見出し画像

不可解参狂: 成長の物語

不可解参狂が終わって三日間があっという間に経った。自分の手首にはまだ赤いラバーバンドが付けっぱなしで、現地から帰ったら見ようと思っていたアーカイブ配信も見れていない。自分の中では余韻が落ち着きなく渦巻いていて、あの武道館から日常までの帰路の途中にまだいる。整理がつかないまま、熱が冷めないままの感想をいったん書き留めておきたい。


ちょっとした用で渋谷まで歩いた時、スクランブル交差点で不可解参狂の壁面広告を見た。唐突に実感したのは「遠さ」だった。およそ3年前、花譜の曲が自分のプレイリストに混じるようになった頃には想像もしなかったことが彼女とそれを支える人々の力によって矢継ぎ早に実現していく。

不可解参狂の、バーチャルアーティストとして史上初の武道館ライブという快挙。そしてそれを象徴するような壁面広告を実際に見たとき「本当に凄い存在になったんだ」という興奮と一緒に「遠くなった」という妙な寂しさが湧いた。好きなアーティストがメジャー化していく様に対して誰もが経験するありふれた感情だろう。

ライブの当日、武道館の二階席後方で開始時刻を待っている間もその感覚は大きくなっていく。初めて見下ろす武道館はあまりにも広くて、手のひらほどの小ささに見えるステージは少し寂しげで、やはり自分からは遠く思えた。

しかし、会場が暗転して一曲目の『魔女』が始まった瞬間にそんなことはどうでも良くなった。 その数秒で「今日ここに来れて良かった」と確信できた。ただの余白だと思っていた空間を観客席で波のように揺れる無数のライトと飛び交うレーザーが埋め尽くし、小さく見えたステージが瞬く間に視界いっぱいまで広がったから。

この世界は私の物だ 音が鳴り響くまで

花譜/カンザキイオリ『魔女』

花譜が体現しているもっとも大きな物語は「成長」だ。彼女の初期を象徴する曲を一つ挙げるなら、今回歌われることのなかった『そして花になる』。「私が歌を歌うのは歌が好きだったからさ」。ただ歌うことが好きな、何処にでもいる、何処にもいない14歳が原点だった。

少し踏み込みすぎた話、ともすれば不快かもしれない話をすれば、花譜の「成長の物語」には二つの面がある。つまり、多くの人によって作り上げられてきた「外側の花譜」、もう一つが実際の彼女自身である「内側の花譜」の両面だ。アバターと演者の関係だと言い換えてもいい。

不可解シリーズや様々な楽曲で扱われる「大人になる過程や変化を描写する」という物語は言ってしまえばプロデュースやクリエイターの側からエンチャントされるものだ。

なら「花譜」は単なる造形された物語の器なのか。無論、言うまでもなく、全く違う。このコインの表と裏は相互作用を持ち渾然一体としている。そして、少しずつ成長する「内側の花譜」は活動を重ねるごとにその影響力を強めてきた。歌が好きで歌い続けたいだけだった最初の地点から、それを通じて何を成し遂げたいのか明言され、少しずつ彼女自身から生まれる言葉が増えていく。

不可解参狂のラストでは衣装が特殊歌唱用形態から再度変化した。花譜として典型的なデザインでもない、普通の私服を模した衣装。その姿で歌われたのは初めて花譜自身が生み出した『マイディア』だった。

この歌に比べれば「花譜の成長」という物語の区切りを「VTuber史上初の武道館ワンマンライブ」という点に置くのはあまりに客観的すぎる。この歌だ、この新曲が「内側の花譜」としての到達点だ。

歌っている時の堂々とした態度からは意外に思えるような、あの少し自信なさげな口調で搾り出されるように語られる彼女の言葉。それを会場中が一つも聞き漏らさないよう耳を傾けている時、ここに至るまでの軌跡を追ってきて本当によかったと改めて思えた。

いつの日か彼女がビルボードへ載り、その名前を知らない人がいなくなるかもしれない。だが、このライブとこれまでの物語を目撃できたのは夢中で今を追ってきた観測者だけだ。

花譜がステージから去ってからも、会場中から拍手が狂ったように鳴り響いて、それはエンドロールが全て終わるまで止まらなかった。

ライブを観ようとは思わなかった。音楽ならいくらでも聴けたから。
現地まで行こうなんて思わなかった。アーカイブ配信の方が観やすいから。
歌手自身の思いや物語なんてどうでも良かった。音楽には関係ないから。
花譜やV.W.P、KAMITSUBAKI STUDIOを好きになるまでそう思っていた。