高山樗牛「文明批評家としての文学者」現代語訳
高山樗牛が、「学士 高山林次郎」という本名で明治34年1月発行の雑誌「太陽」に発表し、同年6月に刊行された評論集『文芸評論』(博文館)に収録された「文明批評家としての文学者」の現代語訳である。
「文明批評家としての文学者」は、高山樗牛の思想がそれまでの日本主義から個人主義へと転換した最初の評論である。この思想的転換の背景には、ニーチェとの出会いという大きな出来事があった。高山樗牛は明治33年5月に文部省から審美学[現、美学]研究のため3年間のヨーロッパ留学を命じられ、大きな希望をもって仕事を整理するなどの準備を進めていたが、出発直前の8月、洋行送別会も終わっていたのに喀血し、その後は留学を見合わせて療養生活に入ることになった。明治30年代には姉崎嘲風・吉田静致・長谷川天渓・登張竹風らによるニーチェ論が発表されるなどニーチェが注目される状況にあり、さらに33年の8月にニーチェが亡くなって訃報が伝えられたこともあって、樗牛は転地療養の期間をニーチェ繙読によって過ごすことになった。ニーチェの個人主義・超人主義の思想を知り、文明批評家という考え方に共鳴して書いたのがこの「文明批評家としての文学者」である。先にドイツに留学していた姉崎嘲風にあてて「ワーグナーのオペラが見たい」「来年ドイツの地で会おう」などの手紙を送り、何とかドイツ留学をと願っていたがついに病は回復せず、翌年には最終的に留学を断念することになった。その後の34年8月にニーチェの個人主義にもとづく「美的生活を論ず」を発表し、さらにニーチェの超人の思想にもとづいて日蓮の研究を進めて35年には「日蓮上人とは如何なる人ぞ」を発表した。
本文中に取り上げられている作家は著名な人物が多いが、メリマンとヨーカイの二人はあまり知られていない。この二人はヴィクトリア朝のイギリスで人気のあった作家である。メリマンはイギリスの作家H・S・スコットのペンネームで、『種をまく人々』が最も有名な小説である。ヨーカイはハンガリーの作家で、ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ『ジプシー男爵』の原作者として知られている。言及されているヨーカイの作品名はいずれも英訳に基づいている。
この現代語訳の底本としては、『文芸評論』の本文にもとづく『高山樗牛 齋藤野の人 姉崎嘲風 登張竹風集』(明治文学全集40、1970年7月、筑摩書房刊)に所収のものを用いました。あわせて「太陽」初出の本文にもとづく『近代評論集Ⅰ』(「日本近代文学大系」第57巻、角川書店、昭和47年9月刊)を参照しました。第3節のゾラ作品の例示を変更したことを除いて、両者に大きな相違はみつけられませんでした。『近代評論集Ⅰ』につけられた畑実氏による詳細な注釈から多くを学びました。注釈の一部を現代語訳に利用したことを明らかにして、深く感謝を表します。
現代語訳「文明批評家としての文学者」
(本邦文壇の側面評)
高山樗牛 著、 上河内岳夫 現代語訳
1
私は、人がニーチェを語るのを聞くごとに、その書に接する暇がないことを久しく残念に思ってきた。近ごろ閑に乗じて彼の2、3の著書を読み、その要点を理解することができたが、初めはその説が甚だ意表に出るものがあるのに驚いた。そもそも歴史を尊ぶ進化論と平等を旨とする社会主義とが、ほとんど思想界の諸事に満ち渡る今の時に当たって、奇矯大胆、時にはほとんど荒唐無稽とも見られる彼のような説が、どうして科学・哲学の中心であるドイツに興ったのだろうか。今やフリードリッヒ・ニーチェの名はドイツ青年の間に魔法の言葉のように響き渡り、『憂愁夫人』の51版を出版したズーデルマン[ズーダーマンとも言う]を初めとして、文学者の中にも彼の影響を被った者が少なくないと伝えられる。科学を蔑視し、歴史を無視し、やたらに無稽の空想を並べ連ねて、幽玄・神秘を衒っているらしい彼のような説が、どうしてこのように一世[その時代]の人心を鼓動させることができたのであろうか。私はそれが当然であるべき理由を想って、つくづくニーチェの名が虚しくないことを悟ったのである。まさしく彼は哲学者と言うよりは、むしろ偉大な詩人である。そうして詩人として偉大である理由は、実に彼が大いなる文明批評家(Kulturkritiker)である所にあるのである。
ニーチェはほとんどあらゆる方面において19世紀の文明に反抗した。哲学界においてはヘーゲル以来、科学界においてはダーヴィン以来、一代の思想をほとんど残ることなく風靡してきた歴史発達説(Histrismus[歴史主義])も、彼の眼中には偽学者の俗論に過ぎないものとなった。彼が考えていることは、次のようである。19世紀末の我々は歴史の多さに堪えないのである。主観を没し人格を虐げ、先天的な本能を無視するものは歴史である。個人自由の発達を妨げ、すべての人類を平凡化し、あらゆる天才を呪詛するものは歴史である。――― 彼はこのような論拠から多くの学者を嘲って、偽学者(Bildungsphilister [教養俗物])と呼び、「すべての活力ある者の障害、すべての疑惑に沈む者の迷宮、すべての弱者に対する道徳家[訳注:道徳家は誤訳、正しくは「泥沼」]、すべての高きに向かって進む者の足枷、すべての清新な生命を望んで進みつつあるドイツ人の前途を阻害する砂漠」[『反時代的考察』からの引用]は、すなわちこれらの偽学者であると罵り、『新旧信仰』[Der alte und der neue Glaube (1872)]の著者[主著は『イエスの生涯』]であるシュトラウス博士のような者は、このような偽学者のよい見本として標榜されていた。このように人格の独立のために歴史発達論を否定したニーチェは、さらに議論の歩を進めて、民主主義と社会主義を一撃の下に破砕し、「人道の目的は庶民平等の福利ではなく、かえって少数の模範的人物の産出にある。このような模範的人物は、すなわち天才であり、超人(Übermensch)である。すなわちこれが無数の庶民が育成した文明の王冠とも見るべき者である。そうであるから、もし庶民が自ら自己のために生存すると思えば、これは大きな誤りである。彼らはただこのような天才、超人の発生を助成する限りにおいて、その生存の意義を持っているだけである」と公然と述べた。――― 彼はこの人道の理想を認めず、かえってこれに背馳する方針に基づいていることから、今の社会・国家・学術のすべてを認めず、翻ってルソー・ゲーテ・ショーペンハウエル・ワグナーなどの人物を挙げて、真正な文明の指針はここにあるとした。いわゆる超人は、学者ではなく、識者でもなく、また歴史的に発達してきたいかなる人でもなく、実にこれは一個の芸術家・創作家であると断言した。彼の説は、ここに至って、現在の民主平等主義を根本的に否定し、極端にしてしかも最も純粋な個人主義の本領を発揮してきたのを見る。そうではあるが、歴史がなく、道徳がなく、真理がなく、社会がなく、国家がなく、ただ個人各自の「我」があることを認めるとは、19世紀末の思想に対して何という対比であろうか。遠くはロマンチシズムの運動も、近くはヘンリー・マッケイの無政府主義も、ニーチェのこの個人主義の極端なことに比べれば、なお遥かに緩慢であると感じる。そうして私が最も注意すべきことは、このような思想がドイツ現代の人心を揺り動かすことが、予想外に深大であるという事実である。
こういうわけで私は文明批評家としてのニーチェの偉大な人格を嘆美することを禁じることができない。彼は個人のために歴史と闘い、真理と闘った。境遇・遺伝・伝説・習慣・統計の中に一切の生命をすっかり網羅しようとする今のいわゆる科学思想と闘った。いたずらに外面皮相の観察を大事であるとして、精神的生活の幽微[深遠で微妙なこと]を理解しない今の心理学と、認識論のような一部の煩瑣な研究に陥って、本能と動機と感情と意志とを忘れ去った今の哲学とは、彼が偽学と呼んで排斥するところである。彼は青年の友として、あらゆる理想の敵と闘った。彼は今のあらゆる学術が教え得るよりも、さらにさらに大いなる実在が宇宙に充満することを認め、同時にこの実在を認識し、その秘密に到達するには今のいわゆる学術・道徳は甚だ力がないことを認めた。彼はその予言者の眼によって、その方法が何であるかを知っていた。彼が現代の文明に反抗して、その神怪・奇矯な個人主義を唱えるに至ったのは、また真にやむを得なかったのではないか。人は「彼の書は、険難[非常にけわしく、通過するのが困難]で、理解することができない」と言う。確かに彼はもともと哲学者ではなくして詩人である。そうして彼が歌っているものは、山ではなく、河ではなく、恐らくは彼自らも理解することができなかった天地人生の幽微である。言葉が明らかで意味が貫徹しないのは、あるいはまた自然の勢いにすぎない。ただ霊なるもののみが、霊を動かすことができる。それが19世紀の重荷を自覚し始めた現代の青年の中に、無数の味方を勝ち得たことは、また決して偶然ではないことを見るのである。
2
ニーチェに関しては、しばらくこのようなことをもって十分としよう。ただ文明批評家としての彼の偉大な品性と高邁な識見とは、私が特に我が国の文学者の注意を乞おうと思うところである。
我が国には、文学者をもって自任する者が甚だ少なくない。けれども「詩は人生の批評である」と言ったアーノルドの言葉を真に会得した者は、果たしてどれほどいるだろうか。私は実にこのことを疑うのである。ドイツの学者の中には芸術をもって哲学に配し、精神生活の最高位をもってこれを見立てる者が少なくない。我が国の文学者の中で、真にこのような動静を理解する者がどれほどいるだろうか。私は実にこのことを疑うのである。私は街上で泥酔して人力車夫・馬丁と格闘した名前が世間によく知られている小説家があることを耳にしたことがある。それなのに一人として現代文明に反抗して、清新な理想を歌った者があるとは聞かないのである。彼らのいわゆる詩歌といい、小説というものの多くは、私が見る所によれば、しょせんは戯作であり、無意義な文章にすぎない。彼らの胸はいまだ人生に対して開かれず、耳があるけれども聞こえず、眼があるけれども見えない。何らその作る所の主義はなく、識見はなく、精神はなく、光焔はなく、理想はなく、ほとんど子供達の落書きと区別がつかないことを怪しまないだろうか。詩人ニーチェの名がどのようにして史上に鏤刻[彫り刻むこと]されたかを見よ。私は我が国の文学者が文学に対する覚悟を一新することを願わざるをえない。そうしてさらに見よ。このようなことは独りニーチェのみではないのである。
3
最近の欧米の文学者でその名を一世にほしいままにする者は、アメリカのホイットマンといい、ロシアのトルストイといい、ノルウェーのイプセンといい、フランスのゾラといい、みなこれは文明批評家である。一代の文明を抱擁して自家の理想の中に万物を作り育てようとした文明批評家である。ホイットマンのことは、私はかつて論じたことがあり、読者の中にはあるいはこれを記憶する人があるだろう。「19世紀と、アメリカの文明とがあって、そうして私の詩があるのは、真にやむを得ないのである」という彼の言葉は、まことによく彼の詩の面目を発揮している。実に形式主義・方便主義に堕落した19世紀末の文明と平等の虚名に眩惑して、かえって民主自由の呪詛者であるアメリカ合衆国の欠陥とは、彼の詩がこれを暴露してほとんど余す所がない。「生命に飢えて、しかもその泉を得なかった理想の児」は、さながらハーメルンの子どもが、ネズミ退治の笛吹き男の笛声についていったように、躍り上がって彼にしたがった。トルストイ伯が現代文明の最も大胆な批評家であることは、誰でもが知る所であろう。かつてルソーが「自然に還れ」と説いたように、彼の理想は19世紀の文明を倒逆して、原始キリスト教の禁欲主義に還滅させることにある。彼は国家の威厳を認めず、帝王の尊貴を認めず、自ら称して「世界の公民」と呼ぶ。ロシア政府が発売を禁止した『我が宗教』の一書は真に彼の肺腑を暴露している。彼の思想のアナクロ二ズムは、もとより学者の批評に価しないだろうが、しかもロシア文明の弾劾批評としては、彼の書籍の痛快であることによく及ぶことができるものが、何かあるだろうか。イプセンは、ニーチェと同様に個人主義の宣伝者である。ゾラが境遇(milieu[環境、フランス語])によって、個人を説明しようとするように、イプセンは個人によって翻って境遇を規定しようとした。これによって彼の詩は意志の詩であり、理想の詩である。[訳注:当時戯曲は詩の一分野とされていた]。『ブラン』の主人公は、実にこの勇猛不退転の意志の化現とも見るべきものである。彼にとってはすべてのことが「万事」か、そうでなければ「皆無」である。彼は譲歩を知らず、まして屈辱を知らない。彼はこの本来の意志を貫徹して、実現する所に人生の極致があるとして、したがって人は生まれながらにして戦死すべき運命を担っているものとした。そうしてこのように強健な意志と崇高な理想とは、イプセンの母国であるノルウェー人に特に欠如する所で、すなわち彼の詩はスカンジナビア文明に対する公然の反抗とも見るべきものである。不幸にして母国はまだ彼の真価を認めるに至らず、彼の勢力は今やかえって南方のドイツ連邦に拡がり、ニーチェと呼応しあってドイツ文壇の風色を一変した。ズーデルマンのような者は、実に彼の偉大な影響を代表する一人である。フランスのゾラは、やはり厳然とした文明批評家である。彼を目して単に写実家とする者があれば、これはまだ彼を知らない者にすぎない。『ナナ』や『饗宴』や『金』、もしくは『ルルド』や『パリ』の連作は、いずれがフランス文明の病所[欠陥]を批評したものではないのか。彼は、実にツィーグラー[ドイツの哲学者]が言ったように、写実主義者の仮面をかぶったシンボリスト[象徴主義者]にすぎない。その本来の面目においてはニーチェ、イプセンと多く異なる所はないのである。
4
私は我が国の文学者が切にこれらの事実に対して熟慮する所があることを望む。思うにこのようなことは、一端の事例に過ぎない。最近の欧米の文学者で盛名を一世にほしいままにする者は、ほとんどすべて文明批評家であると言ってもいいのである。彼らはその理想において、あるいはその詩風において、各々趣を異にするといっても、しかも時代の精神を代表し、もしくは批評し、もしくはこれに反抗し、文明の進路に率先して、万民の模範となることを期することにおいては、すなわち一つである。本邦のいわゆる文学者は果たしてこのような事実をどう見るのだろうか。彼らの多くは、耳はあるけれども国民の声を聞くことができず、目はあるけれども時勢の風潮を見ることができず、一代の民衆が空しく光明に憧れて暗中に煩悶する所のものをとらえて、「見よ、汝らの理想はここにある」と声をあげることはできないのである。彼らの多くは社会を知らず、国家を理解せず、言うまでもなく19世紀の世界文明を理解しない。彼らの多くが一代の文明と風馬牛である[自分とは全く関係がないという態度をとる]。その豆粒ぐらいの大きさの眼孔に映じた貧弱な閲歴を糊塗し、すなわち詩歌と称し、小説と称して、「我こそは文学者である」と言う。そもそも彼らの多くは文学者というものを、どうようなものと心得ているのか。抱腹絶倒しまいと思っても、どうしてできるだろうか。私はかつて我が国の文学者に向かって「時代の精神に接触せよ」と説いたことがあった。すると彼らは同音に「どうかあなたの言う時代の精神が何物であるかを説示してほしい」と言う。ああ、なんとその厚顔で恥じないことの甚だしいことか。文学者をもって自任する彼らに向かって、かえって文学者の覚悟を説くことは、すでにこれは百歩のハンデキャップである。そうして彼ら自ら恥じるゆえんを知らず、なおかつこのような奇問を発する。もし私がこのようなものが時代の精神であると説示するならば、厚顔な彼らは恐らくはさらに問うだろう、「それならばどのようにしてそれを描くべきか」と。ああ、彼らは私に向かって「文学者となる方法は何か」と問わなければやめないとするのである。私はどうして恨むことがなしでいられるだろうか。
5
我が国の器量の小さい文学者を欧米の現代の名家と取り合わせることは、もとより不適当であるという謗りを免れないけれども、しかも詩人・小説家としての覚悟に関しては、私はそのことを同日に論じるべきことを信じるのである。実に一代の文明を批評し、もしくはそれを敵として戦うほどの者は、単にその識見が高邁であるだけではなく、その気迫が雄大で、凛として秋霜烈日のようなものがなければならない。ごくわずかでも世間におもねるという気持ちがあれば、これはすでに批評家ではなくして追従者である。世間に教えるのではなく、かえって教えられるのである。このようにして社会の劣等な読者を籠蓋[押しとどめて、他へ移らないようにすること]できたとしても、どこに尊ぶべき所があるだろうか。文明批評家は自分の信じる所でなければ動かず、自分の信じる所を貫徹するためには、一世を敵として戦うことを辞さない気迫がある。利害の打算は彼が知らない所であり、彼は推歩[たどるようにして歩くこと]せずに跳躍し、そうしてその意志の満足は、実にその至高の報酬である。この覚悟がある者が、初めて文明批評家であり得るべきである。
私はここに顧みて、我が国の文学者の多くが、気骨がなく、徳操がなく、飄々片々として、時代の流行に合わないことだけを恐れる薄志弱行[意志が弱く物事を断行する気力に欠けること]を遺憾とせざるを得ない。それによって虚名を得て、金銭的利益を貪る他に、彼らには少しも著作しなければならない必要がない。彼らはただ官吏ではなく、商人ではない代わりに、仮に文学者になっただけである。理想の重荷を担う胸がどれくらい苦しいかは、彼らがいまだかつて知らない所である。理想の重荷を担うようにして詩人であろう、小説家であろうと擬することが、洒落本・浮世草子の戯作者であることと、果たしてどれくらい距たっているであろうか。
さて、これをホイットマンにみると、彼はその詩において確かにアメリカ合衆国を侮辱した。そうして「その詩集の一部を抹殺すべきだ」との衆論に対して、公然と「もしそうならば、私は尽くわが詩を火にするだけだ」と言った。なんとその意気の盛んなことか。トルストイ伯は「私はロシアの民ではない。ロシア政府に対して何も負う所はない」と公言した。原始キリスト教の理想を復活しようする伯爵にとって、これは実にやむを得ない宣言であった。その『イワンの馬鹿』は、ロシアの軍隊政治を非難してすこぶる痛快を極め、その『燭』は公然と弑逆を論じている。『わが宗教』の発売を禁止したロシア政府が、このような著述を黙過したのは、むしろ奇怪と言うべきであろう。さもあらばあれ、全世界の恐れとなったロシアの権力をもってしても、ついにその一歩を曲げさせることができなかったトルストイ伯の偉大な人格は、私が嘆美することを禁じることができない所である。文学の厳粛な意義は、私はまたイプセンにおいてこれを見る。彼にとって詩は、すなわち彼の意志である。『ブラン』を公にしようとする時に、彼はその書を友人ラウラ・キュラアに贈って「詩の第一義は自己自らが自己に忠実であることにある。私は私であって、他の何ものでもない。それゆえ欲しなければならないものを欲するのは、やむを得ないのである。これがすなわち詩である。あるいはあれを選び、あるいはこれを択ぶのであれば、赴く所は虚偽があるのみである」と言った。『ブラン』は実にこのようにして成立したのである。その作が人を動かして剴切[非常に適切なこと]で痛激を極めるのは、真に理由があるのである。優柔媚悦を事とする我が国の文学者が、このような事例に対して果たしてどのような顔色があるか、問わせていただきたい。
およそ文学者に必要とするものは、学殖がそうであり、識見がそうであり、そうして最も得がたいものを気迫とする。それゆえ真正の文学は、昔から傑士の仕事である。彼がもし場所を換えるならば、あるいは教えのために血を流す義人となり、あるいは義を見て難に赴く国士となる。彼の紛々たる遊蕩児や無頼漢で時折こそこそと悪事をなす者は、果たして何をする者なのか。
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このようなことは、しばらく言うのをやめよう。言っても甲斐のないことだからである。ただ我が国の文学者の多くがわずかに彫琢の末技を頼みとして無学・無識に安んじ、絶えて修養の意志がないことになると、切に警戒する所がなければならない。
今は全く局外の人となった[訳注:留学のために時評をやめたことを指す]けれども、私が初めて文壇に批評の筆を執ってから、最近数か月前に至るまで、前後ほとんど6年の久しきにわたった。私はこの短くない年月の経験により、文壇の事情を知る上において、通常の人よりも多少の便宜があったと信じる。私は評論家の本務としてこの間に現れたほとんどすべての著作を一読した。そうして常にいわゆる文士の進退・往来に注目して、できるだけ文壇の消息に詳しくなることに努めた。このようなことは、実に私にとって最も苦痛の多い事業であったけれども、しかもまた最も必要な勤務であったのである。私はこのあらゆる経験の名によって公言することを憚らないのである、今の文学者には修養の念慮がないと。もし彼らが「修養を怠らない」と言えば、これは疑いもなく修養の道を誤っているのである。すなわち私が言う所の修養ではないのである。試みに見よ。最近10数年の間に出現した新作家の数は十をもって数えられるであろう。そうして彼らの十中の八九は、今やほとんど見る影もない姿になっているのではないか。彼らの多くは、その出現の初期においてこそ多少は注目すべき著作も出したけれど、その貧小な思想の観察を飣餖し[余分なことをつけ加えて]補訂して、わずかに一時を弥縫することが度重なるに及んでは、いかに幼稚な社会でも長くこれに堪えることができない。時勢が進み人心が移っても、彼らはこれに適用すべき方法も知らず、ましてこれに率先し、これに超越することはできない。さすがに事がようやく昔日のようにならないのを看取するに及んで、強いて新境地を開拓しようと焦心しても、想が枯れ筆が渋ってどうにもすることができない。こういうわけで彼らの中でまだ名をなしていない者は、気位を高くもち、事に託して容易に筆を執らず、ひたすら既得の虚名を失墜させないことだけを慮る。しかもこのような児戯を弄しつつある間に、大勢が次第に推移して、また計画の施すべきものがなくなったことを知らないのである。私から見れば、このようなことは今の文学者の大多数が、その先輩であると後進であるかを論じるまでもなく、踵趾相接して[多数の人々が連続して]辿りつつある一様の経路である。そうして自ら覚らずに、明け暮れの計に汲々として自得しているのを見ると、真に人の心を傷ませる。
7
さてこれを最近のヨーロッパの小説家に見ると、その品性・識見はしばらく言わないとしても、その修養の深大なことは、真に嘆美すべきものがある。試みに思ってみよ。『アンナ・カレーニナ』のような、『名誉の負債』[ヨーカイ作]のような、『ジャック』[ドーデー作]のような、『種をまく人々』[メリマン作]のような、もしくは『クオ・ヴァディス』[シェンキェヴィチ作]や『憂愁夫人』のような小説の作者であることができるには、果たしてどのような学識・修養を必要とすべきであろうか。例えば『クオ・ヴァディス』の作者などは、ローマ滅亡の事情に通じることにおいてギボン[『ローマ帝国衰亡史』を書いた歴史家]にも劣ることがなく、キリスト教の歴史にくわしいのはもちろん、兼ねてギリシア・ローマの宗教・文芸・哲学にも通暁していないことはない。またロシア近代史の精髄を了解して、その土地と人民と、あわせてイギリス・フランス・ドイツ・ロシアの諸民族の民族心理とに明るいのでなければ、決して『種をまく人々』の著者であることはできないであろう。私はもとより学識と文学とはおのずから別の才能であると信じるけれども、多く学び深く識る者でなければ、決して読むべき著作を出すことはできないことを思う。我が国の小説家はこのような事例について、すべからく熟慮する所があるべきである。
有り体に言えば、その名称は東西ひとしく「文学」であるが、同じく「小説」であるが、その実質については、彼我同日に語ることができるものではない。我が国の文学者で、もしズーデルマン、ヨーカイ、シェンキェヴィチらとその事業をともにすると考える者があれば、これは大きな誤りであろう。彼らは互いに単位を異にし、地盤を異にし、平面を異にする。
私は、我が国において政治小説の名前を聞かないのではない。けれども彼らの政治上の観察批評は、日刊新聞の雑報にも及ばないのである。稚気が満幅で真に人を憫笑にたえないようにさせる。私はかつてヨーカイの『緑書(グリーンブック)』を読んで、ロシア現代史を読んだよりも多大の知識を得たと感じた。実にこの武断国の皮相な文明と、根本の野蛮と、戦慄しながらも常に反抗するその農民と、鉄のように頑硬な社会および宮廷の組織のために、常にその高尚な理想の実行を阻害される無気力な帝王と、これらすべてが躍如としてこの一書に描破される。先に挙げたメリマンの『種をまく人々』もまたこれに多くは劣ることがないのである。私はこのような作品を読んだ後、我が国のいわゆる政治小説に対して、どのような批評を下すべきかに惑わざるを得ない。実に二三の者の著作のようなものは、ほとんど児戯に等しいものに過ぎない。[訳注:ここで批判の対象とされる作家は、後藤宙外・小杉天外・小栗風葉・内田魯庵などが想定される]
私は我が国において写実小説の名を聞いてから久しい。けれども彼らが言う写実とは果たして何を意味するのか。真にその実を写して誤らなければ、世間の何ものが一部の小説にならないことがろうか。ドーデーの『ジャック』などは、その傍話の中に多少の伝奇的要素があることを別にして、世間平凡の事例に他ならず、[同じドーデーの]『サッポー』もまたそうである。トルストイ伯の『イワン・イリイチの死』なども単に一病者の陰深な苦悶を描写した他に、少しも特に変わったことはない。しかもこれらの作は、いずれも痛切深刻で、確かに一部人生の機微に入るものがある。私たちはこのような意味において果たして一つの写実小説を持っているだろうか。私はついに我が国の小説家が、いわゆる写実を尊敬するゆえんを知らないのである。数か月前、都下の一新聞が現代の知名の写実小説家に関して伝えた一記事は、今の我が国小説家のいわゆる写実がどのようなものかを説明するものであった。その大略は「某氏(小説家の名前)は横浜市の裏面でまだ社会に紹介されていないものがあることを遺憾として、自らこれを踏査するために同地に赴き、数日間滞在するだろう」ということである。数日間の観察によって看破されるような一大都市の秘密とは、果たしてどのようなものであろうか。私はまだこれを詳らかにしないけれども、またこれによって我が国小説家の覚悟が那辺にあるのかを知るのに十分であろう。かつてゾラが、その『獣人』を著わそうとして、人物・事件がすべて鉄道に関連するので、このために数年間の準備を重ねたということを聞いた。私は名家が功をなすことが偶然ではないことを思って、いよいよ我が国小説家の軽薄・不用意を恨まずにはいられないのである。
私はまた「社会小説」という名称の下に、境遇遺伝の感化を描こうとしたものがあることを見た。世間の人はあるいはこれを「深刻小説」と言っている。[訳注:深刻小説の代表作は、広津柳浪『変目伝』『黒蜥蜴』である]。けれども私から見ると、深刻小説はむしろ「残酷小説」と呼ぶべきものである。精神病通であるゾラが、[『ナナ』で]そのナナを描き、ルイゼを描き、[『獣人』で]ルーボー、ミザールを描き、ジャック、フロール、セヴリーヌを描いたような深刻は、[日本の深刻小説には]とてもそれを見出すことができるはずがない。彼らはただ抽象的に事象の輪郭を描き、そうして覚束ない自家の社会観をただその上に貼付したにすぎないのである。このような著作によって小説家の名誉を博することができるならば、天下に小説家のように多幸な者が、誰かいるだろうか。
8
私は文明批評家としての文学者を論じて、図らずも罪を我が国の小説家に得るに至った。深くこれを遺憾とするけれども、しかも我が国文壇のために謀るものは、勢いここに出ざるを得ないのである。私は、今の我が国文学者の多くが、このような憐れむべき状態に存在するにかかわらず、自ら気位を高くもって大文豪・大小説家を気取るという痴態を傍観するに忍びない。彼の丙丁童子[とるに足らぬ連中]に擁されて先生と自任している者などは、真に人を抱腹絶倒させる。彼らは何をもって誰に誇ろうとするのだろうか、分からない。試みに彼らの愛読者がどのような種類の人であるのかを想え。私の知る限りにおいては、少し教育があり、識見があり、趣味がある者の百中の九十九は、彼らの作を手に触れようともしないのである。彼らがその褒貶に一喜一憂するいわゆる批評も、多くは文学が何物であるかを理解しない黄吻書生[くちばしの黄色い経験の足りない学生]の悪戯に過ぎない。少し名のある学者が彼らのために真摯な批評を書くようなことは、私はほとんど耳にしない所である。このように国民に度外視されつつあってしかもそれを覚らない彼らは、かえって日本読書界の全体を占領したように考えて、自己の作が世間に行われていないのを見ては、そのたびに社会趣味の高下を口にするのは、滑稽もここに至って極まったというべきである。
私に今の文壇のために計らせるならば、私は何よりも先に我が国の文学者が文学に対する覚悟を一新することを願わざるを得ない。彼らが戯作者気質を除去しない限りは、一切の助言も水疱に帰するだけである。私はこの目的に対する一つの方法として、切に欧米の最近の詩人・小説家の傑作を玩味することを勧告しよう。文明批評家としての文学者が、どのような修養、どのような品性を必須とすべきかは、特に彼らの注意を必要とするだろう。
私は思う、もし我が国の小説家でイプセンの『ブラン』を読み、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読み、ズーデルマンの『憂愁夫人』を読み、ヨーカイの『グリーンブック』、シェンキェヴィチの『クオ・ヴァディス』を読み、そうして真にこれを理解したのであるならば、再び安んじて従来の著述に従事することはできないであろう。そうである、私は実にそのそうであろうことを思うのである。
ああ、ニーチェは一詩人に過ぎない。そうしてドイツの思想界は現に彼のために動かされつつあるのである。むしろ突梯[つかまえ所がないこと]とも見られるべき彼のような個人主義が、そのように一国文明の大動力となっているのを見ると、私は切に文学・芸術の勢力が実に科学・哲学に幾倍するものであることを思って、さらにこの点でいよいよ文学者の崇高・偉大な天職を覚悟しないわけにはいかないのである。私は我が国文学者に勧めて強いてニーチェ・イプセンの先蹤[先例]を踏ませようとするものではないけれども、しかもこのような天職を自覚する途について、本邦文学の体面を一新することは、私が希望してやまない所である。