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園内勉強会 「わたしたちのナラティブツリー」 02

上町しぜんの国保育園の宮本です。
第2回園内勉強会は、「0から5歳の異年齢保育ってどうよ?」というテーマで行いました。

上町のもとになっている普段の風景
「子どもの声に耳を澄ませる」
家族ユニット 大家族のような暮らし

・赤ちゃんがいると、集まってくる
・距離をとりながら、間柄をとりながら関わっている
・赤ちゃんっていうのを確かめながら
・子どもは自分で身体を調整している
・ユニットはメンバーが変わらない、赤ちゃんの時からいっしょ
・横の関係もある
・時計がない。5年経った時に予測が経ってしまう。子どもの時間(予測が立たない)で過ごしてみる。
・この空気感、大人が見てなくてもいいよね、という間柄をいどばたで感じる

〇青山さん
異年齢しかできないと思っていた。
公園、自然環境もあまりない。人為的に作られた街で、人為的に保育を作ってしまうのはどうなのだろう
斜め上の、偶然が起きないように、安全管理をした中での保育
事象、起こっちゃうことがないって怖い
13時間開所。ずっとしてばかりいられない。横のつながりで過ごす時は“する“
混沌を作り出す。混乱ではない。
個々の強度がないと混乱になってしまう。民主主義になってしまう(仲良しを作る)間に子どもが抜け落ちる。自分の言葉がなくなる。
・20人だと共同思考性が生まれやすい。30だときついかも。20が適当、限界?

〇エピソード
「えまちゃんって言った」
この出会いの瞬間に、大人がそこにいられることがすごい。
お世話でなく贈与
えまと萩原さん、いっしょに心が動いた。

〇「まっちのこと好きなのかも」
言葉じゃなくて、身体的な世界で感じる。
まっちは、そうくんと同じ身体感覚に落ちている(前日は椅子から、自分より小さい子を引きずり下ろしていた
自分の手を握ってくれた。まっちは“他ならぬ自分“という存在も認識している。

・自分が固有名詞として認識された瞬間って嬉しい
初めて名前を呼ばれる瞬間。
キッチンさん「給食の人」だったのが「あかねちゃん」
1人の人として固有の存在となる。あなたとわたし。
・同年齢と異年齢の比較
同年齢は、“する“を通して、共同思考性を通して生まれる。
異年齢は“する“を共同でできないから、いっしょにいる時間で共同思考性を生み出す。
崩壊しないのは、何かしらの共同思考性があるから。

・ついお世話をしちゃうなど、色々な出番(役にたつ瞬間)がある。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんなんだから」と言っちゃうと、一般名詞の存在、役柄にまつわる義務や振る舞いに大人が当てはめてしまう。
本当は、やってあげたくなる。これが自然発生的に起こる。

麗しい話?
子どもって優しい、とかいう話ではない。

〇「にれの顔は面倒くさいって言ってた」
にれらしい。すいはお世話してあげたい。にれだからする表情。
・都合不都合の話
不都合の調整。今はやめてほしいとか、こう動いてほしいとか、
同年齢の振り返りの中で、大人と子どもが際立つ、とあった。
異年齢だと、小さいことから大きなことまで、不都合も生まれる。
日常的に、都合不都合が生まれている。
・二者関係じゃない
・同年齢だと、大人と子どもの不都合になるから、大人の振る舞いや、こちらの受け取り方で決まってしまう。

・粗密を繰り返している。
・自然状態だと、2〜5人で遊んでいる。共同思考性の中で。

藤堂さん
・大人が子どもに望む姿を押し付ける場面ってある。子どもに手放したい場面。
同年齢の世界だと大人が強いと聞いて、保育者をうすくするには、異年齢保育した方がいい?同年齢でも保育者の関わりで変えられる?
→大人がどう登場するか。大人って保育の中でどういう存在?
ののはなの保育の中の大人
安藤
・先生と呼ばれなくなって、楽になった。先生って呼ばれると、先生にならなきゃいけないと思ってしまう。子どもより上にいる感じに違和感。
子どもと近くなった。

・子どもが際立って見えてこない。クラスの中の子どもっていう感覚。
固有名詞としてそこにいるようになって、みんなそれぞれその人。(⚪︎⚪︎クラスの〜ちゃんではなく)

・保育の中での自分ってどんな人?
大人を消せることってない
個が弱い?という投げかけに対して、自己表現するって結構勇気がいる。
異年齢の危うさって、大人の存在

テーブルトーク
・先生って、誰に対しても通じる言葉。
・〇〇先生って呼ばれる、自分じゃなくなる感覚。
子どもといる自分が好き?自然な自分になれる。
大人といる時って自分を作っている。子どもといると自分が表されちゃう自分
・インファンス(言葉を持たない人たち)
子どもってそんな存在。子どもという言葉を使って、教育の対象にしてきた。
違う名指し方にしたら、大人の存在って変わる?
・個であると同時に、大人としての役割が必要になってくる?(編集者からすると)
・阿部ちゃんのエピソード、十分保育者だなって思う。
・園の外で子どもに会うの苦手。こんなちっちゃかったんだ。保育の中で子どもって思ってない
子どもとして対象化している。
・ダンスをしてたときの自分と、保育をしてる自分が違う?
他者の眼差しを通して自分をみているから?
藤堂さん、踊ることが当たり前、日常になってきている。
・子どもとの距離感が近くなってきて、「れい」になってきた。
・友達でいたいと思っている。距離感の作り方を考えるって友達という感覚に似ている。
・先生という仮面でなく、自分として発した言葉や行動。だからこそガーンとくる。
・ありのままの自分って?
・ナラティブの呪い。子どもといる自分が自然と感じたとき、存在承認、存在否定になってしまう。

〇他園の保育者だけでなく、現場から少し遠いところにいる人、資格を取ろうとしている人など幅広い視点からの意見があり聞いているこちらの視野も広がる回でした。


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