愚かな政治は、愚かな民が作る

「愚かな政治は、愚かな民が作る」という言葉は、福沢諭吉の『学問のすゝめ』に書かれた一部を端的に表しています。福沢は、国民一人ひとりが教養を高め、独立心を持ち、自ら考える力を養うことが、国全体の発展と政治の健全化に不可欠であると説きました。この考えは、現代においても強く響くものであり、新たに首相が代わる今こそ、私たちが改めて考え直すべき重要な課題です。


福沢諭吉の時代、明治維新を迎えた日本は、近代国家としての歩みを始めたばかりでした。当時の日本は、西洋列強との不平等条約に悩まされており、国の将来に対する不安が広がっていました。そんな中で、福沢は「一身独立して一国独立す」という理念を掲げ、個人が自らを高め、国を支える存在になることを強く訴えました。彼が言う「独立」とは、単に経済的・物理的な独立ではなく、精神的な自立、すなわち他者の意見に流されず、自らの頭で考える力を持つことを指します。


この精神は、現代においても非常に重要です。特に政治において、国民一人ひとりが自らの意志を持ち、考え、行動することが求められます。福沢は『学問のすゝめ』の中で「愚かな政治は、愚かな民が作る」といった主張をしていませんが、その思想は明らかです。国民が無知であれば、結果として選ばれる政治家も無知であり、政治は停滞し、国の発展は阻害されます。逆に、国民が教養を持ち、健全な批判精神を持って政治に関与すれば、健全な政治が行われ、国は繁栄します。


今、日本では新たな首相が誕生し、国の方向性が再び問われています。新しいリーダーに期待がかかる一方で、私たち国民がどのようにそのリーダーシップを受け止め、どのように関与していくかが問われています。首相一人の力で国を大きく変えることは難しいですが、国民全体が政治に対して無関心であるならば、健全な政治は成り立ちません。私たちが日々の生活の中で、政治に対して関心を持ち、情報を集め、考え、自らの意志を行動に移すことが求められています。


特に現代のように、情報が多様化し、瞬時にアクセスできる時代では、情報の取捨選択が非常に重要です。SNSやインターネットを通じて手に入る情報は膨大ですが、そのすべてが正しいわけではありません。私たちは、情報を批判的に受け止め、自分自身の考えを形成する力を持たなければなりません。そして、その考えに基づいて、選挙に行き、自分の声を政治に反映させることが大切です。


福沢諭吉が述べた「学問」の重要性も、まさにここにあります。学問とは単に学校で学ぶ知識を指すのではなく、自ら考える力を養い、他者に依存しない独立した人間として成長することです。国民一人ひとりがこの「学問」を実践し、知識を武器に自分の意志で政治に参加することが、健全な国づくりの基礎となるのです。


新しい首相がどのような政策を打ち出し、どのように国を導いていくかは未知数ですが、私たち国民がその動きをしっかりと見極め、支持するべき点は支持し、批判するべき点は批判することが大切です。それは単に政治家を批判するためではなく、より良い社会を築くための一歩です。


「愚かな政治は、愚かな民が作る」という言葉は、今の時代にも深く通じる警鐘です。私たち一人ひとりが賢明であることが、賢明な政治を生み出し、ひいては国の繁栄を導くのです。福沢諭吉が示した独立心と学問の重要性を胸に刻み、これからの日本の未来を共に考えていくことが、今私たちに求められていることではないでしょうか。

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