見出し画像

園内勉強会 「わたしたちのナラティブツリー」 03

上町しぜんの国保育園の板垣です。

9/20に、第3回園内勉強会を行いました。
テーマは『自分と出会う、出会わざるおえない、ああ保育』。
園内で書いているナラティブを用いて、対面で参加してくださった人たちと職員で話しました。



自分を出すって、怖い。

他者と出会うことで自分がくっきりする。

職員同士の対話のためのナラティブを用いて考えていく。


Q.自分を出すってどうなのだろう


【さくちゃんち会議を終えて思うこと 宮本記】

クラス会議後のナラティブ。


宮本:数年前は、すごい赤裸々。ここまで自分の思いをはっきりとこのときの自分が出せるんだな。

板垣:同年齢保育をやったときにどう接していいかわからなかったが、このナラティブを読むと、みやもっちゃんがどう思っているか知れた。自分もそういう気持ちになるなと思う。

宮本:ここまで前のナラティブは読まない、今ゆきちゃんに読んでもらえてよかった。

石上:宮本が子どもの内側に入っていない気がした。


出すのって怖い?

宮本:今まで自分の気持ちを押し込んできた。自分をだして相手が気分を害したら嫌。

今は自分の思いを言っても、自分の性格を知っているひとが多いから言えるようになった。

もっと自分をだしてと言われると、自分の方から出せてないと思い当たる節はある。


小笠原:宮本こそ誰とでも話せる人だな~。自分の好きなことは話せるけど、緊張する人もいるよね。

宮本:上町で緊張する人はいない。けどその人の第一印象で固まってしまうこともある。保護者とか。


【寄り添うって?まゆみちゃん、みほさんのナラティブを受けて 小倉記】

キーワード 寄り添うって何だろうということを二人のナラティブから考えた。

小倉:この時に振り返れてよかった。他の人のものや気持ちを見るだけで刺激を受けて書こうと思った。


子どもとの距離感 遠・中・近

遠:遠景で捉える。(監視カメラのような感じ、注意のポイントを定める)

そこから、ぎゅっと視点を縮めていく

中:近づく 声をかける 見守る


ぐっちゃんは、遠から中へが早いのかも?

その子の世界に触れて、飲み込む それを五回やる。


及川:ぐっちゃんだな~。ぞの場にいるだけじゃ自分の存在意義がないように感じているからだろうという悩みが前からあるように感じていて、そこに真摯に取り組んでいるだろうなと。

小倉:起こすはできるけど、何かをしていないといられない。ただいるだけが難しい。


東畑開人さん デイケア いるのはつらいよ

居られない、何をしていればいいか分からないとき、何かを通して一緒にいられる

動きがうるさい保育者っているよね。乳児保育とか。

動きで、自己有用感・意義を示している。「これやっといたからね」


今回の事例は読んでいて、保育者としての自分が安心する。癒される。

恥ずかしいと思うけど、これを読むと自分も自己開示しやすい。


小倉:6年目になるのに、まだここなのか。育っててほしかったな。

みんなの得意なこととかはわかる。そこを自分で振り返って、まだここかと思う。 

ナラティブでこれを表すのか、、、。

青山:愛子さんは、すべての経験を振り捨てていく。前はそうだったけど、今はそう思わないとか。 

経験:技術はどんどん成長するけど、子どもとのことは振り返って戻っていくこと。


藤堂さん:

ナラティブから、その人がにじみ出てくる。こういう人なんだろうなって。

普段、「仕事仲間はどう思っているんだろうな」が分かりづらいけど、こう見るとこの人はこう思っていたのかが分かって面白かった。自分の周りにも、同じような人もいるなと照らし合わせて聞いていた。


香川県からのお二人:

先輩が決めてしまい、気持ちを伝えられない難しさを感じている。

聞いていて、若い人たちが自然体で自分の気持ちを言えているのがギャップだった。

青山さんのどう思う?を聞いているからなんだろうな。


青山:書けちゃうのか、話せるのか。心理的な安全があるのかな?ナラティブは不特定多数の人が見るのから、少しミーテイングに似ている。ここだから話せるもことある。

どう思う?を聞いて、しょうもない話かもしれない。話を聞くときに気を付けていることは、自分が正直であること。

誰かが自分を持ち出してくれると周りも持ち出しやすい。

悔しかった、悲しかった。誰かの語りに触れると語りたくなる。ナラティブはナラティブを呼ぶ。


安松さん:

子どもが出てこないナラティブに驚き。

職員間の信頼関係が作られているんだろうなと思った。

青山:つい出てきちゃうがあるはずだけど、、、同じ悩みとか

安松:会話の中ではでるけど、きれいにまとめたがる、突っ込まれたくないから。

独り言のように書いているけど、別の角度の会話を期待しているのかも。

宮本さんのナラティブは会議の後に書いているけど、後だしになっちゃうから「会議の中で言ってよ。」って言われるだろう。

ハレーションを生むことを書けるのはすごい。

青山:初年度の上町では、ナラティブで書けることと、保育ではちがうよねって言っているときもあった。

けれど、書きたくないことを書いていく。積み重ねをしていく。その経験があるから書けるものもある。

受容的だけの他者じゃない。



【きょうたろうくんの寄り添い方? 及川記】コメントを含む

板垣・小倉は、一人称が強いような気がするからコメントした?

ストーリーに入っている?書き方だけ?

そのあと、小倉と直接話す。

及川:ぐっちゃんの言っていることがわからなかったから。知りたい気持ちが強かった。

どういうことなのかな?こういうこと?を確かめた。


小倉:まゆみちゃんにきょうたろうという人を知ってほしい気持ちがあった。

自分の方がきょうたろうと接することが多かったから。生活面も大事だけど遊んでほしいって思った。

距離を持ったところから、思考を巡らしているから、グッと遊んじゃったほうがいいんじゃない?

及川:遊べてない思いは自分もあったから、本当にその通り。

遊びを起こす、遊ぶが分かってないのかも。楽しく遊ぶだけでいいのかな?角度を持った見方なのは気づいていたけど。

関係もほぐれていって関係が変わっていくけど、その内側に2.3歩近づき深さを持って関係性を作っていきたい。


青山:5歳だから、自分の気持ちを言葉で伝える何周かしていた。小さいころのきょうたろうの風景と重ねていたけれど、5歳で人格として浮かび上がってくる時期。

遊びを関係性を広げるのは主に2・3歳の時期。 

子ども同士の関係性になっているから、関係性の中でクリアに響いたりする。

でも、その一方でぐっちゃんみたいに「関係性からなんじゃないの?」って人もいる。

それぞれの見方が見えてくる。お互いが言語化してクリアになっている。他者がいてクリアになっていく。

及川:独りよがりにならないように書きたかったんだよね。


板敷:現場でも噂になる話だった。

あおとはるかとか人間関係のところ詳しく出してコメントしていて、自分の課題だった。

改めて同じユニットで過ごしているのだから、学んでいきたい。

現場ではあまり感じなくて話さないから、今後もっと話していきたいなって思う。




【すみちゃん、ないちゃう 板敷記】

選んだ理由:

よっしーのナラティブ、ドキュメンテーションを読んでよっしーだなってわかるけど、他と比べるとよっしーがその場にどういたんだろうが見えてこない。でも、好きなんだよな~。


青山:最初は、見方・角度が分かるけど出来事の中の登場人物になっていない。

板敷:書こうと思う時は、この子の感情を知らせてあげたいとき。

あと、上町にいて学んだこと、発達など具体とその専門的な話が出てきたときに書きたいって思う。抽象的なものと結びついているとき。

青山:他の視点から行くと、自分の情動にフォーカスしないのってこなれてきたのかな?

板敷:情動が揺れなくなってきたな。環境で収めているのかな?事前に察知して、取り除こうとしている?あんまり、最近自分の周りで起こらない。


【ももちゃんの責任実習から 板敷記】

小笠原:よっしーの感情が描かれているから、よっしーが出てるねって思った。

板敷:普段から言えばいいのにって思ってしまった。

青山:こういう場じゃないと話せないこともあるのかな。その気持ちを言語化できてない中で「言ってよ」は人間関係なのかな?

板敷:最近うまくいっているな~と思う一方で、起こさなきゃがなくなってきている気がする。

自然と予測できちゃうけど、どう崩していく?

小笠原:言葉を飲み込んでる。私でも、新人の方が面白かったよねって思う。

板敷:知らないふりをしたくない。楽しくないって感じちゃうから。目をつぶらない自分ってどうしたらいいんだろう。

青山:それぞれに破り方は違う。極端なことをした方がいいのかも。

板敷:空想上の遊びが苦手、いかに自分が楽しめるか。

青山:宮本亜門は対話的に演出の話をしている。帰り道の沈黙。あー言い過ぎたかなとか、もっと言い返せばよかったなど考える。そこで自分に気づいて、次の日にまたその人に合う


告知:10月12日㈯、ほいくnestオープン企画第3弾「振り返る保育者たち」を開催。

対面は佐渡島の沢根保育園にて実施。オンライン10名限定。

お申し込みはこちら https://peatix.com/event/4124781/view



自分を出すって勇気がいるもの。
そこを文章として出していくことで、それを見た他の人が勇気づけられたり、「自分を出してみようかな」と心が動いたり。
また、同僚間でも子どもへの見方やアプローチが違うことなどを対話することで、自分の保育がくっきりしてくるように感じました。
そして、他園の方々と話すことで、さらに対話の重要性を感じる会でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?