上町しぜんの国保育園 園内勉強会04
上町しぜんの国保育園の阿部です。
いつもアーカイブを読んでいただき、ありがとうございます。
第4回園内勉強会では、上町職員で管理栄養士の久保田から話題提供をしました。
今回のテーマは、「食」とケアと愛とケ―上町しぜんの国保育園のキッチンから―です。
◎目次
・久保田(上町職員)より話題提供
・会場より
・まとめ
はじめに上町の青山より食をテーマにした背景の話がありました。
・上町を設立するときに食とのかかわりを考えた。
たとえばキッチンの扉をあけておく。
すると、ごはんができてくるにおいがしたり、なかの様子が伝わる。
・献立なんてなくしちゃえ!
その時にあるものや旬なものを感じて食生活を考える。
管理栄養士たちから「栄養計算をしても、同じ食材を同じ分量にとっても、ひとの体が個別に違うので、ほんとうに同じ栄養になっているかは疑問」という声が。
・食と保育が分離せずに一緒に作っていく雰囲気。
・「正しい食生活」を一方的に保護者に押し付けるのではなく、一緒に考えよう。
夜遅く仕事から帰り、そこから買い物をしてご飯を作って…それはなかなか難しい。
→それなら、園で一緒にご飯を食べて仕舞えばどうか、ということで「いどばた」(月1回、園で自由参加でのご飯会)を始めた。
・食はケアなのか。でも作る方にとってみれば、日常のケ(ハレとケ)にまみれてもいる。
この前段から上町職員で管理栄養士の久保田の発表がありました。
〇理想の食事ってなんだろう
・栄養士のなかで学ぶ栄養素などは科学的には証明されているけれど、日常として考えたら?
〇「ケア」
・日常の暮らしの中で欠かせない営みである食事。
食のケアとしての側面は様々にある。
→日々の食を考えるうえで、まずは「ケアとは何か」を考えてみた。・ケアは「新しい芸術であり、新しい科学でもある」
―フローレンス・ナイチンゲール(1893)『病人の看護と健康を守る看護』
〇ケアは「新しい科学」とは?
・生物体としての人間は「万人共通」
生活体としての人間は「千差万別」
〇ケアは「新しい芸術」とは?
生活体としての、人間の個別性
一人ひとりのケアを考えるということが芸術という意
〇『ケアとは何か―看護・福祉で大事なこと―』村上晴彦
・ケアは病人と共にある営みであって、治すことを試みる営みでは決してない。
むしろコミュニケーションを絶やさない努力だ。
・終末期医療に限らず、〈小さな願い〉は人生のかけがえのない価値である。日々の〈小さな願い〉の積み重ねが、その人自身を形作る。
→食べることは「〈からだ〉とは何か」という問いに直結する。
〇小さな願い―食べること
食べることは「〈からだ〉とは何か」という問いに直結する。
一連の食べる動作やおいしいという感覚、それらすべてが本人にとっての〈からだ〉となる。
→病気による衰弱と医療による制限のなかで失われかけた自分の〈からだ〉を回復する出来事となる。
・「食べたい」という願い
食に対して抱く〈小さな願い〉
事例)高齢者施設での終末期の入居者 バナナをそのまま食べたいという思い
〇ケアについてまとめると…
・「ケア」は科学である。
人体の生理機能を理解することが重要。
・〈小さな願い〉に寄り添うケア
→その人自身を形作る(ケアの芸術的側面)
・食の願いを支えること→自分のからだを取り戻す。
・科学的な知識+コミュニケーションを絶やさない努力
その人がどんな人か、何が好きか、何を大切にしているかということを知る。
→食はその人自身を形作るうえでも、とても大切な営みである。
おいしい、という感覚、記憶、安らぎなど
〇『ケ』 暮らしの中の食事とは
・栄養学的に見た、一汁一菜という食事
文化や暮らしよりも栄養価が優先されている。
→栄養価はわかりやすい
でも、人間は栄養を食べてきたのではない。
『ケ』としての、暮らしの中の食事はどうあったら心地よいのか。
・暮らしに寄り添った食事とは何か。
・「普通においしい」という安心
『ケ』としての暮らしの中の食事
→作るほうも、食べるほうも、心と体が心地よいもの
〇つくる人、食べる人
・その風景は一方的なのか
作る人から食べる人へのケア
食べる人から作る人へのケア
ここで、上町職員で同じく管理栄養士の山崎より自身の生活について話がありました。
〇山崎(上町・管理栄養士)
・現在、小学1年生の娘たちの母
2,3年前は子どもたちが全然食べなくて大変だった。
しかし結局食べたのは、レトルトのスパゲッティミートソース。
栄養士として色々やってみたが、これでいいのだろうかと悩んだ。
そんなとき『愛と家事』(太田明日香著)を読んだ。
〇「孤食」という言葉
・足立美幸 「共食」「孤食」頻度だけで測れない
・一人ひとりが必要な栄養素を摂取するだけの食事は人間らしい食事とはかけ離れていくという意味で使った「孤食」だが、その言葉だけが一人歩きしてしまった。
・「一汁一菜」など時代に合わせて言葉が生まれてくる。
「孤食」のように文脈が抜かれて言葉だけが流行るという怖さもある
〇まとめ
・暮らしかたそれぞれにフィットする食べ方を考える
それはケアにつながるのではないだろうか
・保育園でできることはなんだろうか
久保田の発表を受けてグループディスカッションをしたのち、会場より次のような話があがりました。
・大人も好き嫌いってある。
給食で子どもが「嫌い」といったメニューをキッチンさんには言いにくい。
「ひと口食べられたね」という言葉がけは大人の自己満足なのではないかな。
・たくさん食べるのが素晴らしいというイメージがある。
・食べられたかどうかが評価になると苦しくないかな?
・ミニトマトや餅などやってはいけないことが増えて難しいな…
・一人ひとりに合わせた雰囲気
・園では理想を求めていくけれど、実際に子育てをするとなかなかうまくいかない。
・栄養士と話す機会がなく、課題に感じている。
栄養士が配膳に来てくれる園もある。
「これだれがつくったの?」と子どもから話があがる。
・時代によって食への感じ方は違う。
立川談志、ビートたけしなど
・一斉に食べるということはもう文化的にないのではない
文化としてみんなで同じ釜の飯を食うということは大事。
→だからこそ難しい。
・人と食べるのにプレッシャーを感じることがある。
みんなと同じことをしないといけないというプレッシャー。
・自分が子どもの頃は、一汁三菜、みんなでおかずをつつくようだった。
・ちゃぶ台の歴史から考える食事
ちゃぶ台は明治時代から生まれた。
それ以前は銘々皿で膳がそれぞれで、人によって食の量や中身が異なっていた。
食事中の話題の中心は家長であることが多かった。
・制限をしながら健康を考えているよりも好きなものを食べている方が長生きと言われている。
おいしいと感じていることが長生きにつながっているのではないか。
・〈小さな願い〉がその人を形作るというのは食に限らないのではないか
・自分のこだわりなどを大切にしてもらえたら幸せに感じる。
〇青山
・「一緒に食事を食べる(共食経験)」ということで仲良くなるという固定概念
・立川談志「人間は不安定で安定している」
・コロナで黙食になった時にある職員が言っていた「人間性を奪われている気がする」という言葉が印象的だった。
◎最後に
話題提供を終えた久保田からは、
「食について改めて考えるなかでケアや暮らしという部分にも目を向けることができた。またそれを会場の人と話すことで自分が考えている以上に広がりがあるということを感じられた」という感想がありました。
◎感想
今回は「食」をテーマにして話をしました。
「食」と一言で言ってもそれは単に「栄養を摂取する」ということではなく、そこから広がる「暮らし」や「幸福感」とつながっているのだということを今回は「ケア」という視点から見ることで改めて学ぶことができました。
次回は、西川正さん(ハンズオン埼玉)をゲストにお迎えして開催するゲスト回です!通年参加ではない方も、どなたもオンラインでご参加できます!
お楽しみに!
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