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続・なぜぼくはTwitterをやめたのか

怒りの日々

前回の記事の続き。しつこいようで恐縮だけど、これを機に全てを語り尽くし、全てを吐き出したいのでご寛恕願いたい。

今振り返ってみれば、楽しいはずの趣味のことですら、他人を意識しすぎた15年間だったと思う。最初はそうでもなかったが、ツイートを面白おかしく誇張したり、他人が好きなもの(本やらアニメ作品やら)を本当に自分も好きなのかどうかわからないまま好きと言ったりすることが多すぎた。これは果たして本当に自分が望んでいるものなのか?そう自問自答することもないまま。

この傾向を加速させた要因がある。クソリプを巡る問題だ。
例えば「豆腐は白い」とツイートとしてバズれば、
「黒い豆腐もあるのに知らないのは無知」
「自分は大豆アレルギーで豆腐は食えないから、そういう話をされるのは無神経だ」
「世の中には貧しくて豆腐も買えない人だっているんですよ!」
と言われるのが、最近のTwitterである。この例は極端かもしれないけど、利用者が増えすぎたために想像を絶するようなクソリプが増えたというのもよく聞く話だった。

なので趣味の話をツイートする際にも
「こんなこと書いたら不快に思う人がいないだろうか」
「知識不足や理解不足を露呈しないだろうか」
などと毎回のように神経を使うようになり、徐々に生きた心地がしないようになっていった。というのもまた、ぼくにとっては事実である。気がつくと暴言など不快なツイートを理由にブロックやミュートしたアカウントは合計7000超。これだけ有害な情報を遮断しても平穏は訪れなかった。

そんなわけでぼくは神経をすり減らしすぎた。日々イライラが募り、歩道で数人の人が横に並んで談笑しながら道を塞いで歩くのを見かけたり、駅の改札で手間取って進めなくなっている人を見るだけで抑えがたい憤りが身を焦がした。

極め付けは疲れて電車内の席で座っていると目の前に杖をついた、腰の曲がった年配の人が目の前に立っているのを見て「ぼくはこんなに疲れているのに、当て付けのつもりか!わざわざ自分の目の前に立って席を譲ってくださいアピールするんじゃねえ!」と怒鳴り散らしたい思いを堪えた時のことだ。

なんとか衝動を抑えて席を譲ろうか逡巡しているうちに他の人が席を譲ったので事なきを得たが、こんなことを考えた自分への羞恥心と嫌悪感が隠せそうになかった。ぼくが『魔法少女まどか☆マギカ』の世界の魔法少女だったら、とうの昔にソウルジェムを濁らせてに魔女へと変貌していたかもしれない。

ぼくが最大のストレスの元凶であるTwitterをやめることを考え始めたのは、この時からである。新潮新書『スマホ脳』に書いてあった通り、人間の脳ではSNSを流れる情報やの洪水や感情のアップダウンを捌ききることは困難であることを噛み締めた。

もしかしたら「Twitterをやめることはない。一時的に離れるだけでいいのでは?」と思う人もいるかもしれないけど、それでは根本的な解決には至らない。現状のTwitterの環境がイーロン・マスク体制下で改善されるとは到底思えず、将来的に二の轍を踏むことが目に見えているので、弥縫策にしかならず、完全にアカウントを削除しないと何も解決しないと判断した。かつての青い鳥はもう死んだのだ。


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