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ほや女
自分の顔に自信がない。
東京に引っ越してきて、そろそろ1年になる。
そんな私が最近気づいたことだ。
私は自分の顔に自信がない。
美人と呼ぶには微妙だが、自分の顔はきらいじゃない。丸い輪郭は親しみやすいし、つぶらな瞳はチャーミングだ。いつもつきまとう顔の皮膚に人生の邪魔をされたこともない。
学生時代は「わかる人にはわかる」「あの良さがわかるようになって一人前だよね」と一部の男子たちに噂されることもあった。
まるで我が故郷、宮城の名産「ほや」みたいだと思う。
「あの良さがわかる俺、渋いだろ」といった具合に、私というイメージはサブカル男子のカードゲームの切り札に使われた。
いま思うと腹立たしい。
みんなに愛される自信はあるのに。どこに出しても恥ずかしくないように、背筋を伸ばしているのに。
「あの子の良さがわかるのは俺だけ」
なんて傲慢なんだろう。
集団になって、遠巻きにこちらをうかがう。
そんなに離れた場所から、彼らに私はどう見えていたのだろうか。
東京は人が多すぎる。
人が多いから目の数も増え(ひとりにつき平均2つもついている)、視線のレーザービームにたじろぐことも増えた。
「あれ、もしかして今の私変な髪型してる?」
「やっぱりこの服の組み合わせはダサかった?」
「たぶん今スマホに集中して、また変な顔してたんだわ」(私は何かに集中すると口を尖らせる癖がある。)
電車の中でじっとこちらを見る人。
エスカレーターで流れていく私の姿を目で追う人。
列に並ぶ私の、頭からつま先までをじろりとなぞる人。
その全員に問いかけたい。
「今の私、変じゃない?」
誰もが美人と認めるような端正な顔立ちに生まれていたのなら、もっと楽だったのかもしれない。
街で出くわす視線の数々に、びびったりなんかしない。
むしろ注がれる視線は自分に見惚れている証拠だと、信じてやまない。どんな色でも好きな服を着て、肩で風を切り街をゆく…。
別に整形がしたいわけじゃない。
橋本環奈の顔に、心からなりたいとも思わない。
それじゃ意味がない。
私は私のままで愛されたい。
歯並びの悪さも、言うこと聞かない髪の毛も、平均を大きく下回る身長も、不完全だから完璧なのだ。
ほやは唯一無二の食材だ。
鮮やかな赤と、ごつごつした見た目。ゾウの皮膚を想起させる触りごこち。
このミステリアスな殻の中にあんな味が詰まっているなんて!
凹凸を確かめて、包丁を突きたてる。
とたんに溢れる水に驚きつつも、慎重に皮をひっくり返すと、ど派手な黄色が現れる。丁寧に切り分けて、お皿に盛り付ける。
いつの間にかキッチンが磯の香りに包まれている。
口に入れた瞬間、鮮烈でフルーティな香りに驚く。そのくせ、磯くさい後味はどことなく野暮ったい。酢の酸味がそれらをまとめて柔らかくする。(ほやは酢をつけて食べるのが一番。)
手で、舌で触れる。
ひっかかりがないと覚えていられない。
知らない感覚に出会う、その瞬間の全てが鮮やかな経験となる。
にきび面の彼らに今なら何と言おうか。
もっとよく見て?触って?確かめて?
こっちとしてはハナっから御免である。
だって彼らは全然タイプじゃなかったから。