
高山樗牛「美的生活を論ず」現代語訳
「美的生活を論ず」は、高山樗牛の評論の中で最も有名なものある。今日では樗牛はわずかに、その小説『瀧口入道』によって知られるに過ぎないが、明治期においては最も著名な評論家の一人であった。樗牛は、明治35年、結核のため31歳で亡くなるが、短い人生の中で大きな思想的変転を示した人であった。
『瀧口入道』は大学在学中に匿名で発表したロマン主義の小説である。卒業後は雑誌「太陽」に拠って、文芸評論を活動の中心にすえた。当初は「日本主義」を提唱していたが、ニーチェの影響を受けて「ニーチェ主義」と言われる個人主義に移行した。「美的生活を論ず」は、その時期を代表する評論である。晩年は、ニーチェの超人思想から発展して日蓮の研究に傾倒していった。
「美的生活を論ず」に対する長谷川天渓の批判を契機として「美的生活論争」が展開されることになった。文学史的には、本能を強調する樗牛の考え方は、自然主義文学の発展に大きな影響を与えたと評価されているようである。
この現代語訳では、底本として『斎藤緑雨・石橋忍月・高山樗牛・内田魯庵集』(日本現代文学全集 8)、講談社、増補改訂版1980年刊行、および『明治思想集Ⅱ』(近代日本思想体系 31)、筑摩書房、1977年刊行に所収のものを用いた。刊本により本文の異同がみられるが、厳密な検討は行わず、訳しやすさの観点から選択した。
現代語訳 「美的生活を論ず」
高山樗牛 著、上河内岳夫 現代語訳
1. 序言
昔の人は「人は神と財との両方に奉仕することはできない。それゆえ生命のために何を食べ、何を飲み、また身体のために何を着ようかと思いわずらってはならない。生命は糧よりも、身体は衣服よりも優れたものではないか」と言っている。もし私が発言するのに先だって、人が「美的生活とは何か」と問えば、私は答えて「それは糧と衣服よりも優れた生命と身体とに奉仕するものだ」と言おう。
2. 道徳的判断の価値
そもそも道徳は至善を予想する。至善とは人間行為の最高目的として私が理想とする観念である。この至善の実現に裨益する行為を善といい、妨害する行為を悪という。至善そのものの内容が何かは学者により必ずしも説は同じではないけれども、道徳の判断がこの地盤の上に立つことは、古今を通じて変わらない。それゆえ諸々の道徳は、その成立上少なくとも両様の要件を備えている必要があると見ることができる。両様の要件とは何か。第一は、至善の意識である。第二は、この意識に従って外に現れた行為がその目的によくかなうことである。至善に尽くす意識があってもその行為がこれに伴わないか、もしくはその行為が善にかなっていても善をなすという心がないかすると、道徳上の価値はともに完全とは言えないだろう。
このように議論してくれば、私はここで一つの疑惑に逢着せざるを得ないのである。例えば古の忠臣義士で君国に殉じた者や孝子節婦で親夫に尽くした者は、その君国に殉じ親夫に尽くすに当たって、果たしていわゆる至善の観念があったのか、それがあってこれに準拠したのか。換言すれば、君国のためにするのが彼らの理想で、死はこれに対する手段であると考えたのか。親夫のためにするのが彼らの至善で、尽くすのが本務であると思っていたのか。もしくは君国や親夫というような具体的観念の他に、忠義や孝貞というような抽象的道義を認めて、これを心にとめて実行したと見るべきか。もしこのように解釈することができないのであれば、忠義や孝貞といったものは、道徳上の価値において言うに足りないものであろう。
そうして私はこのように解釈をしたいわけではないのである。楠木正成公が湊川で討死した時、何か至善の観念があっただろうか、何かその心中に目的と手段との区別があっただろうか。ただ君王のひとたびの知遇に感激して、微臣として百年の身命を投げ打っただけである。このように死んだのは、楠木正成公にとって至高の満足だったのである。そうしてこの満足を語れるのは、倫理学説ではなくて楠木正成公自らの心中だけだろう。菅原道真公が流罪の地で御衣[醍醐天皇からの賜物]を拝んだ時、何か至善の観念があっただろうか、何か君恩に感謝することが臣下の義務であると思っただろうか。結局のところ菅原道真公の本心は、ただこのようにして満足させることができただけである。融通のきかない理義[道理と正義]は、どうして菅原道真公の本心を説明することができるだろうか。戦国の武士は、私たちに数多くの美談を残している。されどもあるいは勇士が意気に感じて、すぐに身をもって認め合い、あるいは一日の粟[穀物]を受けただけで、しかも甘んじて己れを知る者のために死する。この間の事情に何か至善があるだろうか、何か目的があるだろうか、また何か手段があるだろうか。彼らの忠義には、道学先生が到底うかがい知ることを許さないものがあるのである。たとえば鳥が鳴くように、水が流れように、心なくしておのずからその美をなすのである。古の人は「野に咲く玉簪花を見よ。働きも紡ぎもしないけれども、実にソロモン王の栄華の極みにも、その装いはこの一つの花に及ばない」と言っている。ああ、玉簪花で彼らの行為の美しさを例えようか。されども道徳の眼をもって見ると、どうであろうか。彼らが、すでに至善を理解せず、したがって至善を実現しようとする動機に欠けるとすれば、その行為は果たして道徳的な価値があると言うべきか。道徳的な行為は、意識を必要とし、考察を必要とし、協力を必要とする。そうして彼らの行為は、雲が無心に山頂から出るよう、鹿がおのずから谷川につくようである。彼らがその君国に殉じ、その親夫に尽くすのは、ちょうど赤子がその母を慕うようにそうするのである。その心中は、混然として理義の解析を受け入れないのである。赤子がその母を慕うのは人間性自然の本能に基づく、彼らの行為もまたこうしたものだとすると、結局のところその道徳的価値において欠ける所があると判断しなければならない。
このように見てくれば、私は道徳そのものの価値がはなはだ貧弱であると思わざるをえない。たとえ道徳上の善事ではないと判断されたとしても、楠木正成公の行為に何の影響があるだろうか。倫理学説がその価値を認めないとしても、忠臣義士は永遠に忠臣義士であり、孝子烈婦は永遠に孝子烈婦である。人間の最も美しく尊い現象であることにおいて、少しも変わるところはないのである。こうしたことから見れば、善と言ったり不善と言ったりするものは、しょせん、人間の知見上の名目に過ぎず、人生本来の価値としてはほとんど言うに足りないものではないのか否か。
ひとたびこの見地によって見れば、人生のありようは、おのずから別種の面目を露呈してくる。これが私の人生観が道学先生のそれと異なる理由であり、またここに美的生活を論じてあえてこれを推奨する理由がある。読者よ、しばらく我慢して私の言う所を聞いていただきたい。
3. 人生の至楽
何の目的があってこの世に産みだされたかは、私の知る所ではない。されども生れた後の私の目的は、言うまでもなく幸福であることにある。幸福とは何か、私の信じる所をもって見れば、本能の満足、すなわちこれのみである。本能とは何か、人間性本来の要求である。ここに人間性本来の要求を満足させるものを美的生活という。
道徳と理性とは、人類を下等動物より区別する主な特質である。されども私に最大の幸福を与えることができるのは、この両者ではなく、実は本能であることを知らなければばらない。まさしく人類はその本来の性質において下等動物と多く異なるものではない。世の道学先生の説くところによれば、理義がいかに高くても、言辞がいかに美しくても、もし彼らにその心の底の所信を赤裸々に告白する勇気を持たせると、必ずや人生の至楽は結局のところ性欲の満足にあることを認めるだろう。私には知識欲があって真理を悟ることを欲し、道義の念があって善徳を修めることを望む。これらの欲望の到達されたところに一種の快楽があることはもとより論を待たない。されどもこの種の快楽は、極めて淡く極めて軽く、その力は到底人間性の要求を十分に満たすのに足りないのをどうすればいいのか。まことに高尚で深遠なような数多くの文字が、この種の快楽の讃美に使用されているけれども、私に忌憚なく言わせると、これは一種の偽善に過ぎない。哲学書一巻を読破して未知の知識に出会う時、快はすなわち快であろうが、終日働いて入浴がちょうど終って、ゆっくりと美酒の盃を捧げて清風江月に対する時と比べてどうであろうか。貧者に恵んで孤児を助ける時、快はすなわち快であろうが、美人と連れ添って蘭香る部屋に行って、陶然として名手の楽を聴く時と比べてどうであろうか。勉学に死んで慈善に狂奔する例は、私の多くは知らない所であるけれども、恋愛に対しては人生の価値はむしろ軽いと感じられるのではないか。誤って万物の霊長と呼ばれてから、人は次第にその動物の本性を暴露するのをためらって、自ら求めてもしくは知らず知らずに、その本来の要求に反する虚偽の生活を営むようになった。そうして私の見る所によれば、人類をここに至らしめたものは、実に人類を万物の霊長であるようにした道徳と知識とに他ならない。道徳と知識とには、しょせん何の用途があるのだろうか。
4. 道徳と知識との相対的価値
私の見る所によれば、道徳と知識とは、そのもの自体としては多く独立の価値を持つものではない。その用途は我々の本能の発動を調節し、その満足の持続を助けるところにある。下等動物は、盲目な本能の他に自己を指導する何物をも持たないので、往々不慮の災禍にかかるのを免れない。したがってその満足もまた不完全にならざるを得ないのである。ところが人類は是非を判定する理性を持ち、善悪を弁別する道念を備えている。このためかその本能は一方で自由な発動を制限される代りに、他方では満足の持続において、はるかに他の動物に優るものがある。これが他の動物に対して人類の幸福が比較的に恒久でありうる理由である。知識と道徳とは、しょせん、盲目な本能の指導者、助言者であるにすぎない。本能が君主で、知識と道徳は臣下にすぎない。本能が目的で、知識と道徳は手段であるのみである。知識と道徳そのものは決して人生の幸福をなすものではないのである。
道徳が一つの方便に過ぎないことは、その極限が無道徳にあることでも知ることができるだろう。道徳は善を奨励する、そうして善は協力を必須とする。ああ、協力によって成立しうる道徳は卑しむべきものであることよ。協力とは障害を排斥するという意味である。善事を行おうとする際の内心の障害はすなわち悪心である。善がすでに協力を待って成立すべきとするならば、善事はその行為者においてすでに悪心を予想するのではないか。換言すれば、彼は多少の意味において悪人であり、不道徳の人である。天下の善人がことごとく悪人であるとすると、どうしても私は、道徳の鼎の軽重を問わないわけにはいかない。それゆえに道徳の理想は、協力なくして成立し得るものでなければならない。孔子の言う「心の欲する所に従えども矩を踰えず(その心に従って、その則を越えない)」底のものでなければばらない。これを例えると、水が流れるように、鳥が鳴くように、野の花が咲くように、赤子が母を慕うように、古の忠臣義士がその君国に殉じたように、といったものでなければばらない。そうして道徳もここまでくると、すなわち無道徳のみである。すでに意識を断絶し、考察を断絶し、また協力を断絶する。これは一種の習慣であり本能であって、道徳的価値があり得ないことは言うまでもない。ここまで考えてくると、私は「大道廃れて仁義あり」という老子の言葉が永遠の真理であると認めると同時に、いわゆる道徳の価値がはなはだ貧弱なことに驚かざるを得ないのである。
さらに一歩を進めてこれを見ようではないか。道徳の極限は無道徳にあるという命題は、取りも直さず本能の絶対的な価値を証明するものではないか。我々の日常の習慣といっても、一朝一夕に成立し得るものではない、その当初には実に数多くの苦痛と煩悶と協力とを必要とするのである。我々の本能は、言わば種族的な習慣である。幸いにして後代に生れた我々は、無念無為でその満足を享受するけれども、試みに我々の祖先がこのような遺産を我々に伝えることができるまでに、どれほどの星霜と苦痛とを経過してきたかを考えよ。私は祖先の広大無辺な恩恵に対して、現世と来世の幸福を感謝せずにはいられない。このような本能が成立し得るために費やされた血と涙と生命と年月と場所とは、道学先生の卓上の思索に基づく道徳などに比べるべきものではない。我々は祖先の大恩を感謝すると同時に、この貴重な遺産を鄭重に持続し、この遺産より生じる幸福を空しくしないように努めなければならない。そうしてこのように努める理由、それが私のいう美的生活なのある。
5. 美的生活の絶対的価値
美的生活は人間性本来の要求を満足する所にあるので、生活はそれ自体すでに絶対的な価値をもつ。理も歪めることができず、知も揺るがすことができず、天下の武力による威勢を挙げてこれに臨んでも、どうすることもできないのである。されども道徳的ならびに知識的な生活は、その本来の性質がすでに相対的な価値をもつに過ぎず、これによって己れより優れたものにはたやすく移り、己れより強いものにはたやすく屈する。今是昨非[境遇が変わると考え方がすっかり変わること、陶淵明の詩による]、転々として停止する所を知らない。道徳哲学の歴史は、この流転の歴程を示して余りあるのを見ないだろうか。
その価値は、すでに相対であり、エクストリンジック[extrinsic、外来の]であるので、道徳、知識の上に安住の地を求めるのは思うに難しいことなのである。道徳上から見れば、人生は義務の永遠なる連鎖であり、環が一つ去れば環が一つ来る。いわゆる至善の境地は一片の理想に過ぎず、力行の道程は日月と共に終始するだろう。人は旦夕の短い生を受けてこの間に営々とする、命は悲惨ではないとするだろうか。真理とは何かとは、ピラトが怪しんで問うた言葉であった。されども二千年の歴史において、いったい誰が我々に真理を明かしただろうか。学者は天上の星のようにいて、著書は海辺の砂のようにあるが、彼らが自らの信じる不朽の真理と公言したものは、今、はたしてどのような状態だろうか。学者よ、私に究極の真理を教えるよりは、古の哲学者のように、大地を背負った亀を背負うものが何ものであるかを究めるのを、むしろ賢明であるとせよ。知識はしょせんは疑問の集積にすぎず、一つの疑問をわずかに理解すると新たに一つの疑問が連続する。そういうわけで安住の地盤を求めるのは、百年座して河清を待つのに等しいだろう。
美的生活は全くこれとは異なる。その価値はすでに絶対であり、イントリンジック[intrinsic、固有の]である。依存する所なく拘束する所なく、混然として理義の境を超脱する。これは安心の宿る所、平和の居る所、生々存続の勢力を有して宇宙発達の元気が所蔵される所である。人生の至楽の境地は、ここを別にしてどこに求めることができようか。道徳や知識は、この幸福を調節して、その発達を助成するところに用途がある。その用途は消極的であり、相対的であり、方便であり、手段である。彼の偽学といい、腐儒者といい、方便主義といい、こういうようなものは、結局のところ、この人生の帰趨に関する本末を転倒した所に生じる病的な現象に他ならないのである。
このように説いてくれば、読者はそれが世の道学先生の所説とたいそう同じではないことを怪しむだろう。されども読者よ、私にいったい何の宿罪があって道学先生の言行に倣わなくてはならないのか。
6. 美的生活の事例
上の文で説いたように、価値が絶対であるものを美的とし、美的価値の最も純粋なものを本能の満足とする。されども本能以外の事物といっても、その価値が絶対と認められるものは、また美的であることを妨げない。このため美的生活の範囲もまた、それに従って本能の満足以外に拡充することができるのである。
例えば、道徳は相対の価値を持つことを本来の性質とする。されどももしある人が道徳そのものに絶対の価値があるとして、その実行を人生の究極の目的とすると、これはすでに道徳的ではなくて、美的である。このような人の態度は、実際的ではなく鑑賞的である。古の忠臣義士や孝子烈婦が残した数多くの美談は、道徳の名によって伝わっているけれども、実は一種の美的行為にすぎない。彼らがその道にとりかかると、鳥がねぐらに帰るようなものであった。その心中は混然としていて、どうしてその間に目的と手段とがあるだろうか。
真理そのものの考察を無上の楽しみとして、なぜ真理を考察するのかという本来の目的を忘れ去る者もまた知識的な生活を超脱して、美的生活の範囲に入った者である。真正な学者の眼から見れば、このような人はなすべきことを忘れた一学究に過ぎないだろう。されども彼は真正な学者が享受しがたい満足を、その学術より獲得できるのである。
世に守銭奴と称する者がある。彼は金銭を貯えることを人生の至上の楽しみとしている。明らかにこれは金銭本来の性質を忘れ去って、手段を目的と誤認しているので、道徳上の痴人であることを免れないだろう。しかも金銭そのものを人生の目的と信じた彼は、学術そのものを人生の目的と認めた学者のように、すでに美的生活中の人なのである。守銭奴は決して私の好むところではないけれども、守銭奴自身にとっては、金銭は彼の安心であり、至福である。私は彼の心中を憐れむと同時に、儒教の外に得た彼の楽土を深く嫉まずにはおれない。
恋愛は美的生活の最も美しいものの一つであるか。この心痛に充ちた人生において、愛しあい慕いあう年少の男女が、薔薇の香る垣根の陰や月光の明るい磯のほとりで、手を携へて互いに恋情を語り合う時、その楽しみはどれほどであろうか。彼らのなす所を痴態と笑ってはならない。このような痴態は真に人をうらやましがらせるのに十分なものではないのか。ひとたび世間の俗事が思い通りにならず、思っていたことは泡のように消えて、運命が鉄のように彼らの間を断とうとする時、百年の命を一日の情に殉じて、抱擁し合いにっこり微笑んで死につくようなことは、人生でどのような至楽がよくこれに並ぶだろうか。道学先生の見地からすれば、恋愛などというものは青春の迷いに過ぎないだろう、されどもこのような迷いは醒めた者にとっては、永遠の悔恨ではないだろうか。
昔、インドにヨーガと称する苦行の学徒がいた。彼らのなす所は実に今の人を戦慄させるに足るものであった。しかもこのような苦行は彼らにとって、すなわち解脱の道であり、無上の浄楽である。彼らはこの無上の道につくために、その指一本を挙げてたやすく捉えることができた諸々の人生の逸楽を退けて悔いる所がなかったのである。近くはトラピストの例を見よ。彼らは無言の行者である。一切の声色を断絶して一神の向仰に専念する。俗世における名誉に狂奔する者より見れば、そもそも何という痴呆だろうか。されども彼らの生活には実に王者をも強く羨望させ得るものがあることを、誰が知るだろうか。彼らはこの平和と安心と喜楽とを果たしてどこから得てきたのか、富貴や名利の他に人生の楽土を求めることができた彼らは何と幸いであることか。
詩人、美術家が甘んじて、その好む所に殉じた事例は、読者のすでに熟知するところであろう。結局のところ芸術は彼らの生命であり、理想である。このために生死するのは詩人である、美術家である彼らの天職である。この天職を全うするために、彼らのある者は食を路傍で乞い、ある者はその故郷を追放され、ある者は帝王の怒りに触れて市中で腰斬[胴体を切断する刑]されたのである。ああ、死をもってしても脅かすことができない彼らの安心は何と貴いことか。富貴が前にあり、名利が後ろにあり、その意志に反して一歩を踏み出せば、これはことごとく彼らの物である。しかも彼らはこうして得た生に比べると、死がはるかに幸せであることを認めたのである。世の富貴を誇り権威におごる者の幾人が、これらの事情をすっかり理解できたのか、聞かせていただきたい。
このようなことは美的生活の二、三の事例である。金銭のみが人を富ますものではなく、権勢のみが人を貴くするものではない。汝の胸に王国を認める者にして、初めてともに美的生活を語ることができるだろう。
7. 時弊及び結論
私の言葉は、はなはだ行き過ぎたところがあるようだ。されども読者よ、時弊に憤る者の言葉はおのずからこのようにならざるを得ないのである。
何を時弊というのか。私はこれを数える煩わしさに耐えられないのである。彼の道学先生の説く所を聞かなかっただろうか。何とその融通のきかないことか、なんとその欠陥の多いことか。彼らは、人の作ったもので、天の造ったものを律しようとする者ではないのか。場所に従って変えるべき道徳に、万能の権威を付与しようとする者ではないのか。彼らは明け暮れに叫んで「汝の義務を尽し、汝の権利を全うせよ」と言う。彼らの言う義務とは、借りたものを返却するという意味ではないのか。彼らの言う権利とは、貸したものを回収するという意味ではないのか。されども人生の帰趨が貸借外に超脱するのをどのようにするのか。また彼の学究先生の教える所を聞いただろうか。何とその迂遠で我々の生活と相関しないことの甚だしいことか。我々は知識を欲しがるが、知識そのものにどれほどの価値かあるのか。宇宙は、結局のところ疑問の集積である。人がこの疑問の解決を待って初めて安心することができるのであれば、私はむしろ生がないことを幸いとしよう。野の鳥を見よ、働きもせず紡ぎもしないけれど、それでもよく舞い、よく歌うではないか。
道徳と知識とは人類に特有のものといっても、結局のところ我々の本能の満足に対して必須の方便であるに過ぎないことは、すでに説いたとおりである。されどもこのような煩瑣な方便を待って初めて得られるような幸福は、我々にとってはなはだ高価なものではないのか。人が虚栄を好むと、禽獣の卑しむべきことを知ってもその羨むべきことを悟らず、むやみに道義を衒い知識を誇るが、人生の帰趨になると茫然として思う所がない。五十年の短い生涯は、このようにして怱忙[忙しく落ち着かない]の間に労し去られるのを見ては、私はどうして嘆き悲しまないでいられるだろうか。思うに今の世で人生本来の幸福を求めるには、我々の道徳と知識とは余りに煩瑣で、余りに迂遠に過ぎる。彼の道学先生のような者は、もし真に世道人心のために計らいたいのであれば、すべからく率先して今日の態度を一変させなければばらない。
ああ、憐れむべきなのは、餓えた人ではなく、パンのほかに糧のない人だけである。人間性本来の要求が満足された所、そこには物乞いの生活にも帝王がうらやむべき楽土が存在するのである。悲しむべきなのは、貧しい人ではなくて、富貴の他に価値を理解しない人だけである。私は恋愛を理解しないで死ぬ人の生命に、多くの価値があるとは信じられないのである。傷むべきなのは、生命を思はずに糧を思い、身体を憂えないで衣服を憂える人のみである。彼は生れて、そのなすべきことを知らないのである。今や俗事が日に日に多忙を極めて、人はじっくり考えるいとまがない。されども貧しい者よ、憂えてはいけない。望みを失った者よ、悲しんではいけない。王国は常に汝の胸にある。そうして汝にこの福音を理解させるもの、それは美的生活なのである。
(明治34年8月、「太陽」第7巻第9号)