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【夏休み旅行記①】クッキーと鷺草

ブーメランのように角度を変えた台風の進路を気にしつつ、先週末、母と子供たちを連れて、夏休みの旅行に行ってまいりました。

今回の第一の目的は、千葉に住む伯母に会うこと。

伯母と母は、元々、世田谷で生まれ育ちましたが、伯母は千葉に、母は九州に、と、それぞれの嫁ぎ先の関係で遠く離れてしまいました。
それでも伯母と母の両親である祖父母が存命の頃は、何かと行き来していたのですが、十五年ほど前に祖母が亡くなってからはめっきり会う機会が減っていました。

今年のお正月、伯母が卯年生まれの年女、ということでふと年齢を考えたとき、若干不謹慎ですが「私が今度おばちゃんにあうのは本人のお葬式かもしれない」と思ってしまったのです。
そんなの、つまらないなあ、と。

そして、私の子供たちは、小さい頃に会ったきりの伯母(子供たちには大伯母)のことをろくに覚えていませんでした。

伯母は、私の子供たちにも心を寄せてくれて、お誕生日や入学などの節目には何かと心尽くしの贈り物やお手紙などをおくってきてくれていました。

だから、子供たちは「千葉に親戚がいる」という知識はある。だけど、生きて血肉の通った人間としての認識はしていない。
きっと伯母さんが亡くなったら、子供たちはあっという間に忘れてしまうのだろう、と。
それは、さびしいなあ、と。

今のうち、まだ間に合ううちに、子供たちの心の中に、おばちゃんとの思い出を刻んでおこう、と思い立ったのです。

私たち家族の住んでいる地域から千葉までは、それなりの距離があります。
朝、6時過ぎに自宅を出発し、飛行機と電車を乗り継いで、お昼過ぎにようやくたどりつきました。

すさまじい暑さの中で老人と子供を連れての珍道中で、へとへとだったのですが、出迎えてくれた伯母を一目見た母が「おねえちゃーん!」と、まるで童女のように叫んでヨタヨタと(気持ちは若いが、寄る年波で足腰は弱った)駆け寄っていったのをみて、ああ、この旅行、計画して良かった、としみじみ思いました。

伯母は、高齢ですが元気で、明るくほがらかな人柄は昔のままに歓待してくれました。
伯母も、私の子供たちに自分が生きているうちに会う機会はもう無いだろうな、と思っていたそうで、殊の外喜んでくれました。

伯母は、子供の頃の私にとって「なんでもできる魔法使いみたいなひと」でした。
お泊まりに行くとパンやクッキー作りを手伝わせてくれ、入園入学時の袋物やお人形のお洋服も私のリクエスト通りに作ってくれました。
母はそういうことはしない人なので、おばちゃんってすごい!と憧れていました。
大人になってから想像するに、母は、六歳年長の姉である伯母が何でもやってくれるのに甘えていたのだろうなあ、と。(一応、名誉のために言っておくと、母もやろうと思えばできたらしい。ただ、ちゃっかりとやってもらっていたようです。)

伯母は、今までこどもたちに、とハンドメイドの布小物(伯母と同じく魔法の手を持つ従姉の作品)と一緒に、お手製のチョコチップクッキーを贈ってきてくれていました。
子供たち、とくにかめくんは「ちばのおばちゃんのくっきーは、げんきのでるあじだ」と大好物でした。
そして、最近は年をとって辛くなったから、と控えていたのに、私たちが来るというので、何年振りかしら、といいながら、クッキーを焼いてくれていたのです。
八十半ばの伯母の焼いてくれたクッキー、本当に元気の出る味でした。

伯母と母が、それはもうスズメかインコか、というくらいにしゃべり倒しての帰り際、庭に咲いている鷺草を見せてもらいました。
伯母と母は小さな白い鳥の形をした花に珍しく黙って見入っていました。
もともと世田谷の伯母と母の実家の庭に植えてあったものを持ってきたそうです。その庭は、今は代替わりをして家を建て直したのでもうありません。
私にはわからない古い古い思い出を共有しているのでしょう。
伯母も母は、元々よく似ているのですが、年を取ったせいか、私の記憶にある祖母にそっくりになっていて懐かしかったです。

バスに乗った私たちをいつまでも手を振って見送ってくれた伯母。
せめてもの親孝行に、また、母を連れてこないとなあ。

子供たち、「ちばのおばちゃん」にちゃんと会えて良かったね。しっかり覚えておくんだよ。
おばちゃん、私や子供たちにまでたくさんの愛情をありがとう。元気でいてね。

※鷺草は、世田谷区の花。常盤姫という美しさ故に妬まれて讒言にあい、自害した姫に所縁の花です。その伝説は、九品山浄真寺の「さぎ草物語」をごらんください。