魚住折蘆「自然主義は窮せしや」現代語訳
「自然主義は窮せしや」は、文芸評論家の魚住折蘆が、明治43年6月3、4日に「東京朝日新聞」の文芸欄に発表した評論である。
魚住折蘆は、明治16年に兵庫県に生まれ、第一高等学校を経て39年に東京帝国大学文科大学に入学し、ケーベル先生に師事して哲学を学んだ。大学卒業後は大学院に進んで文明史の研究者を目指すとともに、夏目漱石の影響が強かった朝日新聞の文芸欄に、本稿の他に「自己主張の思想としての自然主義」(同8月)、「穏健なる自由思想家」(同10月)などを発表して、新進の文芸評論家として注目された。魚住折蘆の評論は石川啄木に大きな影響を与え、特に「自己主張の思想としての自然主義」は、43年8月に啄木が「時代閉塞の現状」を執筆する直接のきっかけとなったことで知られている。ただ、魚住折蘆は、43年12月にチフスのため28歳で急逝した。
この現代語訳の底本としては、『現代文芸評論集』(日本現代文学全集 107 増補改訂版、昭和55年5月、講談社)に所収のものを用いました。
自然主義は窮せしや
― 自然主義は窮したか ―
魚住折蘆 著、 上河内岳夫 現代語訳
(上)
近頃こんな問いを掲げて、これを肯定する人が少なくないようである。中には自然主義を既に勢力を失墜したものと見てか、気早く他の異なったイズムを担ぎ出そうと焦っている向きもあるようである。しかし事実の観察と好悪の判断とを無闇に混同してはならない。私とても自然主義そのものには深い不満を感じている者ではあるが、少し論壇の旗色が悪いと言って、自然主義がさも滅亡してしまいそうに言いたくはない。論壇に代表者を持っていないことと、社会的勢力として衰えたこととは別である。私は社会的風潮として気分としての自然主義の実力を承認せざるを得ない者である。どんな天才も社会的感情に乗じなければ、目覚ましい働きはできない。痛切な自己の主観の要求に社会的感情の一波動が自覚された時に、新しいイズムの綱領を発表するもよかろう。少なくとも私は自然主義に対する漠然とした不満とこの不満を癒やすべき反対の傾向の知識的理解との他に、まだ切実な主観の要求としての新傾向が湧いていないことを告白せざるを得ない。これを要するに私の見る所によれば自然主義は窮していない。目下の問題はわずかにこの自然主義がいかに経過すべきかを模索するにとどまるのである。
自然主義が現代の科学的・唯物的・現実的な思潮の産物であることは言うまでもない。したがって自然主義の将来の運命は、これらの現代思潮の生命の長さにかかっている。あるいは現在のありのままの姿をもって自然主義が続かないかも知れないが、いわゆる現代思潮がどうにか推移しない限り、自然主義的傾向は社会に跡を絶たないであろう。
いわゆる現代思潮あるいは近代思潮は、その内容が複雑多岐であるにかかわらず、一言をもってこれを尽くせば、客観が主観を抑圧もしくは征服した思潮である。時には主観を強調して客観を罵る者もないではないが、その叫びは反抗の悶えの告白であって、勝利の凱歌ではない。現代のどこに若々しい主観の姿が見られるだろうか。客観主義は科学の精神で、唯物論はその帰結である。大いなる自然の前に人は虫けらと選ぶ所がない。進化論以来、人の世界における特異な位置は許されなくなった。この人間を自然の一片とする客観主義もしくは唯物的・科学的な思潮は、人間を生物視してその霊性を拒否することによって、従来の仮想的迷信(!)から人の動物性を解放することと、科学の結論である宿命説によって人の道徳的責任を解除することとによって、折から生存競争に忙しくなって自己存在の他に顧みることを欲しなくなった時代の人心に投じるものである。否、このような生存競争そのものが、唯物論もしくは科学的精神が人心をおだてて物質的欲望を是認し、弁護し、奨励した結果である。唯物論とその道徳である快楽説(功利説をも含めて)と宿命説とが、いわゆる近代的思潮の本流である。主観の侮辱もここにおいて極まれりと言わねばならない。
いわゆる自然主義なるものは、積極的にこの客観主義を奉じて人間の動物性もしくは獣性を誇張すると同時に、消極的にこの動物的生活のわびしさ、味気なさに対する倦怠の情を表白することによって複雑にされている。自然主義の文明史的意義とも言うべきものは、むしろこの消極的一面にあるのではなかろうかということは、私がかつて言った通りである。もちろんこれでは自然主義者が承知すまいが、なお少し文明ということについて考えて見たいと思う。
(下)
昔の哲人が「巨人の真の戦い」と言ったように、主観と客観との闘争は思想史の一切である。主観はその統一性を誇りとして、客観はその多面性を楯として両々が常に争ってきた。客観主義が主観の貧弱な統一を打破して豊富な世界を展開する功績は、もとより承認せざるを得ない所で、今日でも人のよい信仰や、家庭小説や、観念小説が軽侮されるのはもっともなことである。しかし人類が誇るべき光華ある文明的産物は、客観主義がもたらすことができない所であった。本来文明は人類の産物である。人類の自信を冷却させて、憧憬の情を阻止して能力のない自然の一塊となさしめる客観主義が偉大な文明を産出するはずがないのである。こんなことを言えば、ある人は自然主義の立場からは文明も不文明もないと言うであろう。いかにも精神の存在を認めない自然主義者には文明も天才も何もあったものではなかろう。彼らは切実な現実刹那の威力に面食らって、精神とか文明とかそんな夢のような話を顧みる余裕がない、換言すればそんな暢気な不真面目(!)なことを考える間がないと言うのであろう。しかし刺激の直接かつ強烈な現実を真として、他をイリュージョンとするのは、なにも彼らが現実に対して真面目なからではない。これも科学的・唯物的思潮の結果である感覚論に陥って、現在以外のことを考えることに無能力になっているだけのことである。無論自然主義は認識問題を取扱っているのではないが、感覚論が唯物的な時代一般の認識となって社会的感情に漂っていて、それを自然主義が拾い上げて具体的に言いあらわしたに過ぎない。何も自然主義者のいわゆる切実な現実ということを抽象的な学説と混同しようと言うのではない。
また現代の謳歌者でいわゆる近世文明に随喜している人も、客観主義が偉大な文明を持ち来たさないという説に反対であろう。彼らは自然主義者とともに唯物論・感覚論の信徒であるが、比較的に生存競争の逆流に闘わなかった人に多いようである。したがって彼らには自然主義に見るような倦怠や疲労を感じていない。自然主義が都会の宗教ならば、後者は貴族や富豪や田舎の人の宗教である。しかし田舎にも生存競争の世知辛さは次第に浸潤して、汽車や汽船の便利に感泣した純朴な唯物論者も、ようやくひねくれた唯物論である自然主義に改宗して行くようである。これら富豪貴族とその与党の現代を讃美する人たちは、主観が抑圧されて人間が自然の一片として無能力になったということを信じることができない。彼らは定義して「文明とは人が自然を征服して、これを利用する活動という意味である」などと楽天観を並べている。科学の発達が宿命説になったり、意志薄弱の結果を生じたりするなどと言えば、彼らはびっくりして目を回すであろう。しかし蒸気や電気やガスを駆使して巨大な機械を運転し、人類の能力に感心して、得意の鼻をうごめかしている間に、彼らの人生観が機械的になり、生物学的になって、自然律[自然法則]の応用が道徳にまで及んで、宿命説のために意志薄弱に陥ってしまっていることを知らないのである。科学の応用は物質的享楽をカルティベートする[養う]には功がある。しかしただ便利と言うまでで、人の精神を昂揚させるインスピレーションはここに存在しない。換言すれば、我らはいわゆる現代文明なるものをもって、精神的文明の発展を阻害する客観主義として呪わざるを得ないのである。
我らの世紀は憐れむべき世紀である。精神の昂揚を許さず、したがって天才の出現することができない時代である。トリビアリズム[trivialism、瑣末主義]の横行する時代である。ことにこの傾向を助けているのは、長い間のオーソリティー[権威]の専横に対する反抗の情が養ったデモクラティック[民主的]な精神である。我らは天才を崇拝する謙虚の情を失ってしまっている。また科学に対する信頼の情は、今日の社会においてほとんど不抜の堅さを持っている。それに対して不信を発している者は、極めて寥々たるものである。なおまた物質的享楽は営々として開拓され、促進されつつあるではないか。今日にあってもローマの滅亡の前のように、快楽に対する嫌悪の声を聞かないでもないが、ローマ人のような豊満の情は今日どこにも見出すことができない。今日快楽に対して嫌悪の情を発する者は、その意のごとく満たすことができない不平からこれを出すのである。こんなことではとても菩提心を起こせるものではない。自然主義の背景はすこぶる堅固であると言わざるを得ない。
主観の自由な活動、統一ある世界観、精神の国、理想の境、およそこれらのものは、今日幻影とされている。これを幻影とすることに不服な者も、この滔々とした社会的感情に対して多少は伝染されざるを得ない。したがってその不服も徹底しておらず、頭で不服で感情で譲歩している者は無数であろう。非自然主義を説いて自然主義的作品を出すとの非難は、この辺に向けられるのではあるまいかと思う。
自然主義は無論結構なものではない。しかし社会の実力として時代の感情生活を背景として存立している限り、決して窮していない。したがって我らの文明もまた遠い。(5月18日)
(明治43年6月3、4日「東京朝日新聞」)