カメ郎が亀になった理由
真っ暗な闇の中を呆然と歩く
時計は深夜1時を回ったくらいだろうか。
僕は1人、渋谷の街を明治通り沿いに
とぼとぼと歩いていた
明日も朝早くからやらなければならない事が
山のようにある。
タクシーを捕まえて、1秒でも早く帰って
少しでも疲れをとったほうがいいことくらい
頭ではわかっていた。
でも、そんな気分になれなかった。
明日という日が来ないでほしい。
明日も明後日も、その先も、僕に
未来が訪れないことを、心から望んでいた。
目を閉じればすぐに眠れるくらい
体は全身疲れ切っていた。
全身の血の気が引いて、足に力が入らない。
視野が狭くなり、街灯や店の看板の光で
明るいはずの渋谷の街が、僕の目には
真っ暗に映っていた
すれ違う人たちの声、道路工事の音、車の音
聞こえてくるはずの街の音が聞こえない。
まるで、真夜中の海底にいるかのように
不気味なほど静かに感じた。
なぜ、、、
こんな事になってしまったんだろう。
なぜ、、、
なぜ、、、、
なぜ、、、、、
僕は、心の底から絶望していた。
ほんの少し前まで僕は、一般的に
世の中の人が憧れるような華やかな生活を
送っていた。
東京都心に、いわゆるITベンチャーっぽい
おしゃれなオフィスを構えて
約30人くらいのスタッフとともに
会社を大きくしていこうと日々奮闘し
芸能人が何人も住んでいる
都内の高級タワーマンションに住んで
280万円で購入した高級ベッドや
80万円の照明や
120万円のダイニングテーブルなど
豪華な家具に囲まれて毎日を生活して
週に3~4回は取引先などとの会食があり
高級な料理やワインを楽しんで
キャバクラでシャンパンを開けまくって
ウェイウェイして
年に3~4回行く海外旅行は
当然のようにビジネスクラスで往復し
カジノで勝ったり負けたりしながら
豪快に遊んでいた。
自慢のメルセデスベンツ Sクラスに
10歳も年が若い可愛い女の子を乗せて
レインボーブリッジを走っている時
「俺は完全に勝ち組だ!」
そう確信し、有頂天になっていた。
その時はまだ、僕がこうして亀になる
ことなんて、全く想像もしていなかった。
今思えば、その運命は
僕の家庭環境に起因していたのかもしれない。
普通の家庭に生まれ育って
僕、カメ郎(かめろー)が生まれ育ったのは
東京の下町と言われる地域だ。
港区や世田谷区のようにお金持ちが
多い街ではなく、贅沢する余裕はないけど
貧乏というほどでもない
いわゆる普通の家庭が多い街だった。
僕のウチも、まさにそんな感じの家庭で
めちゃくちゃ贅沢した、という経験もないが
特にお金がなくてすごく苦労したという
経験もしたことがなかった。
実際に、私立高校にも行ったし、
大学にも行かせてもらえた。
両親から愛情をたっぷり注いでもらったし
何不自由ない暮らしをさせてもらった。
あとで触れることになるが、おそらく
この普通過ぎる家庭で育ったことが
今、僕が亀になることになった
一つの理由になっていると思う。
そんな普通だらけの僕の幼少期だったが
一つだけ、とても輝かしい栄光がある。
それは、小学校で一番足が早かったことだ。
学年で1番運動神経が良かった僕は
サッカーをやっても、野球をやっても
水泳でも、もちろんリレーでも
何をやっても圧倒的な存在だった。
当然、男子からも女子からも人気で
クラスの中心的なポジションにいたと思う。
バレンタインデーの日には
クラスの半数以上の女の子から
チョコレートをもらい
両手いっぱいに抱えて家に帰った。
初めて味わう心の隙間
そんな絶好調の僕の人生に初めて変化が
訪れたのは、中学生になった頃だった。
僕は当時
中学生にしては身体が小さい方だった。
成長が少し遅かったことも影響したのか
自慢の俊足も影を潜め、学年で
4番目、5番目くらいの微妙な感じに
なってしまった。
そして、僕にとって一番衝撃的だったのは
女の子から全然モテなくなったことだった。
モテる人生しか経験していなかった僕は
中学でも、自信満々で女の子と接していたが
ビックリするほどモテなかった。
その頃僕は、初めて気づいた。
「あ、俺って別にカッコ良くないんだな」と。
足が速くてモテるのは小学生まで。
中学では、その魔法は完全に溶けて
僕はただの勘違い野郎になっていた。
この出来事は
僕の心にぽっかりと大きな穴を開けた。
自分だけのとても心地よい特別な場所が
なくなってしまったようで
ぶつける先のないモヤモヤを抱えていた。
きっと、この出来事が僕が後に起業を決意する
1つのきっかけになったと思っている。
残念ながら女の子から
モテなくなってしまったが
学校で(ある程度)影響力のある存在
というポジションは変わっていなかった。
勉強は全くできなかったし、大嫌いで
とにかく毎日楽しいことを求めていた。
クラスの女の子とカラオケ集まって
コンビニで安いお酒を大量に買って
(当時は今ほど厳しくなかったので
未成年でもお酒が買えた)
お酒を持ち込んで
ぶっ倒れるまで飲んだりしていた。
酔っ払った勢いで女の子と
楽しいことになったりもした。
お酒という禁断の領域も
女の子という最強の関心事も
中学生に男子にとっては、超超刺激的だった!
アルバイトもできない中学生の僕らは当然
超貧乏だったので、お酒を買うお金なんて
持っていなかった。でも、いつも
同級生の女の子が出してくれていた。
当時、なんでそんなにお金を
持ってるのだろうといつも不思議だったが
いろんな理由で、持っていたのだろう。
興味深い内容だが、それはまた別のお話。
空回るモテ努力
そんな遊んでばかりの中学生時代を過ごした
僕でも、入れる高校があった。
入試の時に名前さえ書いておけば
誰でも入れるような、そんな学校だ。
高校1年の1学期の英語は
ABCDE..とアファベットから授業が
始まったのには、さすがに僕も驚いた。
何も考えずに、男子校に行ってしまった僕の
高校生活は、特筆することはない。
何も面白いこともない。
毎日のように地元の友達とバイクに乗って
遊んでた。バイクは改造するのも、乗るのも
すごく好きだった。スーパーでのアルバイトは
バイクのためにしていた。
バイクで2人乗りでデートしているカップル
を見かけると、超イライラしていた。
「単車に女乗っけてんじゃねーよ」
とか言って心の中では超嫉妬していた。
本当は僕も、バイクデートがしたかった。
バイク乗っててもモテないなぁと思った僕は
バンドを始めたりした。
当時は、バンドブームがちょっと過ぎたくらい
のタイミングだったけど、まだまだバンドの
人気は高かった。(と思っていた)
結局、練習頑張ってライブとかやっても
全然女の子からモテなくて
つまんなくなってバンドは辞めてしまった。
かなりイタめの高校生活だったが
この頃、唯一頑張ったのは
学校に休まず通うということだった。
その理由は、勉強せずに推薦で大学に
行きたかったからだ。
今更、勉強を頑張る気持ちにはなれない。
でも、男子校で高校時代を過ごして
しまった僕にはまだやり残した青春を
取り戻す必要があった。
そう、大学で女の子と遊びまくる
超ハッピーなキャンパスライフを
送るために、大学に進学したかった。
とりあえず、指定校推薦とやらで
大学に行けることになった。
大学で早速やったのは
飲みサークルの立ち上げだった。
女の子をめっちゃ集めて
超楽しいサークル作るぞ!と思った。
実際は、イケてるサークルに入ろうと
思っていたんだけど、イケてるサークルが
なかった。だから、自分たちで創ろう!
ってなって、サークルを立ち上げた。
でも、Fランクの大学で
イケてるサークルなんて立ち上がるわけもなく
夏休みの合宿を最後にそのサークルは消滅した
高校時代に夢見ていたキャンパスライフとは
全く違った、微妙な大学生活だった。
どうしたらモテるか、、、
大学生になった僕の答えは
バーテンダーになることだった。
できれば就職とかしないで
気の合う仲間で協力してBarとか出店したら
めちゃカッコいいんじゃね?
Barのオーナーってめっちゃかっこよくね?
カウンターに座った可愛いお姉さんとも
仲良くなれるだろうし、いいことありそう!
バーテンダー最高じゃん!
そんな安易な考えで、大学に通いながら
夜はBarでアルバイトをした。
もちろん、美人な女性が1人で
来店することなんて、まず無いに等しいし
そもそも、カクテル作らせてもらうまでに
何ヶ月も修行の日々が続いた。
雑用、洗い物ばっかりで、全然想像していた
カッコいいバーテンダーの仕事ではなかった。
冷静に考えればわかるようなことだが
当時の僕の思考レベルは本当に
そんなものだった。
結局、僕はバーテンダーを辞めて
普通に就活して、普通に就職した。
不純な動機で挑戦した起業
大学を卒業した僕は社会人となり
サラリーマンとしての常識を
叩き込まれていった。
土日関係なく朝から晩まで働いたり
夜中の勤務もあったりで
忙しい毎日が続いていた。
時間もないし、毎月決まった額の
給料の中でやり繰りする生活に
息苦しさを感じていた。
時間という檻のなかで
お金という鎖で繋がれた
全く自由のない人生を変えたくて
僕は起業を志した。
女の子にモテたかった。
カッコイイ男になりたかった。
お金持ちになりたかった。
起業して、成功して
お金持ちになれば、モテると思った。
その頃、本か雑誌か何かで
世の中の経営者は
技術者出身の経営者と
営業出身の経営者が多い、ということを知り
僕は営業の経験を積んでみようと思った。
そして営業会社に転職して
法人営業も、個人宅の営業も
テレアポも、様々な経験を積んだ。
日々、営業トークを磨いたり
顧客心理を勉強するなかで
DRM、つまり
ダイレクトレスポンスマーケティング
という、手法があることを知った。
それを、SNSやメルマガを利用することで
1:1の営業ではなく
1:無限の営業が可能になると知った。
インターネットを使ったビジネスの
可能性に気づき、僕はすぐに会社を辞めて
リストマーケティングをゼロから学び実践した
リストマーケティングで重要な
コピーライティングは、それまで経験した
営業の知識を多く活かす事ができて
僕はどんどん力をつけていった。
実力以上の結果
いろんな不安を抱えてスタートした
始めての起業は、意外なほど順調だった。
最初はたった1人、ノートパソコン1台で
始めた事業が、次第に自分の手だけでは
追いつかなくなり
スタッフが1人増え、2人増え
そのうちに、スタッフがそれぞれの場所で
遠隔で作業することにも限界がきて
小さな事務所を構えるようになった。
小さな実績を積み重ねていくうちに
たくさんの企業さんから次々と
お仕事のご依頼をいただくようになり
人材をどんどん増やしていった。
事務所もすぐに手狭になり
雑居ビルの小さな事務所を退去して
綺麗なオフィスビルに30人くらいが
のびのびと作業できる広くて
おしゃれなオフィスを構えた。
業績と共に、会社の銀行口座も
どんどんと資金が増えていき
見たこともないような金額が並んでいた。
銀行の担当者からもしょっちゅう電話がなり
定期預金してくれないかと頼まれたり
いろんな商品の提案もさんざんされた
取引先からも、営業で来社された方からも
キャバクラの女の子からも、友達からも
どこを歩いても、
「すごいですね!」「絶好調ですね!」
と言われていた。
「豚もおだてりゃ木に登る」
という言葉があるが
僕はまさにこの時、おだてられた豚だった
本当は誰も「すごい」となんか思っていない
ことにも気付かずに、僕はまさに
いい気になっていた。
そう。僕は全力で調子にのっていた。
お金の奴隷
飛ぶ鳥を落とす勢いで成長した会社は
止まらず、右肩上がりで業績を伸ばした。
いつしか、僕は仕事をする目的を
見失っていた。
あんなに楽しかった仕事が
つまらなくなっていた。
それでも、「すごい社長」でいなければ
いけないと思い、会社を成長させるために
毎日朝から晩まで仕事をしていた。
もっとも、最初から起業の目的などなく
モテたい、カッコイイ男になりたい
という程度の想いでスタートしていたし
幼少期に何か辛い経験をしたとか
どんでもなく貧乏だったとか
そんな苦労の過去があるわけでもない。
普通の家庭で、普通に育てられた
なんの変哲もない、ど真ん中の凡人だ。
そんな僕には、世の中を良くしたいとか
何かを成し遂げたい、現実を変えたい、という
輝かしいベンチャー経営者たちのような
確固たる理念やビジョンが僕にはなかった。
僕は、そんな薄っぺらい自分の本性が
バレてしまうのを、恐れていたのかもしれない
ダサい格好をしているのをスタッフや
お取引様に見られない方がいいなと思い
いつもアイロンがピシッとかかったシャツを
着て、ピカピカな靴を履いて出かけていた。
電車に乗っている姿もガッカリされるかな
と思い、いつも移動はタクシーに乗っていたし
新幹線でも必ずグリーン車に乗っていた。
いつどんな時にも
みんなの憧れであり、成功者としての自分で
いなきゃいけないと、勝手に思い込み
自分で自分を追い込んでいた。
窮屈で息苦しい現状を抜け出すために
もっともっと頑張って
会社を大きくしないといけない!
今は、中途半端な状態だからいけないんだ。
もっと、突き抜けよう、もっと頑張ろう。
僕はそう思っていた。
プライベートの時間など一切作らず
土日も朝も晩も関係なく、とにかく
仕事をし続けた。
気がつけば僕は、ただただ
売上を上げるだけの生き物になっていた。
先月よりも今月売上が高くないといけない
前期よりも今期売上が高くないといけない。
売上の為に働き、売上をつくる事が
僕の仕事になっていた。
成金社長の転落劇
こんな状況になるなら
お金がなくて毎月苦労しながらも
気の合う仲間と仕事終わりに大衆居酒屋で
「お通しカットで」とか言いながら
生ビールと書いてある発泡酒を
グイグイ飲んでいた時の方が
よっぽど人生楽しかったんじゃないか。
僕は本気でそう思うようになっていた。
しかし、僕に訪れる苦難は
そんなことでは終わらなかった。
わずか半年間くらいの短期間に
予想もしないトラブルが次々と起こった
思い出したくないことも山ほどあるし
現状では、まだ未解決の問題もあったり
守秘義務に関わる案件もあるので
ここで細かく記すことはやめておく。
人間関係のトラブルであったり
お金のトラブルであったり
本当に同時多発的に、問題が起こって
毎日頭がおかしくなりそうだった。
これまで創り上げてきたものが
ガタガタガタガターーーーーっと
音を立てて崩れていくかのように
あっという間に、僕は、ほぼ全てを失った。
まるで計画されたかのように次々と起こる問題に
立ち向かっていた僕だったが、いよいよ
本当に「もうダメだ」と思う瞬間があった。
前述した通り、詳しくは書けないが
その日も、大きな問題が起きて
以前から、僕が先生と呼び頼りにしていた
その分野に詳しい方と打ち合わせをしていた
2人の幹部スタッフも同席していたが
夜も遅かったこともあり2人には一足先に
帰宅してもらった。特に先生と2人きりで
話したいことがあったわけではなかった。
その日はどうしても、1人で帰りたかった。
先生と2人で、たわいのない話を数分して
僕は席をたった。
帰り際、先生が僕に
「大丈夫?」と聞いてきたのに対し
「大丈夫です」と笑顔で答えた。
それが、僕にできる最後の強がりだった
その夜、完全に心が折れた。
渋谷にある先生の事務所をあとにして
僕は一人、絶望の闇を歩いて帰った。
会社はそれまでのように存続していくことが
できなくなり、スタッフとは契約を打ち切り
事務所は解約して、規模をできる限り縮小した
実力もないのに幸運だけで成功していた
成金野郎の見事なまでの転落劇は
見ている者にとって
さぞかし愉快、爽快だっただろう。
正直、この時期の記憶は曖昧な部分が多い。
というか、もしかしたら、5年先、10年先から
今を振り返ったら、今この瞬間も
記憶がない期間に含まれるかもしれない。
それからしばらく
何もしない日々が続いた。
一応、まだ会社はあって
最低限の日々の業務があるので
1日2~3時間、仕事はしている。
それ以外の時間は
本を読んだり、映画を見たり、ジムに行ったり
ただなんとなく、時間を過ごしていた。
亀になろう
数年間、立ち止まることなく
走り抜けてきた僕にとって、
久しぶりに、人生について考える期間になった
本当にやりたいことはなんだろう
一番大事なことってなんだろう
次第に僕は、そんなことを考えるようになった
幾多のトラブルに襲われ
「もうダメだ」と何度も思うたびに
頭に思い浮かぶのは、家族の顔だった。
僕がそれほどお金を手にする前から
どんな時にもずっと僕を支えてくれている
大切な妻の顔だった。
何があっても、最愛の妻の笑顔だけは
守らないといけない。その思いは強い。
絶体絶命のピンチが訪れるまで
気づけなかったことは本当に情けないが
いろんなトラブルに見舞われて
僕は本当に大切にしたいものが明確になった。
正直な気持ちとしては
今もまだ抱えている問題もたくさんあるし
全力で走れる状態ではない。
それでも、自分の人生の方向性が
はっきりとした今、僕は再び前を向いて
歩き出したいと思うようになった。
この再起をかけたスタート切るにあたって
僕は着手する事業の条件を決めている。
・安心が担保されていること
・家族との時間があること
・楽しいこと
これらの条件を満たした事業しかしないし
運営方針も、これらを指針としていく。
つまり、派手なレバレッジはかけない。
現状では、人の雇用も考えていないし
借り入れをするつもりもない。
自分がもっと頑張れば利益が出ることが
明白であっても、プライベート中心の
ライフスタイルを崩さない。
忙しくは働かないつもりだ。
やりたいことしかやらないし
好きな人としか関わらない。
面倒な人間関係は全て切り捨てていく。
このように決めている。
とはいえ、事業を営んでいく中で
予想もしない事が起きたり、不運に見舞われる
こともあると思っている。
そんな時は、亀の甲羅に手足引っ込めて
じっと我慢して嵐が過ぎ去るのを
ただただ待てばいいと思っている。
嵐が過ぎ去ったらまた歩き出せばいい。
歩くのだって、のんびりでいい。
ゆっくりゆっくり足を前に進めて
自分の目指す先に近づいていけばそれでいい。
ノロマだと人に言われても構わない。
バカにされ、笑われても構わない。
僕のやり方で僕なりの平穏な幸せを守り続ける
だから僕は、カメになろうと思った。
カメ郎のこれから
今はまだ、具体的に先のことは考えていない。
以前のように、数値目標を掲げて
マイルストーンを作り、KPI、KGIを設定し
日々PDCAを回していく、という
ゴリゴリやる感じもどこかのタイミングで
必要になるかもしれない。
でも、今はまだ
ゆっくりスタートを切ろうと思っている。
人生は有限だし短いだろうとは思うが
凡人の僕には毎日全力で走るだけの体力はない
途中で息切れするよりも、常に一定で変わらぬ
スタイルで歩みを続けたいと思っている。
有名な実業家の方々の自伝本を読むと
どの方にも例外なく、絶体絶命のピンチは
訪れている。
その苦難を乗り越えたから今があると
書いてある。
僕の人生は、ここで終わってしまえば
ただの「成金野郎の転落劇」で終わってしまう
この経験を糧に、一回り大きくなった僕で
僕は必ずここから再起する。
その達成とは、
年収1億円稼ぐ事でもないし
たくさんの社員を雇用する事でもない
かっこいいオフィスで働く事でもないし
誰かにすごいと賞賛される事でもない
たくさんのフォロワーが集まることでもないし
自分の著書を出す事でもない
それは、
僕自身が、ささやかな幸せを感じることだ。
両手をいっぱいに広げて、自分の手の届く範囲
の人たちが、毎日笑顔だったらそれでいい。
その為に、僕はもう一度、挑戦する。
ちなみに、今はこんな生活してます。
最後まで読んでくれて
本当にありがとうございました。
ここまで読んでくれたあなたには
この復活劇の目撃者になってもらいたい!
見てろよ!!!
カメ郎