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世の中の若者は馬鹿なのか?それとも、、、

いつの時代も、世は、若者は、と嘆いている。

夏目漱石が大衆を振り切るように圧倒的な文章で作品を作り、三島由紀夫が自身の思いを叫び自決し、遥か昔に遡っては、古代ピラミッドに残された象形文字には、やれ若者が、と記されていた。

今回の読解力の低下という結果に至った原因の一つは芸術、文化に触れるために通さなければいけないフィルターが増えたことだと思う。

わかりやすく、簡略に、日々のメッセージのやり取りを含め、ファストファッションが世間一体に広がり続ける。

便利さを追求することに成功した様々な事業における開発者は皆偉大であり、ではその彼ら彼女らがどのようにしてその域に辿りたいのか、何が好きで何を食べてどう過ごしたのか、気になり追求していけばいくほど、それらを説明する言葉を大量に浴びることができ、本は読まずとも沢山の言葉に触れることができる。

その対象はなんだってよく、人であろうが、漫画、ゲーム、アニメ、YouTuber、スポーツ、自然に至るまで、日常にありふれてるいるものから、自分が好き好むものを掘れば掘るほど、先人が見て聞いて感じた純度の高いものに近付き、気付けば芸術や文化に触れているものだと思う。

そうして各方面の本物の凄さを感じることによって、この情報過多な時代に、自分にとって有益な情報をしっかり取捨選択することができ、日々の暮らしに彩りを加えて、心豊かに暮らしていくことができる。

反対に、何もかもが便利になっていく世の中で頭を使わずに、流れるように生きていくこともできる。

日々の生活に追われ、理由のわからない心の空虚さを埋めるために、身近でわかりやすいものを手にしては一瞬の安らぎを得る。

毎日のように大人がインターネットを使い、まだ脆弱さが残る子供を狙い、親、学校、テレビより新しい何かを教えてくれるかもしれない見ず知らずの他人の口車に乗せられ、さらわれてしまうような事件もニュースで目にする機会が増えてきた。

読解力の低下という結果は氷山の一角で、社会全体が知らず知らずの内に便利なものに流され、自分の身に起こっている心の貧しさにどう対応したらいいのかわからない人が増え、その大人が環境を作り、次世代へとジワジワと漏れていってしまっている大きな背景があると思う。

ネガティブな面ばかり述べてきたが、反対に、一個人が様々なことにチャレンジできるようになったポジティブな面もある。

たくさんの選択肢から、自分らしい好きなものに特化していくことが容易になり、それは子供からお年寄りまで年齢関係なく挑戦することができ、既存の年声序列制度、終身雇用制度ではカバーできない部分も増えてきており、世の中もその流れに慣れてきている傾向がある。

この弊害でもあり、恩恵とも捉えることもできる世の流れは、何千年前と変わることなく、行って来てを繰り返していく。

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