【映画・空海】長恨歌を書いたのは私ではない-白楽天-
「唐の都の壮大さが画面いっぱいに感じられる時間だった」
といえば、頷いていただけるはずだ。
1200年以上前、日本から遣唐使として中国・唐へ渡った若き天才僧侶・空海。あるきっかけで知り合った白楽天という詩人(のちの白居易)との交流を深めていく中、世界最大の都・長安の街は、権力者が次々と奇妙な死を遂げるという、王朝を震撼させる怪事件に見舞われる。映画「空海-KU-KAI」公式 より引用
観客のスコア評価は、鑑賞後に感じたものよりはるかに低く設定されていた。ストーリーがどうとか、邦題とのギャップだとか、CGがありえないとか、そんなのばかりだ。良いストーリーなんてわからない、邦題にはそうすべき理由があるはず、CGは自然であることが決して良いとは限らない。違和があるとするなら、その理由を必死で見つけたくなる。そもそも、他人が決めたスコアの基準を平均化すること自体が好きではない。それでもスコアは、作品選びを助ける大きな要素になってしまった。
映画を観終えた、映画をもうあと二回観に行った、原作本を買った
今まで作品を品定め評価するような目線で映画に向き合ったことがない。小中高、映画館で映画を見るために1500円前後のお金をお小遣いから捻出するくらいならばTSUTAYAで旧作をレンタルして安く済ませる方がマシだった。一体何を済ませていたのだろう。それどころか、金曜ロードショーで映画を観られるのになぜわざわざレンタルしてまで観たいのかと、現実により近いのはこっちだ。近くの映画館まで電車で30分、駅まで車で15分、田舎者にとって隣の隣の隣街にある映画館は都会的な箱だった。
友達とグループで映画を見に行くことになった時も、「鑑賞料が勿体無いから」と断ったこともあった。今だからこそ言えるが、要らぬ金銭感覚と徹底ぶりだった、その友達に「あの時はごめんなさい、ありがとう」と言いたい。そんな過ごし方をしてきたからか映画は非日常的な存在に等しくて「趣味は映画です」の文字が高貴に見えていた。信じられないほどに、映画作品に欲の湧かない人間だった。
そんな人間が映画を覚えてまだ歴は浅い。レビューなんていう、大した名目のものは書いているつもりはないけれど、感想分ならば好きで書いている。むしろ書いておきたい。
暗い箱の中は思考回路の循環が最高だ。目の前で起きている何かしらをじっと見つめて、時にはナチョスとスプライトを口に運んで、目に止まったものを引きずるように頭のなかで考え事をはじめる。もしかすると、その時の自分は作品に集中できていないのかもしれない。その代わり、映画を見終えた後に平常心とはどこか違う感覚を覚えたとしたら、それは「観てよかった」という自分だけに向けられた合図だ。その合図を言語化するには、心の温度管理が重要だったりする。冷めてしまっては表現できないし、暑すぎると言葉の節々に気持ち悪さが残る。ヒトは恒温動物なのに、ヒトの心は面白いほどに変温動物と一緒だ。
この映画には吹替版とインターナショナル版がある。比較しがいがあるほど、全く別の作品に仕上がっていた。これがワタシにとっては嬉しかった。
白楽天はすっきりとした表情でこう言っていた。
"長恨歌を書いたのは私ではない"
いいや、長恨歌を書いたのは白楽天以外の誰でもなかった。でもこの言葉が、映画「空海 KU-KAI」を"ワタシなりにたたむ"ためになくてはならない存在だった。言葉の意図することは、映画を見て容易に察してほしい。
この文章を書いたのはワタシではない。
白楽天の話す言葉を思うと、このnoteを書いたのはワタシではなくなる。映画「空海 KU-KAI」が、このnoteをこの題材と展開で書けるようにそうさせていた。だから白楽天の言葉がひどく気に入ってしまった。
ワタシにできることは「本当の著者の存在を認識し、書くことを通じて敬意を示すこと」にほかならない、と。