見出し画像

恩送り(鹿児島編2)

鹿児島編1の続き。1を読んで居ない方は1から読んでね。
恩送り(鹿児島編1)
(写真は2021年にお邪魔した知覧の武家屋敷)

女性の呼びかけに振り返る斉藤和義さん。
ギターを持っている私を見て映画館前で歌っていた奴だと気が付いた様子。周りの方々(伊藤広規さんや小田原豊さんだったような…)が「(和義さんが)そこは違うんだよなぁって言ってたよ(笑)」などと囃し立てる中、私はもう緊張で何がなんだかわからない状況でしたがとにかく握手だけはしてもらった記憶があります。そして和義さんには「俺より上手くなったら殺す」という有り難いお言葉をいただき今でもそれは忠実に守っております。

たった5分ぐらいの会話だったと思いますが憶えてません。
喜びの中、また弟がいる場所に戻りました。
あ、そうそう。和義さんに会いたい一心で弟を置いて兄ちゃんはダッシュしてしまったのでした。
もちろん弟には怒られましたが。

そんな出会いもありつつ。
「やっぱ鹿児島で歌って良かった」
「あの時のじゃんけんのおかげだ」
などとこの時、既に素晴らしい出会いをしてしまったカミジマ兄弟。
この次にさらに大きな出会いがあるとは思ってもいませんでした。

さてさてそこからまた歌い始め、通りも酔って陽気な人達が増えてくる頃。私たちと同年代の若者がやはり陽気に近寄って来て「俺らが客寄せしてやるよ~」と通行人にやたらと声をかけ始めました。

しばらくするとその若者の呼びかけに二人の男性が足を止めてくれました。
「どんな歌歌うの?」「山崎まさよしのシチューの歌やってよ」なんて会話をしつつ歌いつつ。多分30分も経たないうちにその二人の男性が「ろくなもん食ってないだろう?おごってやるから飲みに行くぞ」と誘ってくれたのでした。(若者は知らぬ間にいなくなってました笑)

昨晩と同じぐらいの稼ぎを得た我々はその男性二人の風貌に一抹の不安も感じる事無くその誘いを快諾。すぐにギターを片付け近くの居酒屋に場所を移動。
「好きな物を食え」との暖かい言葉に若干遠慮をしながらも、その遠慮に気付き色々と注文してくれる二人。貧乏旅をしていてこんなに嬉しい事は無いと思いながらいただきました。

飯と酒をいただきながら話をした中でわかった事はこの男性二人の名前。
仮に松原さんと八汐さんとします。二人は種子島出身の同級生で久しぶりに会って鹿児島市内で飲んでいた所に僕らが歌っていたということ。
八汐さんは鹿児島市内のチェーンの紳士服店の店長。松原さんは沖永良部島と言う島の小学校の先生だと言うこと。
そして私たちが兄弟で旅をしていることに感銘を受けてくれたこと。

正直、これだけわかっていればもう最高の出会いなんです。
地元から1000Km以上離れた地で暖かい心に触れられた事でもう充分だったんです。しかし更に嬉しい言葉を松原さんが言い出しました。

「よし!俺が沖縄連れてってやる

 条件はお前らが沖永良部島に来て子供達に夢を語る事

 どうだ?行くか?」

嘘のような本当の話。まるでテレビの中の事のよう。電波少年か!?
色んな思いが頭をぐるぐる・・・

しかし答えはもちろん・・・

「行きます!」

こうして私たちは素晴らしい出会いと共に沖縄へ行くことが決まったのでした。次回へ続く。
恩送り(鹿児島編3)

今後の活動の為にサポートいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。