私の職歴、その1…の巻
(今日から、ただの作文になります。読み返してみると、実にくだらない内容で元気になる要素は皆無です。しかも長文。注意してお読みください。)
本文はここから
300万円の借金ができたゆえ、仕事として選んだのはトラック運転手でした。
3流私立の高校卒業、協調性ゼロの私は接客業など難しく、行き着いたところが運送会社でした。
最初は佐川急便の下請けで宅配の仕事をしました。1日60個ぐらいだったでしょうか、そのくらい配ってました。都会の人からしたら60個?と思われるでしょうけど、田舎ですから結構配ってたほうです。
年末は時間指定が守れず、お客さんからかなり怒られました。今みたいに宅配ボックスとかなかったですし、置き配は倉庫とかある家以外はできなかったので大変でした。
朝、7時過ぎに軽トラを下請けに取りに行き、8時頃に佐川急便へ出勤。夜の20時に配達が終わり、伝票や代引のお金入金を済ませ、下請け会社に帰るのは21時を過ぎていました。
それだけ忙しく働いても、手取り16万くらいです。毎月8万円を返済していたので間に合いません。
そこで、4トントラックに乗り換えて毎日300km先の荷主へ荷物を運びました。手取り22万くらいにはなったと思います。
しかし、SAでご飯を食べたり、洗車が面倒くさくて自腹で洗車機代を払ったりすると、余裕なんてありませんでした。
ですから、目標は10トントラックの運転手でした。
その当時、時給600円くらいだった地域で10トントラックに乗れば月給30万円だと言われ、何がなんでも大型に乗らなければと仕事を頑張りました。無事故無違反が続けば10トンに乗ってもいいと社長に言われたもんだから舞い上がってました。
しかし、ある日、3台先の10トントラックが事故を起こしたのを見たとき、これは責任重大だな、私には無理だと諦めました。
運転手はパトカーや救急車が来て声をかけられても微動だにせず、座り込んで地面を見ているんです。こんなことにはなりたくない。
なく泣く諦めました。
今でも大型トラックに乗りたいです。SCANIAのサイトや関連動画ばかり見ています。トラガールのばばしちゃんとか大好き。でも私には荷が大きすぎる。
ハローワークでお願いすると、自分の職歴が分かるんですけど、それを見てみるとこの運送会社で1番長く働いてました。
積み込み、荷卸、運行管理へタコメーター等の提出以外は人と話すこともなく、好きな音楽をかけて、夜が明けてくる太陽を眺めながら…。天職でした。
県外を渡り歩いてきた私だったのですが、この運送会社は地元に戻って働いていました。
実家からは少し距離を置いて一人暮らしをしていましたが、それでも知っているエホバの証人に会うわけです。
そして、「○○で上勝さん(私のペンネーム←言い方古っ)を見たよ」と、わざわざ父親に報告され、ドッカーンがきた父親に地元から出ていけ!宣言をされてしまいました。
(エホバの証人やエホバの証人2世の方なら分かると思いますが、父は一時長老&奉仕の僕でしたから、他の会衆に公演者として出かけたり、巡回大会で司会をしたりと世の言葉で言うならアイドルでした(爆))
社長には本当にお世話になりました。タイヤがバーストしてタイヤ交換してもらったり、前借りしたり。でも、地元にはいられません。
社長には詳しい理由は言わなかったと思いますが、家庭の事情で辞めさせてもらったような気がします。
ではこれからどうするのか?問題ですねえ。それは明日書くことにしましょう。
本文はここまで
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時間とお金の余裕があれば、こういうキャンプしたいです。音もASMRに近く、よだれを垂らすのを我慢しながら見てます。
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