束縛から離れたかった私。
私、akikoは1963年生まれ。なんと昨年還暦を迎えてしまいました。
北海道の道南の漁師町で生まれました。海の幸が豊かな土地と時代でした 。
母親はバイタリティーあふれる人でした。父親は良識ある人でした。
私は大人しい性格で、両親にたてつくこともなく、特に母親に対しては意見も言わず言われるがままだったと思います。なぜなら私が意見を持つことをとても嫌がったように感じたからです。いや、子供の私に意見されることが嫌いだったのかもしれません。
幼い頃から手先の器用だった私は、早くから美容師になって自分で経営者になることを決めていました。中学の頃は、「この家を出なければ、私はダメな人間になってしまう。」と思い、美容学校は実家から遠く離れた寮のあるところ、そして修行するお店は住み込みであること。そんな環境に強制的に自らの身を置こうと決めていました。
人の中で揉まれなければ成長はない、と、そう思っていました。
18歳で念願の札幌の美容学校に入学。寮生活をしながら学び、そしていじめや揉まれながらも友達にも恵まれました。
卒業後、初めて勤めたお店は、またとても良い先生、先輩で、技術だけではなく、いろんな事を面倒見て教えて下さいました。
「この人たちは信じて良いのではないだろうか?」と自分の感情の判断が初めてできた時のような気がします。
なぜこのように思ったか。それは母親に子供のころから「他人を信じたらだめ。親以外は信用できないからね。」そう言われながら育ってきたのです。当然子供は親が一番正しい。特に母親の言う事、教えることは正しい。間違いがあるとは露程も思わないですよね。御多分にも漏れず私もそうでした。
札幌で5年半修行し、東京の名店に入店でき、そこでみっちり技術を学びました。数店舗を経て2009年東京杉並区に自分のサロンをオープンすることができました。しかし、ここでも母親が深く関わってきて、自分で納得いくよう始めから最後までやり遂げたという訳ではなかったのです。
言われるがままに・・・・。どこか不完全燃焼でした。
当時はまだわからない何かの束縛から逃れたく、親から距離を置いたものの、縛られていると感じる心の束縛からは、逃れるのはなかなか容易ではありませんでした。