恩師を探して-1
こんにちは。自称「氣功美容師」あきです。
美容学校時代
北海道に30年ぶりに戻って来てから、時々訪ねていた美容学校時代の先生がいる。
当時はパキッとして、大きなハッキリした声で指導してくださる、厳しい先生でした。
その先生の前では誰でも背筋がピンと伸びるような女性でした。
私は美容学校の寮に入って励んでいました。
そういえば、その時初めてのイジメに遭い、精神的なダメージを受けていました。
寮母さんや先生、他の同僚達にも助けられました。
私が、一旗あげたい田舎根性で東京で修行していた時、入店した美容室の巨匠先生がなんと、札幌の私の母校で舞台セミナーをやる事になり、わざわざ私をヘルパーとして連れてってくださったのです。
これには本当に感謝でした。
そして母校での晴れ舞台で、当時の同僚達や、その厳しい加羽澤先生も応援に駆けつけてくださいました。
私が頑張っている姿を見てとても喜んで下さった。嬉しかった。
同窓会
また数年後に母校の同窓会が開催されました。そうですね。30代半ばになってからです。
頑張っていた私は東京から札幌の同窓会場に向かいました。
そして、その厳しかった加羽澤先生に再会!卒業してから約15年は経っていたかも知れませね。そうすると、当時50代だった先生は60代半ばすぎ?かもしれません。
何百人も集まった同窓会。その中から勇気を持って、私は先生の居る場所へご挨拶向かいました。
「先生、ご無沙汰しています。私です。」
先生は足を悪くされたと、椅子に座っていました。私がお声掛けたら、当時とは違うとても優しい、懐かしい表情をされ、「あら、あなた頑張ってるわね〜。あなたらしいわ。昔はあなたのお母さんが心配して、学校によく電話を掛けて来たのよ。」と、おっしゃったのです。
この時初めて、先生と私の距離がグッと縮まりました。とても嬉しかった。
母がそんなに毎回、学校に電話をしていたなんて…30代中過ぎてから知った事でした。
先生は当時とは違って少し小さく見えました。私が成長したのでしょうか?見守って頂いていたのですね。
30年ぶりに帰って
そして今、30年ぶりに北海道に戻ってから、初めて先生のお家を探して、訪ねて行くようになっていました。
先生は年下のご主人と二人暮らし。お子さんはいらっしゃいませんでした。
戻って来てから再会した先生は、また更にちっちゃくなっていました。
ご主人の介護無しでは生活出来ませんでした。
「若い頃、私はこの人に随分世話になったからねぇ、今度は私が…」と、ご主人。
先生は当時よりももっと優し〜い、穏やかなお顔されていて、言葉はほとんど発する事はありませんでした。
そうですね、80代過ぎていました。
それでも20年以上時が流れて再会した先生は、車椅子の上でやっと動く手を差し伸べ、私の手を握ってくれました。優しい力でした。
そして「あなたのお母さんから、よく電話がかかって来たものだよ。」と、またおっしゃったのです。私はグッと耳を近づけた。小さな声を逃さないようにと必死に。
私は男性戸籍に訂正した夫と一緒になった事、北海道に帰ってから籍を入れた事を伝え、
「あなたらしいわね」と一言。
先生は何十年も私の事を覚えていて、心にあった事がわかり、胸が熱くなりました。
そう思ってハグをしたい気持ちになりましたが、生まれながらの性格のせいか、それが出来ずにいた事が心に残りました。
時には夫とも訪ね行ったり、時には一人で訪ねたりしていました。
大病した私
私は大病して歩く事もままならず、養生期間に入った途端コロナ禍になってしまったのです。
そして3年、4年の月日が流れて行ったのです。
札幌に行けない事、先生に会えない事がとても気になっていました。
こんな時期にとても面会などできないだろうと。
やっとコロナも落ち着き、私も周りの人から見ても健康そのもの!と思われるくらい回復しました。
実は、
…続く…