【読書日記】5/19 G7広島サミット②「暴力は絶対だめ!/リンドグレーン」
暴力は絶対だめ!
アストリッド・リンドグレーン(話) 石井登志子 訳
岩波書店
今日は、各国首脳が広島の原爆記念館を訪れて慰霊を行ったそうです。
さて、昨日の「なぜ、戦争が亡くならないのか」という同じ疑問を約半世紀前に呈したのが長くつしたのピッピのリンドグレーンさん。
リンドグレーンさんは、その問にひとつの答を提示してくれています。
それが、「こどものしつけに暴力は不要」ということでした。
1978年にドイツ書店協会平和賞授賞式で行ったスピーチが本書。
このスピーチがもとになって、スウェーデンでは,世界ではじめて子どもへの体罰を禁止する法律を定めるきっかけにもなったといいます。
スピーチの冒頭を、今、このタイミングでご紹介するのには皮肉がききすぎているかもしれませんが。
リンドグレーンさんは、人類が新しい戦争の脅威にさらされていること、そして多くの人々が平和や軍縮のために活動していることについて述べたうえで、こう語ります。
これは、1978年のスピーチです。念のため。
リンドグレーンさんは、冒頭の現状を受けて「人類が何千年にわたって戦争をしてきたということは、人間の本質に何か設計ミスがあるのではないかと、自分自身に問うべきだ」と続けます。
「手遅れになる前に、人間は生れ変わることはできないのだろうか」と。
その答えが「子どもたちと一緒になって、根本から始めなくてはならない」ということ。
「人は自分が愛する人からのみ学ぶものである」というゲーテのことばを引用し、「自分のまわりの人すべてに対する愛情深い接し方を親から学び、これを終生持ち続けること」その子供が、「世界の運命を決定するような人のひとりになるのなら、わたしたちみなにとって幸運なことだ」と
子どもを育てるときに、体罰という名の暴力を使っていないか、と問いかけます。
体罰がなぜいけないかというと、そうして育てられた子供は、問題の解決方法として「暴力」という手段がある、と学んでしまうから。
「物事を解決するには、暴力以外の別の方法があるということ」を、自分の家庭で示さなくてはならない、それが、「少しずつであっても世界平和に貢献できるかもしれません」とスピーチを結んでいます。
本当にその通りなのです。
しつけとしての体罰がいけない理由が「問題の解決方法として、腕力を使う、という手段を教えてしまう」ということは私には無い発想だったので驚くとともに納得しました。全面的に賛成です。
ただ、ひとつだけ。
自分を振り返って考えると、子育ての場面での正論って時々、しんどい。
私は、向学心だけは無駄にあるので、どうしたら子供を健やかに、そして可能性を伸ばしてやれるのか、と育児・教育の本を読んだり、先生方のお話を伺ったりして、御説ごもっとも、大賛成です、私もそうしたい、といつも決意を新たにします。
しかし、私の未熟さゆえか、うまく実践できたためしがありません。
些細なこと(親から見れば。)で延々と駄々をこねている幼児を相手に万策尽き果てているときなど、正論も一般論もいらない、今、目の前にいるこの子をどうしたら良いのか教えて欲しい、いや、やってみせてくれ、とずっと思ってきました。
結局、どうしたら良いのか正解が見えないままに、年月が流れて、今度は思春期の反抗期、どうしたものか、と頭を抱えます。
まったく手を出さずに子育てするのは、至難の業だなあ、と思います。
特に、親に余裕(身体的、精神的、金銭的)がなければ、さらに難しくなります。
保護者が、子どものために良いことをしよう、と真面目にがんばろうとすればするほど余裕がなくなっていきます。
たとえば、仕事終えて子供引き取って家に着くのが8時過ぎなのに、子供の成長のためには9時には寝かせましょう、とか。それを大真面目にこなそうとしていたから、そりゃ余裕ないですね。こどもたちにも申し訳なかったなあと。
話がそれましたが、子どもを体罰も含む暴力にさらさずに育てるためには、親だけでは必要な余裕が確保できないということ。
親自身も、もう少し肩の力を抜いても良いのでは、と思うし、周りもそれを許してあげてほしい。
今、子供がいない人たちも含めて、身内や職場、地域で子育てに対して寛容な社会にしていきたいですね。
それが、私たちが心から願う世界平和につながるかもしれないのですから。