北村透谷「厭世詩家と女性」現代語訳
〇北村透谷が明治25年2月に『女学雑誌』に発表した評論「厭世詩家と女性」の現代語訳である。この評論はそれまで詩人としての活動が中心であった透谷による最初の本格的な評論であり、透谷の目覚ましい評論活動の出発点になったものである。
〇透谷が「厭世詩家と女性」を書くきっかけとなったのは、「非恋愛」をめぐる論争である。明治20年代において徳富蘇峰の『国民之友』と巌本善治の『女学雑誌』は、キリスト教系の二大雑誌であったが、その蘇峰と巌本の間で論争がもちあがった。
徳富蘇峰は明治24年7月に『国民之友』125号に「非恋愛」という評論を発表した。その冒頭で「人は二つの主に仕えることはできない。恋愛の情を遂げようと思えば功名の志をなげうたなければならず、功名の志を達しようと思えば、恋愛の情をなげうたなければならない」と主張した。これは現代でも珍しくない「恋愛なんかやめておけ」論である。これに対して巌本善治は24年8月の『女学雑誌』276号に「非恋愛を非とす」を発表して、「人は恋愛をもまた功名をも、主とすべきものではない。人が主とすべきは、ただ大道だけである。そうして大道にかなう時は、功名も恋愛もあえて矛盾するものではない」と反論した。
二人の論争に巌本善治の側に立って加わったのが北村透谷である。「厭世詩家と女性」の冒頭の「恋愛は人生の秘密を解く鍵である。恋愛があって後に人生がある。恋愛を抜き去ったならば、人生にはどのような味わいがあるだろうか」の一文は、蘇峰の論に真っ向から反論したものである。
〇それまで北村透谷は「時勢に感あり」「二宮尊徳翁」などの小論を『女学雑誌』に投書して採用されていたが、明治25年1月下旬に初めてその編集人である巌本善治の下を「厭世詩家と女性」の原稿をもって訪れた。この原稿は『女学雑誌』への掲載が直ちに決定され、(上)が、2月6日刊の303号に、(下)が2月20日刊の305号に掲載された。巌本善治によって透谷は文芸評論欄の担当に任じられ、「『伽羅枕』及び『新葉末集』」(同年3月)以下、『女学雑誌』に継続的に評論を掲載する道が開かれることになった。
〇この評論は、当時の多くの若者に衝撃を与えた。島崎藤村は『桜の実の熟する時』に「厭世詩家と女性」の冒頭を引用したうえで、「これほど大胆に物を言った青年がその日までにあろうか。すくなくとも自分らの言おうとして、まだ言い得ないでいることを、これほど大胆に言った人があろうか」といい、また木下尚江も「この一句はまさに大砲をぶちこまれた様なものであった。この様に真剣に恋愛に打込んだ言葉は我国最初のものと想う」といった。藤村ら若者がこの評論を「恋愛の賛歌」であるように受け取ったのはやむを得ない面がある。
しかし現在の透谷の専門家は、そのような単純な読みは誤りであるとしている。たとえば中山和子先生は「「厭世詩家と女性」は、本来たんに恋愛論として読まれるべきものでなく、むしろ婚姻論として読まれることによって、恋愛論の構造もいっそう鮮やかになる。その「恋愛」と「結婚」の断絶の主題は、近代恋愛宣言の意味にも増して、重要な思想課題であった」(『差違の近代』)と指摘しておられる。実際、透谷はミナとの恋愛結婚の後に、キリスト教宣教師の通訳・翻訳の仕事をしながら、『楚囚之詩』と『蓬莱曲』の2冊の詩集を刊行したが、大きな成功をおさめることはできなかった。収入は安定せず、しかも透谷が精神的にも不安定であったことから、当時の夫婦関係は極めて悪化していた。「厭世詩家と女性」は透谷がまさに直面している問題を主題としたものである。
〇明治には新しい言葉が多数作られたことから、その漢字表記が現代のように確立していなかった。冒頭の原文は「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ」とあり、「じんせい」に「人生」と「人世」の二つの漢字が当てられている。透谷は二つの漢字を混用することが多いが、冒頭の文で両者を用いているのが悩ましいところである。しかしながら透谷がここで「人の世」「人の生」のように両者を区別しているとは思われず、藤村の『桜の実の熟する時』の当該部分の引用ではすべて「人生」としている(岩波文庫版による)こともあって、この現代語訳では、全体にわたって「人世」は用いず、現代の標準的な表記である「人生」に統一した。
〇この現代語訳の底本としては、小田切秀雄編『北村透谷集』(「明治文学全集 29」、昭和51年、筑摩書房)に所収のものを用いた。ただし(下)の釈迦の言葉は白文になっているので、その訓読に関しては『現代日本文学全集 第九編』(昭和2年、改造社)に従った。この訓読は正確ではないが、全体の文脈にはあっているからである。なお、岩波文庫版『北村透谷選集』の注解にも同一の訓読が掲載され、「透谷の引用仏典は仏典そのものからではなく当時の仏教を攻撃していたキリスト教関係の雑誌からの孫引きであると推定される」とある。訓読もそれによるのであろうか。
現代語訳「厭世詩家と女性」
ー 悲観主義の詩人と女性 ー
北村透谷 著 上河内岳夫 現代語訳
(上)
恋愛は人生の秘密を解く鍵である。恋愛があって後に人生がある。恋愛を抜き去ったならば、人生にはどのような味わいがあるだろうか。それなのに最も多く人生を見て、最も多く人生の秘奥を究めるという詩人という怪物が、最も多く恋愛に罪業を作るのは、そもそもどのような道理であろうか。古往今来、詩人で恋愛に失敗する者は、数え挙げることができない。ついに女性に結婚して詩人の妻となることを戒しめるに至らしめた。詩人はどうして無情な動物であるだろうか。否、その情が濃いことは、常人の幾倍であることが著しい。それなのに綢繆[睦み合うこと]を終わりまで全うする者が少ないのはどういうわけだろうか。ゲーテの鬼才をもって、後の人に「彼の頭は黄金だが、彼の心は鉛である」と言わせたのも、その恋愛に対する節操が完全ではなかったからである。バイロンの高峻[見識が高く険しいこと]をもっても、彼の貞淑で寡黙な良妻に狂人かと疑わせ、イギリスを去ってイタリアに漂泊するに及んでは、妻がある者・娘がある者にバイロンの出入りを厳重にさせたようなこと。あるいはシェリーの合歓[男女が共寝すること]がまだ長くは続いていないのに妻は去って自殺し、彼もまた天命を全うしなかったようなこと。彼の高厳で荘重なミルトンまでもが、一度はこの轍を踏もうとし、𡸳崅豪逸[高くそびえて並外れて優秀]なカーライルさえ死後に遺稿を上梓するに至って、合歓が団欒[楽しく語り合うこと]ではなかったという醜態を発見されたこと。その他にマルロー、ベン・ジョンソン以下を数えたならば、誰か詩人の妻であることを恐れない者があるだろうか。
思想と恋愛とは仇敵であるだろうか。どうして知らないのか、恋愛は思想を高潔にさせる慈母であることを。エマーソンが言ったことがある、「最も冷淡な哲学者でも、恋愛の猛勢に駆られて逍遙徘徊したという、若く元気だった時の霊魂が負った負債を返済することはできない」と。恋愛は各人の胸裏に一つの墨痕[筆で書いた墨の跡]をしるして、外からは見ることができないが、終生抹消することができないものとする奇跡である。そうではあるが恋愛は一見すると下品で暗黒であるようには、その本性は下品で暗黒なものではない。恋愛を持たない者は、春が来ない間の木立のように、何となく物寂しい地位に立つ者である。そうして各人各個が人生の奥義の一端に入ることができるのは、恋愛の時期を通過した後になるだろう。そもそも恋愛は透明で美の真を貫くもので、恋愛がないうちは一人の他人であるかのように社会に関心を持つことはないが、恋愛があった後は物のあわれ・風物の光景が何となく仮を去って実につき、隣家から我が家に移るかのように感じるのである。
思うに人は生れながらにして理性を持ち、希望を蓄え、現在に甘んじない性質があるのである。社会の絡みあいに苦しめられずに真っ直ぐに伸びた子供は、本来の想世界で成長し実世界を知らない者である。しかしながら一生涯の生活で実世界と密接し包含されない者はいないだろう。必ずやその想世界すなわち無邪気の世界と実世界すなわち浮世または娑婆と称するものとが、互いに争い、にらみ合う時期に達することを免れない。実世界は強大な勢力であり、想世界は社会の不調を知らないうちは成立するだろうが、すでに浮世の刺激に当たった上は、たとえ悪戦苦闘してもついには弓が折れ矢が尽きるという非運を招くようになることが理の当然である。この時に、想世界の敗将は、気落ちし心が疲れて何物かを得て満足を求めようとする。労働や義務などは実世界の遊軍で常に想世界をねらうものであり、その他の諸々の事物は彼に迫って剣槍を接し合うものである。彼を助けるもの・彼を満足させるものは、果たして何であるとするのか。答えは、恋愛である。美人を天の一方に思い求めて輾転反側する[眠れず寝返りばかりを打つ]のは、実にこの際に起こるのである。生理上で男性であるから女性を慕い、女性であるから男性を慕うにすぎないとするのは、人間の価値を禽獣の地位に移すものである。春心が勃発すると同時に恋愛を生じるというのは、古来、似非小説家が人生を卑しんで、自分の下品な理想の中に縮小した毒弊である。恋愛はどうして単純な思慕であるだろうか。想世界と実世界との戦争から想世界の敗将を立てこもらせる牙城となるのは、すなわち恋愛である。
この恋愛があるからこそ、理性のある人間はことごとく苦悩して死にはしないのである。この恋愛があるからこそ、実世界に乗り入ろうという欲望を引き起こすのである。コールリッジ[イギリスの詩人・批評家]が[シェイクスピアの]『ロミオとジュリエット』を批評するなかで、ロミオの恋愛を「彼自身の意匠を恋愛したもの」とし、最初の恋人であるロザラインは「彼自身の意匠の仮物である」と論じているのは、思うに多くの愛情を獣欲視して実情を見究めない作家を戒めるのに十分であるだろう。
恋愛はかたくななバイロンを泣かせたという微妙な音楽の境を越えて広がった。恋愛は「細微な芸術家」と称されたゲーテが企てることができない純潔な宝石である。あの雄邁で軟らかさと優しさを兼備したダンテをして高天卑土に絶叫させたのも、その最大の誘因は恋愛である。あの痛烈で悲惨な生涯を終えたスウィフトも、恋愛に数度の敗北をとったからこそ、あのようになったのである。ああ恋愛よ、汝はこのように権勢がある者でありながら、汝が育て汝が切に求められる詩人のために、残酷なあつかいをすることが多いのは、どうして慨嘆すべきことではないのか。
女性を冷罵することは、東西の悲観主義者の常である。釈迦も力を込めて女性をののしり、シェイクスピアも往々女性に関してあきたらない語気を吐いた。我が幸田露伴氏が『一口剣』を書くと、巧みに「お蘭」を造形して作家の哲学思想を発揮し、さらに『風流悟』においてその解脱を説いたところは、私が最も敬服するところである。思うに女性は感情的な動物であり、詩人もまた男性の中の女性と言うべきほどに感情に富んだ者である。深夜に火器をもてあそんで寝室の中の人を驚かせたバイロンは、必ずしも狂人であったわけではないだろう。思うに女性はある意味において甚だ偏狭で頑迷な者である。そうして詩人もまた、ある点から見ればこれに似たところがあることを免れない。思うに女性は優美で繊細な者であり、そうして詩人もまたその思想においては優美で繊細なことを常とする者である。豪逸で雄壮な詩句がほとばしり出る時においても、詩人は優美を旨とする者であるので、おのずから女性に似たところがあることを免れない。その他に生理学上において詳細に詩人の性情を観察すると、神経質なこと・執着なことなど、類同の箇条はおそらく数えるのにいとまがないだろう。これらの類同の諸点があるので、同性が互いに避けあうということから、詩人はついに綢繆を全うすることができない者であるのだろうか。あるいはそうかもしれない。しかしながら私には別に説があり、識者に問うことをお願いする。
合歓綢繆を全うしないことは詩人の常であるが、特に悲観主義の詩人に多いことを見て思うことがある。そもそも人間の生涯に思想というものが芽生えてきてから、善美を希求して醜悪を忌避するのは自然の道理である。そうして世間に慣れず、世間の奥深い所を貫かない心は、人生の不調や不都合に初めて出会う時に、最初の理想が甚だ齟齬しているのを感じて、実世界の風物は何となく人を痛ましく悲しい感じにさせる。知識と経験とが敵視しあって、妄想と実想とが争いあう少年の頃に、浮世を怪訝に思い、嫌悪するという情が起こりやすいのは、至当な道理であると言えるだろう。人は生まれながらにして義務を知る者ではなく、人は生れながらに徳義を知る者ではない。義務も徳義も相対的なもので、社会を透視した後に、自己を明らかに見た後に、初めて知ることができるものであり、義務や徳義をわきまえない純朴な少年の思想が、初めて複雑で理解しがたい社会の秘奥に接する時に、誰が厭世思想を生まないでいることができるだろうか。誠信は厭世思想に勝つことができるだろう。けれども誠信というものは真に難事であり、パウロのような大聖すら「ああ、我は罪人なるかな」と嘆いたことがあるほどなので、厭世の真相を知った人で、これに勝つほどの誠信があるような人は、凡俗ではないのだろう。ポープの楽天主義などは、おそらくいわゆる解脱した楽天で、そのかつて歌った詩句に、次のような一節がある。
おそらくこのようなことは「人生の威圧を自力をもって排斥した」と考えるもので、そもそも経験の結果である。およそ経験のない思想には、このような解脱は思いも寄らないことである。
さて、誠信が厭世に勝つことがなく、経験が厭世を破ることのない純一な理想を持つ少壮な者たちの眼中には、実世界の現象がことごとく偽物であるように見えるだろうか。答えは否である。中に偽物ではないように見える一つのものがある。誠実・忠信で「死」も奪うことができないと見えるものがある。何であろうか、答えは、恋愛である。情は闘争すべき性質をもって生れた要素ではあるが、それが恋愛の域に進む時には、すっかり平和で調美なものとなって、知らず知らずに一人の女性の中に円満を描かせる。恋人と対面する時は、天地に強敵はなく、不平も不融和もことごとくその席を開けて、真美の天使を代わって座らせる。若い思想は実世界が蹂躙するところになることが多く、ことにいわゆる詩人という者の想像的な頭脳が盛壮[年若く元気盛りであること]な時に、実世界の攻撃に耐えられないような観があるのは、やむを得ない事実である。まして沈痛で凄惻な[哀しい]人生を穢土であるとのみ見る悲観主義者の境涯においては、なおさらそうである。どうして恋愛という牙城に拠ることが、多くないでいられるだろうか。どうして恋愛というものをその実物よりも重大視しないでいられるだろうか。恋愛は現在だけではなく、一部分は希望に属するものである。すなわち味方となり、慰労するものとなり、半身となる希望を生じさせるものである。そもそも悲観主義者はこの世に属する者と言っても、名誉であれ、利得であれ、王者の玉冠であれ、鉄道王の富栄であれ、一つも希望を置くところはないのである。そうであるのでこの世の希望と悲観主義者とは氷炭相容れない仲であるのだろう。それなのに恋愛という一つのものだけは、彼の悲観主義者の呻吟する胸の奥に忍び入る秘訣を持ち、不思議なことに彼に多少の希望を起こさせるものである。情の性質は沈静であることができないものであり、それがひとたび入ると人心を攪乱することを常とする。まして平生は激昂しやすい悲観主義者の想像は、この誠実な恋愛に会うと、脆くもとっさの間に奇異な魔力に打ち勝たれて、根拠のない希望を醸成してきて、全心を挙げて情の奴隷となることは見易い道理である。
恋愛はひとたび自分を犠牲にするのと同時に、自分という自己を写し出す明鏡である。男女が愛し合って後に、初めて社会の真相を知り、細小な昆虫も全く孤立して自分の自由に働かず、人間は集い合い社会を形成して、依存し合い抱擁し合うことによって、初めて社会というものを作り上げ維持することができるという道理も、相愛という第一階を登って初めて、これを知ることができるのである。独りで住むうちは、社会の一分子であるという要素が全く成立せず、二人の個人が相合して初めて社会の一分子となり、社会に対する自己を明らかに見ることができるのである。
(下)
男女がすでに合して一つとなった暁には、空を行く雲にも顔があるように、森に鳴く鳥の声にもことごとく調子があるように、昨日という過去はいく十年を経た昔のように、今日という現在はいく世にも渡る実存のように感じて、今までは縁が遠かった社会が急に間近に迫ってきて、今までは深く念頭にかけなかった儀式も義務も急速に押しかけてきて、突然その境界を変えて、無形から有形に入らせ、無頓着から細心に移らせ、社会組織の網縄につながれて、不規則は規則にはまる。換言すれば想世界から実世界の虜となり、想世界の不覊[行動が自由気ままであること]を失って実世界に束縛される。風流人の言葉で一言で言えば、「婚姻は人を俗化してしまうもの」である。けれども俗化するのは、人を正当な地位に立たせるゆえんで、上帝[神]に対する義務も、人間に対する義務も、昔の人が爛漫な花に例えた徳義も、人が正当な地位に立って初めて生じるものであるだろう。そうであるので婚姻が人を俗化するのは、人を真面目にならせるゆえんで、妄想が減って実想が増えるのは、人生が正午の時期に入る用意を怠らせない基礎であるだろう。
悲観主義者が恋愛に対して常人よりも非常に激しい理由は、すでに前に述べた通りである。怪しいことに、恋愛が悲観主義者の目をくらませることが容易であるように、婚姻が悲観主義者を失望させることも甚だ容易である。そもそも悲観主義者という者は、社会の規律に従うことができない者であり、社会を家とはしない者である。「世間に愛されず、世間を愛しもしない者である」。規矩縄墨[物の標準]に掣肘されることができない者であり、「普通の快楽を、快楽とは認められない者である」。一言で言えば、彼らが穢土とののしるこの娑婆において、社会という組織をなすべき資格を欠いた者である。そうであるから多くの希望をもって、多くの想像をもって入った婚姻の結合は、彼らを敵地に踏み入らせたようなものにすぎない。彼らの明鏡の中に自分の真影が写るのを見て、ますます厭世の度合いを高くするとしても、婚姻の歓楽は彼らを誠信と楽天に導くには力が足りないのである。
彼らは人生を厭離する[嫌い離れる]思想はあるが、人生に拘束されることは思いも寄らないことである。婚姻が彼らをして一層社会を嫌悪させ、一層義務に背かせ、一層不満を多くさせるのは、このためである。そうであるので初めに過重な希望をもって入った婚姻は、後に比較的の失望を招かせ、痛ましいことに夫婦が対立しあうようなことが起こるのである。
女性は感情の動物なので、愛するよりも、愛されるので愛することが多いのである。愛を仕向けるよりも愛に報いることこそが、女性の正当な地位である。つる草となって幹にまとわりつくように男性に寄る者で、男性の一挙一動をもって喜憂とする者であり、男性の愛情のために左右される者である。それなのに不幸にして男性の素振りに自分を嫌忌する様子があるのを見ると、嫉妬も萌すのであり、回り気も起こるのであり、恨みや苦みも生じるのである。男性が自ら繰り戻すのでなければ、真誠な愛情はあるいは逸れて、意外なことがあるに至るだろう。そうしてすでに社会を厭う者、破壊的な思想に充ちた者、世俗の義務および徳義に重きを置かない者、すなわち彼の悲観主義の詩人になると、果たしてうまく女性に対する調和を全うすることができるだろうか。
そもそも詩人は頑固者である。世渡りの道を闊歩することを好まずに、自らが造った天地の中を逍遙する者である。悲観主義を奉じる者になると、その造った天地は実世界と懸隔することが甚だ遠いと言うことができ、婚姻によって実世界の虜になってしまったために、自分の理想の小天地がますます狭くすぼまるように感じて、最初には理想の牙城として恋愛したものが、後には忌わしい愛情による束縛となって、我が身を抑制するように感じるのである。ここに至って釈迦は
「惑えるかな、肉眼で今私がこれ[女性]を見ると、頭から足に至るまで一つの好ましいものはないのである」
とののしり、また、
「その内は甚だ臭穢[臭く汚いこと]で、外は厳飾[立派に飾ること]にかたちをなす。それに加えてまた毒蟄[地中に潜む毒虫]を含んでいる。激しいことは蛇や龍のようである」
と叫び、さらにまた
「婦人は常の友ではない、灯炎がとどまらないようなものである。彼女が常に怨んでいることは、あたかも石に画いた文のようである云々」
などの言葉を発言させて、東洋の厭世教[仏教]に長く女性を冷遇するという積年の弊害を起こさせたのである。
「婚姻と死とは、わずかに国語を話すことができる幼児から墳墓に近づくまで、人間が常に口にすることである」とは、エマーソンの至言である。教科書を懐にして学校に通う子供が、ほかの少女に対面して互いに顔を赤くすることも、振り仮名を頼りに小説を読む幼心にすでに恋愛が何物であるかを想像することも、みなこれは人生の順序であって、正当に恋愛するのは正当に世の中を辞去するのと同一の大法であるだろう。恋愛によって人は理想の集合を得て、婚姻によって想界から実界に虜にされ、死によって実界と物質界とを離脱する。そもそも恋愛の初めは自らの意匠を愛するものであって、相手の女性は仮物なので、例えその愛情がますます発達するとしても、ついには狂愛から静愛に移る時期があるだろう。この静愛というものが、悲観主義の詩人にとって一つの重荷であるようになって、合歓の情があるいは中折れするに至るのは、どうしてあまりに惜しむべきことではないのか。バイロンがイギリスを去る時の長編物語詩[『チャイルド・ハロルドの巡礼』]の中で、「誰が情婦[妻以外の愛人]あるいは正妻の恨み言や空涙を真に受ける愚を学ぶだろうか」と言い出したのも、実に悲観主義者の心中を暴露したものであるだろう。同じ作家の「婦人に寄語す」[「女性に」]と題する一詩篇を読めば、イギリスのように両性の間柄が厳格な国においてすら、このような放言を吐いた詩人の胸の奥をうかがうのに十分であるだろう。
ああ、不幸なのは女性であることか。悲観主義の詩人の前で優美・高妙を代表すると同時に、醜悪な俗界の通訳となって、その嘲罵するところとなり、その冷遇するところとなり、終生涙を飲んで、寝ての夢・覚めての夢に、男子を思い男子を恨んで、ついにその愁殺[ひどく嘆き悲しむこと]するところとなるのは、嘆かわしい、嘆かわしいことだ。「恋人が破綻して相別れたことは、双方に永久の冬の夜を賦与したようなものだ」とバイロンは自白した。
「女学雑誌」303号(明治25年2月6日)、「女学雑誌」305号(同2月20日)、女学雑誌社