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2005年 12月20日に無事オープンすることができて (でも初日はお客さんゼロだった 笑) 12月31日まで、ひっきりなしにお客さんの予約が入り 少し安心したのもつかの間... 1月に入ると成人式までは、世間は正月気分が抜けないので なんとなくバタバタと過ごしたんですけど 成人式後が、おそろしくヒマになりました。。。 気がつけば3日連続、来客ゼロ....泣
2005年 11月25日 勤務最後の日。 11年勤めたのも、振り返れば あっという間な感じでね、感慨深いって感じよりは ようやく自分が18歳に思い描いた、働く環境に向かってスタートを切る感じで 「これから!」と鼻息荒かったかもしれません。 スタッフみんなで、夜に送別会をしてくれて 途中までは、ウダウダ話しをしてたのを 憶えてるんですけど 後半は、酔って記憶がありません(笑) 前回の写真がそうです。
(写真は、僕は酔っ払ってスタッフの鼻の穴に指を突っ込もうとしてるところ) 2005年 3月 僕は30歳になりました。 ずっと、不満や疑問を持ち続けながら 美容師の仕事をなんだかんだと続けて 気づけば11年も経っていました。
2003年 2月 僕は、オーナーに独立の意志を伝えました。 今すぐではないけど、いずれは独立すると。 そうすると、意外にもあっさり歓迎ムードが漂いました。 でも、僕が出店候補地を言うと たちまち嫌な空気に一変しました。
(写真が相当にキモい...) 今から18年前の 2001年の26歳頃から 少しづつ少しづつ オーナーの目指す方向性と 僕の18歳当初からの働く意味の方向性にズレを感じていました。
(寝起きを撮られたので、間抜けな表情) サロンを辞めるか? そもそも美容師をやめるか? でも家族を食わせなきゃならない。。。 気づけば、僕も27歳に。
出戻りから5年経ち 店長になり、仕事は順調 でも責任も大きくなります。 スタッフ7名の面倒を見なければならないのです。 スタッフが僕と関連のないところでのお客さんへのミスも 頭を下げて対応しなければいけません。
2000年 2月 インターンも終わり すでにバリバリのキャリアだったので ロクに練習もせずに 国家試験の実地 (当時はワインディング、ローラーセットだった) に挑みました。 ワインディング(パーマのロッド巻き)も 余裕でこなし セットも余裕でこなし たつもりが...
(今、見返しても写真がキモいです 笑) 1997年 9月 寝たきりの入院生活からようやく退院。 でも、すぐには社会復帰できず 当面は通院でリハビリ。 22歳の9ヶ月を大ケガで費やしました。
(写真は入院3ヶ月目のもの。坊主頭がずいぶん伸びてます) 1997年 5月始め 兵庫県に再び帰ってきた僕らは ハイツでの自分たちだけの生活をスタートさせました。 話が前後しますが、 島根から兵庫に戻る際に どうせ働くなら 今度こそは、こだわりのヘアサロンがいいなと思ってね 東京、大阪、神戸などたくさんのサロンに面接に行ってみたんですが...
1996年 5月 島根県での生活が始まりました。 お義父さんと、嫁さん、娘、お腹にいる息子と。 僕は同居になにもストレスはなかったけど、 島根県の何も無さに、ストレスがありました。
1995年 5月 僕は20歳で父親になり 今で言うイクメンで なんでも積極的に取り組みました。 おむつ交換、お風呂、ご飯を食べさす、寝かしつける 1日面倒を見る。
1995年1月 僕の地元 兵庫県赤穂市のサロンで働きはじめました。 そこは個人経営でスタッフ数も僕とオーナーを含めて4人のサロンでした。 未だ、美容の仕事に興味が持てないでいたんですが ここのサロンのオーナーはペーペーの人間にでも いろいろさせてくれる環境で そこは感謝でしたね。うん。
いわゆる、できちゃった婚です。 順番を間違えました(笑) 嫁さんであるかっちゃん(当時はそう呼んでいた)の妊娠が発覚し (今回に限り、嫁さんのことを以下は"かっちゃん"と表記します) 実家がある島根県まで 僕とオトンとオカンと 謝罪と結婚の意思があることを かっちゃんの両親に伝えるべく、兵庫県から車で向かいました。