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魚住折蘆「自己主張の思想としての自然主義」現代語訳

「自己主張の思想としての自然主義」は、文芸評論家の魚住うおずみ折蘆せつろが、明治43年8月22、23日に「東京朝日新聞」の文芸欄に発表した評論である。従来の「現実をありのままの姿で眺めようとするもの」という自然主義観に対して、自然主義を「国家・社会・家庭などのオーソリティ(権威)に対抗するもの」ととらえて注目された。この評論は石川啄木に「時代閉塞の現状」を執筆させる直接のきっかけとなったことで知られている。

魚住折蘆は、明治16年に兵庫県に生まれ、第一高等学校を経て、39年に東京帝国大学文科大学に入学し、ケーベル先生に師事して哲学を学んだ。大学卒業後は大学院に進んで文明史の研究者を目指すとともに、夏目漱石の影響が強かった朝日新聞文芸欄に、本稿の他に「自然主義は窮せしや」(43年6月)、「穏健なる自由思想家」(同10月)を発表するなど、新進の文芸評論家として注目されたが、43年12月にチフスのため28歳で急逝した。

この現代語訳の底本としては、「近代評論集Ⅰ」(日本近代文学大系57、昭和47年9月、角川書店刊)に所収のものを用い、久保田芳太郎氏による注釈から多くを学び、その一部を現代語訳に利用させていただきました。ここに記して感謝を表します。

自己主張の思想としての自然主義

魚住折蘆 著  上河内岳夫 現代語訳

  (上)

 毎月出る雑誌や単行本を一々読むわけではないから、誰がどんな説を言っているか詳しいことは無論知らないが、自己主張の思潮として自然主義を見ている人はあまりなさそうである。自己主張といえば意志[自我の意志]を予想する。それなのに自然主義はむしろ決定論的(ディターミニスティック)な傾向である。この二つは一見調和しがたい矛盾に見える。ところが、桑木くわき厳翼げんよく博士[哲学者、東大教授]は、雑誌『新仏教』の問いに答えて、最近10年間の主な思潮として、本能主義・ニーチェ主義の鼓吹[高山樗牛]、宗教的な自覚の勃興[内村鑑三・綱島梁川ら]、自然主義の唱道の3つを数えて、いずれも自己拡充の精神の発現であると判断を下されている。博士の説は1ページ余りに過ぎないものであったから、もとより詳しいことは分からないが、私は博士のこの見解をもって、大網をとらえることができた極めて明快な説だと思っている。なお、博士がこの自己拡充の主潮[主流になっている思想傾向]に対立させて、漢学の復興・報徳宗の運動[二宮尊徳の思想を流布させる運動]・義士祭典[赤穂義士を記念する祭典]の流行などを反抗的な保守思想として挙げられ、これを尻目にかけて[見下して]おられるのはいささか痛快である。今私はこの一見矛盾に見える自然主義と自己主張との関係について少し詳論して見たいと思う。

 近代思潮はそれがどんな思潮であっても、大か小か自己拡充の精神及びその消極的な形式である反抗的な精神を含有している。自然主義が本来極めて科学的・決定論的で、したがって自暴的・廃頽的であるにもかかわらず、一面に自己主張の強烈な意志が混ざっているがゆえに、ある時には自暴的な意気地いくじのない泣言や愚痴を言っているかと思えば、ある時にはその愚痴な意志薄弱な自己を居丈いたけだかに主張することもある。これは結局のところ近世思想が現実的ということを、超現実的な中世に反抗して主張してきた結果である。反抗の精神も現実的な精神も、その当初の予期を越えて果てしなく進行するに及んで、両者の間に相容れない矛盾を生じるに至った今日においても、当分離れることを好まないのである。あたかも近世の初頭に当たって、相容れないルネサンスと宗教改革との両運動が、その共同の敵であるオーソリティ(権威)に当たらんがために一時連合したように、現実的・科学的したがって平凡かつ宿命論的(フェータリスティック)な思想が、意志の力をもって自己を拡充しようとする自意識の盛んな思想と結合している。この奇妙な結合の名が自然主義である。彼らは結合しようとするためには共同の怨敵おんてきを持っている。すなわち権威である。

 ルネサンス及び宗教改革の共同の敵である権威は教会であった。18世紀のドイツにおいて啓蒙主義と敬虔主義[プロテスタント教会の教義化・形式化を批判し、信仰の内面化や実践性を重視したシュペーナーらによって指導された信仰運動]とが滑稽な連合を形作って当たった権威も教会である。しかし今日の教会は自然主義の正面の敵となるほど有力な権威ではない。今日の権威は早くも17世紀においてリヴァイアサン[『聖書』に登場する巨獣]に比肩された国家であり、社会である。朝廷で天下の枢機を握っている諸公は知らない。自己拡充の念に燃えている青年にとっては、最大の重荷はこれらの権威である。ことに我ら日本人にとっては、もう一つ家族という権威が、二千年来の国家の歴史の権威と結合して、個人の独立と発展とを妨害している。こんな事情から個人主義のキリスト教が国家の抑圧に対抗して唯物論である社会主義と結合したり[キリスト教社会主義]、これに類似の一見不可思議な同病相憐れむ結合が至る所に見出される(ただし、長谷川天渓氏が自然主義と国家主義とを綴り合わせている[結合させている]のはただ噴飯の他はない。田山花袋氏・岩野泡鳴氏も聞えた自然主義者でありながら、確か天渓氏同様の説をどこかでなしているのを見たことがあるように思う。それならば随分不徹底な自然主義である)。[訳注:天渓は「現実主義の諸相」で、ありのままの客観的現実を肯定する立場から、日本の家族制度や国家を容認した。泡鳴はその後、実際に国家主義者となった]。

  (下)

 こんなことを言ったら、やれ進化論がどうの、やれ社会有機体説がどうのと、口うるさいことを振り回す人がでてくるかも知れないが、それをごもっともとしても、兵隊には取られる、重い税はかかる、暮しは世知せちがらくなる、学問が細かく分化する、これらの事実がゲミューツレーベン[Gemütsleben、感情生活]に影響しないはずがない。芸術はその内的な生活の忌憚きたんのない発現であるから、風俗上どうの、学理上どうの、国家の元気がどうの、東洋の運命がどうのと言っても今更始まらない。むしろその形式すなわち芸術のみが忌憚のない生活の真相を示すことができることを、多としなければならないのである。先頃、夏目[漱石]先生が、本欄[朝日新聞文芸欄に掲載された「文芸とヒロイック」(43年7月19日)]においてヒロイックな出来事も不自然でないという最近の事実[下述の佐久間大尉のこと]から、「自然主義と自称する者がこの方面に手をつけないこと」を非難されたようであるが、いささか見当違いの議論ではないかと思う。自然主義が言う自然は事実あり得べき事という意味で、事実ありそうにもないという事に対立したものではなく、むしろありふれた平凡なという意味で、滅多にないという事に対立したものである。ゆえにヒロイックな出来事は、それが滅多にないという訳で第一に描写されないのである。そのうえ、上にも言った権威に対する時代通有の反抗的な精神のために、広瀬中佐[日露戦争で旅順に戦死し軍神とされた]や佐久間大尉[第六潜水艇隊艇長、訓練中の沈没により遺書を残して殉職]の、従順・謙遜・犠牲・献身のヒロイックな行為も、鼻の先で扱われるような運命を免れないのである。

 以上は自然主義の現在に対する私の解釈であるが、解釈は必ずしも正当化(ジャスティフィケーション)ではない。どこまで正当化(ジャスティファイ)してどこまでしないかは、目下の私は明確な定見は持たない。けれども私は現実的・自暴的・廃頽的・憂欝的・悲観的のみの傾向に対してよりは、これらに反抗的で主義的な[一定の主張を持った]熱意の混ざった傾向により多くの同情を持っている。前者と言えども近代的な憂欝に対する同感の情から、幾分興味を持たないことはないが、そんな先の見えない暗黒な思想は私のたえがたい所である。これに反して自己主張の精神が燃えている所には、たとえそれが乱雑であっても、渾沌こんとんであっても、ここには[『聖書』の]「創世記」的なおもかげが忍ばれて、新しい世界・新しい生命がどこかに動いているように思われる。これが私が現在の諸芸術ことに小説に対して、生命の色濃さ、作家の強烈な主観の主張の現れたものに、同情の注目を注いでいることの次第である。

 したがって私は、桑木博士が自然主義をもって「自己拡充の精神の一発現」と見られたことに完全に従うだけではなく、さらに博士がこの思想を代表する青年を保守的な老人たちが抑圧することなくむしろこれを善導することを勧めて、現下の思想界に対していささかも悲観的な気配を見せておられないのに深く同感する者である。淫靡いんびな歌や絶望的な疲労を描いた小説を生み出した社会は、結構な社会でないに違いない。けれどもこの歌、この小説によって自己拡充の結果を発表し、あるいは反発的に権威に戦いを挑んでいる青年の血気は、私が深く頼もしいとする所である。(8月9日)
 
(明治43年8月22、23日 「東京朝日新聞」に掲載)
 

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