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恩送り(鹿児島編1)

noteの記事としてどんなものが良いかなーと悩んでいたのですが、そういえば過去に「恩送り」というブログをやっていたことを思い出した。今見たら2007年に始めたものだった。
今でもそのブログはそのまま残っているので見つけてもらってもいいのだけど、新しく始めたこのnoteに当時を振り返りつつ、マイナーチェンジしながら綴ってみようと思い、始めます。
「恩送り」シリーズ。

まず、「恩送り」ってなに?って話なんですが、恩をくれた人にそのまま返すのが恩返し。恩送りは恩をくれた人ではなく、別の人に恩を渡していくこと。それが恩送り。
恩返しはやり合うだけだけど、恩送りは無限に広がる恩の輪なのです。
それを教えてくれた人の話を今から綴っていきます。(っと言っても過去のブログの記事をほぼコピペ&長編になります)

では。「恩送り(鹿児島編1)」スタート!!


時はさかのぼる事、23年前。まだ私が22歳の頃。
実弟と二人、路上で歌いながら全国を回ろうと4月に家を出てまず西に向かいました。
浜松⇒名古屋⇒岐阜⇒京都⇒大阪⇒愛媛⇒高知⇒徳島⇒香川⇒熊本⇒鹿児島とこの間にも色々な人に出会い、大変お世話になりました。(それは追々紹介するかも)

さて事件が起こったのは鹿児島市。
初日。天文館通りで路上が盛んだと言う情報を入手し行ってみる事に。
しかしながら我々はヨソモノ。
「そこはダメだ」「どいてくれ」など他業種(歌い手さん以外の路上人)の方から追いやられしょぼくれながら大きな道を挟んだ夜は暗くなってしまう商店街に安住の地を見つけ歌い出したのです。
たまに立ち止まる人もいたけどそれほど魅力を感じる事ができず兄弟の中ではやりきれない気持ちで「クソッタレ鹿児島」な気分でその日歌う事を止め、車に戻りました。
やりきれないまま車を停めておける場所(道の駅など)を見つけ就寝することに。この旅はずっとそんな車中泊の旅でした。

夜。全国を回る想いで家を出たがやはり貧乏旅。沖縄に渡れる旅費などあるわけがなく。二人は次の目的地宮崎に向かうかどうか悩んでいました。「クソッタレ鹿児島」で終わって良いのか。この時、あまりに悩み結果が出ない二人がとった行動が「じゃんけん」。
どっちかが勝ったら宮崎へ。逆なら鹿児島でもう一晩。

結果は鹿児島。

次の日の夕方、またしても天文館通りへ。
どうしても天文館通りで歌いたかった二人は大丈夫そうな場所を探し歌いました。ギターケースを広げ投げ銭をいただく。ダンボールで看板を作り自分達がどこから来たのかアピール。このアピールのお陰でこの晩は下手なバイト以上の稼ぎを得ることができ一晩にして崩れた鹿児島のイメージをまた一晩で取り戻す事ができたのでした。

そして翌日。
2日目の盛況ぶりが忘れられず。「もういっちょやってくか」とこの旅では初の3日間同じ土地での路上を決行。

そこでやっと皆さんお待ちかねの出会いがあったのです。

その晩は映画館の前辺りに場所を取り歌い始めると本日も好調。
天文館通りは我々兄弟の味方でした。
しばらくするとそこへ何とも怪しい風貌のおじさんがやってきました。
まもなくしてそのおじさんが「良い店があるから酒を飲みに行こう」と誘ってきました。貧乏旅の我々にとってタダ飯、タダ酒は決して悪い話ではなかったのですがその時の我々はまだ歌いだして間もないしここ天文館は良い稼ぎになる。そしてこのおじさんはちょっと怪しそうだし・・・と言う事で丁重にお断りをしたのでした。

ちょうどその頃、私は斉藤和義さんにはまっていて鹿児島で初めて彼の歌を歌ってみたりしていたのでした。
それをたまたま聞きつけた和義ファンを名乗る女性が現れ「歌って下さい」なんて言われまだ慣れていない曲を一生懸命歌っていたのですが歌っている途中、女性が突然居なくなり、曲が終わった頃にまた戻ってくると私にこう言いました。

「斉藤さんあっちに居るけど会いたい?」

言っている意味がしばらくわかりませんでしたがどうやら斉藤和義さんがツアーで鹿児島に来ていたようで私が歌っていた目の前の映画館で映画を見ていたそうです。
もちろん会いたい私はギターを持ったまま天文館を走りました。
女性が「斉藤さん!」と呼び止めるとまさに本人がそこにいるではありませんか。



っと言うわけでちょっと余分な所が多すぎで長くなってしまったので今回はここまで。次回へ続く。
恩送り(鹿児島編2)

今後の活動の為にサポートいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。