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【読書日記】3/11 黙祷。「わたしの木、こころの木」

わたしの木、こころの木
 絵・文 いせひでこ 平凡社

 暖かく穏やかな昼下がり、仕事をしていたら、長く長くサイレンが鳴りました。ああ、もうそんな時間か、と手を止めて黙とうを捧げつつ、あの日から12年経ってしまっていることを考えます。

 今日開いた絵本は、木をテーマにした本を多く描いているいせひでこさんの「スケッチ帖からこぼれでた12の記憶と木をめぐるおはなしのタネ」。
やさしい色合いの絵と言葉で人と木を中心とした自然との交わりを描いています。

その冒頭と最後は、亘理吉田浜に、津波で根こそぎ倒され流されてたどり着いたクロマツのことばです。
 震災の日から本来人目に触れることのない根っこの裏側をあらわにして横たわったまま枯れ果てていくクロマツ、防風林となることを夢見ていたかつてのことを思い出しているクロマツ。
 3年後、荒れ果てた枯草色の大地に菜の花が黄色い花を咲かせるのを見つけて、乾ききった目から涙を流すクロマツ。
 昨日の本「災害と生きる日本人」で、「幸い」とは「さきはう」であり、未来へと続くことを願い寿ぐことばと知りました。
 荒れ地にも再び花が咲き、倒れたクロマツは大地へと戻り新たな根を生やそうとしている。
 絶望と慟哭からの救済と希望。

干支一回りの年月が過ぎました。子供は育ち、大人は年老い、自然は?街は?社会は?
私は、この年数を使って何をなしてきたのだろう。不甲斐なさに情けなくなります。
仕事は目の前のことで手一杯で悔やまれることの方が多い。
子どもたちは大きくなったけれど、それを私の手柄とするのは、精一杯育ってきた子供たちに悪い。

と、いう悩みは私だけではないのか、「ケヤキ」の章では、次のような一節が。

板一面のしましまもようは
この木がすごしてきた歳の数。
線と線のあいだにあるのはケヤキの一年。
どれひとつ同じではない 春夏秋冬。
気圧配置図のように 明快に
島を浮かべた海図のように 物語に満ちて
人はこんなふうにはっきりと
自分の一年を示すことができるだろうか

わたしの木、こころの木「ケヤキ」から

私の年輪は強いて言えば読んだ本。私が読んだ本は、心の中に頭の中に層となって私の中に積もっていく。それを、周りの人のために活かすことが出来ればなお良いけれど。

さて、本書には他にも素敵な木の話がたくさん。

五歳の女の子と桜の季節に生まれたクマの「はなこ」の話。
地面の下のけなげな根っこのこどもたちの話。
台風の後に庭にあらわれた「たぬ木」
こむずかしい話のすきなおじいさんとどんぐりの話。
森の大王ブナ、とやんちゃな子熊の話。

大自然の前では人はちっぽけなもの。人はどうあるべきか、自然とどう向き合うべきかについて目を背けず考え続けていくこと、やるべきことは四の五の言わずに実践すること、そんなことを改めて思う3月11日です。