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園内勉強会「わたしたちのナラティブツリー」05
テーマ「ナラティブのケアと呪い」
ナラティブの共有をすることで、
その人が書いて、それを読んで知っている。知ったからと言って解決するわけではないが、知っておくことで、何が起きていたのかどういうふうな思いで保育にはいっているのかが分かる。
書くことで誰かに委ねられる、聞いてもらうことですっきりする。一人で書いて、一人で終わることではない。
上町の中では、直中毒になることもある。
言葉は強くて厄介な存在にも見える。
ナラティブは書くうちに言葉の方が強くなってしまってくらってしまう。
言葉は出なくてもやもやして、直中毒になってしまうこともある。
ケア、呪いの両方かもしれないし、それぞれかもしれない。
「聞いてください」
江口から見て、阿部のナラティブを書くことでケアするのかな?という印象。
青山:知的な人って、なかなか心情を書くことがない。これを書く時は躊躇った?
阿部:自分の内臓を出すくらいドキドキした。書くことは
入職してからナラティブが書けなかった。
青山:改行の仕方が詩みたいに見える。一文一文がこちらに強くくる。その時の気持ちがよく出ている。これを出した時、重たかった?
阿部:先に話していたので重さはなかった。
「ゆっちゃんとはるひと話したけれど」
江口:一昨日の夜中に書いたもの。ナラティブって夜の言葉が多い。夜の言葉だから、朝に見返したりして恥ずかしくなったり、朝にあげたりもする。
書きながら、言って良かったのかな?でも表情を見てほっとけなかった。でもこれをミーティングにしなくても良かったのかな、と思う。
江口:1番これで良かったのかなと思ったのはその時の場面。ここで吐き出して、ここ(園)に置いてっちゃおうという感覚。
江口、木村:書かないとずっと考えちゃう。
青山:自分は深くは考えない。書ける人は体力がある。
自分がくらっちゃた時に、何周も経験するとくらわないようにするやり方を知っていく。
「『私たちが』作り出しているもの」
江口:選んだ理由として、阿部とは対照的に呪いというワードで井上が浮かんだ。
井上:この日、ドキュメンテーションを書いた。だけど書きながら自分の伝えたかったこと、何に良さを感じたのかをナラティブに書いた。
青山:考えて書いているのか、考えながら書いている?
井上:考えながら書いている。
井上:せっかくここまで書いたのに、あげないのはもったいないと思った。ナラティブでも書いてあるとおり、今はまた違う気持ち。
井上:こんなにぐるぐるするのは井上くらい?
青山:書いた時に距離はある?
井上:距離はある。
江口:出せているものはケアになっている。
青山:なら呪いは?
井上:呪いはもったまま。どこかのタイミングで出したいなと思う。
青山:その呪いが苦しくならないの?
江口:時間が経つとなくなる。自分の旬がある。
青山:この当時ナラティブが書けなくなっていて、のは書けないというのはどういう感じ?
井上:書く時の労力がない時
江口:こどもの姿が見えていない時だと思う。書けないときは人のも読めない。劣等感かも。
井上:読めないの感覚は違うかも。やっぱり気力がなくて、言葉に触れられない。
青山:そういう時はどうするの?言葉にはできない。書けない。でも保育は続いてる。その状態はいいこと?また書くってことはその状態を続けたくないということ?
井上:やたら書けちゃう時がある。それもおかしく思える。テンションがおかしくなっているのかも。
保育者じゃない人からナラティブを見て
書けない、読めないスパンってどれくらいであるのか?と質問して、きちゃいけないものではなく、来ちゃうもの、日常にあるものと感じた。貯めていたものを、コメントとして出した、と言っていた職員がいて面白かった。
一年目の亀山、斎藤
亀山:井上のナラティブを読んで。自分も頭の中でぐるぐるしているけれど、出せていない。井上とは出し方が違うんだなと感じる。
斎藤:出さなきゃ良かったと思うことはありますか?という質問があり、
出せないなと思っている。綺麗なものしか出せない。
オンライン内でのトーク
いわゆる保育記録は書ける。もっと書かなきゃという思いの強さはあるけれど、まだ呪いやケアに至っていない。
出したらどう思われるのかな?というのはどういうきっかけがあるのかなどは気になる。
時間がなく取り上げられなかったもの
物語としての保育記録 概論(発達167)
子どもの文化学校 保育と文学
ケアと呪いというテーマで語り合った今日。
ナラティブと一言で言っても、人それぞれ全然違った感覚があり、似ているところもあり。
やはり自分を持ち出さざるを得ないのがナラティブで、持ちだした自分に対して落ち込んだりもするけれど、ナラティブが保育を作ってくれる。子どもに出会わせてくれる。
ナラティブの価値をまだまだ私たちで見出していきたいと感じています。
全5回、たくさんの対話の場をありがとうございました。
また来年度も企画いたします。来年度もぜひよろしくお願いいたします!