ずれと、間(上町しぜんの国園内勉強会01から) 記:青山誠
上町しぜんの国の青山誠です。
上町園内勉強会の1回目、自分としては「ずれと、間」というのを考えせられる内容でした。
実践発表は上町の木村さんから。
ケンカのシーンをとりあげ、そこにさまざまな子ども(たまたま遊びに来ていた小学生まで)やおとなが関わるのだが、その関わりかたがそれぞれにずれていることをとりあげていました。
ケンカというとどうしても解決させたいと思っているおとなも多い中で、木村さんはケンカにおける当事者「緊張と緩和」に波があり、それがさまざまに関わる人の「ずれ」によってもたらされている点に着目していました。
木村さんにとっては、さほど「解決」が重要視されていない点、とてもおもしろく感じました。
私もたまたまそのケンカに通りかかり、少しだけ関わることになったのですが、私が意識していたのも「空気を抜く」ことでした。
なんだか張り詰めているなぁ、ちょっと空気を抜こうかな。
そんな気持ちで、ケンカとはぜんぜん関係のない話題を振ってみました。
「いくつになったんだっけ〜」
最近あまり聞かないけれども、「間抜け」という言葉がありますね。
このときの私の関わりはまさに「間抜け」だったことでしょう。
でも「間抜け」が必要な場合があるような気もするのです。
当然ながら、「間抜け」になっちゃいけない場合もありますよね。
当事者同士の気持ちがちゃんと差し向かいになって、緊張がつづいたとしても、間がぬけちゃあいけないこともある。
でもそれは、おとなが思い描くような「解決」とはまた違う気がするのです。おとなが思う解決は形にこだわるというか、「ごめんね」を言って、それ以降は後腐れなしで仲良くしなさい、みたいな。
気持ちが差し向かいになるって、謝罪を儀礼的にすることとはぜんぜんちがうんだと思います。
けんかのときに、どのような間やずれをもちこむのか、それともさらに緊張を持ち込むのか、それはもう塩梅としかいいようがないのですが、じゃあその塩梅(があってるかどうかはわかりません)をどう掴んでいるかって話にもなりました。
そこで、やっぱり隣にいる保育者はそのケンカの「緊張と緩和」に同調しているんじゃないだろうか。
あまりに力の差があるときに、どう介入しているかの話になったときに、上町の別の保育者(あさみさん)が実演してくれたのですが、
「あー、あーーーああああ!あ〜あ・・・」(これ文字で表すのむずかしいw)といいながら、間に体を入れる、と。
この「あー、あーーーああああ!あ〜あ・・・」って、文字では表現できないのですが、音声としては山なりなんです。抑揚がある。その抑揚ってなにかというと、子ども同士の興奮に同調して合わせている抑揚なのです。
同調しながら、あまりに力量に差がありすぎるときは、からだを両者の間にいれる。
この同調しつつ介入する、がとてもおもしろいなぁと思いました。
一方的に、第3者として「止める」のとはちがうわけです。
ケンカをどう解決させるか、そんなことよりも、緊張と緩和と、間とずれと、それが全体的に生み出すもの。
なかなか興味深い一席でございました。