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君はこんな文章読まない

君はロックなんて聞かない

毎日のように友人とLINEをしている。
僕の方は毎回、3画面くらいにわたって愚痴や辛いこととか、考えたこと、とにかくよしなしごとを書き連ねている。
友人の方もそれなりに、2画面くらいにわたって返信をくれる。
僕はめちゃくちゃ気分屋だから、ありがたいなぁと思ったり、面倒だなとか、僕が期待していた言葉じゃないななどという理不尽な怒りを覚えて、返信しなくなったりスルーしたりする。
僕の数少ない友人である。
数少ない、心を許せた人物である。
漠然とした「好き」がそこにはあって、そして、学校へ来なくなった。
僕は何度も心が折れそうになって、不登校ギリギリのラインで生きてきたが、そのラインを涼しい顔でスルーして学校を休む人物を幾人と見てきた。その度に、自分に何かできないかと気が焦った。
またか、という気持ちだ。またかと溜息をつくことで自分の中の不安感を押し殺す。大丈夫大丈夫と言い聞かせる。僕は、ここで止まらない。止まりだしたら走らない。
友人の精神状態はあまりよくわからない。言わないだけで、僕を心底嫌っている可能性はあるし、知らないどこかで悪口を吐きまくっている可能性もある。何せめちゃくちゃ長い文章を送りつけているので、ウザいという気持ちは確実だろう。それでも足りずに、こうやってnoteを更新している。
僕の名前「かめのうら」は割とどこでも名乗っていて、友人も知ってはいるがまさか調べはしないだろう。逆に、別の友人が読んでいるかもしれない。いいんだよ、オープンだからね。
優しい優しいラジオを聴きながら、珍しく柔らかい文章を書いている。
何かを悩みあぐねている友人に対して、さまざまな声をかける。「自分の好きな自分でいること」「自信を持てるような姿になること」「自分の機嫌を取るのは自分しかいないこと」「自分自身を愛すること」
僕が、いっぱい悩んできた中で見つけてきた結論だ。上手くできていないこともあるけど、こうできたら良いなと思う。

君に見せたいのさ

僕は、他人から薦められたものを見ない。自分で発掘するのが楽しいのに、「よっ」と放り投げられたものに興味が湧かない。
それでも、友人には見せたいものがたくさんある。食べて欲しいものとか。
全部渡したいけど、僕がされて嫌なことをできないよなぁと思う。
それでも友人の世界は狭いんじゃないかなぁと思う。しんどい時こそインプットを重ねて、紛らわしたりしなきゃいけないと思う。
友人は、寝てればいいと言う。
僕は全然そうじゃない。
辛い時に、突発的に外に飛び出してあてもなく歩いたり、朝からカラオケ行ったり、イベントに行ったりしたい。今度はオペラを見に行こうと思ってる。
非日常の中にドボンと沈むのが心地いい。
イベントがない時には衝動買いしたり、数ヶ月後に届くものを予約したりする。
友人はお金がないと言う。
僕もそんなに持ってないけど、だったら買ってあげるよとか言ってしまいそうになる。

偶数奇数はおともだち

友人と話していて、何度も口を滑らせた。
「偶然なのか、必然なのか。僕は必然がいい」
思い出すだけで、あーあーという気持ちになる。
僕は、友人の存在で居場所を感じていた節がある。
同じような波長を感じて、それがウザったくなったりもして。この人がいなければ、なんて考えたりもする。
この人がいるせいで、僕の存在が薄まる、とかね。
それでも友人と話すと楽しくなって、好き勝手喋っていた。聞き上手じゃないけど、テキトーに聞いてくれているから、僕の減らず口はそれなりに満足していた。
もっともっと話したいのに、聞き入られないアドバイスを言いたかったのに。
もっとレスポンスが欲しいし、愚痴を言いあうとかもしたいし、全然噛みごたえのない友人だけど、数少ない大事な友人である。
「親友だから」と言ってくれたその言葉を、僕はずっと忘れない。チープでダサいなと思っても、絶対に。

割とすぐに、友人は学校に戻ってくるそうだけど、それはそれで。
僕は何もできないんだなぁと思い知らされるだけだ。それはそれで辛い。
友人の幸せを願えないのは、嫌な奴だなと思う。思うだけで、改心しようという気はさらさらない。
辛いと感じるのも、僕だから。

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