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恩送り(鹿児島編5)

恩送り(鹿児島編4)の続き。4を読んでいない方は4から読んでね。
恩送り(鹿児島編1)
恩送り(鹿児島編2)
恩送り(鹿児島編3)
恩送り(鹿児島編4)
(写真は2021年の正月。知覧の武家屋敷にいた珍しく私になついてくれた猫ちゃん)

さてさて。さすがきまぐれ。一週間放置してしまいました。(当時のブログのまま)
きっともう見るの忘れているでしょう。それぐらいが良いんです。

で、忘れてた時に「ふっ」と思い出して見てみる。
それぐらいが僕は好きなんです。

そして「ふっ」に対しても「よぅ」と言って上げられる人でありたいと思っているし、そうしてくれる人が好きです。


さて話がそれました。久しぶりすぎてこのブログの趣旨を忘れる所でした。
続き、行きます。



沖永良部島でおよそ20日間。
当時もそう思ったけど今、思い出してみても
「そんなに居たっけ?」
と思ってしまうぐらいあっと言う間でした。

当ても無く旅をしていた我々兄弟はこのままではいつまで経ってもこの島から出られない、なんなら居心地良いし住み着いちゃうか?ってな勢いになりそうだったので本来の旅に戻ろうとある日を出発の日に決めました。

決めてからの数日間、クレープ屋さん前でのライブは相変わらず高校生が来てくれていて楽しくやっていました。
しかしながら楽しさの裏には数日で島を離れる寂しさもあり。写真を一緒に撮る事が多くなっていました。

そして島を出る二日前、クレープ屋さん前での最後のライブ。
そこで出発前日、ラストライブを島にある大型店、コープの前で行う事を発表。島に来てからほとんどをクレープ屋さんで歌っていた僕らにとって最後に別の場所で歌う、と言うのはあまり気が乗らなかったのですが田中さんがセッティングしてくれたし出発前日はクレープ屋さんが定休日だったので仕方なくそのコープの前で歌う事にしました。



さて、沖永良部島でのラストライブ・・・当日・・・




・・・雨・・・




僕らとしてはコープで歌う魅力を感じていなかったんでしょう。残念な気持ちとほっとした気持ちもあったような気がします。
午後になっても止まない雨。
弟と二人、「こりゃ今日は中止だね」と話ておりました。

すると一本の電話。


「あんたら大変だよ。コープの前に高校生が集まってるって。あんたらどうするの?」
田中さんからでした。

【雨だから中止】

そんな考えは僕らにしかなかったのかもしれません。
島の子達は僕らが歌いに来るのを待っていてくれたのでした。
しかし、雨では歌えません。思案しても島に来て20日の僕らにはどうする事もできませんでした。

しかし、僕らには産まれも育ちも沖永良部島の強力なマネージャーが居ましたし島の小学校の先生が義兄。何も出来ないわけがありません。
その日の夜、行われる予定だった送別会の会場、小さな公民館をお借りできる時間を早めていただき高校生達にはそこに再度集まってもらいました。


小さな島の小さな公民館での本当に短い時間のライブ。
二人で約30分。歌いました。
お互いのオリジナル曲、島でリクエストされた曲、
山崎まさよしさんの「one more time one more chance」
公民館に集まってくれたのは5、6名でした。
中には涙を流しながら聞いてくれる子も居ました。
僕が最後に歌ったオリジナル曲。「秘密の話」は明るくて前向きな曲。


~雨の降る日は、実は星も降ってて
    その事に皆は まだ気付いてない~


後にも先にもこの曲で涙を流したのはその子だけだったなぁ。



そんな思い出を残し、写真もいっぱい撮って色々プレゼントももらって夜になってしまったので高校生とはお別れ。
そのままその公民館にて送別会が行われました。
島でお世話になった方々が来てくれました。
こちらも短い時間でしたが・・・楽しい時間だから短く感じたのかもしれませんね。


そして翌日、台風一号の影響で太平洋側の港に着岸できないと言う事で東シナ海側の港へ。
「何もこんな日に帰らんでも・・・」
田中さんには最後まで心配を掛けてしまったのかもしれません。
しかしながら我々は行かなければならないんです。
ここでその言葉に甘えたらダメなんです。
理由はわかりません。ただダメだと思ったからです。
(真実に理由なんか無い、って昔書いた詞にあったなぁ。後で読んで自分でビックリしたっけ。)

さてさて昨日、散々別れを惜しんだ高校生達、やっぱり来てくれました。
中には授業をさぼって来てくれた子もいたり。太平洋側の港に行って慌ててこちらに来てくれた子もいたり。
なんで皆、あんなに良い子なんだろう。

乗船券を松原さんに購入してもらい(最後まで本当に面倒見てくれました)船に乗る僕ら。
なんだかすごく照れくさかったけど紙テープなんか投げちゃったりして。


普段、物凄く照れ屋で感情を喜怒哀楽の怒以外はほとんど表に出さない弟が僕の横で馬鹿みたいにでかい声で

「また来るぞー!!」

と叫んでいたのがつい最近の事のように今でも鮮明に覚えています。
僕はそんな弟を見ながら旅の意味を噛み締め、

心の中でグッと「また来るぞ」と思ったのであります。




これで最大の出会いシリーズ終了です。

で、気になるのが旅の終わりでしょ?
この後、僕らは鹿児島市内、思い出の天文館通りでもう一度歌い、翌日、宮崎に突入。
そこで弟のギターが調子を悪くし弾き語りを続けられない為、旅を終える事にしたのでした。


島の人と触れ合い、皆で何か一つの事をやりたい!と思えるようになった弟は地元に帰るとすぐにバンドを結成。
アマチュアではありましたが各地のライブハウスを転々と出来る実力をつけたのでした。

そして僕はと言うと2年後、バンドが順調な弟を置いて一人で一ヶ月間、北海道の旅をする事になるのです。



松原さんとの出会いが沖縄、そして沖永良部島へと連れていってくれました。そしてその島で多くの人と出会い、特に田中さんには大変お世話になりました。


さて皆さんがきっと抱いているであろう疑問、
『その二人と君らは今どうなってるんだ?』


ご心配なく。もちろん、今でも交流があります。

「ふっ」と思い出した時に「よぅ」と言ってくれます。

今年の年賀状で松原さんから結婚の報告がありました。

遠く離れていてもそこには「ふっ」「よぅ」の関係が今でも成り立っているんです。

田中さんからは「息子が中学生になって訳のわからん音楽を聴くようになって・・・私にはもうついていけないわ」なんて電話がきたり。
娘が高校進学で島を離れ寮生活をしている時には母親・父親には素直に出来ないであろう相談を僕が聞いてあげる事もありました。
そのうち、息子あたりがきっと僕の所に遊びに来る日があるんじゃないかと心待ちにしているんです。
その時は思いっきり、恩送りをしてやろうと企んでおります。


さて長編が終了しました。
読んでくれた皆様、ありがとうございました。

次回は・・・何を書こうかな・・・

それも気まぐれと言う事で。



っということで、数年前にブログにしたためていた「恩送り(鹿児島編)」をお届けしました。
いかがだったでしょうか?
今、自分で読みながら当時のことを振り返っても本当に夢のような日々だったなと思います。こういう出来事の積み重ねが今の私を作っていることは間違いないですね。感謝しかありません。
皆さんがこの記事を読んで「沖永良部島」に少しでも興味を持ってくれたら嬉しいです。
読んでくれてありがとうございました。

今後の活動の為にサポートいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。