「お風呂に入る」は1分着手できない? 【ユタカジン】
1分着手というのは、書籍『先送り0』に出てくる「先送りをなくす新習慣」としての3つ目として挙げられる、
というルールのことを指します。
そんな1分着手に関して、過去にこんなポストをしました。
きっと、風呂に入らなきゃいけないのはわかっているけど、面倒でだらだらしている。 そんな時につぶやいたのでしょう。
タスクシュートのログを遡ってみると、ちょうどこの投稿をしたときは「のんびり」していました。ソファに座りながらスマホをいじってくつろいでいたようです。
この投稿はつまり、「お風呂は1分着手できない」と思っていたことを意味しています。
この投稿にちらほら共感の声をいただいたり、他でも同じような投稿を見たりしたので、僕と同じように考える人は少なくないはずです。
しかし、果たして本当にそうなのか?
お風呂に入ることは1分着手できないのでしょうか?
そう考えてみた時に、自分の中に「1分着手に関する認識のずれ」があることに気がつきました。
そして、正しい認識に照らし合わせると、お風呂に入ることも1分着手は十分に可能だということがわかりました。
今回はその気づきについての話です。
なぜお風呂に入ることは1分着手できないと思ってしまうのか
「1分着手できない」と思うときの頭の中では、
ということを(こんなに明確ではないかもしれませんが)考えているはずです。
ぼんやりと考えてしまうことですが、きっとここがポイントです。
なぜなら、このような思考の中には、1分着手という言葉を使いながらも、終わった後の状態やそれまで過程に意識が向いているからです。
「お風呂に入り終わってきれいになった状態」というのはまさしく終わった後のことを考えていますし、「やらなきゃいけないいろんなこと」はその過程にあることを想像しています。
「1分着手」というのはあくまで着手することにフォーカスする取り組み方のはずです。
しかしここでは、1分着手という言葉を使いながらも、いつの間にか「終わった後の状態やその過程」のことを考えてしまっています。
1分着手というのはもちろん「1分間で全てを終わらせる」ということではありません。
そして、「1分経ったら切り上げてもOK」というのもきっとちょっと違います。
正しくは「1分でもいいからまずは手をつけよう」です。終わらせることや切り上げることはそもそも考慮に入っていない(考えないほうがいい)、ということですね。
これが上で述べた「1分着手に関する認識のズレ」の正体です。
「1分経ったら切り上げてもOK」の罠
この1分着手に関する認識のズレに関して、もう少し掘り下げてみます。
僕は、「1分経ったら切り上げてもOK」と「1分でもいいからまずは手をつけよう」は、実は似て非なるものだと考えています(考えられるようになりました)。
この「1分経ったら切り上げてもOK」という考え方は、時には便利ですがちょっと厄介な側面もあります。
「お風呂に入る」という行為には間違いなく「風呂場で体を洗う」行為が含まれます。そしてこの行為は、なかなか途中で切り上げることはできません。
できないというか、「髪にシャンプーがついたびしょびしょのままで風呂から出て次のやることに移る」といったことが現実的ではないでしょう(想像したらめっちゃ滑稽ですね)。
そういったことをふと感じてしまうと、着手するハードルが一気に上がる感じがします。
途中で切り上げることができない大きなタスクの塊がそこにある。やりたくなくなります。
しかも実際には、お風呂に入ることは「風呂場で体を洗う」ことだけではなく、もっといろんな行動の集合体です。服を準備したり、髪を乾かしたり、スキンケアしたり、などなどですね。
「お風呂に入るのを1分着手で終わらせたいけどできない」と思ってしまうときは、この小さな行動と途中で切り上げることのできない大きな行為の組み合わせが、トータルとしてとても大きなタスクに感じてしまい、面倒で着手しづらくなってしまうんだと思います。
でも、これは2つの意味でチャンスでもあります。
小さな着手で流れを作ればほぼ確実に終わる
僕は先日「タスクは分解するのではなく小さく切り出すのが大事だ」といった記事を書きました。
まだ読んでいなければ以下の記事を覗いてみてください。
この考え方を、「お風呂に入る」という行動にも適用してみます。
上で書いたように、お風呂に入ることはいろんな行動の集合体です。だからこそ、その最初の小さな行動だけを切り出して、その着手にとにかくフォーカスしてみる。これが1つ目のチャンスです。
そうすると「お風呂に入る」ということの大きなハードルを乗り越えられる(大きなハードルが小さく感じられる)ようになります。
最初に小さく切り出すタスクは、人によってまちまちでしょう。
身につけているアクセサリーを外す、タオルを準備する、寝巻きを準備する、などなどが考えられるでしょうか。
僕の場合は「Fitbitを充電する」ことが小さく切り出されたタスクです。
僕はほぼ24時間Fitbitを腕に付けていて、そしてそれをお風呂に入っている時間に充電しています。お風呂に入るのが面倒だと思っても、まずはこのタスクに着手することにフォーカスします。
(余談ですがFitbitはかなり充電の持ちがいいので、お風呂に入っている時間だけで十分に充電することが可能なんです。嬉しい。)
そうすると、行動の流れができるのでスムーズにお風呂に入ることができます。これまで、Fitbitを充電してからお風呂に入るのをやめた、ということはほとんどありません。
タスクシュート上では、「Fitbitを充電する」タスクだけが切り出されて、その後ろに「お風呂に入る」という大きいタスクが設定されています。この「お風呂に入る」には「寝巻きやタオルを準備する」「体を洗う」「顔の保湿する」「髪を乾かす」を全て行うこととなっています。
もう1つのチャンスというのは、この小さく切り出されたタスクさえ着手してしまえば、「風呂場で体を洗う」という途中で切り上げられない大きなタスクも確実に終わってしまう、ということです。
僕は本当にめんどくさがりなので、風呂場で体を洗っているときもたまに「体洗うの面倒だな…」と思ってしまいます。でも思っても手は自然と動くので、どう頑張ってもいつの間にか終わっています。
途中で切り上げられないという性質を逆手に取って、小さなタスクで勢いづいた流れで始めてしまいさえすれば絶対に終わります。あまり他のタスクにないような珍しい性質な気もします。
お風呂に入ることも1分着手する
ここまで読んでいただけたら「お風呂に入る」も1分着手が可能だということが納得いただけると思います。
「1分着手」というのはとにかく始めることにフォーカスすること。終わりや区切りは考えない。
「お風呂に入ること」はいろんな行動の集合体である。
だからこそ最初の小さなタスクを切り出してその「1分着手」にフォーカスする
途中で切り上げられないからこそ、始めたら絶対に終わる
もし僕のように仕事終わりに疲れ切って「お風呂に入るの面倒だな」と思ったら、この4つのポイントを意識してみてください。
もしもしかめよ かめりんでした。
本記事はタスクシュート協会メンバーが運営する「ユタカジン」への寄稿記事です。
ユタカジンとは「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマとして、時間や習慣、タスクシュートなどなどにまつわるお話が連載されていくマガジンです。
自分なりの豊かな時間の使い方に関するヒントがたくさん詰まっています。
今後もたくさん更新されていくので「ユタカジン」をフォローして日々の楽しみにしてくれると嬉しいです。