「生存の免除」という概念
マインド・コントロール(岡田尊司著)によると、「生存の免除」と言う概念が全体主義社会には存在するようです。これは昔読んだ本ですがパワーワード過ぎて思い出しました。「粛清」よりインパクトがある言葉です。ネットで調べても出てこないので、著者のオリジナルワードなのか、あんまりメジャーな言葉ではなさそうです。
全体主義、社会主義国家においてその国民は、「存在を許された者」と「それ以外」で構成されます。そしてその理念を義務として強要される事になるわけです。生命も財産も全部国のものです、そして国民を畜産みたいに国が管理しています。
しかしながら中々受け入れ難い人々もいることでしょう。指導者側が何をどうやっても行動が改善されない。そんな場合、指導者は彼らの生存を免除します。社会主義で生きる義務を果たさなくていいですよ、と。
税金を免除されるとか、責任を免れるとか、そんな楽になれそうな響きですが、つまりは死刑です。死んで償え、ではなくて、無理に生きなくていいよ、ってところがポイント。
意味合い的にはオウムの「ポア」が近いようです。「悪行を繰り返しより酷い状況になる前に止めて魂を救済しましょう」ていう尊師の独自解釈らしいですが、チベット語の元々の意味では死ぬ意味はあっても殺す的な意味は無いらしいです。
「更生できなければ処分」の理屈はわかりますが、自分が社会不適合者の烙印を押された場合、生存を免除され現世を強制退場はされたくないので、善悪は別としてバランスをとりながらその社会の適合者を自ずと目指していくのかもしれません。
結論、マインドコントロールって恐ろしい。