必要があった。空港内を見渡すと直ぐ傍にスターバックスがあったので中に入り、アイスコーヒーのグランデを注文し席に着き再度手紙を読み返した。
結婚する気がないと言う事は薄々分かっていたので、大してショックではなかった。それよりも、俺が「結婚しても離島の実家に帰らない。家は今住んでいる都市に建てる」と再三言っていたにも関わらず、「鬼が島」出身の俺とは結婚出来ないと言われた事がショックだった。(「鬼が島」って酷い言いぶりだよな。一応俺の地元だし、俺はそこで育った事を誇りに思っている。この表現はなんなの)
コーヒーを半分飲み終える頃には、気分が落ち着いてきた。本来コーヒーにはカフェインが含まれているので脳が興奮するのだが、脳がひどく混乱した時は、軽い興奮状態にまで抑制してくれるのかもしれない。とにかく、結婚する気がないと明言した尚美とはもう復縁できないし、手紙でお別れという訳にもいかない。帰国したらきちんと話し合った上で別れる事に決めた。
アヤとの事に感づいたのは、流石「女性の感は鋭い」という事なのだろう。アヤにはいずれ、今回の出来事を話さなくてはいけないなと思った。頭の中を整理し今後すべき事が見えたので、残りのカフェインを注入し店を出た。空港から地下鉄に乗るが外を出歩くにはあまりにも早すぎる。一度ステイ先に戻ってから、昼に昼食を兼ねて再度出掛けよう。
帰りの地下鉄の中でも、なかなか先程の事を頭から切り離す事が出来なかった。人間、そう簡単に切り替えられるものではない。今夜はミュージカルのライオンキングを見に行く予定だ。それまでに気持ちも頭の中も切り替えないと。ぼんやりそう思いながら地下鉄が地上に上がり、車窓から見える外の景色をぼんやり眺めていた。
ステイ先に戻ると家には誰もおらず、直ぐに二階に上がり自室のベッドで二度寝をした。手紙のせいなのかコーヒーを多く飲んだせいなのか、寝ている様な起きている様な極めて質の悪い惰眠を貪った。起きると午後一時を過ぎており、一階のダイニングキッチンに降りてみた。まだ誰も帰って来てはいない。喉が渇いたので冷蔵庫を開けると珍しくオレンジジュースが入っていた。直ぐにコップ二杯程飲み干した。
ステイ先に来た初日、リンから冷蔵庫にあるものは何でも飲んで良いと言われたので、ミネラルウォーターやジュースを好きなだけ飲んでいた。ホームステイとはそういうものなのかなと思っていたが、次第にミネラルウォーターやジュースは冷蔵庫から姿を消し、今では食事の時に、
「お水をください」と言うと、水道水をコップに注いで渡してくる。
他の友達のステイ先はどうかと聞くと、自由に飲ませてくれると言う意見と、貧しくてそもそも両者が冷蔵庫にないという意見に分かれた。いずれにせよ、その様な変化があるという事は「ケチな家だと思うよ」と皆に言われた。俺も大人なので、それでもファミリーの面々とは会話もするし、思っている事を一切顔に出したりしないが、もともと軽微な事でいちいち煩いホストを快く思っていなかったし、最初だけ体裁を取り繕い、次第に留学生に係る経費を減らしていくという経営方針にうんざりしていた。そんな中、今日は偶々ジュースを久しぶりに二杯も飲み、溜まっていた鬱憤を晴らす事に成功した。
部屋に戻り着替えると、リンから美味しいと勧められたウインブルドン駅の傍にある、フイシュ・アンド・チップス店に行き遅い昼食を食べた。店は混んでいたがお高く、先日フルハムの試合前に食べたフイシュ・アンド・チップスの方が美味しかった。(ステイ先の言う事はあまり信用しない方が良いかもな)二時近くになったにも関わらず、まだ店は混んでいたので食べ終わると直ぐに駅に向かい地下鉄に乗った。
今日は、午後七時に直接ライセアム・シアターで待ち合わせにしていたので、各々夕食を食べてから集合する事になっていた。時間を持て余し、一人で時間を潰すのは到底無理だなと思った俺は、公衆電話からアヤの携帯に電話を掛けていた。
「もしもし、アヤ。今どこにいる?」
「ステイ先で勉強していたよ」
「アヤはTOEICの受験を控えているもんね」
「そう、あと一週間で本番だからね」
「じゃあ、やめておこうかな」
「なに?どうしたの」
「今、アールズ・コート駅に居るんだけど、アヤさえ良ければ皆との集合時間まで一緒に過ごそうかと思って」
「いいよ。丁度勉強も区切りがついたところだし。今からだと、三十分後には日本センターに行けると思うよ」
「了解。じゃあ三時待ち合わせで良い?」
「はーい」アヤの声が弾んでいる様な気がした。
セントラルに着くと、アクア・スキュータムの店を覗いた。今持っているトレンチコートは、学生時代に渋谷にあるトランスコンチネンツで買った物だが、襟のデザインが古臭くもう着られなくなっていたので、高くても質の良いここのトレンチコートが欲しかった。清水の舞台から飛び降りるつもりで、勢いに任せ購入しようかと散々迷ったが結局飛び降りる事が出来ず、順路からゆっくり舞台を降り、後ろ髪を引かれながらゆっくり店を出た。時計を見ると丁度三時前だったので、急いで日本センターに向かった。
「ヒロポン」センターに着く手前で、アヤが声を掛けてきた。
「急に呼び出してごめんね。来てくれてありがとう」
「良いの、気にしなくて。遅かれ早かれ、セントラルには来なきゃいけなかったんだしさ」
「この時間だから、どこか見てから夕食を食べて、集合場所に行こうと思うんだけど、行きたい場所ある?」
「うーん、今日は天気も良いしロンドン・アイに乗ってみたいかな」
「時間もたっぷりあるし、そうしようか」
ロンドン・アイは、高さ百三十五メートルの巨大な観覧車で、日本のそれとは違い先端についている席が、少人数用の座席ではなく二十名程度収容できるカプセルからなっており、十分に外の景色を眺める事が出来る様に設計されている。開業して三年経った今でも人気があり、搭乗するまでかなり待たされ、列に並ぶ時間が長い事から、留学生から敬遠される観光名所の一つであった。
ロンドン・アイまでは、徒歩二十分程で着くので歩いて向かった。ピカデリー・サーカスを後にし、建物の上から頭だけ見えている観覧車に向かって歩く。テムズ川に着くと、目の前に白く輝く大きな「倫敦の目」が鎮座している。川面の冷気を吸いながら頬を撫でる風で、そろそろ秋も終わりを告げようとしている事を知る。冷たい風に負けぬようハンガー・フォード橋を渡って、対岸に出ると直ぐに巨大観覧車に着いた。窓口でチケットを買う時に、「何分ぐらい待ちますか?」と聞くと、「ごめんなさい。現在一時間待ちです」と言われた。ロンドン・アイは遠くから見ると白い色をしているが、間近でみると近代的な銀色をしており、俺もアヤも少しびっくりした。
俺とアヤが二人きりになると、必要な時以外の会話は不要だった。ただ二人が一緒に居るという、その空気を感じ合うだけで十分だった。それで道中は殆ど会話をしなかったのだが、さすがに一時間待つとなると、話をしないと間が持たない。
「一時間ここで待つとなると寒いよね」
「大丈夫でしょ。私は暖かいよ」とアヤは笑う。
「俺も今は暖かいけど、川沿いだから風が冷たいじゃん」
「じゃあ、こうするね」とアヤは俺の手を握り締めながら手を繋いだ。
「ありがとう」
素直に嬉しかった。繋いでいない方の手が冷えて来ると繋ぐ手を変え、両手が冷えない様交互に温め合い、それを三回程繰り返した頃、ようやくカプセルの搭乗口まで来た。 二十五名程の団体観光客と一緒に、手を繋いだままカプセルに乗り込む。一見すると俺達はカップルの日本人観光客だ。所要時間は三十分との事なので、セントラル方面が見える場所に立ち外の景色を眺めた。
時刻は四時十五分過ぎ。街は朱色に染まり街頭に明かりが灯される。高層建築物の陰になり、夕日が差し込めない街角を照らす点線の様な灯りの上に、美しい夕焼け空が広がっている。この夕焼け空は壮大な自然が織成す物で、街灯は所謂人工物である。この二つをある程度の高度から同時に眺めた時、自然の壮大さには抗えないという気持ちになる。(抗えないのは自然だけだろうか。人間は運命と言うと大げさではあるが、「人生の流れ」にも抗えないのではないか)
今、俺はその流れの真只中にいる。尚美との間に別れという潮流が起きながらも、今、アヤと手を繋ぎデートスポットに来ている。アヤと俺の間に流れが出来始めているのかもしれない、抗えない人生の流れが。暫しそんな事を考えているとアヤが、
「今日のミュージカルのシアター、あそこら辺かな?」と指をさした。流石セントラル訪問歴の女王。的確にライセアム・シアターの場所を指していた。
「多分、あっていると思うよ。オペラ座の怪人を見たのはあそこら辺だね」と俺も自信をもって指をさした。
「あの時ヒロポン、陶酔していたよね。『ミュージカル最高』って何度も言っていたよ」
「カルチャーショックが大きかったからね。今までは、ミュージカルを小馬鹿にしていたから」と笑った。ついでに、あの時ヒロが注文したタップ・ウォーターについてもアヤにだけばらす事にした。
「あの時休憩時間に俺とヒロ、バーに行ったでしょ。ヒロ、何を頼んだと思う?」
「ビール?」
「あいつ、いつものタップ・ウォーターを注文したんだよ。あの劇場のバーで」
「マジで。ヒロならまだ学生だからやりそう」と爆笑した。
「一緒に居た俺が恥ずかしかったわ」
「だろうね」アヤはまだ笑っていた。その笑顔がとても可愛く、アヤの腰に手を回して少しだけ引き寄せた。アヤは驚いて俺の顔を見たが、頬を赤らめながら何も言わず外の景色を眺めた。
暫く景色を眺めていたが、流石に長時間待たされた為か足に乳酸が貯まり疲れてきたので、カプセルが頂点に達し下り始めると俺達はベンチに腰掛けた。座って暫くするとアヤが躊躇しながら、
「昨日思ったんだけど、ヒロポンさ、やけに尚美さんに気を遣っていない?」とボソっと言った。(気付かれたか)おそらく動揺が俺の眉の動きに出たのだろう。アヤは俺の顔をじっと眺めると、それ以上は何も言わなかった。俺の帰国まであと二週間しかない。このカプセル内で今という訳にはいかないが、やはり折を見て尚美との事をアヤにはきちんと話そうと再度思った。
「そのうち、きちんと話すよ」と言うとアヤは、
「うん」とだけ答えた。
カプセルが下に降りてくる頃になると、外は暗くなっていた。アヤが唐突に、
「夜景を見に行きたいな」と提案でもなく独り言でもない口調で言った。二人で行きたいと思い、
「今度行こうよ」と誘った。
「うん、楽しみにしてるね」と言うと、アヤは俺の手を握りカプセルから降りた。
川沿いの風は先程にも増して冷たく、セントラルですら街灯なしでは歩けない程、闇に染まっていた。十一月の上旬にもなると、ロンドンの夜は一気に寒くなる。繋いだ手をきつく握り締め温める。アヤは時々俺の顔を覗くが、相変わらず二人の間に会話は殆どない。「恋する二人に言葉はいらない」という言葉が昔流行ったが、今の俺達にはその言葉がしっくりときた。橋を渡り終えると、
「どこでご飯を食べようか」とアヤが聞いてきた。
「適当なパブに入って、パブディナーにしようよ。ケイさんとサトミと合流する前に、一杯だけひっかけよう」と提案すると、アヤはくすっと笑ってから頷いた。
チャリング・クロス駅の傍を歩いていると、「シャーロックホームズ」という名前のパブを見つけたので迷わず入店した。この店も、ウェザースプーンと同様、未成年と見受けられる来店者に対し、パスポートチェックを行っていたが、俺とアヤは一瞥されただけで成人と見做され簡単に店内に入れた。
偶然入った店だが、実はシャーロックホームズマニアの間では大変有名な店の様で、店内に様々な彼ゆかりの品が展示されていた。五時をちょっと過ぎていた。店内はまださほど混みあっていなかった為、五分程持っただけですんなりと二階の席に通してもらえた。席に座りメニューを見るとシャーロックホームズにちなんだ、シャーロックホームズのサーロインステーキやワトソンのサンデーロースト等のメニューがあった。
俺とアヤはせっかくだからと、このパブのお勧めであるそれらのメニューを注文し、分けて食べる事にした。俺の飲み物はいつものギネス。アヤは珍しくシャンディーを頼んだ。シャンディーとはビールにジンジャーエールとレモネードを加えたもので、他のパブでもアヤとサトミが偶に飲んでいたので、前に味見をさせてもらった事がある。女性向けの飲みやすいビアカクテルだ。ギネスの注がれたビールジョッキを席に持ってくると、
「ロンドン・アイに」と乾杯した。
「行って良かったよ。皆は待ち時間が長くいからって敬遠しているけど」
「うん、確かに待たされたけど、景色が最高だった」
「秘密のデートには、良い場所かもね」と意地悪そうに言うと、
「もう、ヒロポン」と、アヤは頬を赤らめ恥ずかしそうに笑った。
アヤの頬から朱色が薄れてくると、サーロインステーキとサンデーローストが運ばれてきた。
「げっ。量多すぎるよ」確かにアヤには手に負えない位、サンデーローストはボリュームがあった。
「味見するよ」と言い、味見にしては食べ過ぎじゃないかという量を俺が食べた。サーロインステーキもそうだが、うっかり食べ過ぎてしまう程この店のおすすめ料理は美味しかった。
食後、暖かい紅茶を注文し飲みながらゆっくり過ごした。気付くと時間は六時半を過ぎていた。席を立つと一階の入口を出て夜道をライシアム・シアターに向けて歩き出した。 パブから劇場までたったの五百メートルしかなく、直ぐに着いてしまったが、ケイさんとサトミはまだ来ていなかったので、劇場の周りをアヤと散策した。ロンドンの街並みに慣れ過ぎた俺達にとって、新たに触手を伸ばしたいと思うものもなく、十分程度で劇場の入口に戻って来た。
「ヒロポン、アヤ」と呼ぶ声がして声の方を見るとケイさんとサトミが手を振っていた。
「二人で一緒に来たの?」と聞くと、
「たった今ここで会ったばかりだよ」とケイさんが答えた。
「ヒロポンとアヤは?」とサトミが悪気もなく突っ込んできたので、
「さっき正面で会って、時間を持て余したから劇場周辺を散策していたよ」と、とっさに嘘と現実を絡ませ言った。
全員が集合するのとほぼ時を同じくして劇場の入口が開場した。我々も列に並び中に入って行く。オペラ座の怪人を見に行った時とは違い、アヤもサトミもワクワクしているのが表情から分かる。
「ライオンキング、見に来たかったんだー」とサトミが言うと、
「私も。劇団四季のもまだ見た事がないんだよね」とアヤが返す。俺は劇場内にバーがないかと探すが、場内を見渡しても見付ける事が出来なかった。その様子を見ていたケイさんが、
「バーを探しているの?」と笑いながら聞いてきたので、
「ないですね。ここは」と答え、観劇中にお酒を飲む事を諦めた。席は一階の前から二十列目。このチケットを購入する際もアヤの携帯に電話して、どの様な席で幾らなら皆が納得するか相談してから購入した。
俺はいつの日からか出先で何かに困ると、アヤの携帯に連絡する様になっていた。これは意図的なものではなく、友達の中で携帯を持っていたのがケイさんとアヤの二人だけだった事と、一番初めに何かで困って公衆電話からケイさんに電話した時何度掛けても繋がらず、女性だからと少し遠慮していたアヤに掛けたら一発でつながり、俺がいきなり電話を掛けた事に対して気にする様な発言が全くなかったので、その後は何か判断に困る様な事があったら、アヤの携帯に電話する様になっていた。ごく自然な流れで、俺はアヤと学校外でも連絡を取る様になっていたのだ。
ミュージカルが開演した。席は前回と違い舞台全体が見える良い席だ。それでもハー・マジェスティーズ・シアターの席よりも値段が安い。話の大まかな流れは分かっているので、どう演じるかを見ていた。一言で言うと素晴らしかった。一つ一つの動きが計算しつくされているが、それを感じさせぬ豊かな表現がなされていた。ライオンキングというと、子供が見る舞台だと言う人もいるかもしれない。ストーリーは子供向けかもしれないが、表現は玄人の大人も唸らせるものがあると思う。俺は素人の大人だが。
幕が下りると皆でスタンディングオベーションをした。アヤとサトミは二人して姉妹の様に、「見る事が出来て本当に良かった」と喜んでいる。劇場から出てそのまま帰るのも味気なかったので、劇場の入口で記念撮影をした。写真に写ろうかというその瞬間、アヤが俺の腕に手を回してきたのが、アヤの手の温もりで分かり嬉しかった。
翌日は珍しく久しぶりに行動を共にする、ワン・ジェイも含めた五人でウインザー・キャッスルに行く予定になっていたので、劇場で写真を数枚撮り終えると直ぐに帰路に着いた。
十一月九日日曜日、いつもの様にウインブルドン駅に十時に集合した。ワン・ジェイが久しぶりに参加するせいか少しおどおどしていたので、
「今日もその真ん中分け似合っているよ」と冗談を言ったら、
「ヒロポンさん、冗談言わないでよ」と笑い少し和んだ。地下鉄でパディントン駅まで行き、そこで乗り換え約四十分で着いた。セントラルから容易に来る事が出来るせいか、観光客が非常に多かった。
ウインザー・キャッスルは、実際に国王が住んでおり、九百年の歴史があると言う。エリザベス二世女王が滞在していれば女王旗が掲げられ、不在時は国旗が掲げられるらしい。現在も使われている所謂離宮だ。
駅を降りると城までの道程には、短いが綺麗に整えられた商店街が連なっていて、買い物好きのアヤとサトミが、ああでもないこうでもないと商店を物色し始めたので、先制パンチをかました。
「城を見てからにしようよ」と言うと、
「はーい」と少し不貞腐れた返事と共に、店から俺達の元に戻って来た。皆で城内に入り展示品を鑑賞する。暫く場内を見学していると、ワン・ジェイが俺に文句を言ってきた。
「皆、日本語を話しているじゃないか。あのルールはどうなったの?」ワン・ジェイは、俺がグループに入った頃に決めた、「グループでいる時は英語のみ話す事。母国語を話したら五十ペンス支払う事」という、この時期にはほぼ形骸化していたルールに、我々日本人五人が違反していると訴えてきたのだ。
確かに、ウインブルドンで過ごす平日の学校内外では、多国籍からなる学生や先生と会話する為、きちんとルールを守ってはいたが、週末になると同じグループの韓国人二人と行動を共にする事が殆どなく、日本人だけで行動する事が多かった為、何気なく日本語で会話する事が増えていた。ここウインザー・キャッスルでも、悪気なく普通に日本語で会話をしていた。
これまで、学校内の休憩時間や放課後のパブでうっかり韓国語を話してしまい、散々五十ペンスを巻き上げられてきたワン・ジェイとしては、納得がいかなかったのだ。場内にある広間に出た時に、ワン・ジェイからのクレームを日本人の友達に伝え、皆で彼に謝りその日はルールをきちんと守り英語で会話する事にした。
「サンキュー、ヒロポンさん」とワン・ジェが照れながら言った。口の両脇に生えた無精ひげを撫でながら。
ウインザー・キャッスル。俺は城マニアではないので城の調度品なんぞどうでもよく、リーズ・キャッスルの様に風景に溶け込む綺麗な城なのかなと期待していた。しかし、一般公開されている離宮というだけでバッキンガム宮殿と同じ様に、国王が居住する以上は常に衛兵がおり、その衛兵が交代する交代式が見どころとなっている城であった。と言うとイギリスのロイヤルファミリーには大変申し訳ない気がするが、この謝意はどうせ届かないので、どの様な感想を述べて明文化しても、国際問題には発展しないのだ。
城内を足早に見学すると、駅前の商店街に食事も出来るパン屋があり、皆でそこに入り昼食にパンを食べ、食後にコーヒーを注文した。男性はゆっくりコーヒーを飲みながらまったりとした時間を過ごしていたが、アヤとサトミは昼食を早々に済ませ、窓際に煌びやかな商品を展示している店を次から次へと見て回っていた。
「何で、女性ってウインドーショッピングが好きなんですかね?」と俺が呆れながら言うと、
「女って、そんなもんでしょ」とケイさん。
「韓国でも、女性は同じだよ」と女性経験の無さそうなボンボンのワン・ジェイが続く。
「彼女と買い物に行くと、どっと疲れますよね」と実感を込めたヒロが締めくくる。
デパートのエスカレーター脇にあるソファーで、買い物を待つ父親と息子、そんな男性達を気にもせず買い物に走る母親と娘という、日本でよく見かける構図が、ここウインザー・キャッスルでもしっかりと出来上がっていた。
俺達が昼食を食べ終え、女性達のウインドーショッピングが終わると、ウインザー・キャッスルを後にした。まだ帰宅するには時間が早いので、いつものウェザースプーンに行こうという話になった。残念ながらワン・ジェイは、用事があると見え透いた嘘をつきパブに来なかった。やはり今日、母国語使用禁止ルールを平然と皆が破っていた事が気に入らなかったのだろう。
サトミとヒロも、週末の旅行の計画を立てたいとセントラルに向かい、残った俺とケイさん、アヤというグループの中でもパブ大好き、もとい、お酒大好きメンバーでビールを堪能しに昼下がりのウインブルドンを歩いた。
ロンドン滞在第七週
十一月中旬の月曜日、授業が終わりいつもの様にラウンジで皆を待っている。バックパックにトワイニングのカモミールティーが入っているので学校の購買に行き、
「熱湯をください」と頼む。
「君はいつも熱湯ばかり頼むよね」と嫌味を言われたので、
「週の半分位は、昼食にカップラーメンを買っているでしょ」と反論し、嫌々マグカップに注がれた熱湯をもらう。流石に、この時期になると冷たい飲み物を飲むのは厳しい。皆が経費節減の為、ティーバッグをスーパーで買い、熱湯を学校から無料でもらっていた。
帰国後ケイさんから聞いた話によると、俺の帰国後数か月経ってから購買で入れてもらえる熱湯も無料ではなくなり、一杯につき十ペンス要求される様になったと言う。自習機器の更新もせず熱湯代は請求する。ステイ先もそうだがイギリス人は、実はケチなのだなと思った。
ティーバッグを取り出し、カモミールティーを飲む。ロンドンでは、様々なメーカーがカモミールティーを販売しているが、飲み比べた結果このトワイニングの茶葉が一番美味しかった。こちらでは日本の様に個包装などしておらず、箱の中にティーバッグが二十個程むき出しのまま入っている。ハーブティーを飲み一息ついた頃皆が次々にやって来た。先ずはサトミとヒロ、ソン・レイ。この三人は同じクラスなので、授業の終了時刻が同じなのだ。次にケイさんとソン・ギョ。この二人は俺と同じ様に進級し、今は俺が元居たクラスにいる。最後にアヤが来た。彼女はTOEIC対策の特別クラスにいたので、試験間近という事もあり少し授業が延びた様だ。ソン・レイによると、ワン・ジェイは今日も欠席したとの事だった。
皆が集まるとヒロが切り出した。
「今週末、一泊二日の旅行に行こうと思っていて、行き先をバースに決定しました。皆さん行きますか?」
「バースなんて、日帰り旅行で十分じゃない?」とソン・レイが水を差した。
「ヒロポンさんが翌週帰国するから、敢えて泊まるんだよ」とヒロが補足する。
「それなら仕方がないかな」とソン・レイが妥協した様な言いぶりをする。(嫌なら来なくていいよ)彼に反しソン・ギョは、
「良いですね。是非行きたいです」と紳士的な対応をした。いつもこの様な対応をし人を嫌な気分にさせる事が全くない彼には好感しかない。決して某国出身の誰かと比較している訳ではないが。アヤとサトミには前もって話をしてあったので、
「行こう行こう」の一言で決定した。
「ワン・ジェイは明日誘ってみますから」とヒロ。
(多分来ないな)俺以外の皆もそう思った筈だ。
「ホテルも仮で予約してあって、とりあえず二部屋を抑えています。ただ、人数が変更になるかもしれないと伝えてあるので、これから直ぐ電話すれば、ソン・レイ達の部屋含め、三部屋抑える事が出来ると思います。オフシーズンなので意外とすんなり予約出来ましたから」ヒロが誇らしげに説明する。今のところ旅行代理店への就職志望者としては上出来だろう。
「バースまでは、コーチで行くんでしょ?」とケイさんが確認する。
「そうします。ヴィクトリア・コーチ・ステーションから三時間ちょっとで着くので。コーチもこれから予約しますね」(ヒロ、なかなかやるじゃない。バースでタップ・ウォーターを注文するなよ)
「皆ありがとう。せっかくだから楽しもうよ」と俺が締めた。
バースはロンドンの西方にある都市で、古代ローマ時代に作られたローマン・バスで有名だ。俺は当然、温泉に入浴出来るものと思い先日候補として提案したが、当時のガイドブックには観光客が利用出来る温泉は記載されていなかった。地元の人が利用する日本で言う銭湯の様な、こぢんまりとした日帰り温泉施設は実際にはあったのかもしれないが、この頃は観光客が入浴できる温泉施設はなく、公表されてもいなかった。
この後三年の時を経ると、街のど真ん中にサーメ・バース・スパという巨大温泉施設がオープンし、入場に長蛇の列が出来る程の一大観光施設となるが、その事は当時の留学生が知る由もなかった。
十一月十五日土曜日、遂にバースに出掛ける日になった。ウインブルドン駅に集合しヴィクトリア駅に出る。駅から徒歩五分程で申し訳程度に赤い字で『コーチ・ステーション』と書かれた古めかしい建物に到着する。あらゆる方面に向かうコーチが出発する交通拠点にしては何となく物寂しく、うつむいて歩いていると気付かずに通り過ぎてしまう程パッとしない外観だった。
入口周辺は異様に混雑していて、おそらく中にスリも紛れて混んでいると思われた。駅の内部に入ると外観とは一転し近代的な造りで各種売店も沢山あった。早速、アヤとサトミがお店探訪をしようとしたので、ヒロが的確なタイミングで指示を出した。
「昼食をバスの中で食べるので、各自構内にあるお店で食べ物を買っておいてください。俺はこれからチケットを交換してきます」(ナイス、ヒロ)と思ったが、女性二人は昼食に食べる食品を探しにお店探訪を開始した。
男性は、構内にあったパン屋でパンを数個買い、待合室で談話していた。バース行きのコーチは既に停車しているものの未だドアが開かないので、女性二人が戻って来るのを待つ。ヒロが焦りだした出発三分前、満面の笑みを浮かべ戻ってきた二人には焦りなどなく、皆でコーチに乗り込むと七割程の席が埋まっていた。俺はヒロの隣に座る事にした。
ヒロは来年就職活動を控えている為、人事部在籍経験のある俺から、採用面接等について色々と聞きたい様だった。
「ヒロポンさん人事部に居たから、少しは面接の事分かりますよね?」
「人事担当ではなかったから細かい事は分からない。だから、俺の個人的な意見しか言えないよ」
「それでもいいです。ヒロポンさんは社会人だから参考になると思うし」
「駄目な社会人でも良ければだけどね」
「ずばり、面接の時ってどんなところを見ますか?」
「うーん。まず、入室時や面接官に対する礼儀等の所謂最初の関門で『こいつ駄目だな』って思ったら、真面目に人柄も見ず適当にあしらって終わりかな」
「駄目だって分かるんですか?」
「わかるよ。どんなに体裁整えても、『人としてどうなのか』って部分は透けて見えちゃうよね」
「そうなんですね。何かアドバイスはありますか?」
「難しいなー。学生の今から常に問題意識を持って、改善すべき点があれば、それを自ら率先して変えて行く精神を持つ事かな?」
「難しいですね」
「志望先の情報や動機なんて、調べたり考えたりすれば適当に喋れるでしょ、いくらでも。でも、気持ちというか、心がどうかを先方は知りたいんだと思うよ。心がこもっている言葉は、相手の心も突き動かすからね」気付くと熱く語っていた。偶には、未だ社会を知らない無垢な学生と、真剣に話をする事も良いものだなと思った。
ひとしきり語り終わると、バスは市街地を抜けて郊外に出た。車窓からは、牧草地に放牧された牛が草をついばみ、トラクターが餌となる牧草を搬入する姿が見えた。こんな低地でも放牧するのかと少し驚いた。牧草地と道路の間には、かつては砦の外壁であった朽ちた石造りの塀があり風情があった。小春日和の空は蒼く、牛の茶色と牧草の緑色、外壁の灰色が美しく調和し絵葉書になりそうな美しい風景が俺の脳裏に焼き付いた。
単なる風景と言うだけではなく、そこには栄枯盛衰があった。空は雲も流れて何百年と変わらないが、かつてここには砦があり幾度となく戦いが繰り広げられた。それが今はのんびりとした牧草地になり、牛が暢気に草をついばんでいる。その変移にも趣があった。その為この景色は、時を経た今でも鮮明に思い出される。
バスはバースに着くまでの間、三か所程の停留所に停まり、各々のバス停で数人ずつ下車したが乗車してくる客は一人も居なかった。このバスに乗った時、このバスは直行便で乗客全員がバースに行くものと勝手に思い込んでいたので驚いた。(日本の高速バスと変わらないのか。停車するバス停が極端に少ないから、利用者からすると中途半端だけどなぁ)
午後三時を少し過ぎバース・コーチ・ステーションに到着した。こちらの駅は各方面行きのバスが数台停車している程度の、小さな田舎のバスステーションだった。この旅のリーダーはヒロ、サブリーダーはサトミだ。二人が先頭に立ちバスを降り引率して行く。
先ずは、街の名前にもなっている観光名所のローマン・バスへ向かう。ローマン・バスは、紀元前一世紀に各地に公衆浴場を建築した、古代ローマ人によって建てられた、アルプス以北で最も保存状態の良い公衆浴場の遺跡である。
入口は近代的な造りをしていたが、順路に沿って歩いて行くと、古代ローマ建築の公衆浴場と言う名の二十五メートルプールが現れた。夕日を浴びたお湯は緑色で濁っており底までは透けて見えなかった。ソン・レイが、
「ヒロポン、このお湯飲んでみて」と言うので、
「お前が飲んだら飲むよ」と答えたら、
「ノー」と言いニヤニヤ笑った。裸になって浸れば効能のありそうなお湯だったが、口にしたら必ずやお腹を壊す。
メインスポットを見終えると、屋外では太陽の残り火が辺りを照らしていたおかげで、辛うじて明るさが保たれていた。次に引率されて入ったところは、バース・アビーという教会。ここは、イングランドを統一して王となった、エドガー王が戴冠式を行ったという由緒ある教会であるが、観光スポットとしては特段目を引く物はなかった。
俺は帰国間近のこの旅行に来てやっと分かった。もう教会や城の類に興味がないのだ。卒業旅行でバルセロナのカテドラル、パリのサクレクール寺院とノートルダム大聖堂、ミラノとフィレンツェのドゥオモ、ローマのバチカン市国等を見て廻った時はそれなりに感動したものだが、あれから六年経ち社会の中で忙しく働いていると、感受性が少しずつ削がれてしまい、余程のインパクトがないと感動しない人間になってしまった様だ。
バース・アビーを出る頃には、遺跡の街バースはすっかり夕闇に包まれていた。ヒロとサトミに夕食の予定を聞くと、
「この近くのレストランを予約してあるので、一旦ホテルに行き荷物を置きましょう」と言われた。ホテルは、バルトニー橋を渡って二分程の所にあり、二階の201号室を韓国人に、二階の205号室を日本人男性に、三階の302号室を女性部屋と分けた。しかし、女性部屋に決めた302号室を自分達の部屋だと思ったソン・レイがその部屋で煙草を吸ってしまい、引率者のヒロと揉めた。ヒロから仲裁に入って欲しいと電話が掛かってきたので、ヒロとソン・レイの居る302号室に行き、
「ソン・レイ、ここは女性達の部屋だぞ」と言うと、
「聞いてない」と素知らぬ顔で答える。
「ヒロはソン・レイに伝えたんだろう?」と確認する。
「はい、さっきフロントで伝えました」とヒロ。今後彼と遣り取りを続けても、ソン・レイの事だから話は平行線だろうと思った俺は、
「もう煙草を吸ってしまった以上、女性をここに泊まらせる訳にはいかない。仕方ないからお前達がこのまま使えば良い。ただし、今後はきちんと引率者のヒロとサトミに従えよ。約束するな?」と厳しい口調で言った。
「わかりました。約束します」と俺の強い口調に観念したのか素直に約束した。ソン・レイの言質も得た事で今後ヒロもやり易くなるだろう。
揉め事が解決したところで再度皆で外へ出た。道中、バルトニー橋を渡る手前でエイヴォン川沿いの歩道に下りた。十月まではバルトニー・クルーザーズというボートツアーをやっているのだが、シーズンオフの為ボートはもう撤去されていた。しかし、ライトアップされた川辺の小径は風情があり、バースで一番印象に残る場所となった。川沿いを暫く散歩してから中心部に戻り、ヒロが予約したレストランに入った。メニューはツーリストメニューだったが思っていたよりも美味しかった。(ヒロ、きちんと調べたな。グッ・ジョブ)
夕食に飲んだワインで適度に酔った俺達は、「帰りにお酒を買ってホテルでしこたま飲もう」という流れになった。レストランを出てローマン・バスの脇道を歩いているといきなりヒロが、
「バース、最高」と言って走り出し、数十メートル先で止まったかと思うと、いきなり嘔吐した。
「おい、大丈夫か?」と言いながら皆が駆けつけると、
「大丈夫です」と言い、吐いたにも関わらずケロっとした顔をしていた。俺は早速この珍事を、イングランド・フットボールのお家芸である、キック・アンド・ラッシュに擬えて、ダッシュ・アンド・ボミット(吐く)と名付けた。
「ヒロ、ダッシュ・アンド・ボミット、最高」と言うと、皆がゲラゲラ笑う。
「ヒロポンさん、もう言わないでくださいよ」と懇願されると、
「ダッシュ・アンド・ボミット、最高」と言いたくなるので再度言う。当然皆が笑う。この夜ヒロが吐いた吐瀉物は、翌日帰りのコーチから確認したところ、市民によって綺麗に保存されていた。流石、遺跡の街の民と感嘆した事は言うまでもない。
帰り道に酒屋を見付けると、ワインを四本と簡単なおつまみとして、クラッカーとナッツを購入した。俺とケイさん、アヤは酒に強いがソン・ギョは未知数だ。とりあえず、お酒が足りなくなったらまた買いに来ようと言う事になり、ホテルに戻った。パーティー会場は、当然の如く一番広い俺達日本人男性部屋になった。皆でワイワイ言いながら飲み始めると、一時間も経たずアッという間にワインが全て空いた。俺はもう一度ライトアップされた川辺を見たかったので、
「買い出しに行ってくるよ」と言うと、
「私も行く」とアヤが付いて来た。
先程ワインを買った酒屋まで歩いて買いに行く。道中会話はない、と言うよりも必要が無い。この前と同じで話さなくても傍に居るだけで良かった。ワインを四本購入し、帰る前にエイヴォン川のライトアップされた川辺で一休みした。ベンチ等何も座る物がないので立ったままコンクリート壁にもたれると、アヤが直ぐ隣にくっついてきた。
俺は買ったワインの入ったビニール袋を地面にそっと下ろすとアヤの腰に手を回した。アヤが俺を見つめた瞬間にキスをした。長い間キスをしていると、背後を歩く地元イギリス人から、
「ジャパニーズ・ラバーズ」と冷やかされたが、全く気にせず更に唇を重ねて舌を絡め合った。
「ヒロポン、来週帰っちゃうんだよね」とアヤが切り出した。
「うん、そもそも研修期間を十週間にも出来たんだけど、経費の関係で八週間にしちゃったんだよね」
「なんで、十週間にしなかったのよ」とアヤが少し怒る。
「こうなる事が分かっていれば、そうしたさ」と言い、またアヤの唇を求める。暫く、地元の恋人達のデートスポットであろう雰囲気の良い川辺で、キスに夢中になっていたが、ふと時計を見るとホテルを出てから十五分も経っていた。流石にまずいと思った俺とアヤは、急いでホテルに帰った。
パーティー会場に戻ると、誰一人「遅かったね」と言わず、ワインを待っていましたとばかりに、ビニール袋からワインを取り次々と開けていく。(お前らアルコール依存症かよ。あ、俺も、もれなくそうだな)また、盛大に乾杯をしグビグビと水の様にワインを飲み干していく。ヒロとソン・レイ、ソン・ギョはワイングラスで二、三杯飲むと、簡単に出来上がってしまいベッドの上でふざけている。俺とケイさん、アヤとサトミで会話を楽しみながら、残りのワインを淡々と消化していく。またもや一時間経たない内にワインが全て空いてしまった。またもや俺が、
「しょうがないから、もう一回だけ買い出しに行ってくるよ」と言うと、
「私も」と当たり前のようにアヤが言った。先程の酒屋でワインを三本購入し、また川辺で一休みした。先程と同じような流れでアヤの腰に手を回しキスをした。
「さっきの話だけど、来週俺が帰ってもアヤが帰国したら日本で会えばいいじゃん」と前から考えていた事を伝える。
「日本に帰ると私達、山形と名古屋で離ればなれじゃん。直ぐには会えないよ」とアヤが泣きそうな声を出した。俺はポニーテールにしているアヤの髪を撫で、
「俺とアヤは縁があるから、何とでもなると思うよ」と本音をストレートに伝えた。
「分かった・・・。ヒロポン、大好き」とアヤが俺を見つめる。またアヤと長い時間唇を重ね舌で求め合う。ふと時刻が気になり時計を見ると、今度は二十分も経っていたので、俺とアヤはダッシュでホテルに帰った。
パーティー会場に戻ると韓国二人は部屋に戻り、ケイさんとヒロ、サトミが待って居た。今回は三本しか買ってこなかったので、皆でウノをやりながら俺とケイさんとアヤで殆どのワインを消化した。ウノの罰ゲームを、ワイングラス一杯を一気飲みする事にしたので、かなり速いペースでワインは空いた。
合計十一本のワインを空け、さすがに三度も買い出しに行くのが嫌になったので、会をお開きにする事にした。女性二人も自分達の部屋に戻り、俺達の部屋では各自順番にシャワーを浴びた。俺がシャワーを浴びようと服を脱いでいると、誰かが部屋に入ってくる音がした。
「ヒロポン、ヒロポンが帰っちゃう」と誰かが叫んでいる。
「ヒロポンは?」かなり酔っ払い、出来上がったアヤが押しかけて来た様だ。
「今、シャワーを浴びているよ」とケイさんが説明すると、
「ヒロポン、ヒロポン」と言いながら、シャワールームのドアが強い力で叩かれる。
「ちょっと待って、今裸だから」と言うと同時に、
「アヤ、戻ろう」と心配して追いかけて来たサトミがアヤを諭す。
「ヒロポン」と悲しそうな声を出しながら、アヤが帰って行った。
シャワーを浴びた後、複雑な気持ちになった。俺はアヤが好きだ。でも、日本に帰れば先程アヤが言った様に、遠く離ればなれになってしまう。しかも俺はあと一週間しかイギリスに居られない。何とも言えないモヤモヤとした気持ちになった。ここがもし日本なら尚美との関係を直ちに清算して、直ぐにでもアヤと付き合うのに。歯痒い思いがした。
翌日、猛烈な吐き気で目を覚ました。昨夜ケチって買った安物ワインで見事に悪酔いしていたのだ。俺と二度目の買い出しに行った時アヤが、
「安物はやめた方が良いよ」と言ったにも関わらず、あまりの安さに飛びつき買ったものの、あまりの不味さに誰も飲まず、俺が責任を取って半分以上飲み干したワインだ。
俺は朝食を摂る事が出来ず朝御飯を抜く事にした。皆はホテルのバイキング形式の朝食を堪能しに行った。今日も当然ヒロの引率で行動する。朝食後ホテルをチェックアウトし、ロイヤル・クレッセントに向かった。
ロイヤル・クレッセントは、アーチ状に曲がった大きな集合住宅で、バースを代表するパラディオという建築様式の巨大建築物だ。内部には博物館も併設されている。ここは、写真の映えが良い場所だが写真を撮り終えると特に何もない。仕方なしに博物館に入ってみるも余り興味をそそる物はなかった。
「次はどこに行くの?」とヒロに聞くと、
「この後の予定はありませんよ」と驚愕の回答を得た。
「マジで。まだ帰るまで四時間位あるじゃん」と俺が厳しく突っ込む。
「じゃあ、丘を登って景色を眺めましょう」と場当たり的な提案をして来た。
「私達はショッピングをしに行くね。街の中心部は狭いから集合時間等決めなくても、歩いていればそこら辺で出会うでしょ」とアヤとサトミは、ヒロの提案から逃げる様に買い物に出掛けて行った。
男性チームは仕方なく、ロイヤル・クレッセントから北に向かって坂を上り始める。坂の左側に公園があったので、
「公園から上りましょう」と言うヒロに従い、舗装路から公園に入り芝の上を歩いて行くと、所々にポールと旗が見えた。よく見ると公園だと思っていたこの場所はゴルフ場で、実際にプレイしている人が数名居る。ボールに当たると最悪死が待って居ると言う事で、早々に公園から逃げ出す。
「おい、ヒロ。きちんと現地確認しないと添乗員になれないぞ」と俺が文句を言うと、
「すみません。ロイヤル・クレッセントの後の予定をきちんと考えておけば良かったです」と弁解する。(観光名所が限られていて、マーケットの様にショッピングで時間を潰せないなら早い便で帰るとか、電車で隣町へ行くとか工夫しないと。詰めが甘いんだよ)皆が仕方ないという空気を漂わせているので、俺もそれ以上は口に出さずにそのまま丘の上目指して歩いて行った。見晴らしが良い所に来ると、
「良い景色じゃないですか」とヒロがおそらく保身の為に言ったが、
「別にどうって言う事のない景色だろ」と突き放す俺。この時はソン・レイ含め皆が寛大だなと思った。旅行先の貴重な時間を無駄に費やす事程、金をドブに捨てる様な事はない。
「まあまあの景色だし、他にする事がなかったんだから良いじゃないの」とケイさんが大人の対応をする。
「じゃあ、丘を下って中心部に戻ったら昼食でも食べましょう」とヒロが提案する。やる事が本当にないので、彼に従いゆっくりと時間をかけ丘を下った。
朝食を抜いた事と、よく知らない街でウロウロと無駄に歩いた為お腹が空いた。中心部に戻って来ると蒼い壁がお洒落で客が沢山入っているお店に入ろうと決めた瞬間、ソン・レイ達が、
「俺達はアジア料理を食べるから、食べ終わったらここに戻って来るよ」と言ってきた。(何だよ、規律を乱すなよ)でも、彼らがいなくなると日本人男性だけになるので、気が楽になる為何も言わずにいた。すると韓国人二人は別のお店に向かって歩いて行った。
店に入り、パンとスープと日替わりの肉料理を注文した。店は程良く混んでいるせいか、料理が出てくるのがとにかく遅かった。(バースに来て良かった事は、アヤとロマンチックな川辺でキスした事だけかな)俺達が昼食を食べ終わる頃、店の外からアヤとサトミが手を振ってきた。店の承諾を得ず勝手に彼女達を中に招き入れると、彼女達は地元の美味しいパンを昼食に食べたという。
食事が終わるとソン・レイ達も戻ってきて全員が集合した。帰りのコーチの出発時間まで一時間程あったので、エイヴォン川の畔にあるベンチで雑談をしながらゆっくりと時間を潰してから、バースのコーチ・ステーションに向かいコーチに乗車した。帰りのバスでは、俺の前にアヤが座っていたので、バスの窓に映るアヤの顔をずっと眺めていたが、いつの間にか眠りに落ちていた。
夕方六時にロンドンのコーチ・ステーションに到着した。俺と韓国人二人は無駄に疲れたのでそのまま帰ったが、元気な女性二人とケイさん、ヒロはそのままセントラルに繰り出した。
ロンドン滞在第八週
俺はバースからの帰りの車内で決めていた。帰国前にアヤとロンドンの夜景を見に行こうと。ただ、学校では俺とアヤが二人きりになるチャンスは殆どない。通学時なら俺とアヤが途中で偶然鉢合わせして、学校まで五分ほど一緒に歩いた事がこれまでに何度かある。その偶然に賭けてみる事にした。偶々会えば、水曜日夜景を見に行こうと誘い、会えなければ誘わず縁が無かったと諦めよう。賭ける期間は今日から水曜日までの通学時だ。そう決めロンドン滞在最後の月曜日、通学路を歩き始めた。
ウインブルドン駅を過ぎて一つ目の十字路に差し掛かると、少し先を歩くアヤを見つけた。駆け寄らず、自然な歩幅でアヤに追いつく事が出来たら誘おうと思った。十字路の信号が赤信号になり、アヤが信号待ちしている間に横から近付くが、未だアヤは俺に気付かない。俺が横断歩道を横方向に渡り始めると信号が変わり、アヤも縦方向に渡る。俺が縦方向に横断歩道を渡り終えると、アヤは通学路を真っ直ぐに学校に向けて歩いていた。気持ちは急くが走らずそのままの歩幅でアヤに追いついた。
「おはよう」
「おはよう」とアヤが元気に返す。
「アヤ、いきなりなんだけどさ、水曜日の夜にセントラルの夜景を見に行かない?」
「えっ、うん良いよ」
「ありがとう。実は、通学路で偶然会えたら誘おうかなって思っていたんだ」
「会えなかったら誘わなかったの?」
「そういう縁かなって」
「駄目だよ。誘ってよ」とアヤは笑っていた。
逢瀬二
ウインブルドン駅を出た電車がロンドン・ブリッジ駅に到着した。俺とアヤは電車を降り、駅を出ると川沿いに向かって歩き出した。途中危険なので普段は敬遠する、薄暗く行き止まりとなっている小路をうっかり歩いてしまった。運よく何事も起こらず来た道を戻り、十分程でテムズ川のテート・モダン前に着いた。
時刻は夜の八時。昼間は人通りもあり多くの観光客で賑わうのだが、この時間になると川沿いの遊歩道を歩いているのは俺達と、アジア系の女性二人だけだった。テート・モダンの前からはライトアップされたミレニアム・ブリッジとセント・ポール大聖堂が綺麗に見えた。
アヤはジャケットを着た俺の隣に少しだけ距離を空けて立ち、暫く無言で夜景を見ていた。俺は彼女の直ぐ隣に移動し、アヤの顎を上に向けるとそのまま口付けをした。すると、ウォーキングをしているアジア系の二人が俺達を冷やかしてきたがいつもの如く無視をした。
テート・モダンからの夜景及びキスを堪能すると、ミレニアム・ブリッジの真ん中に移動した。ミレニアム・ブリッジからは、ロンドン・アイを始めとするテムズ川沿いにあるライトアップされた観光名所や建物が綺麗に見えた。川面を吹く風が冷たかったが、温もりを求めるかの様にまた口付けをした。再度アジア系が来て冷やかされたが、キスに夢中で気付かない振りをした。(お前ら雰囲気壊すなよ。空気を読め、空気を)
橋の真ん中から先に進んで橋を降り、大聖堂に向かわず川辺に降りた。偶々ベンチがあったので座る。俺はここで尚美との事をアヤに話そうと思った。
「実はさ、この前空港に尚美を送りに行ったら、尚美はもうチェックインしていて居なくてさ。尚美が預けた手紙をグランド・スタッフから渡されて、読むと手紙に『別れましょう』って書いてあったんだよね」
「えっ、なんで。どうして?」
「実はさ、俺が結婚の話を進めようとすると、いつもああでもないこうでもないと、彼女は先延ばしにする様な発言しかしてこなかったんだ。だから俺も前々から薄々感じてはいたんだけど、『俺と』と言うか、彼女は結婚というものをしたくないんだと思う」
「じゃあ、なんで尚美さんはヒロポンと婚約なんかしたの?」
「結婚したくはなくても、俺とは付き合っていたかったんじゃないの?わからないよ」
「ヒロポンはこの先どうするの?」
「結婚する気が無いと言われた以上、もう付き合って行けないよね」
「そうなんだ。なんだか難しいね」
「帰国したらきちんと会って話し合った上で、別れようと思っている」
「うん。きちんとした方が良いと思うよ。実は私も、帰国したら彼氏と別れようと思っているんだ」
「えっ、彼氏がいたの?」
「彼氏ぐらい居るわよ。失礼な」とアヤは笑った。
「何故別れるの?」
「イギリスに来て、自分の事や周りの事をきちんと見つめ直したら、今の彼氏は自分とはちょっと違うのかなって思ったの」
「そうなんだ。やっぱり外国に長期滞在しちゃうと、様々な物事に変化が生じちゃうよね」
「なんでだろうね」俺はそこでまたアヤの唇を塞いだ。長いキスをした後に正直に伝えた。
「尚美の手紙に、『俺とアヤは好き同士でしょ』って書いてあったよ」
「実は私も、尚美さんにはバレるかもしれないって思っていた。女の勘は鋭いから」
「うんバレた。でも良いんだ、俺はアヤが好きだから」と言って何か話そうとするアヤの唇をまた奪う。キスで塞がれた口が解放されると、
「私も好き」とアヤは言った。会話をしてはキスをして、そんなテンポでロンドンのキラキラ輝く夜が過ぎて行く。ベンチからは先程までいたテート・モダンのライトアップが見え、五月蠅いアジア系はウォーキングコースの外なのか、もう遭遇する事はなかった。
暫くベンチに座って、長いベンチの一角に漂う甘い空間に酔いしれていたが、流石に十一月下旬の川辺は寒く、近くに開いているカフェがないか探しながら歩き出す事にした。地下鉄のエンバンクメント駅の傍にカフェを見付けたので温もりを求め早速入る。二人共ハーブティーを注文し、ゆっくり飲みながら冷えた体を温め、今週末開催される俺の送別会について話し始める。
「金曜日にさ、実はサプライズで花火を用意しているんだ」と俺がこれまで内緒にしていた事をアヤに打ち明ける。
「えっ、ヒロポンが花火を買ったの?」
「うん、最初は三千円分にしようかと思ったけど、皆と最後の飲み会になるから奮発して一万円分買ってあるんだ」
「すごい、楽しみ」
「俺のステイ先の近くに公園があるから、そこで皆でやろうかなと思って」
「これ、秘密なんでしょ?」
「うん、今アヤにだけ教えたから、絶対に言わないでね」
「ありがとう。イギリスで花火が出来るなんて、良い思い出になる」とアヤが喜んだ。俺は、皆で何かを楽しんでからイギリスを出国しようと思っていたので、偶々学校帰りに見つけた花火屋で、各種手持ち花火と打上・吹上花火を、俺の送別会のサプライズプレゼントとして購入していた。
ジンジャーティーが効いてきて、体が温まってくると店を出てまた川沿いを歩いた。ウェストミンスター駅の近くまで歩くと、綺麗にライトアップされたビックベンが道向かいにドーンと立っていた。川沿いから階段を上ると歩道までのスペースが広い踊り場になっていたので、そこでアヤと一緒にきれいな光を放つビックベンを眺めた。
暫し眺めるとお互い暗黙の了解の様に口付けをした。この場所は薄暗くなっていて人が居る事に気付難い場所だった。トレンチコートの上からアヤの大きな胸を揉むと、「あっ」とアヤから吐息が漏れた。更に乳首を探し当て優しく触ると、アヤは小さく喘ぎ俺の体を強く抱き締めた。
俺はこのままどこかの男子便所に入って、アヤを直ぐにでも抱きたいと思ったが、アヤと初めてセックスをするのならそんな野暮ったい所では駄目だ。清潔で心地良く過ごせる場所、日本で言うとラブホテルの様な所でしたいと思ったので、抱きたいという欲望を無理矢理押し殺してアヤの敏感な部分を優しく触り、首筋や耳を舐め続けた。夢中でキスや愛撫をしていると、偶に俺達を見付ける通行人から冷やかされたが全く気にならなかった。もう冷やかされ慣れ感覚が麻痺していた。
残念ながらビックベンには時計があり、時刻を見るともう十二時近い。何時間イチャついていたのだろうか。今後、屋外でこんなにイチャイチャする事はもうないだろう、という位イチャついた。
「やばい、終電がなくなるよ。帰ろう」と後ろ髪を引かれる思いで言うと、
「まだここに一緒に居たい」とアヤはごねる。
「明日も学校あるしさ、行かないと」
「帰りたくない」というアヤを何とか諭し地下鉄に乗った。地下鉄を乗り換えアヤのステイ先のあるサウス・フィールド駅に着いたが、アヤは立ち上がらない。
「帰りたくない」と言うが、俺のステイ先に連れて行く訳にも行かないし、約二か月過ごしてきたここロンドンのどこにラブホテルがあるのか、皆目見当も付かない。(どこにあるのかを知っていれば、直ぐにアヤを連れて行って、何度も何度も思う存分アヤを抱くのに)
「また明日、学校で会えるから」と歯切れの悪い台詞を言い、アヤにバイバイのキスをすると漸く立ち上がり、地下鉄から降りるアヤを見送った。車両から降りたアヤは俺に向かって、地下鉄が駅を発車してからも暫く手を振り続けていた。
学校最終日
今日は十一月二十一日、つまり俺の学生生活最後の日だ。ロンドンでの日々はアッという間に過ぎ、明日俺は昼の飛行機で日本に帰国する。朝、学校に登校するとソン・ギョが待ち構えていた。彼は、今日から明日明後日にかけて北部の湖水地方に旅行に行くのだが、今日が俺の学校最終日と言う事で、わざわざ俺にさようならの挨拶を言う為だけにステイ先から学校に寄ってくれた。
「ソン・ギョ、わざわざありがとう。世話になったよ」
「ヒロポンさん、こちらこそありがとうございました。一緒に過ごした日々は楽しかったです」
「俺も楽しかったよ。ソン・ギョは紳士だからなぁ」と言うと右手を差し出してきた。俺はその手をがっちりと握りさようならを意味する握手をした。固い握手を交わすとソン・ギョは、
「気を付けて帰ってください」と言い学校から去って行った。(早速一つ目のお別れか。寂しいけど仕方が無い、いつまでもここロンドンに居る訳にもいかない)
その後、普段と何も変わらぬ授業を行いお昼の時間になった。いつものラウンジで皆を待っていると、サトミが直ぐにやって来て、
「ヒロポンにお弁当作ってきたから、食べて」と言って弁当を俺に渡してくれた。
「ありがとう」サトミの優しさに涙が出そうになったが堪えた。その後ヒロとケイさん、アヤが集まった。アヤも何か作ってきてくれたかなと思ったが、彼女は何も持って来なかった。代わりに、今にも泣きそうな顔を作って来た。その顔を直視するのが辛いので、俺はなるべくケイさんやヒロと会話し、最後の昼食のひと時を過ごした。
午後の授業の途中で副校長先生に呼ばれた。教室から校内のラウンジに行き、先生と向かい合って座った。
「卒業に際し、学校の感想を率直に教えて欲しいので、面談をさせてください」と言われた。俺は、
「この時代に、自習教材やその再生機器がカセットテープ対応となっているのはおかしい。時代に合わせて、教材や機器をCDやDVD対応の物に更新すべきだ」と、全学生が思っているであろう不満を素直にぶつけた。すると、
「今の機器から更新するとなると、相当な経費が必要になるから無理だわ」とあっさり断られた。(嘘だ。この学校は相当儲けている筈。やろうと思えば直ぐにでも出来る)実際、数年後この学校のホームページを見ると、CDやDVD対応の学習機器で充実した学習が出来ます、と大々的に宣伝していた。この事を知った時は開いた口が塞がらなかったのだが、まあ良いもう通う事もないのだ。
「他に何かあれば教えて」と聞かれたので、
「教え方に問題のある先生を雇い続ける意味が分からない」と言った。
これは、ヒロとサトミの居るクラスで実際に起きた出来事だが、ある癖の強いAという先生の教え方に問題があり、そのせいで授業を理解出来ない生徒がクラスの大多数を占め、生徒達が「先生を変えないと授業をボイコットする」と一斉に蜂起した。学校側は仕方なくそのAをBという先生に変え大事には至らなかったが、そのAは学校を辞めさせられる事もなく、他のクラスで相も変わらず教鞭を執っていた。俺は暗にこの事を指したつもりだった。
「生徒の評価と教える側、我々内部の評価は違うの」と答えたが正確な回答ではない。この学校での教師の評価は、校長先生に気に入られているかどうかが全てだ。生徒からの評価など考慮もされていないという事実があった。そこを鋭く指摘したつもりだったが、さらりとかわされてしまった。
今日で学校を去る立場なので、それ以上特に言うべき事もなく、
「二か月間お世話になりました」と言うと、お世辞なのかどうか分からないが、
「ヒロユキ、あなたはクラスメイトをフォローしたり、代表して改善点を指摘したり、とても素晴らしい生徒でした。これからここで学んだ事をどの様に生かすかは貴方次第です。頑張ってください」と、おそらく全卒業生に使っているであろう常套句を言われ、俺もげんきんなもので素直に喜び、
「ありがとう」と言うと、(俺は素晴らしい生徒だったのか)としみじみしながら教室に戻った。
最後の授業が終わると、クラスメイト全員で記念撮影をして、いつもの待ち合わせ場所に行くと、今夜行われる俺の送別会に参加するメンバーが揃っていた。
「お待たせ。写真撮っていたわ」と言いながら皆の元に駆け寄ると、
「ヒロポンさん、行きましょう」と、珍しくソン・レイが乗り気だ。こいつ気持ち悪いなと思いながら皆で学校を出て、ケイさんのフラットに一旦荷物を置き、直ぐ傍のビッグスーパー、セインズ・バリーに買い物に行く。一応俺が主賓なので、料理用の食材は女性陣に任せ、お酒を俺とケイさん、ヒロとソン・レイの四人で買った。ケイさんが、
「ヒロポン、こっちで飲むのは今日で最後だから、好きなお酒買って良いよ」と言ってくれた。それならばと、飲んだ事のない高くて美味しそうなビールとワインを一本ずつ購入した。
夜の七時になり、女性陣が作ったベーコンとタマネギとバター醤油の辛口パスタ、生野菜のサラダが出来上がると皆で乾杯をした。乾杯の御発声でケイさんが、
「ヒロポン、色々とありがとう」と言ってくれたが、上手く返す言葉が出て来ずにただ照れていると、ソン・レイに笑われた。明日俺が帰国する事、空港まで皆が見送ってくれるという事もあり、この夜はいつもの様に浴びる程酒を飲まず、随所で写真を撮りながらロンドンでの最後の晩餐を楽しんだ。
途中、花火がどこかで上がった様なので急いで窓から外を見ると、俺の背中に柔らかい胸が当たった。誰かが俺の上に乗っかった状態で、同じく外を眺めている様だ。俺は下になっていた為誰が乗っかってきたのか全く分からなかった。これまでの経緯から、アヤだろうと思ったが違った。サトミだった。サトミの胸が背中に当たりその柔らかい感触が心地良く、ロンドン最後の夜にして図らずもサトミの胸の感触を味わってしまい、良い思い出が一つ出来たと思った。(こういう事をするということは、サトミもひょっとして俺の事を・・・。違うよな、勘違いするのは止めよう。でも勘違いしちゃうよな、こんな事されたらさ)丁度夜の九時になったタイミングで、
「ずっと黙っていたけど、実は今日の為に花火を買ってきたから、皆でやろうよ」と俺が言うと、
「本当に?やろう、やろう」と皆が乗り気で、かなり食い込み気味に言ってくる。
花火開場は、ケイさんのフラットの近くだと、危険と隣り合わせの不穏な公園はあるが、安全に出来る場所がないので、前々から目を付けアヤにも事前に話していた、俺のステイ先の傍にある公園にする事になった。公園までほろ酔いの心地よい気分で歩いて行く。花火は全部で五十本ある。花火をする人と写真を撮影する人を交互に変え、全員で花火を楽しんだ。平均年齢二十五歳のいい大人が、キャッキャ言いながら花火を楽しみ、ソン・レイは、はしゃぎ過ぎて転んだ。時間にすると短かったが心に残る楽しい花火をした。
宴のクライマックスである花火が終わると、俺はステイ先の直ぐ傍まで来ていたので、そのまま帰る事にした。皆は荷物をケイさんのフラットに置いて来た為一度フラットに戻ると言う。別れる前に、
「みんなありがとう」と言うと、
「明日、ここまで迎えに来るから」とケイさんが言い、皆も、
「明日、空港まで一緒に行くから。また明日ね」と言いそのまま散会した。俺は、花火を皆に喜んで貰えて非常に嬉しかった。
本当は、アーセナルかチェルシーの試合のチケットを、チケット屋から高額で購入する為にお金を残しておいたのだが、そのお金を今回の花火の購入費に充てた。結果、花火を買って良かったなと満足しながら、ステイ先の鍵を開けて玄関に入った。
「ただいま」と言ったが、俺が滞在する最後の夜にも関わらず全員寝ていた。
ロンドン最終日
翌朝、俺の出国日は生憎の雨だった。荷造りをし、ステイ先で最後の朝食を食べる。最後に言っておかないといけないと思い、
「これまで滞在してきて、何度か貴方達家族が集う場面があったけど、あなた達の優先順位一位は家族だと思い、俺は立ち入らない様にしていた。だから挨拶程度しかせずに申し訳なかったと思う」と言うと、
「分かっていたわ。配慮してくれてありがとう」とリンが泣きながら言った。
「こちらこそ、お世話になりました。ありがとう」と言い残っていたミルクを飲み干すと、二階の部屋へ戻って行った。しかし、正直に言うとこの発言は俺の最後のブラックジョークで、「ホームステイしている学生よ」と訪問して来た家族や親族に、俺を紹介すべきではないかと前々から思っており、俺は露骨に一線引かれていた。
部屋を眺め、もうこの部屋に戻ってくる事もないのかと思うと寂しくなってきた。二週間前ロンドンのヒースロー空港でテロがあった際、俺は帰国が怖くなった。テロに遭うかもしれないと思ったのだ。その事を夕食時にリンに話すとこう言われた。
「物事は着実に進めて行かないといけないわ」と。寂しがっていてはいけない、俺の本拠は日本だ。ここロンドンでの日々はヒロの言葉を借りると、「夢の時間」だ。だが、夢の時間が終わるまでもう五時間しか無かった。
涙を流すリンと握手をし、外まで見送ってもらうと俺はバス停に向かって歩き始めた。バス停の手前で傘を差しながら待っていたケイさんに会う。
「ありがとうございます」と言うと、
「雨で寒いね」と返ってきた。バスに乗りウインブルドン駅に着くと、改札前で皆が待っていた。アヤの顔を見るともう寂しそうな顔をしていなかったので安心した。
ディストリクト・ラインに乗り、アールズ・コート駅で乗り換えるのもこれで最後だ。ピカデリー・ラインに乗り空いた席に俺とソン・レイが座ると、俺はソン・レイに聞いた。
「ワン・ジェイは昨日の送別会も来なかったし、最近全然俺達と絡まなくなったんだけど、何かあったの?」
「俺はワン・ジェイに『失望した』と言ったんだ」と彼が言うので何に失望したのかと聞くと、
「英語の勉強をしっかりしないから進級出来ない。だから皆と英語で意思疎通が出来ない。この負のスパイラルに陥っているのを改めようともしない。そこに失望したと言ったんだ」と言う。
「ソン・レイの『失望した』という言葉が彼には重過ぎたんじゃない?」
「そうかもしれないけどそれで奮い立たない様では、彼は駄目だ」と言い切った。ウインザー・キャッスル以外、ワン・ジェイが俺達と一緒に行動しなかった訳が、帰国直前になってやっと分かった。
時間とは残酷なもので、過ぎて欲しくない時に限ってアッという間に過ぎて行く。俺はチェックインをして荷物を預けると、出国検査の時間まで皆でスターバックスに行き最後のお茶をした。もう出国間近のこの様な時間になると、必然的に場の空気は重くなり会話も少ない。(この空気だと、ちょっと帰国し難いな)俺はかねてからの案を提案した。
「皆が母国に戻ったら、どこかで再会しようよ。一年後位に」
「いいね。しよう、しよう」とアヤが喜んだ。
「俺は韓国だから厳しいよ」と現実的な事をソン・レイが言う。
「日本に来れば良いじゃん。もてなすから」と俺がフォローする。(ぶっちゃけ、日本人だけで日本で集まれればそれで良いのだけどね)少し場が和んだ。時計を見ると出国検査に向かう時間だ。店を出て、直ぐ目の前にあるゲートに移動する。
見送りに来てくれた友達全員とハグをして、一言ずつ言葉を交わす。
「みんな、ありがとう」と言いゲートに向かおうとすると、
「ヒロポン、これ」とアヤが、表紙にロンドンの象徴的な建物、ロンドン・アイやビッグ・ベン、セント・ポール大聖堂等のイラストが書かれたメッセージカードを渡してきた。
「飛行機の中で読んで」と言うとソン・レイが、
「ヒロポンさん、泣いちゃ駄目だよ」と笑う。
「泣かないから大丈夫」と言い、手を振ってゲートに入る。ゲートに入ってからもガラス越しに皆が手を振るのが見える。先に進むと身体検査と手荷物検査が行われる。それらを通過して後ろを振り返ると、壁に遮られもう皆の姿は見えなくなっていた。
搭乗時刻まで時間があったので免税店を覗き、自分へのご褒美を買おうと思ったが、特に欲しいものが見当たらなかったのでさっさと搭乗口に移動した。日本から出国した時は搭乗までの時間が長く感じられたが、いざ日本に帰るとなるとこれまでのロンドンでの出来事が走馬灯の様に思い出され、感慨に耽っている内にあっという間に搭乗時刻になった。
日本から来る時は、隣が優しい日本人女性の薫さんで非常に助かったが、帰国便の隣はイギリス人の大男で、俺が使おうと思っていた肘掛けがその巨大な体に埋もれていた。離陸してから水平飛行に入るまでは、いつもの緊張が続いたが、飛行が落ち着くとさっきアヤからもらったメッセージカードが気になり、バックパックから取り出した。カードを開くと一人一人が英語で俺へのメッセージを書いてくれていた。それぞれのメッセージを読みながら、俺は周りも気にせず号泣した。
帰国後
ロンドンでの夢の様な生活から現実に戻り、早三年の月日が流れた。俺は帰国して直ぐに尚美と会い、きちんと話し合った上で婚約を解消し別れた。親からは「バツイチだね」と言われたが、こればかりは仕方が無い。尚美と別れて直ぐに新しい彼女が出来たが、一年半足らずで別れてしまった。皆とは日本人だけで年に一回、一泊二日の温泉旅行に出掛けていた。だがロンドンに居た時と違い、皆が日本での現実を背負いながら生きているせいか、一緒に居る時の空気感があの頃と全く違ってしまい、俺はその違和感が嫌で仕方なかった。
そんな皆との遣り取りを日常的にしようと、SNS内にウェザースプーンというグループを作り、参加を呼び掛けたが即座に応じたのはアヤだけで、他の皆に何度か催促したが、結局参加してくれなかった。とりあえず、俺とアヤだけで遣り取りを始めてみると、少しずつ俺とアヤの交換日記の様になって来た。お互いの日常を隔日で書いているので、相手の状況が直ぐに分かったし、遠く離れて暮らすアヤと日本に帰国してからSNSで繋がり、文字を介して色々な事を話すのも楽しかった。
ロンドンの日々から三年以上経っていたが、俺は未だロンドンの亡霊から完全に逃れる事が出来ずにいた。ある日アヤとの遣り取りの中で思い切って切り出した。
「今度、良かったら横浜に行かない?みなとみらいに」
「いいね。私、横浜大好きだから行く、行く」
「それでさ、インターコンチネンタルホテルを予約しようと思うんだけど、一緒に泊まらない?」
「日帰りじゃないの?」
「日帰りだと、山形の俺が大変だから」
「うん、良いよ。インターコンチか。楽しみ」
「ツインルームにするけど、良いよね?」俺はアヤの反応に全神経を傾けた。
「いいよ。オーシャンビューにするの?」良かった。俺と一緒の部屋に泊まる事については、問題ない様だ。
「敢えてシティービューにしようかと思って。よこはまコスモワールドのライトアップされた綺麗な観覧車とか、夜の街並みも見えるでしょ」
「あー、それもいいかも」
「じゃあ、ホテルを予約したら詳細を教えるね」
「よろしく。楽しみにしているね」
八月最後の週末、俺は六月のボーナスで購入した自動巻きのロレックス・エクスプローラー1を腕に巻き、横浜に向かいアパートを出た。外に出ると今なお残暑が厳しく、朝の十時にも関わらず真昼の様に暑い。アパート向かいの畑に植えてある柿の木にいるアブラゼミの集団がジージー、ジージーと煩い。
アパートから出るとバス停まで、日に焼けたアスファルトにロンドンで買った革靴の底を焼き付けながら歩く。この靴は、アヤと逢った時の話のタネにと約二年ぶりに履くので、足に馴染まず歩きにくい。バス停に着くと背中に汗が流れるのを感じる。汗をかいてしまったがバスに乗ってしまえば、そこから先はずっとエアコンが効いている筈だ。汗のにおいが残るかどうか気になる。アヤと逢うので、どうしても細かいことが気になって仕方ない。バスを待ちながら暑さから逃れる為、アヤの事を考え現実逃避する。
今日、同じ部屋に泊まる事になったので、あれから三年経ってはいたが横浜で男女の関係、更には日本で恋愛関係になる可能性はまだあると思う。アヤは俺が帰国した後ステイ先を引き払ってケイさんのフラットに一か月居候したという経緯があり、今日同じ部屋に泊まる事に対する感覚がその居候した時の様な感覚であれば、俺とアヤにはもう縁がないのかもしれない。
日本に帰国してからもずっと遠回りをし、今日に至るまで三年もかかってしまったが、俺は今日ロンドンの亡霊を脱ぎ払う為に、強い決意をもって横浜まで確かめに行く。レスター・スクエアで感じたあの運命の終着点を。
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