
北村透谷「時勢に感あり」現代語訳
北村透谷の社会評論「時勢に感あり」の現代語訳である。明治23年3月に『女学雑誌』に発表された。当時の日本は、松方財政によりデフレ政策が強行されて以降、人々の暮らしが厳しい状況に追い込まれていた。加えて明治22年は最初の恐慌が発生した年であって、状況はさらに悪化していた。こうした社会の現実に目を向けない政治家や文学者に対して透谷は厳しい批判を行っている。北村透谷を、想世界すなわち内面世界を重視する文学者と見るだけでは、その本質を理解したことにはならない。透谷の社会批評家としての側面を代表する評論である。
現代語訳の底本としては、『文体』(日本近代思想大系 16)、岩波書店、1989年1月刊行に所収のものを用いた。校注者は、加藤周一、前田愛である。解題および校注から極めて多くのことを教えられた。校注を訳文に利用させていただいたところもあることを明らかにして、深く感謝したい。
現代語訳 「時勢に感あり」
北村透谷 著 上河内岳夫 現代語訳
君は知らないだろうか、人は魚のようだ。暗い所に住み、暗さに迷って、寒く、食は少なく世を送る者である。家はなく、助けはなく、暴風暴雨に悩まされ、辛うじて五十年の歳月を踏み越えるのである。過日見た門松は果たして私たちを祝ったのか、それとも弔ったのか。泣いて暮れを明かした者もあろう、笑って新年を祝した者もあろう。私は礼を知らず、普段着であちこちを見舞うと、賢いのだろうか、彼らは皆酒杯を手にし、曲げて豪遊を装い、胸中の疑惑と恐懼と鬱快[気持ちがふさぎ晴れないこと]を散じ去ろうと企てる。誰が汝らに教えて、このような無邪気な罪を構えたのだろうか。人よ、汝らがこのように装って自らを欺き、あわせて他をも欺くのは自然であり、私はあえてとがめだてしない。されども私は不幸にして憤慨が多い。何が私を怒らすのか、何が私を苦しめるのか。私は自ら知らないのではない、それにもかかわらず言い難いのである。天は果たして我が民を助けるのか、天は果たして我が民を呪うのか。紛々擾々[乱れもつれるさま]とした社会の現象を一括してきて、つまびらかにこれを観察すれば、熱い涙の期せずして私の両頬を覆うものがある。ああ、我が民、戒心する所あれ。思えば、なぜ文学者を必要とするのか、なぜ政治家を必要とするのか、なぜ僧侶を必要とするのか。卑劣な恋情を解釈させようとするためか、狡猾な私的繁栄を求めようとするためか、袈裟を着、もしくは抹香を薫じさせようとするためか。
ああ、どうしてそうであるのか。憤慨して起つべき社会は、汝の眼前に横たわっていないのか。区々たる恋愛の説明、私はこれに倦むこと久しい。些々たる一代の栄声を求めて、咄々何と狭隘なことか。汝の前に粉砕すべき悪組織の社会はないのか。頭を丸めて、香を焼き、笏を振って、汝は誰を救おうとするのか。ああ、汝の筆を捨てよ、汝のスペンサーの訳書[松下剛訳「社会平権論」など]を投げよ、汝の袈裟を脱ぎ去れよ。今日はペダントリー[衒学趣味]の縦横すべき日ではないのである。
傲然として、「私は国を愛す」と言う者がある。その妻は明朝の食を憂い、その娘は誓うこと久しくして未だ嫁することができない。一壺の酒は既に尽きて他を呼ぶが、妻が逡巡して起たないと、彼は足を挙げて蹴る。彼が政談をなす時は一個の愛国者であり、彼が家庭に帰る時は既に一家の破壊者、一国の破壊者であることに甘んじる。
「私は文学世界の一王である」と漫言する者がある。悟る所はどこにあるのか、憤る所はどこにあるのか、教えようと欲する所はどこにあるのか。貴公子よ、君の顔は紅であり、君の眼は涼やかであり、君の口は可愛らしい。されども漫々たる宇宙の大真理は、君の進む方にはなくて、君の後にある。君が理想して出された美人は、まあ君の掌中の物であろうが、どうして神女が来て君と遊ぶだろうか、どうして天使が来て君と笑語するだろうか。君の手は悪魔を防ぎつつある者を撃とうとしつつあるのか、それとも君が全体は彼の掌上に酔い伏しつつあるのか。私は行き行きて市街を過ぎると、悲しまない者はなく、憂いていない者はいない。悲しみや憂いを隠蔽するために再び悲しむべき憂うるべき罪を構えつつ、更にまた悲苦に慟哭すべきことをなす。日に月にドソーフ[dwarf(ドワーフ)、小人]であろうとする傾きがあり、日に月に支離滅裂しようとする思いがある。どうして私は杞憂するだろうか。熱腹な者がいたずらに憤り、薄情な者が時を得顔に蹂躙しつくそうとするのをただ恐れるだけである。
若年の文学者よ、願わくは怒ることなかれ。私はかつて諸君たちに歓楽者という呼び名を奉ったことがあるのを記憶されているか。[「当世文学の潮模様」]。ああ歓笑するか、歓笑するか。私は諸君たちをうらやまない、この世は歓笑すべき所ではない。右に左に暗々颯々[ひっそり静かに]、不幸をかこち、非遇を嘆じる者は、幾百万いるだろうか。行って彼らを慰藉なさらないのか。彼らが求める所は、諸君たち貴公子が驕慢に罵倒し去り、冷笑し去ることではなくて、一滴の温かい涙で、彼らに同情を示すことにある。ああ、名誉や利益を頼む政治家よ、昔アレクサンダーと呼ばれた頑是ない子供[アレクサンダー大王]が、地球が二つないことを苦しんで、泣き明かしたと聞いた。諸君たちはどうして空しい瞬時の栄誉を追って疲労するのだろうか。
思うに冷ややかな心根は多く、涙を含んだ温かい心根は求めても得られない。家がなく、食がないあばら家の住民、その恨みは日に切実である。彼らは知らないので天を恨み、地をののしる。志ある者よ、少しく戒しめる所あれ。
(明治二十三年三月、『女学雑誌』203号)