水色のラズベリー 後編
「水色のラズベリー 前編」をまだ読んでない方は先に前編をご覧ください。(内容忘れてしまった方も、もう一度前編を読んでから後編に進んでください)
水色のラズベリー 後編
扉が閉まりエレベーターが1階に向けて動き出してから、ようやく深々と下げた頭をあげてフーッと一息ついた。やるだけのことはやったはず。あとはいい返事を待つだけだ。
1階に着いて広いロビーを歩き、受付で来客用のネームホルダーを返して、取引先のオフィスビルを出てから、ようやく同行していた入社3年目の島田が一言「お疲れ様でした」と口を開いた。
長時間の緊張から解放されていたせいなのか、余裕を装いたかったのか、私は「めっちゃ暑くなかった?」と笑って彼に返答した。
「僕は大丈夫でした。中西社長はずっとお話しされてましたから、きっと暑かったと思います。本当にありがとうございました。」そう言う彼の顔からは、達成感のようなものが感じられた。
この数週間は、この日の商談の為に担当社員になった彼は本当によく頑張っていた。私もここ2〜3日はまともに睡眠をとることができなかった。
まだ外は明るく直帰するには少し早い時間だったが、極度の集中状態が続き正直疲れていた。彼も寝不足だとわかってはいたが、残りは彼に任せて私は直帰させてもらうことにした。
島田は駅まで歩く道の途中、チラチラと車道を振り返りながら歩き、私の為に空車のタクシーを見つけて止めてくれた。
お礼を伝えタクシーに乗り、行き先を伝えてから、窓を開けてもう一度「ありがとう、じゃまた明日ね」と彼に言葉をかけた。
車が走り出し彼が見えなくなってようやく私はスマホを出した。3時間近くスマホを見ていなかったからメールもLINEもかなりたまっていた。1つ1つに目を通し優先順位の高いものから返信をしていった。
30分くらいでタクシーは目的地に着いた。最近家のほど近くにできた綺麗な図書館だ。この図書館ができてから本を読むことが習慣になった。今日も2冊借りていく予定になっていた。
料金を支払いお釣りと領収書をバッグの中の財布にしまい、コートは腕にかけたままタクシーを降りた。もう一度車内を見て忘れ物がないか確認してから、図書館の入り口に向かって歩き出そうとした。歩きながらなんとなく人の視線を感じて、その方向に目を向けた。
その瞬間、、、
頭が真っ白になるような感覚が全身に走った。胸にズキンズキンと響くものを感じた。
でも私は足を止めずに、逃げるようにして図書館の館内に入っていき、化粧室に駆け込んだ。なんとか自分を落ち着かせたくて、意味もなくとりあえず石鹸を使って手を洗ってみた。
なんで今日なの?
それが私の正直な気持ちだった。
こんなことになるなら、どこかで化粧をなおしてからここへ来ればよかった。寝不足だし、3時間の商談の最中には何度もハンカチで顔を抑えるくらい汗をかいていた。会うにしたって、こんなコンディションで会いたくなかった。
そんな想いを抱きながらメイクをなおした。疲れた顔はメイクでは隠せなかったが、鏡に向かって2回、ニコっと笑ってみた。
メイクをなおしてはみたが、こんなことしている間にもうどこかに行っちゃったかもしれないし、図書館にいるにしてもこの広さでは会わない可能性の方が大きい。
別に会いたいと思っているわけじゃない。もし会うんだったら、ちゃんとした自分で会いたい。そう思っていただけだ。
トイレを出て、借りたかった本を見つけて少し館内をウロウロとしてみた。普段なら家に持って帰って読むが今日は少しここで読んでいこうと思った。
吹き抜けになっていて1階の出入り口が見える2階の席に座ることにした。この場所ならもしかしたら、もう一度「偶然」が重なるかもしれない。そんな気持ちだった。
席から1階を見渡してみると、そこからは図書館に併設されているおしゃれなカフェの店内の様子も見えた。
そして、、、
カフェの店内でその「偶然」を見つけてしまった。その人は、窓際の席で目を閉じて座っていた。
その人が目を閉じていたのと、きっと向こうからこっちは見えないだろうという安心感から、さっきのようなドキドキ感はなく、どこか懐かしさを感じていた。
目を閉じた顔は、優しい表情であの時のままだった。
* * *
* *
*
理科の実験が終わると、同じ班の原口菜穂子(はらぐちなほこ)は今日も外をみていた。
菜穂子は入学当初からの大の親友だ。
話を聞くと菜穂子にとって、この時間は至福の時らしい。
校舎がL字型になっていて、4階の理科室からは3階の3年2組の教室がよく見えると言う。菜穂子は理科室での授業中は、チャンスがあればいつも外をみている。
その日も実験が終わると、一人だけ片付けもせずに菜穂子は外をみていた。そんな菜穂子の様子を何気なく見ていたら、彼女はとつぜん振り向いて私にこう言った。「ねー!亀山先輩いいよね〜。」
「亀山先輩?」私は初めて聞くその名前に首を傾げながらも、菜穂子に手招きされるがままに窓際に近づいていった。
そんな私に菜穂子は指を使わずに言葉だけで、どの人が亀山先輩かを説明してくれた。
「3年2組の教室あるでしょ?一番窓側の後ろから2番目の人。わかった?」
亀山という名のその先輩は、椅子の背もたれに体を預けて、授業中にも関わらず目を瞑っていた。
「へぇー。亀山先輩っていうんだぁ」
そんな話をしていると、次々と仲良しの女子たちが集まってきた。
「菜穂子は亀山先輩なのー?私は石川先輩だなー」
「えー、私は広瀬先輩だよ!」
集まった女子たちはそれぞれに自分の憧れの先輩の名前を口にしていた。
「早希は誰が一番カッコイイと思う?」菜穂子は無邪気な笑顔で私に聞いた。
「私は先輩の名前とか知らないし、わかんないや」と少し早口で答えた。
先輩の名前をあまり知らないのは本当だった。でもその日からなんとなく、私も理科室で授業がある時に、3年2組の教室を見るようになっていた。
単純に親友の菜穂子の大好きな先輩。そのくらいの感覚だった。
そんな私の気持ちに少しずつ変化があったのは、夏休みが終わって2学期に入って授業の時間割が変わってからだった。
新しい時間割は、私たちの体育の時間に3年生の男子の先輩たちは技術の時間みたいで、毎回先輩たちの姿を見かけるようになった。授業中に、いつも技術室の外に出てボール遊びをしていたり、階段に座って先輩同士で話したりしていた。
私は体育の時間に男子の先輩たちが横にいるのは恥ずかしい気持ちが大きかったけど、菜穂子や他の女子たちは、いつも嬉しそうに先輩たちの話をしている。
そんなある日の夜、私は通っている塾から家に帰っていた。普段なら塾が終わったあと少し友達と喋ってから帰っているけど、その日は仲の良い友達が休んでいたこともあって、すぐに帰った。
すると帰り道、偶然亀山先輩とすれ違った。
挨拶したほうがいいのかな、と迷ったけど私を知ってるわけないだろうなと思って気づかないふりをしてすれ違った。
でもその時、学校で見る亀山先輩とはちょっと違った一面を見たようで、なんとなく学校で見るよりカッコよく見えた。
もしかしたら、亀山先輩も塾か何かに通っていて毎週この時間に通るのかな、と考えてその日以来、友達には親に叱られるからと嘘をついて塾の帰りはなるべくすぐに帰るようにしてみた。
そうしたら、やっぱり亀山先輩もそこを通るみたいで、塾の帰りにすれ違うことが多くなった。
そんなことが続き、私はいつの間にか学校でも先輩を意識をするようになっていた。
放課後、急いで着替えて部活の練習を始めると、校庭の横を通って帰る先輩を一瞬だけ見れることに気づいて、掃除当番の日以外はいつもダッシュで部活の準備していた。
体育の授業中、塾の帰り道、放課後の校庭、その時間が私にとって特別な時間になっていった。
1つ上の先輩ということで、叶わない恋だけど、テレビでみるアイドルとかよりは近い存在、という程よさがあったのだと思う。
菜穂子といる時は亀山先輩の話をすることが多くなって、2人で「隠れ亀山先輩ファン」という感じになっていた。
叶わない恋、遠い存在だったから「好き」というよりも単純に3年生の先輩の中では一番かっこいい!ファンです!って感じだった。菜穂子と亀山先輩の話をする時はいつも盛り上がるし、ほんとに楽しかった。
その感覚が変わり始めたのは、菜穂子が本気で亀山先輩を好きになって、真剣に想いを伝えたいと私に相談するようになってからだった。大好きな親友の恋は実らせてあげたい。
でも、相手は1つ上の先輩。しかも、私たち2年女子の間でも人気は高いから、きっと3年生の女子の先輩たちの間でも人気があって、彼女とかもいるんだろうと思っていた。
絶対に叶わない恋だと思った私は、菜穂子が大切な存在なだけに、告白したいと言う彼女の背中を押せずにいた。先輩が卒業するまで菜穂子と私で、隠れファンでいることのほうが菜穂子にとっても幸せなんじゃないかなと思ったからだ。
そして、ちょうどその頃、私を悩ませる大きな出来事が起きた。
塾のあと、いつものようにすぐに友達と別れて家路についた。その日もやっぱり、亀山先輩の姿があった。普段と違っていたのは、亀山先輩が立ち止まっていたことだった。こんなことは初めてだった。
何かあったのかなと思いながらも、普段通り挨拶はせずに普通にすれ違おうとした。
その時だった。
「ごめん、ちょっといい?」
なんと、亀山先輩が私に声をかけてきた。
あまりの出来事に私は気が動転したが、なんとか声を絞り出して
「はい」
と一言だけ言った。
今、自分に何が起きてるんだろう、と困惑していると、亀山先輩が私の目をじっと見て言った。
「あの、、、俺、中西さんのこと好きです。
よかったら付き合ってください」
信じられない!!本当に信じられない気持ちでいっぱいだった。でも、亀山先輩の目を見ると嘘を言っているようにはとても思えなかった。
あまりの出来事に、どうしていいかわからなかった。もうそれ以上亀山先輩の目を直視することもできないくらい、私は緊張していた。
でも、その状況で何も言わないわけにはいかない、何か言わなきゃいけない。きっと30秒くらい、私は黙ってしまっていたと思う。
なんとか考えて、私は先輩の方を向いて言った。
「ちょっと考えさせてもらえますか?」
先輩は「はい。」といい私に道を開けるように横に一歩動いてくれた。
挨拶をしてから、また家の方向に自転車をこぎ始めた。
その後の帰り道のことはよく覚えていない。
それから、学校にいても、部活の練習をしていても、塾にいても、家にいても、何をしていても亀山先輩のことを考えるようになってしまった。
本当はいつものように亀山先輩の姿を見たい気持ちはあるけど、わざと部活に遅れて行ったり、塾の後少し友達と話してから帰ったりした。
どうすればいいかわからない状況が私の心の苦しめていた。
一番辛いのは誰にも相談できないことだった。本当なら、先輩に告白されちゃったなんて出来事は、まず先に菜穂子に相談するような事だろう。
でも亀山先輩は菜穂子が本気で大好きな先輩。私が彼女の告白を止めていなければ、もうすでに本気で想いをぶつけていたかもしれないくらい、心からピュアな恋をしている。
そんな菜穂子に、亀山先輩から告白されたなんて、言えるはずがなかった。
どう考えても、私には菜穂子の方が大事な存在だし、大切にするべき存在だと思う。
だから「先輩から告白された」というのは私の中で無かった事にして、このまま私は菜穂子と一緒に先輩のファンでいればいいんじゃないか、そう自分に言い聞かせようとしていた。
それに、先輩はあと半年もしたら卒業していく。仮にお付き合いさせてもらったとしても、高校生になったらきっと他に好きな人もできたりして、どうせうまくいかなくなっちゃうだろう。そんな風に考えてもいた。
亀山先輩にとっても、菜穂子にとっても、私にとっても、お断りするのが一番いいんじゃないか。そう考えるようにした。
でも、憧れの先輩から「好き」と言われちゃってから、もう私は先輩のことを本気で「好き」になっていた。
考えても考えても答えはでなかった。
あの告白から1週間近くたった日の夜、携帯電話がなった。
ちょうど部屋でぼーっとしていたタイミングだったから、着信にはすぐに気が付いたけど「公衆電話」という表示を見て、ひょっとしたら亀山先輩かもしれないという気持ちがあって、すぐには出れず画面をじっと見ていた。アンテナが光続け、3和音の着信音が部屋に響いていた。
とにかく出なきゃと思い、緊張しながら電話に出た。
「はい」と一言いうと
「突然ごめん。 亀山です。
先週告白した者です。今少し大丈夫ですか?」
やはり亀山先輩だった。告白の返事を聞かれることはわかっていた。けど、私はまだ答えを出せずにいた。
というか、どんなに時間があったとしても答えは出ないだろいうと思っていた。
とっさに、私は「大丈夫です」と答えた。
よりによって机の上に置いてあったプリクラが目に入った。今日学校のあとに菜穂子と一緒に撮ったものだ。
亀山先輩が続けた
「あの、、考えてもらえましたか?」
本音を言えば、大好きな先輩とお付き合いしたい。私も好きですって、この気持ちを伝えてみたい。
でも、菜穂子は大切な友達。亀山先輩が1つ後輩の私に好意を持ってくれたってことは、もし菜穂子が先輩に告白していたら、先輩の気持ちが動いて、菜穂子の恋が実ることだってあったのかもしれない。
どうなってたかなんて誰にもわかんないけど、その可能性を潰したのは私。
菜穂子の恋に水をさすようなことをしておいて、自分が告白されたからって、友達を裏切るようなことはできない。この先自分たちの卒業までは1年半もあるし、菜穂子とは卒業してからもずっと友達でいたい。
私はどうしたらいいの?
でも、もう答え出さなきゃ。
「はい、考えました、、、」
「うん、、、どうかな?」
「 」
*
* *
* * *
先輩がゆっくりと目を開けた。
少し眩しそうに目を開けるその姿は、初めて理科室から見た表情と同じで少年のようだった。
久しぶりに見た先輩は、相変わらずカッコよかった。歳を重ねて魅力的な大人の男性って感じになっていた。
さっきは気づかないふりしちゃったけど、本当は声かければよかったと思っていた。でも女には準備ってものがある。久しぶりに会う相手ならなおさら。
ここから先輩を見ながら先輩が帰る時に声をかけてみようと思っていた。
声をかけてどうしようとか、その先のことは考えていなかった。
ただ、久しぶりに声をかけてみたかった。
あれから、いろんなことがあったし、すごく長い時間が過ぎた。楽しかったことも、辛かったことも、たくさん笑ったことも、たくさん泣いたことも、全部今となってはいい思い出になった。
目を開けた先輩が、あたりを見回してからコーヒーを一口飲んだ。時計に目をやったので、そろそろ帰るかもしれないと思い、私も帰る準備をした。
先輩がゆっくりと席をたち、カフェを後にした。
私は少し早歩きで先輩を追いかけて図書館を出た。出口のところで空を見上げて、深呼吸する先輩を見つけた。
私はゆっくりと後ろから近づいて「あの時」と同じように肩をトントンと叩いた。
振り向いた彼に、私はできる限り平静をよそおって言った。
「久しぶりだね」
帰り道、昔から変わらない古い自動販売機が光ったり消えたりしながらチカチカと力なく道を少しだけ照らしていた。
=====
あとがき
水色のラズベリーの後編?第2章?を書きました。
前回動揺、実話をもとにしていますが、登場人物の名前や物語の一部はフィクションです。
どこまでが実話で、どこからがフィクションかは、それぞれのご想像にお任せします。
今日もめちゃくちゃ時間かかりました。
今日書いたのは、僕が体験した話じゃなくて、いろいろ聞いたりした情報を元にした想像のところが多いので、ちょっと書く難しさはありました。
長かったと思いますが、最後まで読んでくれてありがとうございました。
青春のドキドキ感が少しでもみなさんに伝わって、ほんのり心が温まってくれていたらうれしいです。
カメ郎