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パッケージデザインのメディア研究⑤─「ヒプノシスマイク」を事例とした二次元コンテンツに見る無形パッケージの広告的機能

 こんにちは,暑くてマスクで蒸し返すので結局ステイホームばかりしていたら進捗があるのかわからなくて悶々している日々を送っている院生です.最近は講義動画を見ながら視覚文化論について基礎の基礎から座学をやっておりますが,Twitterで気になる先生のツイートがあったのでせっかくだしこうした二次元コンテンツに対して,広告メディアとしてのパッケージを研究している私の視点でちょろっと書こうかと.私自身,今期布教されましてこの後これを書くに至った環世界の話をしますが,ファン研究的視点も面白そうと思いましたが,自分の専門からだと何が議論の対象になるのか掘り起こしてみたいと思います.

本日の目次
1.はじめに
 1.1 執筆目的と背景
 1.2 パッケージとは何か
2.二次元コンテンツにおけるパッケージ
 2.1 「ヒプノシスマイク」の事例
  2.1.1 世界観におけるパッケージの定義
  2.1.2 パッケージと内容(コンテンツ)の関係
 2.2 各ディビジョンにおけるパッケージデザイン
 2.3 小括
3.おわりに

1.はじめに

1.1 執筆目的と背景
 近年,多様な二次元コンテンツが存在し移り変わりの激しさを増す中で,年数を経て崩れるコンテンツと現状を維持するコンテンツ,そしてさらに規模を拡張するコンテンツが存在する.執筆者自身,プレイしたソーシャルゲームが完結していないにも関わらず運営側の事情により閉鎖されたコンテンツや,存在はしているものの風化していくように──消費者に「これまだ続いてたんだ…」と言われてしまう──コンテンツが見放されていく現象を経験している.
 先日,視聴覚文化の研究を行なっているとある教授のTwitterにて二次元コンテンツの楽曲に着目したツイートを拝読した.非常に面白い着眼点で,というのも,執筆者はデザイン研究を行なってきたため,視聴覚文化論についてはまだ勉強中であり,二次元コンテンツにおける楽曲に目を向けたことがなかった.寧ろそのヴィジュアルやロゴ,色使いに目を向けた方が執筆者の専門に近く,グラフィックデザインを専攻していた時は特にそうであった.一方,修士時の同期はエスノグラフィックな観点から二次元コンテンツに目を向け,彼女と話していた内容はざっくり言うとコンテンツの社会受容についてだった.今まで二次元コンテンツがしてこなかった声優の新しい活躍の場であったり,ソーシャルゲームやアニメーションではなく,レコード会社が発起人となったプロジェクトのため,ドラマCDのように近年の声優の「声を楽しむ」または限定的に公開されたキャラクターのヴィジュアルとシーンを自分で想像しながら「目に見えない」コンテンツを楽しむ要素があるように感じる.
 これはいずれも同一の「ヒプノシスマイク」という二次元コンテンツの話であるが,視聴覚文化領域と社会学的文化研究とでは似ていながらも着目する観点が全く違うことに関心を抱いた.そこで,パッケージはメディアだ!といつも喚いている執筆者がこの「ヒプノシスマイク」をファン研究の視点抜きで語るとどうなるか,社会における広告メディアとしてのパッケージとは何か,を考えるためにこの論考を執筆することを目的とする.
1.2 パッケージとは何か
 パッケージとは日本語では「包装」のことだが,広告メディア史の視座を取り入れたパッケージは何も形ある造形だけには留まらない.ここでいう「パッケージ」は,中に何かが存在しており,それを保護したり運搬したりするためだけの包装ではなく,中に何かを入れられる容器のようなものだと考えてもらいたい.わかりやすくするために,内側の存在の有無に関わらず,中に何かを入れたり保管したり存在している状態を保持することのできる「箱」と例える.そして有形無形に関わらず,中に入る内容を「中身」としておく.
 これは極端にいえば,家も私たちや家具,電化製品という「中身」が詰まった「箱」であり,スマートフォンでさえアプリから個人情報といった「中身」が詰まった電子機器という「箱」なのである.そうした少し拡張したパッケージという概念の下でこの論考を書き進めていく.そうすると自然と人間ですら,臓器や血液という「中身」の詰まった「箱」であり,その箱を形成する伸縮性のある「素材」が皮膚である.この「素材」には装飾を施すことが可能であり,最もパッケージの中で広告メディアとしての機能が視覚的に理解されると考える.その他にもこの「箱」自体がある地点からある地点へと動くことで,その経路上においてこの人間がどういう人物かという情報が伝達されるため,「箱」である人間自身もその個人を広告するメディアとなると考える.
 次章では,本題である二次元コンテンツにおけるパッケージと内容を分類し,そこから考えられるパッケージの広告メディア性について考察する.

2.二次元コンテンツにおけるパッケージ

2.1 「ヒプノシスマイク」の事例
 1章にてこのコンテンツが他の二次元コンテンツとは違う派生の仕方をしていたことを同期と議論したことを少し記述した.ここでは作品の世界観やあらすじは本稿に少し関係するが全てを引用する必要性がなく情報量も多いため割愛し,検索していただくこととする.(概略としては,第三次世界大戦後,武器を放棄した代わりに言葉と音楽を使ってラップバトルを行ない,チームによる,国家機関の存在する男子禁制の中央区以外の領地,ディビジョンの奪い合いが始まった.その際にラップバトルでは中央区から選ばれた人が精神干渉を引き起こす"ヒプノシスマイク"を所持しており,直接体にダメージを引き起こしたり幻覚を見せる,体力の回復など"バトル"の武器として特殊なマイクが存在する.中でもイケブクロ・ディビジョン,ヨコハマ・ディビジョン,シブヤ・ディビジョン,シンジュク・ディビジョン,そして新たにオオサカ・ディビジョン,ナゴヤ・ディビジョンが加わり作中に大きく関わっている.詳しくは公式を参照ください,すみません.)
 この節では,「ヒプノシスマイク」の世界観を事例として,「パッケージ」がなぜ広告メディアとして機能するのかについて先ほどの「箱」と「中身」という事例を使って記述していきたい.
2.1.1 世界観におけるパッケージの定義
 本節では,パッケージの定義を行ない,この作品では何が「箱」にあたり,何が「中身」となるのかを明記する.
 「ヒプノシスマイク」の世界観の中では,3人1組でチームを組んでラップバトルを行なう.そして勝った方が負けた方のチームの領土を奪えるシンプルなルールの下でドラマCDによって,上記の全6ディビジョンの物語が進んでいく.ここで前者4ディビジョンのチームリーダーが,以前トウキョウを制した伝説と呼ばれるTDD(The Dirty Dawg)のチームメンバーだったことを先述しておく.6つのディビジョンを仕切っているチームにはそれぞれチーム名チームカラーロゴ3人のキャラクターが存在し,細かいところも入れると地域の特徴も入ってくるのだが,今は除外しておく.
 本稿で議論するところのパッケージを定義するならば,パッケージである「箱」は「チーム:場所,チーム名,チームカラー,ロゴ」である.そして「中身」は「キャラクター」である.尤もメインとなる「中身」はキャラクターに相当するのだが,こうして置き換えると,この世界観では1つの「箱」には必ず「名前」がついており,視覚的に異なる「カラー」が施され,象徴となる「ロゴ」が印刷されており,中には「3人のキャラクター」がいる.今回は,初期から存在するトウキョウの4つの「箱」と「中身」について次項にて考察を行なう.
2.1.2 パッケージと内容(コンテンツ)の関係
 本項では,6つの「箱」とその「中身」の関係性を見ていくこととする.
[箱1] 
・イケブクロ・ディビジョン
・チーム名:Baster Bros
・チームカラー:赤
・ロゴ:文字のみ,マーカーで書いたようなストリートアート系の文字
→イケブクロ・ディビジョンに存在する,"Baster Bros"というストリート系のロゴの印刷された赤い箱
[中身]
キャラクター:山田一郎(MC.B.B)ー山田家長男
       山田二郎(MC.M.B)ー山田家次男
       山田三郎(MC.L.B)ー山田家三男

[箱2]
・ヨコハマ・ディビジョン
・チーム名:Mad Trigger Crew
・チームカラー:青
・ロゴ:略称のMTCが彫られた髑髏,銃,三つの星をモチーフとしたマーク,フォントは縦長のゴシック体(中身の暗喩でもある)
→ヨコハマ・ディビジョンに存在する,"MTC"と書かれた独特の危険な印象を持たせるロゴの印刷された青い箱
[中身]
キャラクター:碧棺左馬刻(MC.Hc)ーヤクザ
       入間銃兎(MC.45 Rabbit)ー警官
       毒島メイソン理鶯(MC.Crazy M)ー元海軍

[箱3]
・シブヤ・ディビジョン
・チーム名:Fling Posse
・チームカラー:黄
・ロゴ:文字に遊び心のあるイラストが1つ,スプレーアート,ストリートアートを彷彿とさせながらもポップな印象
→シブヤ・ディビジョンに存在する,"Fling Posse"というイラストのようなロゴが印刷された黄色い箱
[中身]
キャラクター:飴村乱数(MC. easy R)ーファッションデザイナー
       夢野幻太郎(MC.Phantom)ー作家
       有栖川帝統(MC.Dead or Alive)ーギャンブラー

[箱4]
・シンジュク・ディビジョン
・チーム名:麻天狼
・チームカラー:グレー
・ロゴ:狼と背景には高層ビルのモチーフ,筆文字
→シンジュク・ディビジョンに存在する,狼を前面に押し出したロゴの印刷されたグレーの箱
[中身]
キャラクター:神宮寺寂雷(MC.ill-DOC)ー医者
       伊奘冉一二三(MC.GIGOLO)ーホスト
       観音坂独歩(MC.DOPPO)ーサラリーマン

以上が4つの「箱」とその「中身」である.オオサカ,ナゴヤ,中央区についても考察したいのは山々だが,ボリュームが多すぎてしまうので次回か今後書きたいと思う.
2.2 各ディビジョンにおけるパッケージデザイン
 ここで,箱の象徴であるロゴにモチーフを使用している2つの箱に注目したい.
 箱2のヨコハマの青い箱だが,使用されたモチーフの銃は入間銃兎の銃または警官の銃,3つの星は軍の階級(毒島は元一等軍曹・衣装の迷彩服にも3つのスタッズがついている)のメタファーと考えられる.髑髏に関しては,碧棺の職業設定がヤクザであることや彼のヒプノシスマイクに髑髏の装飾があることから,碧棺左馬刻自身のメタファーであると推察される.箱4のシンジュクのグレーの箱に関しては,高層ビルを背景に狼のモチーフが用いられている.狼から連想される,狼男・夜・月・夜行性といった"意味"は作中でも語られる,「眠らない街シンジュク」,や「摩天楼(マテンロウ)」を伺わせる.そして「中身」の3人の共通項としてはキャラクターの髪色がインナーカラーと2色構成になっている点,キャラクターの性格において二面性を伴っている(狼男のように豹変する,昼と夜によって異なる街)点である.この点に関してはファンの間でも議論されているので割愛するが,まずこの2つの「箱」から「中身」がある程度読み取れるのである.
 もう2つの「箱」,箱1と箱3に関しては別の観点から考察する.箱1に関しては,「中身」が三兄弟で構成されていることが特徴である.チーム名のbrosはbrotherの省略形であるbroであると同時に仲間,同士といった意味のスラングでもある.三兄弟であることから複数形のsがついていると考えられる.作中では「イケブクロの三兄弟」として名を馳せており,喧嘩を売られた時もチームの名前を出せば,見ず知らずの人でも怯えたり「あの有名な」といったセリフが出てくることからも,「中身」であるキャラクターの外見を知らなくても「箱」に書いてある情報であるチーム名"Baster Bros"と聞けば周囲がざわめく,喧嘩を売った男たちが一瞬怯む,といった行動がストーリーとして展開されていく.こうした相手の行動は箱3の"Fling Posse"の場合にも見られる.また,他のデビジョンへと向かった時も,この「箱」が移動することで,出発地点のディビジョンから到着地点のディビジョンまでを媒介するメディアとして作用し,自分たちのチーム名が他のディビジョンに知れ渡るきっかけにもなる.
 こうした事例から,「箱」であるチームの「中身」のキャラクター(人物)の実態は知らなくとも「箱」に書かれた情報が伝播し,作品の社会の中では「中身」であるキャラクターを知らない見ず知らずの人がバトルを仕掛けては,「箱」から得た情報から怯えたりコテンパンにやられる,と言ったストーリーが成立する.つまり,作中の社会においてチームというパッケージは,「中身」を知らない人へも「中身」がどんなものであるかという情報を与えているのである.
2.3 小括
 この事例における「箱」と「中身」の話は他の二次元コンテンツやアニメ作品などにも共通するだろう.その登場人物自身とその属性を伝えるために,よく〇〇の誰々といった説明をするだろう.それを同じ現象を「箱」と「中身」に置き換えただけであり,実際に情報を伝達するためにパッケージはメディアとしてコミュニケーションでは当たり前のように行なわれているのである.その際,「ヒプノシスマイク」の場合であれば,チーム名が思い出せなくても色を言えば伝わったり,チームの名前を言えば「中身」に当たるキャラクターの名前を思い出せたり,逆も然りだろう.
 わざわざ「箱」と「中身」に分けたことにどういう意味があったのかは,「箱」がなぜ広告メディアとして成立するかということを説明するための例えである.「箱」が広告メディアではないとするならば,この作中においても,チーム名を聞いた時に「相手が怯える」「ラップの上手いチームだと認識されている」「女子たちが黄色い声をあげる」現象が起こらないのではないか.なぜチーム名を聞いて,相手が初見であってもバトルの対戦者として怯えるのか,についてはその「箱」のチーム名(所謂商品名)が広告メディアとして(作中の世界観の中で)世に出回っているからと結論づけうる.

3.おわりに

 二次元コンテンツを事例とした作品をアカデミックな視点で解釈することは単なる鑑賞者としては面白くない行為かもしれない.作品への没入感が削がれるからである.しかし,本稿で行なった考察によって(不十分にせよ),執筆者が考えている広告メディアとしてのパッケージとは何か,その作用は何かについてをわかりやすくするための例えであったように思う.
 そして今回は「箱」と「中身」という極端な2つに分けて例えたが,研究対象としている紙小箱のパッケージの広告メディア性について,なぜ箱(という物質的なモノ-object)がメディアに,そして広告になるのかについて訴求される機会が多いのも事実である.パッケージの外装のグラフィックデザインが情報として伝播することはあるが,パッケージ自体が移動することによっても広告メディアとして情報が伝播する機会は多いにあるのである.現実世界においては,流通経路が主なルートとして考えられるが,他にも煙草やキャラメル,紙小箱を想像すれば,ポケットに入れて持ち歩き,出先で取り出すだけでも無意識に紙小箱はその表象を広告として周囲に見せつけている.同時にその場にいる消費者も無意識にその広告を目にする.
 消費社会に入ってからそうした消費体験が生まれ,パッケージが見映えを気にするようになり,広告メディアとして商品の顔になったことは現在の大衆消費社会では当たり前のように受け入れられている.しかしその発端を辿ることはまだ十分に議論されていないため,紙小箱という革命的な携帯可能なパッケージが誕生したことが現代の持ち歩き社会と地続きであり,パッケージデザインの歴史においても人びとの生活においても文化生活に変化を与えたものとして,紙小箱の広告メディア性について議論をこれからも行なっていきたい.



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