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加藤弘之「立憲政体略」現代語訳

加藤弘之の代表作の一つである『立憲政体略』は、明治元年=慶応4年に、谷山楼より刊行された欧米の立憲政治の概説書である。加藤弘之は、すでに文久元年に欧米の立憲思想を紹介する『隣草』を書いていたが、これは公刊されることはなく(後に公刊)、『立憲政体略』が最初の著書であった。加藤弘之は、福沢諭吉と同世代の啓蒙思想家であるが、福沢の『西洋事情』や『学問のすすめ』などの著書が広く一般大衆に迎えられたのに対して、加藤弘之の著書は国家の指導者層に広く読まれ、日本が立憲政治への道を進むのに大きな影響を与えたことが知られている。なお、本文で予告されている「立憲政体論」は書かれることがなかった。

この現代語訳の底本としては、植手通有責任編集になる『日本の名著 34 西周 加藤弘之』(中央公論社、1972年)に所収のものを用いた。これは現代語訳ではないが表記の現代化が図られており、この現代語訳でも大いに参考にさせていただいた。あわせて国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994358)に収められた『立憲政体略』を参照した。この原本では、改行に当たる部分が「〇」印で示されており、これによって全体の構成を確認することができた。

この現代語訳では、全体の構成を見やすくするために、章および節に番号を付し、一部の用語をボールド体にするなどの変更を加えている。

現代語訳「立憲政体略」

加藤弘之 著、 上河内岳夫 現代語訳

小序

 私は、先に『隣草となりぐさ』という題の書物を著して、政体のあらましについて論じたが、なお初学の著書なので、文章は極めて拙く、論は極めて粗かった。そこで、なお別に『立憲政体論』という題の書物を著して、詳細に論じようと思い、既に一昨年起稿したが、その後公私ともに多事で稿はいまだ半分に達していない。よって詳細を求めて達成が速やかでないのは、むしろ簡略で達成が速やかなことに及ばないと思った。そこで、まずその略を取ることに決めて、数日前より公務の余暇をぬすんで筆を採り、もってこの小冊子を著した。題して『立憲政体略』という。なお休暇を得て『立憲政体論』を終え、もって詳細を尽くそうと思う。

 立憲政体とは、公明正大・確然不抜[確固として動揺しない]の憲法を制定し、人民と政治をともにし、もって真の治国の要を求める政体をいうのである。立憲政体には二種がある。本文で詳述した。

  慶応4年戌辰(1868)7月 加藤弘蔵[弘之]しる

第1章 政体総論

 およそ世界の万国は、風俗・人情がおのずから異なっているが、その政体は要約して言えば二種に過ぎない。いわゆる君主政と民主政である。ただし君主政は三種に分けられる。すなわち君主専制・君主専治・上下同治(または君民同治と訳す)である。民主政もまた二種に分かれる。すなわち貴顕専治・万民共治である。すなわち、以下に諸政体の概略を論じる。

君主政:万民の上に一人の君主がいて、これを統御する政体である。
 君主専制:君主が天下を私有し、万民を専制して、生殺与奪の権利をひとりその欲する所に任せるものを言う。
 君主専治:君主が天下を私有し、ひとり礼楽[文化]・征討の権利をもっぱらにして、臣民に国事に参与させないものを言う。ただし習俗がおのずから法律となって、やや君主権を制限する所がある。
 上下同治(または君民同治):君主が、万民の上にあって、これを統御するが、あえて天下を私有することはなく、必ず公明正大・確然不抜の憲法を制定して、万機は必ずこの憲法に則って施行し、かつ臣民に国事に参与する権利を持たせるものを言う。

民主政:万民の上に君主がなく、庶民が政権を掌握するものを言う。
 貴顕政治:国中の貴族・顕族の成員が、歴代政権を掌握するものを言う。すなわち貴族と顕族が天下を私有するのである。
 万民共治:国中の君臣・尊卑の別なく、ただ有徳の君子が一人もしくは数名が選択されて政権を掌握する。ただし、上下同治のように、また公明正大・確然不抜の憲法を制定して万機はこの憲法に則らないものはなく、かつ国内の庶民に国事に参与する権利を持たせるものを言う。ただし、この政体の国にも確然不抜の憲法を立てないものがある。このようなものは立憲政体と呼んではならない。古昔の制度は皆このようであった。

 以上、五政体の概略はこの通りである。ただし、この他になお代天政治、あるいは盟邦・合邦、封建・郡県などの制度があるが、みなこの五政体の一つでないものはない。
 この五政体の中において、君主専制・君主専治・貴顕政治などと言ったものは、皆いまだ開化文明に向かわない国の政体である。なかんずく君主専制は蛮夷の政体で、最も憎むべき賤しむべきものである。ただし、君主専治は、人文がいまだ開けず無知で愚民が多い国においては、甚だ適当な政体であるが、だんだん開化に向かう国では、直ちに廃棄しなければならない。貴顕政治もまた同様である。欧州各国は、往古多くはこれらの政体を建てて、ひとり朝廷が大権をほしいままにし、努めて人民を愚かにして残虐な政治を施した。しかし、中古にようやく開化に向かうにしたがって、民衆はその私政に服せず、ことに今を去ること1、2百年前のころから碩学・大儒が輩出して、このために慷慨こうがいを抱いた者が少なくなかった。なかでもイギリス人のミルトンやロック、フランス人のモンテスキューやルソー、ドイツ人のカントやフィヒテ、その他の数人が、しきりに王公が天下の万民を私有することは誤りであると弁論して、あるいは上下同治、あるいは万民共治の政体を主張したので、一般の人民のこの公論に服する者が多く、だんだん王公の虐政を拒み、しばしば騒乱を生じたために、王公の暴威はいよいよ衰えて、ついに従来の政体はおのずから永久に存在することができない勢いとなり、それより各国はその政体を変えて、あるいは上下同治、あるいは万民共和の政体を建てて、民衆と政治をともにすることとなったのである。わが皇国もまた2千年余りの間、固有の政体を保ってきたが、去年、わが旧幕府が時勢を観察して政権を天朝に帰納されてから、万機一心、公明正大な政体を起こされた。真に皇国中興の盛業で、人民の幸福はこれより大きなものはない。

 前章で論じたように、五政体の中で、公明正大・確然不抜の憲法を制定し、もって真の治安を求めるものは、ひとり上下同治・万民共治の二政体だけである。よってこれを「立憲政体」と呼ぶ。以下にこの二政体の制度を概論する。これがこの書物の本意である。

第2章 上下同治

 一人の君主が天下の大権を掌握する。すなわち天下の元首である。されども君主専制・君主専治のように天下をもってその私有とし、万民をもってその僕婢ぼくひとなすものではない。いわゆる天下をもって「天下万民の天下」とする。ゆえに政府はただ天下万民に代わって天下万民を治めることを本意とする。このことからその政令は、ひとり君主がもっぱらにすることができないもので、必ずまず公明正大・確然不抜の憲法を制定し、万機すべてがこれに則らないものはなく、かつ臣民に国事に参与する権利を持たせる。それのみならず君権がややもすれば専恣せんしになる恐れがあるため、天下の大権を三類に分割して、各々にその官員[官吏・役人]をあて、君主がこれを統括する。第一は立法権、第二は施政権(また行政権と呼ぶ)、第三は司法権である。以下に、憲法および三大権について概論する。

2.1 憲法
 憲法とは、すなわち治国の国憲[基本法]で、すべてこの政体制度の大綱をことごとく、これに載録さいろくして、万機はこれに則って施行するものとし、政府は少しもほしいままに変更することができない。変更しようと思うものがあれば、必ず先ずこれを立法府に諮らなければならない。まさしく確然不抜である理由である。その他の憲法(今の法律の意味)が数種あり、みなこの憲法の枝葉である。

2.2 三大権
2.2.1 立法権
 憲法はすなわち治国の基礎である。このことからこれを制定する権は、おのずから三大権の最も重要なものである。この故に君主はあえてこの権をもっぱらにすることはできない。必ず臣民とこれを分けて、君民上下がともにこの権を掌握する。そうではあるが天下万民を招集して、その議論を聴くことは甚だ容易ではない。かつ、たとえ努めてそうするとしても、天下の人民は、賢くて知恵のある者は少なく、愚かで不肖の者が多い。愚かで不肖の者に天下のことを論じさせるのは、単に利がないのみならず、返って害がまた少なくはない。このために立法府を置いて、立法権を掌握させて、もって天下万民に代わって君主とともに憲法を制定し、大事を議論して定めるものとする。立法府は、大概、分けて上下の二院とする。

[上院]
 貴顕の族・宗教指導者・官吏・富商・豪農などをもって上院の官員とするものが多い。まま庶民をもってこの官員とする国もある。この官員は、世襲があり、君父が命じて終身あるいは定期の間のこの職に任じるものがあり、あるいは庶民の選択に関係してその在院の年限があるものがあり、あるいはその選択を得るのに年齢が決まっているものがある。各国はみな一様ではない。以下に三、四の国の概例を挙げる。

〇英国の上院:(イングランド、スコットランド、アイルランドの三国を合併して、英国と呼ぶ)。王族・貴族・聖職者などで、王族およびイングランドの貴族は世襲し、スコットランドの貴族は毎年新たに選挙し、アイルランドの貴族は終身任じられる。また聖職者はイングランドより出る者は終身任じられ、アイルランドより出る者は年々交替する。上院の官員は、おおよそ440、450人。院長がいて、カンセラー(councilor)と呼ぶ。
〇フランスの上院:キリスト教長、将軍など、その他すべて国君が命じて終身この職に任じる。人員はたいてい150名に過ぎない。
〇プロイセンの上院:王族・貴族・豪農・富商・大学校の代議士および大都市の市長などその他の諸類の者で、あるいは世襲の者があり、あるいは終身または数年間これに任じる者がある。
〇オランダの上院:多数の直接税(地税・家税など、当人より直ちに政府に納める税を言う。私の『西洋各国盛衰強弱一覧表』および友人神田孝平の『経済小学』を見るべし)を納める者でなければ、この官員に任じられることはない。ただし、その年齢が30を超える者のみ。これを選択する者は国内各州の議官で、たいてい人口3千人ごとに一人を選択することとなす。在職9年で、3年ごとに全数の3分の一を改選する。人員はおおよそ40名とする。

[下院]
 また下院は各国みな庶民の代議士をもってこれに充てる。代議士とはすなわち天下の庶民に代わって国事を合議することがもって命ずる所である。ゆえにこの代議士は各国ともにみな庶民の選択[選挙]する所で、必ず年齢・年限などの定則がある。これを選択する者を選択士[選挙人]と呼ぶ。ただし選択士となる権利および代議士となる権利、ともにことごとく万民に授与する国があり、あるいは教条[教会が公認した教義]の規則があって、その権利を限定する国があり、各国で相異なっている。以下にまた4つの国の概例を挙げる。

〇英国の下院:都市などでは年々300ポンド(1ポンドはおおよそわが金三両三分)以上の収納がある者でなければ、代議士に選択されることはできない。また州県では、年々600ポンド以上の収納がある土地・家屋などを所有する者でなければ、選択されることはできない。人員は総計6百5、6十人で、在職は7年とする。また、年々10ポンド以上の収納がある土地・家屋あるいは倉庫などを所有する者はみな選択の権利を持つ。
〇フランスの下院:庶民はことごとく代議士となる権利を有する者で、選択の権利もまた庶民がことごとくこれを有する。ただし、年齢が21歳以下の者は選択の権利を持つことができない。代議士の在職は10年とする。居住民3万5千人ごとに一人の代議士を選択する。
〇プロイセンの下院:年齢が30を超える者はみな代議士に選択される権利がある。総人数3百5十名、在職は3年とする。この国の選択法は他の各国とは異なって選択士に2種あって、その一を初選択士と呼び、二を後選択士と呼ぶ。まず初選択士が会合して後選択士を選択するときに、この後選択士がまた会合して代議士を選択する法である。これを複選択という。イスパニアおよびその他のドイツ諸国などがこの法を用いる。ただしこの選択法については詳細に論じなければ、そのことわりを了解することができないが、十分にこの小冊子が尽くすことはできない。ゆえになお詳細については『立憲政体論』に譲る。
〇オランダの下院:庶民はことごとく代議士となる権利がある。ただし年齢が30以下の者はこの権利を持つことができない。この官員の在職は4年で、2年ごとにその一半を改選する。人員はおおよそ7、80人とする。直接税の多寡をもって、この院の選択権利[選挙権]を限定する。ただし土地によってその多寡を定めるもので、都会あるいはその他の繁盛の地などでは多数の直接税を納める者でなければ、選択士[選挙人]となることができない。また僻村・辺土などでは繁盛の地に比べれば、わずかな直接税を納める者でも選択士となることができる。ただし最も多数である場合も160ギュルデン(1ギュルデンはおおよそわが銀18匁に当たる)に過ぎず、最も寡少な場合でも20ギュルデンを下ることはない。

 両院を設ける方法は、各国でこのように相異するが、みな天下万民に代わって君主とともに憲法を制定し、大事を議論して決定する権利があるのはたいてい同一である。ただ独りフランスになると、皇帝の威権がすこぶる盛んで、立法の権は大いに抑制される。
 各国ともにこの両院は、毎年あらかじめ会議の日数を定めて、必ず集会する。ただし臨時に事が起るときは、君主が徴集して会議させることがある。すべて両院を開閉するのは君主の権利である。かつ場合によっては君主が命じて散会させる権利がある。ただしこのような時には、直ちにまた令を下して他の立法府を選択させ、新たに会議させなければならない。
 会議することは、すべて多数人員の一決した所を採ることを常法として、あえてわずか数名の論議を採ることを許さない。ただし場合によっては、たとえ衆説の一決するものと言っても、君主がこれを不可とすれば、退けて採らない権がある。なお詳細については『立憲政体論』に譲る。

2.2.2 施政権(または行政権と呼ぶ)
 君主と立法府両院がともに商議してすでに制定した憲法を施行し、あるいはこの憲法に則って万機の政をなす権を施政権または行政権と呼ぶ。この権はひとり君主が掌握する所で、民はあえてこれに与ることはできない。ただし、この権が含有する職務は、一人でよく修められるものではない。よってこれを数類に分けて各々その局を置き、各局に必ず大臣一員を任じて、君主の補佐とする。すなわち君主の任命する所である。かつこれに属吏数十百員を加えて、各々その細務を分掌させる。その分局は各国で同一ではないと言うものの、おおよそ7、8類とする。すなわち外国事務局・内国事務局・軍防事務局(あるいは海陸二軍の事務を分けて二局とする国もある)・刑獄事務局(刑獄のことは司法府の司掌する所であるが、君主が司掌する事件もあるゆえ、この局を置く)・会計事務局・藩属地事務局・教育事務局(教法および学術の事務をつかさどる。ただし別に教法事務局を置いて、学術の事務は国内事務局にて掌る国がある)・百工[工業]事務局(あるいは別にこの局を置かずに国内事務局あるいは会計事務局にて兼摂する国もある)などである。されどもなお十数類に分ける国がある。あるいは数局を合併して、わずかに4、5局を置く国もあって一様ではない。この数局を合わせて補院と呼ぶ。この補院の他になお参議院があり、君主側に仕えて大政を参議する。また君主の任命する所である。
 君主は道理においては、治国の責任がある。ゆえにその政令がもし憲法に背戻するものがある時には、立法府の両院がその罪を問うことは道理においてもとより当然であるとする。されどもまた、この事実に行うことができない道理がある。それゆえ大臣をして君主に代わらせて、すべて各局の大臣がおのおのその職掌の責に任じる制度を立てている。故にもしその政令に憲法に背戻するものがある時には、立法府は君主の罪を伺わずに、必ずそのことに与って連署する大臣の罪を問うことができるのである。ゆえに施政権は君主がもっぱら掌握する所であるが、必ず大臣が許可することでなければあえて施行することができない。(なお、詳らかなことは『立憲政体論』で論じる)。
 宣戦・講和・条約の締結などのことはみな君主の権利であって、立法府はこれに与ることはないものとする。

2.2.3 司法権
 司法権(司律権)とは法律を司掌する権を言う。思うに国家の法律を定めて査問官を立てるのは、人の悪念を禁じて人の自修[自ら規範を守って身を修めること]を許すゆえんである。ゆえにこの権をもって立法・施政の二大権に並列して、別に司法一府を置いて、これを司掌させる。ただし大中小の数院に分ける。全国の法律を司る者があり、州内の法律を司る者があり、県内の法律を司る者がある。その他に数局があり、各国はみな同じではない。
 この府の官吏は、ただ法律によって訴訟を裁き、少しも法律の正邪当否を論じる権利はないとする。されどもすべて訴訟のことは全くこの府に委託するもので、君主はほとんどこれに与らないものとする。ただこの府の官員を任命する権利、死罪を許可する権利、罪科をなだめる[寛大に処する]権利、その他の二、三の権利は、君主が掌握するものとする。

第3章 万民共治

 すでに論じたように、この政体を立てる各国では、君臣尊卑の別なく、およそ全国の人民がことごとく会議して、国政を施すことを本意とする。すでに往古ギリシアのアテネなど、このような制度で憲法のことやその他のすべての緊要な事柄を合議するには、全国の人民がことごとく集会してこれを決定し、ただ日々の庶政は別に官員を置いて、これを委託していた(すなわち「万民共治」の名が起こる理由である)。ただしこのような制度はアテネのような極小国でなければ施すことができない。また例え施すことができるとしても、甚だ良制であるとすることはできない。この故に最近この政体を立てるアメリカおよびスイスなどその他の多くの国はこのような制度を用いず、上下同治のように必ず確然不抜の憲法を制定し、また三大権を分けて、立法権は立法府の両院を設け、選択の法[選挙]をもって代議士を推挙し、行政権もまた選択の法をもって有徳の君子一人もしくは数人を推挙してこれを委託し、かつこれを天下の元首とする。あえて門地・資格を論じず、ただ有徳才識の士を取るのを本意とする。ただし選択を得る年齢および在職の年限などは必ず定則があって、満期になればまた他人を選択してこれに代わらせる。アメリカなどは行政権を掌握して牧民の責に任じる者を大統領と言う。すなわち一名である。ただし別に副大統領と呼ぶ者が一名ある。もし大統領が在職中に死ぬか、あるいは故があって退職する時など、これに代わって大統領の職を継がせるために予備とする者で、平常は上院の議長であるだけである。さて大統領はその年齢が35以上の者でなければ選択されることはできない。その在職は必ず4年とする。されども衆望が帰して、人民がその退職を喜ばなければ、8年に延びることを許す。決して8年を超えることを許さない。思うに威権が専横に至るのを恐れるのである。またスイスの制度はこれと異なって、施政権を掌握して牧民の責に任じる者が7人ある。ともに議論して天下を治める。これを合議府と呼ぶ。在職は3年とする。また門地・資格を論じず、ただ衆望の帰する者を挙げる。
 この政体を立てる各国の多くは、元来、自主の数邦を合わせて一国としたものであるが故に、その数邦は上下同治の国の州県のようなものではなく、各邦に必ずまた政府があって邦内の政はすべてこの政府が施行し、ただ全国に関係することは全国の大政府が施行する。確かに封建の制度と大いに類似する所があって、大政府は朝廷のようであり自主の各邦は諸侯のようである。この故に封建の国で立憲政体を立てるには、上下同治の制度よりもかえってこの政体の制度を取る所が多いようである。憲法および三大権は、たいてい上下同治と大同小異であるが、なお以下に概論する。

3.1 憲法
 たいてい上下同治の憲法の通りある。ただ政体の異なることによって、おのずから小異があるのみである。

3.2 三大権
3.2.1 立法権
 たいてい上下同治の国のように、また上下二院に分ける。ただその上院は大いに上下同治の上院とは異なって、貴族・宗教指導者・豪農・富商などではなく、国内各邦の政府から各々二員の代議士を選択して、これを上院に送る。思うに各邦に代わって国事を議する者である。ただし下院は上下同治の国の下院と相異することはなく、すなわち庶民の代議士であってまた人口にしたがって選択する。ただし国中の庶民がことごとく選択の権利を持つもので、決して大小貧富にしたがって、この権利を与奪することはない。ただこの権利を持つことができない者は、婦女・少年、精神病のある者および受刑者などだけである。
 両院の代議士の在職の年限および選択を得る年齢には必ず定則がある。アメリカでは上院の官員在職の年限は6年である。年齢が30になった者でなければ、選択されることはできない。また下院の官員在職は2年で、年齢が25以上の者でなければ選択されることはない。居住民12万4千人ごとに一人を選択することとしている。総人数は大約240、250人である。またスイスの両院も、これと小異があるだけである。
 会議で一決したことでも、大統領がこれを「不可」とすれば退けて採用しない権利があることは、上下同治の君主と同じである。ただしもし立法府があえてこれに服することなく、なおその説を主張する時は、ふたたびそのことを合議させて、なお総人員の3分の2がそのことを「可」とすれば、大統領はこれを採用して施行せざるを得ない。ただしスイスの合議府にはこのような権利はない。ゆえに立法府で決定したことは、合議府があえてその可否を論じないで直ちに施行する。
 その他のことは、たいてい上下同治の国の立法府と大きく異なることはない。

3.2.2 施政権[行政権]
 一人もしくは数人がこの権を掌握する。すなわちアメリカでは大統領一人がこれを掌握し、スイスではいわゆる合議府7人がこれを掌握する。
 施政府の職務を数類に分け、各々その局を設けることは、上下同治の国とたいてい相異することはない。アメリカでは大統領が各局の宰相を任命して、その統治を補佐させる。その黜陟ちゅっちょく[官位を上げ下げすること]は、ひとり大統領のもっぱらにする所である。ただし、スイスでは7局を立て、いわゆる合議府の7人が各々が一局の長となって、その職務をつかさどり、平常のことはその長がこれを決定して施行し、ただいささか通常と異なることは、合議府の7人がみなで議論して定める。ただし7人中に首領が一人あり、年々改選する。
 上下同治の国では、君主には治国の責任に実がないように、必ず大臣をしてこれに代わらせるが、この政体を立てる各国ではそうではないとする。ゆえにアメリカでは大統領、スイスでは合議府が、治国の責に任じるものであって、政令や憲法に背戻するものがあれば、立法府よりその罪を問うことは当然である。
 宣戦・講和・条約締結の権利は、アメリカでは大統領の掌握する所であるが、これを独りもっぱらにすることはできない。必ず立法府と協議しなくてはならない。ただしスイスではこの権利は全く立法府に属して、合議府は少しもこれに与ることがない。


3.2.3 司法権
 上下同治の国のように、この権は全くこの府の官員に委任する所で、立法府・行政府の関係する所ではない。ただしアメリカでは上下同治の各国のように、この府の官員を任命する権利、死罪を許可する権利、および罪科をなだめる[寛大に処する]権利、その他の二、三の権利は大統領が掌握する所である。ただしスイスでは、合議府がこのような権利を持つことはできない。その他たいていのことは、上下同治の国と大きく異なることはない。

第4章 国民の公私二権

 君主専制・君主専治・貴顕政治といったものは、天下万民をもって君主・貴顕の私有・僕婢であるとする。僕婢がただその主人の命令をもってこれを奉じるのは道理において、もとより当然である。ゆえに一つも権利を持つことができないのは、あえて論を待たない。ただ立憲二政体のようになるとそうではない。天下を君主・貴顕の私物とすることなく、いわゆる「天下の天下」とする。この故にその臣民たる者の身には、おのずから権利が存在するということになる。権利には二類がある。一つ目を私権と呼び、二つ目を公権と呼ぶ。私権とは私身に関係する所の権利で、いわゆる任意自在の権と呼ぶものがこれである。公権とは国事に与る権利を言うのである。

4.1 私権
 私権にまた数種がある。列挙するのにいとまがないが、その著大なものはおおよそ以下の通りである。
 第一は、生活の権利である。生活は天の賜物で、これを奪うのもまた天にある。人がほしいままに奪うべきものではない。これを人生諸権利の基礎とする。蛮夷といった者は、人君が生殺の権をほしいままにする。臣民がこの権利すら持つことができない。まして他の権利においてはなおさらである。ただ、文明諸国でも重罪の刑は必ず死をもってする。おそらくやむを得ないことによるのである。
(1700年代、イタリアのベッカリーアと言う人が、死刑廃止論を公表してから、欧州の碩学・大儒でこれに賛成する者が多く、すでにスイス連邦のうち死刑を廃止するものがある。恐らくは、この説は後世実際に用いられるようになるだろう。なおこの説の詳細については『立憲政体論』に譲る。)
 第二は、自身自主の権利である。みだりに逮捕され、ほしいままに獄につながれるなどのないことを得る権利である。
 第三は、行事自在の権利である。ただ憲法が禁止するほかは、すべての人生諸事は、その意志に任せて障害のないことを得る権利である。
 第四は、結社および会合の権利である。結社の権利とは、数人が会社を結成して、衆力を合わせ、資本を集め、もって一人の力ではなしえない事業をなし得る権利である。会合の権利とは、衆人が一つの地に会合して、あるいは歓楽を同じゅうし、あるいはともにその利益を図ることを得る権利である。
 第五は、思・言・書の自在の権利である。思・言・書の三事をことごとく意に任せることを得る権利である。ただし思考の自在は例えけつちゅう[夏の桀王と殷の紂王、ともに暴王]でも、あえて禁止することはできない。されどもその思考する所を自在に言葉に表わし、あるいは文章に書き記して広く知らせることを禁止するのは、君主専制・君主専治の常である。ただその自在を許すものは立憲二政体の各国のみである。けだしこの各国がますます開化文明におもむく理由である。ただしこの権利が自在であるとて、みだりに書き記すことを許すわけではない。その書き記す所が甚だ人心を蠱惑こわくし、治安を妨害するなどのことがあれば、記者が必ずその罪を受けることは、もとより当然である。ゆえに記者は、その弁解の責任があると言う法律がある。
 第六は、信教自在の権利である。教法のことは宗派に拘わらず、いかなる宗派でもその人の意に任せて信仰することを得る権利である。ただし中古まではこの権利を立てずに、あるいは古い宗派を尊んで、新しい宗派を卑しめる国があった。このためにしばしば国乱が起こったことがあったので、最近はこのような禁制を廃止して、政府は少しも宗派の是非・善悪を論じず、ただ人の意に任せて、何の宗派でも自在に信仰することを得る権利を立てたのである。ゆえに近ごろは教法のために国乱の起こることは絶えてない。けだし欧州の開化が大いに進歩した理由であろうか。
 第七は、万民同一の権利である。法律が各民の権利を保護することが同一で、門地・資格などによって絶えて差別がないことを得る権利である。けだし立憲政体が絶対公正で、一点の私もないことを見るに十分である。
 第八は、各民所有の物を自在に処置する権利である。各民はその所有する物品を自在に処置することを得て、決して他人のために妨害されることがないという権利である。この故に立憲政体の各国では、たとえ罪人の家屋・物品でも、決して没収することなく、必ずこれをその妻子・親戚に与える。けだし没収は刑罰と称するべきではなく、かえって盗賊の所業と言えるだろう。
 その他になお数種がある。『立憲政体論』に挙げる。

4.2 公権
 公権とは国事に与る権利であって、その最も著大なものを選択権利[選挙権]という。すなわち立法府の官員を選択する権利、およびその官員に選択される権利を言う。元来、立法府の官員は天下万民が、みなこの権利を持つことはもとより当然である。ゆえに国民に、貧富の大小の別なく、ことごとくこの権利を与えて、少しも制限しない国がある。あるいは数例の個条を設けてこれを限定する国もあって、一様ではない。ただし、たとえ少しも制限しない国と言っても、婦女・少年、精神病の人および受刑者、その他自ら生活を営むことができない者などには、この権利を与えないことはもとより論をまたない。                                       

 その他、諸官に任じる権利はまた、元来、万民が同一に持つ所で、各国の多くは尊卑の大小の別なく、ただその才能にしたがって高卑の諸官に登用する。ゆえに賢愚各々がその所を得るものであり、天下は労せずに治まる。ただしまた婦女・少年、精神病の人および受刑者、学識のない人などは、もとより登用を得ることができない。ただしまま某官職を某品位に特別に許可する国がある。プロイセンのような国では、将軍はひとり貴族でなければ任じられることはできない。されどもこの制度は公明正大ではなく、治安の道に害がある。よろしく破棄しなければならない。

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