パッケージデザインのメディア研究③
だいぶ間が空いてしまいましたが絶賛研究沼で底無し沼に溺れかけている院生です,こんにちは.
というのもですね,そう,底無し沼に嵌っていて今パッケージをどうメディア論と上手く絡めて話せるのかというところで「デザイン学」とは何か?みたいなところでずっと足踏みしているところではあります.
今回は最近沼に溺れているインク沼なんですが,萬年筆用インキのパッケージを例に上げながら見てみたいと思います.
1.萬年筆用インキの歴史
1.1 明治期〜戦前
1.2 戦後〜昭和
1.3 平成〜現在
2.インキの箱の考察
2.1 箱の観察
2.2 インキの箱の存在
2.3 インキの箱の図案
3.まとめ
1.萬年筆用インキの歴史
これは最初から現在までの全てをさらっていくと本当に長い話になります.紙が誕生してパピルスが云々の時代から始まっていくのですが,今回は私が日本デザイン史の枠組みで研究していることもあるので,国内での歴史から見ていきたいと思います.
1.1 明治期〜戦前
日本が萬年筆を導入し始めたのは明治期あたり,開国後の舶来品として上流階級や一部の官庁で使われる高級文具でした.もう少し絞り込むと当時は「洋墨」と呼ばれていたインキですが,明治中期頃に丸善が初めて舶来のインキを取り扱ったと言われています.国内で初めてインキを販売したのは丸善であり,今でも文具コーナーには沢山萬年筆が並んでいるのも納得です.(ちなみに3/4〜10まで日本橋丸善で萬年筆の企画展があります.)
しかし,日論戦争後までインキの需要が高まらず,明治後期〜大正期にかけて次第に普及すると,大正期に一般市民の手にも渡るようになります.当時の新聞広告にもインキの広告が多く掲載されるようになり,国内でも萬年筆を大々的に売り出していたことが伺えます.当初は丸善インキ(丸善),ロイドインキ(鈴木インキ製造),そしてライトインキ(篠崎インキ製造),サンエスインキ(細沼),パイロットインキ(並木製作所)が主な国産インキかと推察されます.デンプン糊の「フエキのり」で有名な不易糊工業が不易ABCインキを発売するのは昭和初期なので戦前という括りで一緒に提示します.
あとはプラトンインキも広告に出てきますが,年代を追っていくと名前が名前だけに,学者のプラトンの肖像画を使った新聞広告も出てきます.当時は新聞の広告商戦も面白いのでついつい資料採集の際は見入ってしまいます.戦前はかなりの国産インキが生産され,国内での需要が高まっているのがわかる一方で,エバーシャープペンシルという今のシャーペンの登場と,「萬年筆はもう古い」などの痛烈なキャッチコピーがあったのも事実で,徐々にシャープペンシルや鉛筆の市場が拡大していきます.
1.2 戦後〜昭和
実は昭和期のインキには修正用として,インキ消しが生産されていました.なので,修正した箇所もインキ消しを使ってまた書き直すことができるという優れものがありました.
しかし,それよりも以前に明治期初期、政府はインキの使用について
「大政官達 第二十九号 院省使庁府県
自今公文書に洋装の墨汁(インキ)を用ひ候儀不相成候此旨連候事
但し洋文ヲ洋紙に書スルワ此限リニアラズ」
とする、公的書類への萬年筆の使用を禁止する法を発布していました.これは明治後期になって解かれることとなりますが、大正期に高まった需要は戦後低下していきます。当時シャープペンシルが売り文句としていたのは「固形芯」であることでした.インクの継ぎ足しをする必要もないので,便利だしスマートだろうという売り手側の売り出し方は,恐らく消費者側にも便利…という体験価値を与えるに齟齬のない情報だったのだと思います.萬年筆も次第に繰り出し型や現在の萬年筆では主流のカートリッジ式が発明され,シャープペンシルに対抗していることが伺えます.
更に萬年筆は,終戦後,生産するための資材が困窮しており,そのシャーペンの手軽さ・便利さから,鉛筆やボールペンへと売買される文具市場が移行していったと考えられます.そこから徐々に萬年筆の売上は減っていき,社会人祝いや大人になったので萬年筆を…と大人の文具という印象が強く,大正期から続く贈答文化や,安易に手に入らない,ちょっとお高い文房具とのイメージだけが残って今捉えられているのかもしれません.
1.3 平成〜現在
ところが平成に入ってから,特に平成後期〜令和(本当に最近ですね)の動向を見ていると,アンティーク家具や懐古主義,空前のレトロブーム的なものがやってきています.時代は回る…という感じですが,ちょっと前に流行っていたのが一周回ってまた流行する現象も起きています.
そんな中で,文具界でも新たな文具が技術と共に開発され,萬年筆のペン先のボールペン(ハイブリット型萬年筆)が発売されていたり,完全カートリッジ式の萬年筆やペン字講座を謳い,1000円程度と手に届きやすい値段での萬年筆が店頭に並んでいるのを見かけます.
完全な萬年筆ではないけれどペン字や少しボールペンの中でも差がつくところで「可愛い」や「これなら買える」が発生して消費者(女性が主なターゲット層に感じられますが)が増え,それを間口に実際の本格的な萬年筆への購買意欲を促進させていることも考えられます.
2.インキの箱の考察
さて,本題のパッケージの話です.今回実は丸善のアテナインキ(丸善インキの少し後に発売されたインキです)の,150周年復刻版ではない当時のものを見ていきたいと思います.
2.1 箱の観察
か,か,可愛いです….というのが第一印象.
右側の面が正面部に当たるのでしょうか.2オンスで30銭,そして中のインクボトルの図案が印刷されているのですが,その上のFOR FOUNTAIN PENのFとPがインク垂れを起こしているように少し長い縦線を使用しているのがたまらん手書きフォントです.
そしてATHENA INKの飾り文字も,どことなくミュシャのポスターを感じさせるような気がします.アテナインキの登場した大正9年辺りは日本デザイン史の中でも特にアール・ヌーヴォからアール・デコ調へ移行していた時期であり,「和製アール・デコ」的な印象を受けます.最初は宛名のアテナかと思っていたのですが,アテナ神のアテナみたいですね….
そして反対側のたまらんロゴです.完全に当時の流行を押さえているロゴの作りにはデザイン史研究としてかなり興味対象です.特にATHENAの両端のAが左右対象にくるんとしており,上下で見てもHの上の飾りとNの下の飾りが対象的になっているのは計算しているように思えます,幾何学的と言えば幾何学的な装飾文字です.
そしてこの登録商標もやはりアテナ神のような人物の横顔です.何より凝っていると感じたのは,実はこの緑色の背景部分ですが,全て「ATHENA」という小さな字が印字されています.これはかなりインクを使ったんじゃないかと思ってしまいます…
2.2 インキの箱の存在
箱の考察としてはとてもこんな感じでずっと眺めていられるのですが,文具のパッケージデザインとして,なぜインキの箱を取り上げたのか.
前回「エフェメラ」の話をしましたが,インキの箱は一見パッケージの機能を兼ね備えた包装でありながら,インク瓶を「梱包」して「保護」し各店舗へ「運搬」している,いわばインキの瓶(というガラスの包装)を包装している二重包装状態になっているわけです.
これはインキの瓶を取り出してしまえば不要になるのですぐに捨てられてしまう印刷物であり,それでいて包装.そして店頭にも並んだときの見栄えも考えられており,広告の機能も兼ね備えている実に周りくどいエフェメラな広告パッケージだと言えます.
そのエフェメラさについて,現在カートリッジ式が主流になってきているのもその要因の一つだと考えています.勿論現在でもガラスペンや萬年筆,あの形のペン先で書く際にインキは瓶のボトルを使う方もいらっしゃると思います.ただ,手軽さからすると消費者が手に取りやすいのはカートリッジ式の,自分で吸い上げる必要もなく,所謂「使い捨て」のインキを個包装したものの方が手に取られているのも確かです.昭和30年代からの技術進歩に見るシャープペンに対抗したカートリッジ式萬年筆や,平成期の安くて一本使い切り型なんちゃって萬年筆ボールペンの受容は無視できません.そしてそのカートリッジ式の登場が大きな要因と考えておりますが,インキを瓶に入れて販売する形態は徐々に衰退していき,大量消費社会のニーズと合わなくなってきたと推察しております.
2.3 インキの箱の図案
では何故インキの箱に目を付けたのか.カートリッジ式の小箱には見られない,瓶を包装している二重包装だからこそできる紙箱の図案,そして規格,「運搬」のしやすさもあります.そして,佐野宏明編の『浪漫図案』(光村推古書院)の文房具のインキを見ていて,ロイドインキの箱の側面に船が大海原を航海している多色刷りの図案が印刷されているものが掲載されていました.これを見て,はて?と思ったのが始まりなのです.そもそも広告機能と言えどインキの箱に風景画を印刷する必要性があったのか?というところです.
商品名だけ,商品のロゴ,商品情報ならまだわかりますが,その箱にわざわざ風景画を載せた意図と,そして画一化されたインキの箱は恐らく産業と流通が関わってくるので,ここは「消費」という点でいろいろなアプローチができると考えられます.アテナインキにも見られた当時のデザイン史の流れに見られる流行,印刷技術の発展と消費者のニーズとがどのようにして図案を消費していったのか.その論点へと繋げていきたいと思います.
3.まとめ
まだ私もこのインク沼に溺れかけているだけなのでそこまで厳密にこうだ!とは言えないので考察や推察ばかりで箱を面白がっている人間という感じでまとめてしまいました.もう少し写真載せれば良かったかな,と反省しております.
現在こうして考えているところの一つとして,モノの流通や新しい「紙箱」パッケージが誕生した背景として何が起きて,どういう消費のされ方をしてどう改善されていって今に繋がっているのか,という流れを知ることです.それは現在読んでいるAdrian Fortyの『Objects of Desire』やインダストリアル・デザインやデザイン思考界の先人であるジョン・ヘスケットも社会とデザインの関係性について言及しています.
パッケージデザインは特にグラフィックの要素と情報,造形等様々な観点からのアプローチが可能なモノ(object)ですが,筑波技術大の加藤による著書にもあるように,感覚のヒエラルキーでは「視覚」が最も優れていると言われています.デザイナー(作り手)と企業,主に商品をプロデュースして送り出す側と,その情報を受け取る側の消費者との関係性はメディア論でも議論される範疇かと思われます.まずはこういうのを語るのに広告史もしっかり勉強しないと思っておりますし古典もちゃんと読んで勉強していきたいですね…(白目)
パッケージデザインは眺めても楽しいものがたくさんあります.そしてその時代ごとの技術も相まって,導入してみた結果の売り上げの良し悪しでまたリニューアルしたりと変動するものは多々あります.これは実際にインダストリアル・デザイン的なパッケージの消費→実装→検証→売上→改良or続行というフローが行なわれていると思います.これは主に送り手側の視点での話です.受け手である消費者側の視点で見ると,またパッケージデザインに対する評価や消費のフローは変わってきます.
そんな中,私自身思考が整理できない時はこうしてパッケージデザインをじっくりと眺めてます.店頭でパッと見たときにはあまり気付かなかった送り手側の工夫も見えてきますし,何故こうしたのかな,と思うことで情報伝達に関する知識を深めてパッケージデザインを十分広告メディアとして語ることができるのではないか,というかそうしたい…と日々考えております.
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