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【詩歌の栞R6+雑記】10/27 子供の頃からなぜか惹かれてしまう「妙円寺詣りの歌」

あ、鎧武者。

爽やかな秋晴れの空の元、旗指物を掲げた鎧武者が赤信号で停車した私の目の前の横断歩道を渡って行きました。

幻影でもホラーでもありません。
10月の恒例行事、妙円寺詣りの通り道だっただけです。

1600年、関ケ原の戦いで豊臣方として戦った島津勢は徳川方の敵中を突破し帰鹿を果たしました。
その苦労をしのび、関ケ原合戦の時期に合わせて義弘公を祭神として祀る伊集院の徳重神社まで徒歩で参拝する行事です。

もちろん、陣羽織や甲冑などで装うのは一部の方で、普通の参加者はごく歩きやすいウォーキングスタイルですので、誤解無きよう。

鹿児島市内から神社までは約20㎞。
陽気のいい時分ですし、坂道はありますが、多くの人が無理なく参加できるレベルの距離だと思います。
市内の多くの小中高でも実施されていて、私も何度か参加しています。


妙円寺詣りの際に歌われる歌というのがありまして、小学4年生の時に覚えて以来お気に入り。
今は、騒音に配慮して静かなものですが、私が小学生の頃は鳴り物入りでこの歌を大声で歌いながら歩いたものです。
普通は、一番と二番ぐらいしか歌いませんが、私は二十二番まである全歌詞覚えていたので、変人扱いされていました。

関ケ原の戦いにおける島津軍の勇壮で悲しい戦の全容が語られます。
下に抜粋してご紹介します。
太字が歌詞で、付された番号は歌詞の番号です

妙円寺詣りの歌

1.明くれど閉ざす 雲暗く
薄(すすき)刈萱(かるかや)そよがせて
嵐はさっと吹き渡り
万馬いななく声高し

秋のどんよりとした関ケ原のイメージ、そこに軍馬がひしめきあっている様子が目に浮かぶ第一番。

2.銃(つつ)雷(いかずち)と とどろけば
太刀稲妻と きらめきつ
天下分け目のたたかいは
今や開けぬ関ヶ原

鉄砲の銃声轟き、抜き身の太刀がギラリと光り、いざ、開戦です

その後、石田光成、井伊本田との戦いを経て、とうとう小早川の寝返りが起こります

6.戦い今やたけなわの
折しも醜(しこ)の小早川
松尾山をかけくだり
刃(やいば)返すぞ恨めしき

情勢が一気に覆り、追い詰められていく島津勢。
その中で維新公(島津義弘公)の檄が飛びます

10.かかれ進めと維新公
耳をつんざく雄叫びに
勇隼人の切先の
水もたまらぬ鋭さよ

鬼神をも挫く剛の者揃いとはいえ、多勢に無勢の不利は覆せず、戦いの趨勢は決しました。
この窮地を脱するために選択したのが正面からの敵中突破。
壮絶な<島津の退き口>の始まりです

12.運命何れ生か死か
ここを先途と鞭ふるい
奮迅敵の中堅に
活路(みち)を求めてかけ込ます

襲い掛かってくる敵兵をなぎ倒し切り払い、次々と倒れゆく味方、まさに修羅の道です。

そして、総大将である義弘公を逃がすために、激戦地烏頭坂において甥の島津豊久が、牧田上野では老重臣の阿多長寿院盛淳が<捨て奸(すてがまり)>を敢行、命を落としました。

16.骸も染みて猩々緋
御盾となりし豊久を
見るや敵兵且つ勇み
群り寄する足速し

17.賜いし御旗ふりかざし
阿多長寿院駈け入りて
兵庫入道最期ぞと
名乗る雄々しき老いの果て

その後も猛追する井伊直政軍と激しく交戦し、伊勢路から薩摩へと落ち延びることができました。

22.無心の蔓草(つるくさ)今もなお
勇士の血潮に茂るらん
仰げば月色縹渺(ひょうびょう)と
うたた往時のなつかしや

最後は、往時を偲ぶ場面で終わります。

各種関連本のご紹介

島津氏とはどのような一族なのか、なぜ、島津義弘公が西軍についたのか、こんなに少ない軍勢で参戦せざるを得なかったのか、また、戦終結後の後始末については、これらの本で学ぶことができます。

図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル/新名一仁:編著/戎光祥出版

「関ヶ原」の決算書/山本博文:著/新潮新書

見出し画像は、「図説 中世島津氏」の装丁部分を拡大しました

お次はフィクションです。
烏頭坂で散った島津豊久が異世界転生する漫画、ドリフターズ

ドリフターズ/平野耕太/少年画報社

「歴史街道」平成28年11月号総力特集「島津豊久薩摩武士の魂とは」より

この漫画のおかげでほぼ無名だった豊久が脚光を浴び、お墓参りをする方も増えたそうです。
今7巻まで発売されてまだ完結していませんが、異世界でも敵中突破してました。

さて、関ケ原の戦いの一連の経過をつい軍記物語のように扱ってしまいますが、実態としては戦争、すなわち血腥い殺し合いです。
「捨て奸」も要するに少数部隊で踏み止まり全滅するまで抵抗し、時間を稼いで本体を逃がす戦術ですから、旧日本軍の全員玉砕と発想が近いことを考えると、美談扱いするのも悲劇扱いするのもいかがなものか、と自戒しつつ、つい惹かれてしまうのはなぜなのでしょうね。

この自己犠牲を美談化する危うさを秘めつつも、はせがわゆうじさんの「こころの森」を読んだとき、妙円寺詣りの歌が響いてきて泣けました。

こころの森/はせがわゆうじ:著 /ウォーカーズカンパニー

いざ、敵中突破!

お母さんを恋しがる子犬のちびのために、動物園からの脱走を手助けする7匹の動物たち。
一匹、また一匹と追っ手を食い止めてちびを逃がすためにひた走ります。

ライオンさんとトラさんの<捨て奸>。読み聞かせするたびに泣けてくる

<勇敢さを讃えるその先を考えたい>

息子・かめくんが、小学校に入学し、初めて妙円寺詣りに参加するとき、由来を教えた私に「どうして戦争になったの?」と尋ねました。
「どちらが日本を治めるかを決めるため、かな」
と、簡単に答えたのですが「(どちらが国を治めるかは)じゃんけんで決めればよかったのにね」との感想でした。
講談師のごとく無駄に熱を込めて語っていた自分を顧みる羽目になりました。

ただ、今でも戦の愚かしさ、悲しさを思いながらも、全身全霊で今置かれた運命に抗って戦った姿には、畏敬の念を覚えます。

関ケ原から約400年
私たちは、国内にせよ国外にせよ、意思決定の主導権を武力に寄らない方法で得る方法をきちんと身に着けてこられたのでしょうか。

そんなことを思いながら、海外の戦争の報、米国の選挙戦の趨勢、我が国の選挙速報を聞く夜です

おまけ:妙円寺詣りの歌 全文

1.明くれど閉ざす雲暗く
薄(すすき)かるかやそよがせて
嵐はさっと吹き渡り
万馬いななく声高し

2.銃(つつ)雷(いかずち)ととどろけば
太刀稲妻ときらめきつ
天下分け目のたたかいは
今や開けぬ関ヶ原

3.石田しきりに促せど
更に動かぬ島津勢
占むる小池の陣営に
鉄甲堅くよろうなり

4.名だたる敵の井伊本多
霧にまぎれて寄せ来るや
我が晶巌ら待ち伏せて
縦横無尽にかけ散らす

5.東軍威望の恃みあり
西軍恩義によりて立つ
二十余万の総勢の
勝敗何れに決戦や

6.戦い今やたけなわの
折しも醜(しこ)の小早川
松尾山をかけくだり
刃(やいば)返すぞ恨めしき

7.前に後ろに支えかね
大勢すでに崩るれど
精鋭一千われひとり
猛虎負嵎(もうこふぐう)の威を振るう

8.蹴立てて駒の行くところ
踏みしだかれぬ草もなく
西軍ためにきおい来て
なびくや敵の旗の色

9.家康いたくあらだちて
自ら雌雄を決っせんと
関東勢を打ちこぞり
雲霞の如く攻めかかる

10.かかれ進めと維新公
耳をつんざく雄叫びに
勇隼人の切先の
水もたまらぬ鋭さよ

11.払えば叉も寄せ来たり
寄すれば叉も切りまくり
剛は鬼神を挫けども
我の寡勢を如何にせん

12.運命何れ生か死か
ここを先途と鞭ふるい
奮迅敵の中堅に
活路(みち)を求めてかけ込ます

13.譜代恩顧の将卒ら
国家(くに)の存亡この時と
鎬(しのぎ)をけずる鬨(とき)の声
天にとどろき地にふるう

14.篠を束(つか)ねて降る雨に
横たう屍湧く血潮
風なまぐさく吹き巻きて
修羅の巷のそれなれや

15.薙げど仆(たお)せど敵兵の
重なり来たる烏頭坂
たばしる矢玉音凄く
危機は刻々迫るなり

16.骸も染みて猩々緋
御盾となりし豊久を
見るや敵兵且つ勇み
群り寄する足速し

17.賜いし御旗ふりかざし
阿多長寿院駈け入りて
兵庫入道最期ぞと
名乗る雄々しき老いの果て

18.欺かれたる悔しさに
息をもつかず忠吉ら
くつわ並べて追い来しが
返す我が余威また猛し

19.牧田川添いひと筋に
行く行く敵をけちらして
駒野峠の夜にまぎれ
伊勢路さしてぞおち給う

20.献策遂に容れられず
六十余年の生涯に
始めて不覚をとらしたる
公の無念や嗚呼如何に

21.興亡すべて夢なれど
敵に背(そびら)を見せざりし
壮烈無比の薩摩武士
誉は永久に匂うなり

22.無心の蔓草(つるくさ)今もなお
勇士の血潮に茂るらん
仰げば月色縹渺(ひょうびょう)と
うたた往時のなつかしや

うたた往時のなつかしや